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十二章 冒険は五人と一匹で(2)

 豪快な音と共に、ホテルマンの身体が吹き飛び、二メートルも先の階段へ突っ込んだ。


 先程まで女性店員をくどいていたホテルマンは、激しく咳こんで仰向けになったが、エルは容赦なくその腹部に足を置くと、胸の前で腕を組んでギロリと睨み下ろした。


「……くどくなっつってた親切なおっさんの話、聞いてなかったんだ?」

「小さなお客様、足がみぞおちに喰い込んで痛いです」


 痛みで笑顔を曇らせながら、ホテルマンがどうにかそう答えた。


 エルは、更に足に力を入れて話を続けた。


「ここは遊郭じゃないから、女性へのお触りとか駄目なんだって。女の人に手を出したら酷い目に遭うらしいから絶対に禁止。――理解出来た?」

「はい、分かりましたッ、超理解出来ました! いやぁ買い手がなかなか付かない商品なもので、私も少しばかり調子に乗ってしまったと言いますか……はいッ、大変申し訳ございませんでした!」


 半ば上体を起こしたホテルマンが、エルの剣幕に作り笑いを引き攣らせ、嘘臭い顔で力強くそう宣言した。


 本心で理解し反省しているか分からないが、エルは、ひとまず危うい事態を回避出来た事を思って、怒気を消して吐息をこぼした。エルのボストンバッグから顔を覗かせたクロエが、ホテルマンを見降ろして「にゃー……」と呆れたような声で鳴いた。


 仮想空間のエキストラであるホテルマンには、生活意識もあるのだろうとは、エルも理解はしていた。彼は二番目のセキュリティー・エリアの登場人物の一人にすぎず、現実世界にはいない架空の存在だ。


 それでも、こうして共に連れる旅仲間になったのだ。ホテルマンには意思も個性もあって、エルには、エキストラだからという理由だけで、彼を途中で置て行くなんて事は考えられなかった。


 エルは、ホテルマンの上で両足を揃えてしゃがみ込んだ。


 下からホテルマンの「ぐぇっ」と悲鳴が上がったが、エルは、自身の膝頭へ額を押しつけて、小さな声で呟いた。


「……置いて行かれたらさ、きっと寂しいよ。俺は多分、貴方に情が湧いたんだと思う。ちゃんと次の『街』まで連れて行ってあげるから、あまり危ない事はしないでよ」


 お願いだから、と続けると、不意にホテルマンが身じろぎを止めた。普段の茶化すような雰囲気が消え、戸惑いを滲ませた囁き声が「いいえ」と聞こえてきて、エルは顔を上げた。



「いいえ、違うのです。小さなお客様。『私』には、『寂しい』等ないのですよ……あなた様が感じているソレが、もし初対面ではないせいだとしたら――どうなさいますか?」



 ホテルマンが小さく呟き、長い指先で、恐る恐るといった様子でエルの髪先に触れた。


 作り物の顔の下から、どこか人間臭い表情が見え隠れしているような気がしたが、エルには、彼が抱いているらしい曖昧な思考や感情は掴めなかった。初対面ではないとしたら、という言葉に疑問を覚えて訝しげに見つめていると、ホテルマンが続けて薄い唇を動かした。


「私とて分からないのです。どうして、こんなに――」


 その時、ホテルマンが手を引っ込めた。彼は途端にガラリと雰囲気を変えるように、胡散臭い営業スマイルを浮かべた。


「――はははっ、なんでもございません。ちょっとしたジョークでございますよ、小さなお客様! 実は私、踏まれるのも大歓迎なのです」

「は……?」


 突然どうしたんだ、こいつ?


 すると、ボストンバッグから顔を出したクロエが、妙な事を教えないで、と言わんばかりにホテルマンの脇腹辺りに爪を立てた。ホテルマンが「痛いッ」と顔を上げた瞬間――



 凶暴な風が吹いて、二人のすぐ横に巨大な物体が勢いよくめり込んだ。


 間近から聞こえた破壊音に、紙一重で身の危険から逃れたらしい事実を察して、エルとホテルマンの顔から血の気が引いた。



 ハッと階段の下に目を向けると、そこには何かを放り投げたと言わんばかりのフォームをしたログと、彼を背中から羽交い締めにする蒼白したセイジの姿があった。エルとホテルマンは、そこからそっと視線をそらし、互いに目を合わせた。


 へたしたら死んでいた、ような気がする。


 下から放り投げられたらしい巨大な物は、ホテルマンの頭部の真横に突き刺さっていた。ホテルマンの両手は、なぜか捕まえようとするように差し出された状態で固まっており、咄嗟に庇おうとしたとも受け取れたが、エルは冷静に考えられなくて、しばし彼と呆然と見つめ合っていた。


 なんで物騒な物が飛ばされて来たのかは分からないが、つい先程まで考えていた事も、エルの頭から吹き飛んでしまっていた。階段の下が一気に騒がしくなったかと思えば、数十秒後にはピタリと静まり返る。


 二人の部下を階段下に残したスウェンが、慌ててエルとホテルマンの元まで駆け寄った。


「エル君、当たらなかったッ? 大丈夫かい!?」

「えっと……。うん、俺は全然平気だけど」


 エルはそう答えながら、ホテルマンに問うような眼差しを向けた。


 促されるまま、冷や汗を浮かべたホテルマンが自分の顔のすぐ横を見やった。階段の一部を破壊するようにめり込んでいたのは、掠りでもしていたらただでは済まなかっただろう、重量感のある巨大な狸の彫刻だった。


「……私、何かしましたかね?」

「……つか、あいつコレを投げたのか?」


 エルとホテルマンは、投げられた凶器を改めて確認し、同時に呟いてしまった。


 一度階段下の部下達を振り返ったスウェンが、「え~と、僕が思うにホテルの君が」と呟き、思案するように言葉を切って悩ましげに頬をかいた。


「面倒事を引き起こしそうだったからじゃないか、と……うん、僕としてもログの切れるタイミングが、ちょっと分からなくなって来たというか…………」


 店主にはきちんと詫びて代金を払ったので問題にはならなかった、とスウェンは手早く状況を説明すると、「ちょっと説教が途中だから」と爽やかな笑顔で告げて、一度、部下達のもとへ戻っていった。


 エルは、それを不思議に思いながらも、脇に退いてホテルマンに手を差し出した。


「さっきは蹴ったりして、ごめん。とりあえず仲直りしよう」


 すると、ホテルマンが既視感を思わせる顔で、しばし動きを止めた。


 ホテルマンは長らく時間を置いて「――はい」と答え、差し出されたエルの手を取った。彼は立ち上がると服についた汚れをさっと払ったが、襟を整えながらエルのコートの下裾に付いた砂利に目を止め、執事のようにその場に片膝を付き、丁寧に払い落した。


              ※※※


 階段の下で再び全員が揃ったところで、セイジがエルの無事を確認して、ぎこちなく微笑んだ。ホテルマンが、ログの濡れている頭に目を止めて首を捻った。


「あらら、どうして濡れているのですか、愛想のない大きなお客様」

「……スウェンに水をひっかけられた。頭を冷やせ、だとさ」


 エルが問うように目を向けると、スウェンが無言で、にっこりと美麗に笑んだ。


 あ、目が笑ってない。マジで怒って、凄く説教したんだろうな……


 とはいえ、本気でスウェンが怒るというのも想像が付かなくて、エルは悩ましげに考えた。こちらを見ないログはむっつりとしているが、その沈黙は反省しているようにも見受けられるので、恐らく、逆らい難いぐらいに怖いのかもしれない。


「ふははははっ、それは災難でしたねぇ。お任せ下さい、私が拭いて差し上げましょう!」


 仕方がないですね、とホテルマンがどこか機嫌良く告げ、風呂敷から白いタオルを取り出した。


 しかし、ホテルマンの手が頭に近づいた瞬間、考えに耽っていたらしいログが、条件反射のように我に返り、素早くホテルマンの腕を掴んだ。


「触られんのは嫌いなんだ。自分でやる」


 歯を剥き出す獣のような殺気を浮かべ、ログはホテルマンを睨み付けた。今までにない殺気をまとわせ、そう牽制してタオルだけを受け取ると、頭と左腕をホテルマンから引き離すように、少し距離を置いた場所まで歩いて一人で頭を拭き始めた。


 黒い笑みを浮かべていたスウェンが、ふっと困ったように微笑みに変えて、きょとんとするエルとホテルマンに、「ごめんね」と眼差しで伝えた。どうか聞かないで上げてと言うように、続けてスウェンは、首を小さく横に振って見せた。


 恐らくログなりに事情があるのかもしれない。そう察して、エルとホテルマンは顔を見合わせた。ボストンバッグから顔を覗かせていたクロエが、濡れたエメラルドの静かな眼差しで、じぃっとログを見つめていた。


 ログが髪の気の水分を雑に拭い取ったところで、エル達は、スウェンを筆頭に階段の頂上にある建物を目指した。


 道中には食べ物に関わる屋台が多く並んでおり、途中、スウェンは「休憩も出来そうだし、買っておこう」と食糧をいくつか購入した。エルは、スウェンとログの後ろで、セイジやホテルマンと焼き鳥をつまみ食いした。味が付いた食べ物はクロエに良くないので、店主に頼んで味付けのされていない焼き鳥を購入し、分け与えた。


 階段はそれほど長い道のりではなかったが、山の斜面に木材を並べ置いただけの階段は、足場の高さが不安定で足元を確認して進む必要があった。足の長さと幅の違いもあり、エルはつまずかないよう注意して進んだ。


「小さなお客様、慌てずにどうぞ」

「……慌ててないし」


 ホテルマンは、相変わらずぴったりとエルの隣につき、のんびりとした様子で歩いていた。右側にはセイジがいて、彼もちらちらとエルの様子を確認して歩みを合わせた。先頭に立つログとスウェンも、比較的ゆっくりと進み続けている。


 エルは視線を上げた拍子に、前を歩くログの褐色の首に、薄らと古い傷跡がある事に気付いた。そういえば、いつだったか、左腕にも手術痕が残っていたのを見たような気がする。


 ログが力を発動する際、紋様のような物が浮かび上がっていた様子を、エルはちらりと思い起こした。彼らは特殊な部隊に所属していたというので、スウェンが科学者嫌いである事と、ログが他者に身体を触られたくない理由も、そこに関係しているのだろうか。


 エルは考えつつ、前を歩くログの大きな背中を眺めた。


 逞しい肩を少し丸め、品もなく歩く彼の大きな背中は、どこかオジサンに似ていて、エルは懐かしく思い出してしまった。いつか強くなったら、自分もオジサンのように逞しくなれると、本当につい最近まで、エルは信じて疑わなかったのだ。



 いつか、心配されない逞しい男になるのが夢だった。オジサンは、亡くなった奥さんとの間に息子を持つ事が夢だったそうだから、そうやって沢山恩返しがしたかった。


 けれど決意して早々、野生の猪と対峙したエルは、恐怖で動けなくなった。直前まで自信はあったのに、鍛えられ始めたばかりだった頃だったせいか、咄嗟に対処法も出て来なかった。


 頭が真っ白になって硬直していると、慌てたようにオジサンが駆けて来て、腕一本で猪を追い払い、佇むエルを抱きしめてこう言ったのだ。


――お前は女の子なのだから、俺の目が届かないところで無茶はしないと約束してくれ。いいか、恐い時はすぐに俺を呼ぶんだぞ……


 ああ、俺はオジサンのようにはなれないのかと、あの時エルは、抱きしめられた力強い腕に触れて、察してしまったのだ。どんなに鍛えても、どんなに努力しても、きっと、オジサンの本当の息子にはなってあげられない。

 

 それでも、年頃になっても女性として来るはずの大きな二次性徴も訪れず、もしかしたら強い男になれるかもしれないと無知なエルが期待を滲ませるたび、オジサンは、いつも笑って肯定してくれた。


――そうだぜ、エル。難しく考えんな。沢山食って、寝て、毎日笑ってろ。大人になるのもあっという間だ。ほれ、牛乳を飲もう。ポタロウも、こいつのおかげで数ヵ月も掛からずデカくなったんだからな……



 セイジに声を掛けられ、エルは我に返った。


 思い耽っている間に、頂上の建物に辿り着いてしまっていた。

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