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十四章 深い森(4)下

 ログに引っ張られて外に出ると、そこには夜が広がっており、巨木の根が眠り落ちた竜のように大地を埋め尽くしていた。


 荒れ狂った直後に、そのまま動きを止めてしまったような巨木群の光景を前に、エルは、しばし瞬きをして沈黙した。彼女の無傷を見たスウェンとセイジが、疲れ切った身体からようやく緊張を解き、ピタリと固まったホテルマンの腕から、クロエが易々と抜け出す。


 早々にロープを外したログが、大きな図体を屈めて「おい、呆けてんな」と目の前で大きな手を振ってきてようやく、エルは「これ、どういう状況……?」と尋ねる事が出来た。しかし、その直後、彼女の顔にクロエが飛び掛かり、エルが「ひょわっ!?」と短い悲鳴を上げて押し倒されるのを見て、今度はログが沈黙した。



 どうやら、この世界が突如として夜に呑まれたのは、ログが、エルの救出に向かってすぐの事だったらしい。空はとっぷりと暮れ、星も見えない夜空が広がっていた。吹き抜ける冷気を含んだ風も、深夜のそれを思わせた。



「時間が逆転したのでしょう。完成された夢世界ほど『条件』に縛られますから」


 詳細はエルが合流してからと決めていたスウェンが、一同の無事が確認され、眼差しで説明を促したところで、ホテルマンがそう切り出した。


「大きなエネルギーを必要とする『夢』は、一時的に消費を抑えるため『役者』の一部を止める設定を持っています。通常であれば早送りのように夜を迎えさせたりする訳ですが、力の源である『夢人』と『宿主』がいない事には膨大なエルネギーは育ちませんから、このように無理やり『時間を逆転』させている、といったところでしょうかねぇ」


 やたらと頭を擦りつけて甘えてくるクロエを抱きながら、エルは、ホテルマンの話を聞いていた。スウェンが乱れた髪をかき上げて「つまり」と情報を頭の中で整理しつつ確認した。


「単純な話、エネルギー不足で僕らは命拾いしたわけか。――今なら妨害無しで進めるという認識でいいのかい?」

「一時的なものですがね。その通りですよ、『親切なお客様』」


 スウェンの問いに対し、ホテルマンは、胡散臭い顔でニッコリと笑った。


 エルが木の中に閉じ込められていた間、外に残されたメンバーは、相当な体力を消耗されたようだ。衣服の一部は擦り切れ、ホテルマンの整えられた髪もやや乱れていた。ホテルマンはもっぱら、シャツに皺が入ってしまった事を残念がっており、そこまでの疲弊は見えない。


 騒動の最中、ホテルマンはクロエを腕に抱えて逃げ回っていたらしい。彼は義務的で簡単な説明を終えて早々、途端にいつもの営業用の笑顔を浮かべて、自らエルに「私の事をすごく褒めてくれて良いですよ!」と自慢げに話し聞かせてきたのだ。


 エルは、クロエの件に関しては礼を述べたものの、ホテルマンを手放しで褒める事は出来なかった。


 スウェン達の沈黙と疲弊振りを見る限り、この男はログが言っていたように、特に役に立たなかっただろう事が見て取れたからだ。エルが真相を求めても、スウェンは溜息をこぼすばかりで、しばらくの間はホテルマンに目も向けなかった。セイジも珍しく黙りこみ、疲労の浮かぶ顔で遠くを見つめていた。


 どうやら、ホテルマンの一件以外にも、スウェンは騒動で探査機や地図を失ってしまったショックもあるようだった。


 一同が短い休憩で腰を休めている間、スウェンは足元に横たわる木々の根の間を覗きこみ、辺りを見渡していた。しかし、「やっぱり無理か」と諦めたように大きく肩を落とした。


「まぁいいか。『夢人』とかいうの少年ほど使えないにしても、ホテルの彼が道案内代わりにはなるだろうし……」


 スウェンの言葉を、ホテルマンは否定しなかった。ホテルマンは何故か、途端に気が抜けたような作り物の顔で「そうですねぇ、まぁ、確かに分かりますけれど、はい」と面倒そうにぼやいた。


              ※※※


 少しの休憩を挟んだ後、エル達は、ホテルマンの後について歩き出した。車ほど大きな巨木の根や幹を踏み越え、森の終わりを目指す。クロエは先程の再会の喜びで疲れてしまったらししく、エルのボストンバッグの中で丸くなっていた。


 誘導するホテルマンは、どこかやる気が萎えたように肩を落とし、優秀な執事らしい機敏さが削がれた姿勢で、トボトボと長い足を動かせていた。


 なんというか、彼は数分に一回、わざとらしいぐらいの溜息を吐く。


 ホテルマンは楽しくも面白くもなさそうだった。一同の後方からそれを見ていたエルが、どうしたのだろうと首を傾げる近くで、ログが苛立って「露骨にやる気が削がれるだろうが」と愚痴ると、ホテルマンは、珍妙な表情でこちらを振り返ってその原因を述べた。


「だって、疲れてしまったのです。仕方がないのです」


 ホテルマンは、言いながら唇を窄めて人差し指を当てた。そっと眉影を作り「私、頑張り過ぎだと思うのですよ」と、吸血獣の一件から続く出来事を、気持ちの悪い裏声で順を追って上げ始めた。


 それを目に止めてすぐ、スウェンが悪寒と鳥肌が止まらない様子で「可愛くない全然可愛くないッ」と身震いし、セイジが控えめに口を押さえた。エルが何とも言えないで黙っていると、ログが「このタイミングでやられるとマジで殺したくなるな」と殺気立った。


「おい、ホテル野郎。それ、全然似合ってねぇから今すぐやめろ」

「え~? 可愛くないですか? ね、小さなお客様ッ」

「え、なんでそこで俺に同意を求めるのさ……?」

「だって小さきお客様、こういう可愛いものとか兎とか好――」


 エルは素早く動いた。ログ達と同じぐらい身長の高いホテルマンの口を黙らせるべく、両足で彼の背に蹴りを入れる。ホテルマンは背を弓にして「痛いッ」と叫び、ギリギリのところで転倒を逃れ、眉を八の字にして彼女を振り返った。


「んもぉ~、いきなり何をなさるんですか?」

「うっさい馬鹿ッ、何言おうとしちゃってんの!?」


 あの羞恥を思い出して怒るエルを見て、ホテルマンが「あ」と遅れて思い出したように呟き、掌に拳を落とした。


 こいつ信じられんッ、やっぱりぶん殴って記憶を飛ばしとくんだった!


 薄らと顔を赤らめて、半ば涙目でわなわなと震える小さなエルを、スウェンとセイジが珍しそうに目に止めて首を捻った。ホテルマンが途端に「ほほほほ」と奇妙な笑い声を上げ、「さてッ、さくさくと先に進みましょうか! いつ『夜』が終わるか分かりませんからね!」と露骨に話題を変えて歩き出した。


 隣に誰かが立つ足音を聞いたが、エルは、どこか上機嫌なホテルマンの背中を睨み付けて「あいつは、もうッ。もうもうもうッ」とあの時の失態に悶絶していた。似合わないのは知ってるよ、と叫び返したいぐらいだった。

 

 すると、セイジと共に再びホテルマンの後を追い始めたスウェンが、肩越しにこちらを振り返った。


「二人とも、早くおいでよ」


 ん? 『二人』?


 エルは、ようやく近くから、ピクリともそらされない視線が注がれている事に気付いて、訝しげに顔を向けた。


 隣に並んだログが、足を止めてこちらを真っすぐ見降ろしていた。何を考えているのか分からない仏頂面の真顔で、まじまじと窺うようにじぃっと凝視されて、エルは居心地が悪くなった。


「……何してんの?」

「小せぇなと思ってな」

「チクショーただの文句かよッ。というか、さっきからずっとそんな事考えてたの!? お前がデカ過ぎるだけだから!」


 付き合ってられるかッ、とエルは大股で歩き出した。すぐにログも付いて来て、一度二人を待つために足を止めていたホテルマン達も、歩みを再開した。



 歩き通す両足には、時間の経過と共に疲労が蓄積した。

 夜風は冷えていたが、森に漂う湿気のせいか、肌の上には汗が滲んだ。



 夜が終わってしまう前に森を抜けなければならない、という意識もあって、エル達は言葉なく休まず歩き続けた。汗一つかかないホテルマンは度々、全員が後ろをついて来ているか確認したが、エル達の様子をちらりと見て、珍しく茶化すような声も掛けてこなかった。


 かなり長時間歩き通した後、ようやく森に終わりが見えてきた。


 木々の向こうから、僅かな光が差しこむ光景が目に止まった。一瞬、もう陽が昇るのだろうかとも錯覚してしまい、自然と気持ちが急かされて、エル達の前進する足にも知らず力が入った。


 木々の向こうは白くて、風景がよく見えないでいた。近づくほどに、それは日差しの眩しさや熱ではないらしいと肌に感じた。非常に明るいが、肌に覚え慣れた空気とは明らかに質が異なっている。


 つまり、明るいけれど、それはこの世界の夜明けではないらしい。


 エルは疑問に思ったが、こちらを心配そうにチラリと見たセイジの視線に気付いて、一旦その思考を脇に置き「俺は大丈夫だよ」と苦笑して答え、額に浮かんだ玉の汗をぬぐった。


 それから、疲労しきった足を持ち上げて、最後の大きな木の根を踏み越えた。

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