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十五章 白い大地の駅(3)上

 崩れた支柱の欠片達が、柔らかな白い灰となって一気に空へ飛び出し始めた。


 頭上を掠める白い輝きが、白銀の吹雪のように世界をキラキラと彩り舞う幻想的で美しい光景に、エルが思わず腰を上げた時、その脇を、空へと向かって一人の青年の残像が走り抜けていった。


 それは、癖の入った漆黒の髪を持った青年だった。顔はよく見えなかったが、口許には誇らしげな笑みを浮かべ、手にはスケッチブックと鉛筆を持っていた。映像の残滓のような彼が走り抜けた後から、白い灰が嵐のように強く吹き荒れて、その中に絵具のような何色もの眩い輝きをこぼしていったような気がした。


 きっと、彼が駆けてゆく場所には、彼が夢に描いた美しい世界が待っているのだろう。よくは分からないけれど、エルは、何故かそんな想いを抱いた。


「創造の力が強い者の『夢』ほど、人の心や想いが映し出されます。あれは、ここにいた『夢人』が大事にしていた思い出の残像でしょう」


 先程とは違って大きな目を好奇心に見開き、青年の残像を追い掛けるエルを見て、ホテルマンがそっと眩しげに目を細め、静かな声色でそう教えた。


 すると、仕事を終えたログが、エルとホテルマンの頭上から怪訝そうな顔を覗かせた。


「おい、ホテル野郎。俺にも見えたぞ、幽霊みたいな男が。あれは一体何だ?」

「ですから、人の心が映し出されているのですよ」

「思った事や考えた事が、投影されるってのか?」

「その想いに『心』が宿れば投影されます。思い出も同様ですよ」


 ログは仏頂面で面倒そうに頭をかき、「お前が言っている事は、よく解からねぇな」と考える事を諦めたように言った。彼の後ろにいたスウェンが、「それで」とホテルマンに尋ねた。


「僕らはここから、どうやって『仮想空間エリス』まで行けばいいのかな?」

「先にお伝えしましたでしょう。ここは『駅』ですよ。迎えの列車が来ますので、それまで待ちましょう」


 ホテルマンはニコリともせず立ち上がり、座っていた際衣服についた白い砂利を払い落した。



 見晴らしの良い駅のホームには、当然ながら他の客の姿はなかった。三つのベンチに、スウェンとセイジ、ログは一人で、エルとホテルマンがそれぞれ並んで腰かけた。



 現状、『仮想空間エリス』に入る為には、この世界の列車を使用する以外に入る術がなくなってしまっているのだと、ホテルマンは簡単に説明した。『仮想空間エリス』は周囲から崩壊しており、この世界の『夢人』が残した『夢渡り』の力を残した列車で、崩れた道を飛び越えて向こうに突入するしか方法はない。


 またしても妙な常識用語が入り込み、スウェンが額を押さえた。セイジが「つまり列車のみなんだな」とスウェンを気遣ってそう答え、ログが「ファンタジーかよ」とベンチに両手でを掛けて天を仰いだ。


 白い大地には、穏やかな時間が流れていた。

 列車の到着を待ちながら、それぞれベンチで暇を持て余した。


 待つ事に飽きたらしいログが、とうとう腕を組んで目を閉じた。疲労の為か、エスェンも思わず欠伸をもらした。セイジは来る列車を見逃すまいと、背筋を伸ばしたまま前方を見据えている。


 それから、どれぐらい経った頃だろうか。


 エルが意味もなくコートの袖に触れていると、ボストンバッグで仮眠を取っていたクロエが、パチリと目を覚ました。ホテルマンが、どこからか意気揚々とブラシを取り出したが、彼女はするりと大地に飛び降りると、振り返りさまにエルを見上げて「にゃー」と誘った。


 どうやら、少し近くを歩きたいらしい。そう察しつつ、エルは確認するように尋ねた。


「クロエ、散歩したいの?」

「にゃんっ」


 クロエは、肯定するように元気良く鳴いて頷き、エルの足に身体をすり寄せた。


 エルが立ち上がると、ホテルマンが礼儀正しく胸に片手をあて、すかさずクロエに「私もお供してよろしいでしょうか?」と笑顔を見せた。しかし、クロエは途端に「にゃ」と顔をそむけてしまった。


 数秒ほど、笑顔のまま沈黙したホテルマンが「ふっ」と息を吐いた。


「――なるほど、仕方がないですね。二人きりの時間ですし、私はお邪魔にならないよう、ここで待っている事に致しましょう」

「その、なんか……ごめんな……?」

「いいえ、滅相もございません。振られるのも、良い男にはつきものでしょう」


 ホテルマンが「いってらっしゃいませ」と、まるで優秀な執事のようにニッコリとしたので、エルは不思議に思いながら「ちょっと行ってくる」と返事をして、待ち切れず歩き出したクロエの後を小走りで追い掛けた。


              ※※※


 エルがクロエを引き連れて向こうへ行ってしまうと、辺りは再び静かになった。スウェンが足を組み直し、エルを目で見送るホテルマンをチラリと見やった。


「珍しく静かだね。やけに大人しいじゃないか」


 こちらの声が聞こえなくなるまで、しっかり丁寧にエルを見送った後、ホテルマンはようやく「そうでしょうか」と答え、張り付いた嘘臭い微笑みを浮かべた。スウェンへ顔を向けて、それからログへと視線を移す。


「そちらの『愛想のない大きなお客様』も狸寝入りをしていらっしゃるようですが、それこそ貴方らしくないのでは?」

「ふん。休める時に身体を休ませているだけだ」

「なるほど。左様でございますか」


 ホテルマンは、表情を変えずに顎をさすった。


 しばらく言葉が途切れ、四人は、少し離れた場所を闊歩するエルとクロエの様子を眺めた。クロエは、エルの前を軽やかに進んでいたが、必ず後ろを振り返り、エルがついて来ているのか確認していた。まるで母親みたいな猫だと、スウェン達は、そんな不思議な印象を抱いた。


 対するエルは、足元に回りこんで進行の邪魔をしたクロエに、楽しそうに笑いかけて話しかけていた。こちらも、まるで人間に話しかけるような自然さがあって、スウェン達の目を引く。


「一つだけ、訊いてもいいかな」


 エルの様子を見つめたまま、スウェンはホテルマンに尋ねた。


「おや、一つだけでよろしいのですか? もっと騒がしい事になるのではないかと思っていたのですが」

「まぁ、そうしたかったのは山々だけど。――僕も、らしくないんだけどね。一度そういう、ごちゃごちゃした事を考えるのを一旦やめてみようと思って」


 スウェンは背伸びを一つして、片腕をベンチの背もたれに掛けてホテルマンへ顔を向けた。


「君も『仮想空間エリス』に用があるみたいだけれど、君の目的は何だい?」

「それが『私』に与えられた役目だからですよ、親切なお客様」

「それ、答えになっていないよ」


 堪らずスウェンが苦笑をこぼすと、ホテルマンは唇だけで笑みを作った。作り物の目は、一切の感情がなかった。


「それでは、私からも質問させて頂きましょう。あなた方はどうやら、私を少しばかり過信し過ぎているようですが、一体どういう心境の変化があったのでしょうか? 短く浅い仲である事を考慮して、もう少し警戒はされた方がよろしいかと思われますがねぇ」

「そんな事、君に言われなくたって分かっているつもりだよ。だけどなんでかな。こう、どうにも君が、エル君を守っているようにも感じてね。僕らの目的の敵にはならないと言った君の言葉を、信じてみようと思って」


 彼は早くアリスを助け出せと言い、きちんと道案内をして、そして一番小さなエルを気に掛けている。戦闘時にはさりげなくこちらを助けており、敵であったとしたら、矛盾する言動と行動だろうとスウェン達は考えてもいた。


 スウェンは、エルへと視線を戻した。彼女は走り回る黒猫を確保し、抱き上げていたところだった。



 少女と猫が見つめ合い、何事かを囁き合う。何か面白い発見でもあったのか、一人と一匹は、こちらに見向きもしないまま、スウェン達の視線の先で楽しそうに笑った。



 どうやらエルは、また猫に向かって内緒話というものをしているらしい。たびたび彼女達は、スウェン達が眠っているか、もしくは完全に注意を離しているだろうと察した頃合いを見計らって、こっそり会話をしている時があった。勿論、それは全部筒抜けなわけで――


 多分、気付いていないのは、エル本人だけだ。


 大きなベッドで四人一緒に寝た時も、スウェンは、エルが猫に語り聞かせていた独り言をハッキリと耳にしていた。一人と一匹の間で交わされるやりとりを聞き逃しているメンバーは、もう一人もいないのだという事を、エルだけが知らないでいる。


 ああやって気取らない顔をして微笑んでいる時、彼女がより一層幼く見えてしまう事を、彼女自身は気付いていないのだろう。緊張も警戒もなく、背伸びをして大人になろうと気を張っていないエルは、そうしていると、ただ一人の少女に戻ったようにも見えた。



 猫に話しかけたところで、言葉が返ってくる訳でもない。


 それでもエルは、心から楽しそうに猫に話し聞かせるのだ。こちらが気付かない振りをしている間に、自分が感じた事、思った事を素直に口に出来る相手は、いつも猫のクロエだけだった。



「……猫じゃなくて、僕らに話しかけてくれればいいのに」


 そうしたら、きっと、何だって答えてやるだろう。スウェン達は、エルよりも長く生きてきたのだ。空の色の青の不思議や、眼下で煌めく広大な海の美しさ、風の心地良さや、共感出来る全てを多く話してやれるだろうとも思うのだ。


 些細な事だって構いやしないのだ。例えばエルが「雨が降りそうだ」と言えば、こちらは「そうかもしれないね」と人の言葉で答えられる。セイジなら、風の中に含まれる湿度に鼻をきかせ、経験から別の言葉を引き出すかもしれないし、ログなら動物的な勘で、自分が判断した結果を口にするだろう。


 話しをしよう、と素直に言えないもどかしさを感じていた。


 ログとセイジは何も言わないし、いつもと違ってスウェンに回答を急かしてくる様子も見せていない。


 まだ、自分達が何も決められていないせいなのかもしれない。それでもスウェンは、猫との目配せや内緒話を聞き逃すまいと、知らず気に掛けている事実も否定出来なくて、思考はいつもそこで止まってしまうのだ。


 

「――別れが待っていると仮定し、その可能性を見越してしまったとして、それでも、貴方様が口にした願いは変わらないでしょうか」



 不意に、ホテルマンの静かな声色が沈黙を破り、スウェンは、己の中の冷静さが揺らいで、胸がざわりと騒ぎ立つ久しい感情を覚えた。


 それは言い訳のしようもない『仲間の安全を脅かす不安要素への過剰反応』だと自覚してしまったが、スウェンは自身を偽る余裕もなく、ホテルマンの横顔を睨み付けて「どういう意味だい?」と、感情のまま威嚇のような声を上げていた。

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