十八章 抗う者達の戦場(4)
初めてセイジの怒声する声を聞き、エルは、予想外の怖くて野太い大声に驚いて飛び上がった。その間にも目の前にセイジの背中が現れて、こちらに向かって放たれた巨大な瓦礫を待ち構えるように、両足を広げて踏みしめた。
無茶だと叫んだエルの声は、次の瞬間、爆風にかき消されていた。
両手を構えたセイジが、飛んで来た巨大な瓦礫を受けとめ、普段の温厚な表情を余裕なく歪めて額に青筋を浮かべた。落とされた数トンもの瓦礫の衝撃が、彼の両足を伝って地面を叩き割り、爆風と共に細かい瓦礫や土埃が舞い上がって、エルも風圧に煽られて尻餅をついた。
両手で数トンもの瓦礫を受けとめたセイジが、「ぐぅ」と腹の底から呻るような声をこぼした。彼の剥き出しになった腕や首筋や顔に、筋肉の筋がビキリと立った。
セイジは数トンもある瓦礫を完全に受けとめると、雄叫びと共に、それを隣のビルへと放り上げた。彼は土埃が舞う中、続けて向かってくるトラック一台分の瓦礫やコンクリートを、同じように受けとめて勢いよく次々に左右へ押し返した。
舞い上がった土埃で視界がすっかり悪くなった前方から、突如、対地上用戦闘機MR6が飛び出してきて腕を振るった。セイジは「これでも食らえッ」と拳を固めると、それを強靭な右ストレートで打ち返し、装甲が剥き出しになった機体の足を無造作に掴み持ち上げて一気に背負い投げた。
地面に叩きつけられた機体の重さで、鈍い地響きが起こった。拳を引き戻しながら、セイジが素早く後方へ視線を投げた。
「ログ今だ! 急ぎ解体してくれ!」
「分かってる!」
叫ぶセイジの脇を、指の関節を鳴らしながらログが駆け抜けた。
ログは倒れ込んだ機体目掛けて飛び込むと、左手で対地上用戦闘機MR6の腕を打った。彼の腕に青白い静電気のような光が弾けると同時に、赤黒い紋様が禍々しく浮かび上がり、彼の身体から発生した電流のような力が機体を走った。
対地上用戦闘機MR6の片腕の内部から、ショートするような破壊音が上がった。ログの左手が触れている箇所から、電気ケーブルの破裂が始まり、波紋のように機器の分解が広がった。
事態を理解した対地上用戦闘機MR6が、残っていた腕を振り上げた。攻撃を回避するためログが機体から素早く距離を置くと、戦闘兵器は彼の動向には目もくれず、壊れ始めた腕を自らの腕で切り離した。
「――君の能力は知り尽くしているつもりだ。実に厄介だよ。まるでウィルスのように次々と解体されては困る」
対地上用戦闘機MR6が、片腕で体勢を立て直してそう言った。
セイジの元まで後退したログは、尻餅をついているエルをちらりと見て安堵するような吐息をこぼし、視線を戻しながら「そらどーも」と適当な返事をした。彼は対地上用戦闘機MR6に改めて目を止めると、掴め面でじろじろと眺めた。
「しっかし、見ない間に随分死体っぽくなったじゃねぇか、マルクさんよ。つか、息出来んのか、その中は」
「これは私の姿を模した人形だ。気にする事はない」
「科学者ってのは、どれも悪趣味だな」
対地上用戦闘機MR6の操縦席は、既にオレンジ色の液体で満ちており、中に座っている『マルクの姿をしたモノ』は、まるでケーブルに喰い破られた死体にしか見えなかった。
セイジは敵の対応をログに任せると、エルを振り返り、目線の高さを合わせてしゃがみ込んだ。彼は慌ただしい手つきで、エルの頭、顔、それから両肩を軽く叩いて状態を確かめた。
「エル君大丈夫か――ああッ、切り傷も擦り傷も出来てる……!」
「え。あの、いや、俺は大丈夫だけど、セイジさんの方こそ大丈夫なの? う、腕とか、足とか?」
頬に出来た小さな擦り傷の汚れを、ごつごつとした親指で拭ってくるセイジに、エルは動揺のまま尋ね返した。
すると、セイジは首を傾げ「ん? 私は平気だけれど」と何でもないように言った。彼は困惑を隠せないエルを立ち上がらせると、再度身体の状態を確認し、ふと思い出したように「そういえば」と言葉を続けた。
「アリスは無事に救出した。あとは『エリスプログラム』の破壊だけだ」
「えッ、そうなの!? いつの間に……でも、そうか。アリスは取り戻せたんだね」
エルは安堵を覚え、「良かった」と吐息をこぼして胸を撫で下ろした。こちらを見降ろしていたセイジが、どこか安心したように笑いかけてきたので、つられて微笑み返したところで、エルはふと気付かされた。
あれ? こいつらがいるって事は、アリスはどこかに置いて来たのか?
それはそれでどうなのだろう、とエルが首を捻り、アリスのいる場所を尋ねようとした時、ログが肩越しにこちらを振り返って「おい」と呼んだ。
「塔の入り口を探している間に一周しちまってたみたいだからな、近くにあった別の戦闘兵器は俺が壊しておいた。残ってる兵器は、おそらくこいつで最後だ」
「……お前、また」
「おい、その目はなんだ。俺は迷子にはなってねぇ」
何言ってんだ、きれいに一周しちゃってる時点で迷子だよ。
というか一周したって事は、スタート地点が塔の入り口近くだったって事だよね? こいつ、馬鹿じゃないのか? そもそも、このバカでかい塔を一周するって、どれだけ時間が掛かったんだろうか……
言いたい事が次々と脳裏を過ぎったが、まだ敵を叩き潰せてはいない状況なので、エルは指摘するのを諦めた。どうしてこうも認めたがらないのだろう、やっぱりこいつは迷惑な迷子野郎に違いない、と一人納得していると、何故か、ログにガシリと顎を掴まれた。
「何なになんなのッ、というかゴシゴシ擦ってくるなッ」
「汚れが付いてる」
「そういう状況じゃないでしょ!?」
「チッ、少し傷になってんな」
セイジに擦られたところを、同じように親指で拭っていたログが、独り言のように舌打ちした。こちらの言い分を全く聞いていないと察したエルは、「意味が分からんッ離せ!」と足を振り上げたが、彼は手を離して軽々と避けた。
畜生後でぶん殴ってやる、とエルがログの横顔を睨み付ける中、セイジが困ったようにログを見て「また迷子になっていたのか……」と誰にも聞こえないよう口の中で呟いた。
対地上用戦闘機MR6の向こうには、巨大な塔の入口が見えていた。頑丈な鉄で造られた大きな入口には扉がなく、塔内の薄暗さだけが覗いている。
また大地が僅かに振動し、エルは、崩壊が続いている現状を思い出した。
一見すると、塔からマルクが戦闘兵器を操作しているような状況だったが、彼との短い会話を思い返す限り、問題なく指令席に身を置いている様子を、エルは想像出来なかった。
エルとしては、アリスが無事に保護出来た今、マルクの身に何が起こっているのか早急に確認したいと思っていた。早く向かわないとマルクが失われてしまうような、そんな嫌な可能性が脳裏には浮かんでいた。
気付いてしまったのに、無視する事は出来なかった。
マルクも、助け出さなければならない人間の一人なのだ。
「――マルクは、きっと塔の中だ。俺が先に向かうから、こっちの方は頼んでいい?」
エルはチラリと、随分高い位置にあるログとセイジの顔を見上げた。声を掛けた途端、隣にいたログが条件反射のように眉を寄せた。
「ガキが一人で突っ込む気か? 『エリスプログラム』の本体があるってんなら、そいつは俺の獲物だろ。むしろ、お前とセイジでこいつの相手をしてろ」
「ちょッ、ひとまず落ち着くんだ二人とも」
険悪に発展しそうな空気を察し、セイジが慌てたように二人の仲裁に入った。
「アリスには護衛が必要なのだから、ここでバラけてしまうのは良くない。大きな敵との対峙は、二人一組以上がルールだろう、ログ? 一人が塔に行ったとしたら、二人で兵器とやりあう事になる。そうしてしまったら、アリスを守る人間がいなくなってしまう」
「……チッ、うちの隊長は遅刻かよ」
そう言って振り返ったログが、僅かに目を見開いた。
エルとセイジは、ログの反応に気付いて後方の様子を確認した。そこには、ログのジャケットを掛けられたアリスがおり、彼女は上体を起こして、大きな青い瞳をこぼれんばかりに開いていた。
実物のアリスに目を止めて、エルは、知らず息を呑んだ。本物のアリスは、まるで夢物語から出て来たような小奇麗な少女だった。
大きく波打つ長い金色の髪、大きな青い瞳、可愛らしい袖の短い薄地からは細く白い腕が伸びていて、女の子らしいフリルのたっぷり使われた桃色のスカートが、座り込んだ地面に広がっていた。
けれど、エルが驚いたのは容姿ではない。
アリスの強い視線を受けとめた瞬間、エルは幼い彼女が、『ナイトメア』や『エリス』、そして『エル』が置かれている事情を知っているのだという直感を覚えたのだ。一体、どうして彼女が把握しているのだろうか……?
すると、エルを見つめていたアリスが、大きな瞳を潤ませて口許に手をあてた。
「……お願い、※※※。死んでしまわないで…………」
こちらまで届かないはずの声だったが、エルの耳は、不思議とその呟きを拾い上げていた。本当の名前まで知っている意味を察し、エルは思わず、「ああ、そうなのか」と口の中で呟いた。
エルは唐突に、冷静に理解した。
アリスもまた、エルとは違った何かしらの『運命』を、もしくは役目の一つを選択してここにいるのだろう。




