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十七章 エルの始まりと、終わりへと動き出す運命(3)

 ひとまずエルは、幽霊のような男と目線を合わせるべく、膝を抱えるようにしゃがみ込んで、輪郭のハッキリとしない彼の顔を見つめた。


「『外』は、今どんな状況になってるの?」


 気になってエルが尋ねてみると、男は動揺した様子で口の開閉を繰り返した。仕草で何か知っている事を伝えてきてくれるといいな、と期待していたものの、原因の分からない動揺が続いているらしい。


 ふとエルは思い付き、本当にこれだけで交信が取れるのか自信はなかったが、先程と同様に片耳に手をあて「ホテルマン」と慣れた方の名前で呼び掛けてみた。すると、いつでも応えるといった言葉通り、頭の中から『どうされましたか』と、彼の声が聞こえた。


「この人、貴方がさっき言っていた、取り込まれてしまった精神体の人?」

『残念ながら、彼は少しばかり違います』

 

 ホテルマンが、間髪置かずにそう答えた。呼び掛けた途端に、まるでこちらの様子が見えているような物言いだった。


『強制的に引き込まれた人間は、それぞれが『エリスの世界』を見させられている状態なので、私達を認識する事が出来ないのです。また、姿もきちんと反映されます。貴女が先程目撃した人間達は、夢も見ないうちに無理やり取り込まれてしまった為に、姿が反映していなかったわけですが、あちらにも私達の姿は見えていません』


 どういう事だろうか、とエルは、少し頭の中で情報を整理した。


 眠らされてから引き込まれた人間は、エキストラのようにハッキリと姿形があり、眠る前に被害を受けた人達は煙で形が構成された状態で『仮想空間エリス』に登場していて、どちらもエル達の姿を認識する事はない。


「この人、俺の事を認識出来ているみたいだけど、違うってどういう事?」

『彼は被害から逃れたにも関わらず、恐らく『エリスプログラム』の稼働するラボの中で、うたた寝をしたんですよ。何を考えているんでしょうかね、私がわざわざ影響されないよう守っている部屋の中で、夢を見る直前にあっさり『エリスの世界』に落ちてくるぐらい堂々と、自分の意思で眠った訳です』

 

 ホテルマンは、まるで現場を確認したような物言いで嘲笑った。


『ははははは、阿呆ですねぇ。本当に考えられません。いやぁ、本当に救えない阿呆です。……ちっ、全く、ハイソン君は何をしているのやら』


 どうやらホテルマンにとって、この煙男は、予想外の珍客であるらしい。彼の舌打ちなんて初めて聞いたな、とエルは思った。

 

 『エリスプログラム』がある部屋にいたという事は、この煙男は、スウェン達の身体がある場所にいて、現在進行形で『外』で頑張っていた研究員の一人なのだろう。


 というか、二回も阿呆って言った……


 ホテルマンは『外』にも働きかけて動いているらしいので、この煙男を知っている可能性も高いが、交流があったとしても関係性は最悪のような気がする。もしかしたら、一方的にホテルマンが見ていただけの研究員かもしれない。


「……うん、ここはスルーしよう」


 とりあえず、うっかり入りこんで来てしまった研究員である事は認識した。時間もないのだし、深く訊くのも控えた方がいい。


 エルがそう納得したところで、頭の中で小さく『せっかくこの私が集めたエネルギーの一部を消費してまで遮断したというのに、この人間は』と愚痴を続けていたホテルマンが、ようやく普段の冷静さを取り戻したように言葉を切った。


『――まぁ、ちょうど良いでしょう。彼には、メッセンジャーになって頂きましょうか。幸い、こちらの声は聞こえているようですし役に立ちます。出来るだけ『エリスプログラム』から正規の主導権を奪還してもらい、脱出の為の出力権限に関しては、完全に制御可能まで持って行って頂きましょう』


 アリスや、スウェン達が脱出するためのルートの事か、とエルは察した。とはいえ、そうごちゃごちゃと言われても、機械音痴のエルには少し難しかった。


「えぇと、出口に関わる事は、とりあえず全部取り返しておいてって伝えればいいの?」

『それでよろしいですよ。吸収されてしまった精神体は、出入り口あたりにとどまっておりますから、機械側の命令権の拒絶を解除して頂ければ『私』が解放する事が可能です。――そうする事で、アリスを含めた人間達をここから出してしまえる事が出来ます』

「制御ってことは、出来るだけ暴走を抑えてもらって、出口を確保するための作業に専念してってお願いすればいい?」

『左様でございますね。私は機械に関しては無力ですから、そちらは彼らに任せるしかありません。彼らの方で準備が整えば、後は、恐らく私の方で片付けられます』


 どんな方法で、とエルは尋ねなかった。


 以前出会った『夢人』の少年と同じように、こちらのルールや事情の深くを理解する必要はないから、と困ったように言われるような気がして、頭の中からホテルマンの気配が完全に消えるまで黙っていた。


              ※※※


 エルは表情の見えない男に、ホテルマンから聞いた話を手短に説明した。男は尻餅をついたまま、気の抜けた返事をするような仕草で、時々首をけだるげに上下に動かせた。


「制御とか奪還とか難しい事はよく分からないけど、ここから皆を脱出させる為に協力して欲しい。俺も、皆を助けられるように頑張る」


 そう説明を締めくくった時、長らく話しを聞いていた男が、ふと危うげな足取りで腰を上げた。


 エルはしゃがみ込んだまま、どうしたのだろうか、と煙男を見上げた。ボストンバッグの中から、先程一度だけちらりと煙男を見て内側へ戻っていたクロエが、バッグの中で小さく身じろぎするのを感じた。


 うん、分かってる。まだ大丈夫。


 煙男に悟られない程度に、チラリとバッグの中のクロエと目を合わせ、エルは、そう答えるようにボストンバッグをポンポンと叩いた。すると、煙男の方から、少し発声練習をするような若い男性の声が聞こえてきた。


 エルが、思わずガバリと視線を向けると、煙男が音声付きの咳払いをした。


(突然の事で混乱しちまってるんですが、――ひとまず暴走を出来るだけ最小限にとどめて、脱出に関わる部分に関しては全て奪還するって事ですよね? 無茶ぶりな要求ではありますが、あの怪しい『ナイトメアプログラム』が俺らのサポートに回ってからは、こちらの処理能力もどうにか追い付けていますし、恐らくその原理からいくと、アリスちゃんの件も併せて、どうにかなりそうですが……君は?)


 唐突に幽霊が声を発した事についてエルが驚いていると、煙男が、困ったように頭をかいた。


(あ~……恐らく、君が報告にあった『エル君』って少年ですよね? 俺の見解、間違ってますか?)

「いや、間違ってはいないけど……、喋れたんだなぁと思って?」

(その件に関しては、俺もびっくりしてます。さっきまでは声が出ませんでしたし?)


 軽い口調でそう言ってのけた幽霊のような男が、ぼんやりと笑ったような気がした。エルは立ち上がり、コートの裾についた細かい瓦礫を払って、改めて彼と向かい合った。


(でも、あんたの話を聞いていて思ったんですがね。あんたは、他人の事ばかりですね。無理して背伸びしなくてもいいっつうか、そもそも『エル』ってだけ情報を渡されても困るんすよね。うちとしては、あんたがどこの誰だか探したいところなんです。軍人は後処理を全部こっちに押し付ける癖に、協力的じゃねぇから困ったもんです)


 エルは「そうなのか、ごめん」と思わず苦笑した。やらなければならない事があって、それは誰にも明かせない秘密なのだと、心の中でそう答えた。


 必ず犠牲は必要で、それが全てを終わらせてくれる。

 そこでようやく、『彼女』は正しく救われるのだ。


 そうやって、いつか再び目覚めた『彼女』は、今度は憂いもなく自分を肯定して役目を果たせるのだろう。それが何十年、何百年先になるかは分からないけれど、これは『彼女』にとって終わりではなく、遠い未来のための始まりでもある。


 人もまた同じだ。いつか巡って、どこかで生まれ変わって、もしかしたら同じ『宿主』と『夢人』が出会う事もあるのかもしれない。もしかしたらエルも、いつか本当の両親や、またオジサンと同じ時代に生まれ落ちる日があるのかもしれない。



 よくは分からないけど、きっと、そうなのだろう。世界があまりにも眩しくて、愛おしくて、もう少しここに在りたかったと寂しく、悲しくなるなんて事は我儘だ。


 本来はなかったはずのこの十四年を生きられた贅沢以上の事を、望んではいけない。それを、エルは知っていた。



「スウェンもきっと、そこまでして欲しくて報告したわけじゃないと思うし、俺を探す必要はないよ。俺は、そっちの『所長さん』って人に助けられて、元の名前では事故で死んだ事になっているし、今の名付け親も亡くなって一人だから、迷惑もかからない。うん。だから、大丈夫なんだ」


 本来ならば十四年前に死んでいたはずの人間で、助けたいと願った過去を思い出した時から、ここから帰れない決意は出来ていた。エルはハッキリと嘘を吐くのも憚れて、遠回しに、スウェン達と無事に任務をやり遂げるから平気だと笑って答えた。


 すると、煙男が、顔の眉辺りに影を作って腕を組んだ。


(大丈夫って、どういう事っすか? まるで死にに行くみたいな言い方だなぁ。ハイソンさんの胃も限界だし、所長とっ捕まえて訊き出さなきゃならないっすね……)


 煙男は、エルがよく分からない事を口にした。ハイソンという名前に関しては、スウェン達から何度か聞いた覚えがあるので、恐らくは『外』の研究員であるとは推測出来る。


 胃が限界って、すごく大変な状況ってことか……?


 ログが時々、『外』の連中は気ままなもんだというような事を口にしていたが、そんな事はなかったようだ。会った事もない『ハイソンさん』の苦労を想像して、エルは、労いの言葉を思い浮かべてしまった。


(事情は分かりませんけど、それでも、あんたは今、生きているじゃないっすか。俺が見る限りでは、あんた相当強いし、最後まで足掻けばいいじゃないんですかね。何に悩んでいるのかは予想もつきませんけど、サポートならしますよ)

「でも俺は、自分の本当の名前も下だけしか覚えてないし、あ、そうじゃなくって、その、やらなきゃいけない事があって――」


 初めて会った人間に、足掻け、なんて言われるとは思っていなかったから、エルは、何故か不意打ちのような動揺を覚えて慌てた。


 煙男が、腕を組んだまま首を傾げた。


(物覚えが悪いって話っすか? それなら問題ねぇでしょ。自分の大事な名前を覚えてる、それだけで上出来ですよ、俺だって憧れた人の名前だけで追い駆けて本名を全部覚えていたわけじゃないですし? やらなきゃいけない事が大き過ぎるってんなら、誰かと分け合えばいいだけでしょ。俺達は戦場に置いては非力ですが、なかなかのサポート要員っすよ。俺、メンバーの中じゃ機械関係はピカ一っすから、頼まれた事はきっちりやっておきますんで任せて下さいよ)


 エルは、しばし帰す言葉に詰まった。彼の言葉が胸に突き刺さって、少しでも希望を見せられる事が痛かった。一瞬、どうしてか、手を離すなと言ったログとのやりとりが蘇ったが、誰かと分け合うなんて、そんな事出来るはずがない。


 恐らくこの煙男は、とても良いやつなのだろう。言葉の端々に性格の軽さが滲み出ているような気もするが、実のところ、しっかりしている風でもある。


 男がどんな顔をしているのか、エルは今更になって気になり、その顔が見られない事を、そして、今後も確認する機会がない事を少しだけ残念に思った。


(だから他人ばかりじゃなくて、あんたも自分の事、しっかり考えて下さいよ。俺、結構あんたの事気に入ったし、終わったらジュースでも奢ってやりますんで、そんな時は話ぐらい聞かせて下さい。あ、そういや箱買いしたチョコ菓子もあるんで、それも付けますよ。俺、両親の影響で日本語も達者っすから)

「……あの、俺、お酒も飲める年齢なんだけど……?」

(マジっすか。日本人にしても小さ――いや、幼過ぎません? いくつっすか?)

「…………二十歳」

(うーわ、そりゃあすげぇ詐欺っぽい。その外見って、どう見てもせいぜい――あ、なんかそろそろ起きる気配が。俺『クロシマ』って言いますんで、よろしく!)


 ずけずけと失礼な物言いをする男の姿が揺らぎ、煙だけで構成されたような身体が、再会を匂わせる約束の言葉を残して、風に舞って消えていった。


「…………」


 百五十センチ台って、そんなに小さいの? 

 小さくはないよね、平均だよね、多分。


 チクショー、というか外見詐欺ってなんだッ


 背丈のあった煙男に内心愚痴ったものの、もう少し長引けば危なかったかもしれないと考え直し、エルは、首の後ろに覚える殺気に身構えた。ボストンバッグの中に身を潜めているクロエも、先程から、その警戒をエルに伝えていた。



 先程の地上型戦闘兵器の比にならない、二足歩行の大きな何者かが行進するような足音が、段々とこちらへ向けて地面を強く震わせ始めていた。

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