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八章 旅は新たなステージへ(1)下

 気分が良くなったエルは、思い出した懐かしさもあって、ハーレーを走らせながらオジサンとの思い出をログにちらりと語った。


「オジサンは、すごく良い人だったよ。使い古しの道具も、全部大事にする人だった。そのせいもあって、新しい物は、なかなか買わない人だったなぁ」


 冷蔵庫やテーブルや箪笥など、あの家にあったものは、ほとんどが年代物だった。早くに亡くなった妻との思い出を、薄れさせたくないような一面もあった気がする。


 車庫に入っていた動かない車も、結局は彼が死ぬまで廃車される事はなかった。妻といつも二人で乗っていたアメリカ製の軽自動車なのだと、オジサンはいつも笑いながら語っていた。



 そうつらつらと話し続けていたエルは、ふと、『あのログ』がこちらの話を素直に聞いている事実に気付いて口をつぐんだ。



 そういえば、珍しくよく喋ってくるな?


 隣のログを盗み見ると、彼はこちらから顔をそむけるように向こうを見ていた。大きな外見と荒々しい性格に似合わず、動物の面倒見は良いらしい。預かったボストンバッグの外側から、丸くなっているクロエの背中を軽くあやしているのが見えた。


「お前、俺に何か言いたい事でもあるの?」


 エルは先手を打ってそう尋ねたが、ログから返事はなかった。


 どうやら、ログが少し変だと感じたのは気のせいであったらしい。自分で喋りたい時に喋り、楽をしたい時は小さい人間にバイクの運転すら押し付ける姿勢に改めて苛立ち、エルは正面へと向き直り「チクショー」と呻いた。


「くっそ、マジで振り落としてやりてぇッ」


 二台のハーレーの純正サイドカーは、一本道の大通りを真っ直ぐ走り続けた。


 次第にエルも苛立ちを忘れ、衣服や髪が潮風にバタバタと音を立てる様子を楽しんでしまっていた。途中、スウェンが蛇行運転でセイジを楽しませるというパフォーマンスを行い、それを見たログが「お前もやれ」とエルに言ったが、エルは「黙ってろ」と一刀両断した。



 数十分後、次のエリアへの接合地点へ辿り着いたらしく、スウェンがバイクを減速し始めた。エルも停車を考えてギアを操り、ゆるやかな減速を開始した。



 ハーレーの速度が落ち、耳元を着る風の音が弱くなったタイミングで、不意にログが「おい」と声を掛けてきた。


「お前、大丈夫なのか」

「何が」

「うちは男ばっかりだからな。下着の替えとか女の事情だとか、そういう細かい事には力になれねぇぞ」


 その言葉の意味を察したエルは、思わず急ブレーキをかけてしまい、荒々しくハーレーを停車してしまっていた。


 謝罪の言葉も忘れて、エルは、サイドカーのログを振り返った。彼は荒々しい急停車に意見することもないまま反対方向へ顔を向けており、こちらからは後頭部しか見えなかった。


「――……びっくりした。お前、いつから気付いてたの」

「始めは薄々だったが、確信を得ちまう事があってな」


 ログは顰め面のまま言い、ボストンバッグを片手に抱えて立ち上がった。その辺の少年と比べても随分軽い身体をしているエルとの接触を思い出し、ちらりと小声で「そもそも上に乗っかられたら嫌でも気付くだろ」と苦々しく呟いた。


 彼の呟きを聞き取れなかったエルは、不思議に思って「何か言った?」と尋ね返した。


「よく聞こえなかったんだけど」

「――とにかく、普通だったら分かるだろって話だ。身体の線だって男のものとは全然違う」

「ふうん? そんなものかな」


 薄々察していたらしいと言われてしまえば、確かに、十人中十人に男だと勘違いされる訳でもなかったと、エルも自身の記憶を振り返り納得した。あのメンバーの中で、まさかログが気付くとは思わなかったが。


 バイクを降りたエルは、ログから、クロエの入ったボストンバッグを受け取った。中にいたクロエは目覚めており、エルの腰元にボストンバッグが落ち着いたのを確認すると、満足げに再び丸くなってしまった。


「俺、隠しているつもりはないんだ」


 クロエへと目を向けていたエルは、頭の上にログの視線を感じて、答えながら足元に目を落としぽつりぽつりと答えた。


「いつからなのかは覚えていないけど、喋り方だって気付いたらこうなってたし、勝手に勘違いされる事も多くて。俺も『女の子』って柄じゃないし、訂正するのも面倒だから、まぁそれでもいいかなって」


 エルにも、テディ・ベアが欲しかった時期はあったが、今ではあの頃の実感も持てないでいた。父を保育園まで迎えに行った時の事や、母親とお揃いのワンピースを着て町を散歩した事も、今では、全てが自分の事じゃないようにも思える。


 いつからかは覚えていない。長い髪に憧れがなくなって、唐突に違和感を覚えてオジサンに「髪を切って」と頼んだ。喧嘩だってした事がなかったのに、オジサンの家で怪我が癒えてからは、無性に楽しくて走り回ってもいた。


 幼い頃はもっと女の子らしかった気がするが、両親との暮らしについては、あまり記憶にないので比べようもない。


 すると、ログが、やや拍子抜けした顔をした。


「なんだ。無理してる訳じゃねぇのか」

「無理はしてないよ。こっちが素なんだけど、何か問題でもあるの?」

「お前がねぇって言うんなら、ないんだろうな」


 難しい事は俺も分からねぇ、とログが眉を寄せた。先程の自分の言葉を訝しむような表情を浮かべたが、問題を放り投げるように踵を返して歩き出した。エルは不思議に思ったが、よく分からないと顔を顰めるログが、なんとなく先程よりもすっきりとした感じも見受けられて、「まぁいいか」と彼の後を追った。


 スウェンとセイジは、既にバイクを降りて合流地点で二人を待っていた。エルとログが少し遅れて合流すると、スウェンが不思議そうに「何を話していたの」とエルに訊いた。


 先程の腹立たしい事を思い出したエルは、ここぞとばかりにスウェンに主張した。


「こいつ、信じられねぇ。俺に運転させやがったんだけどッ」

「あはは、疲れていたみたいだからねぇ。僕も、まさかエル君が流されるまま運転席に跨っちゃうとは思わなくて。君、結構天然さんなの? ま、ログに関しては『破壊の力』の影響もあるから、そこは少し協力して頂けると助かるかな」


 すると、エルの隣からログが顔を出し、「おい、俺はそんなに疲れてねぇぞ」とスウェンに妙な見栄を張った。


「俺だって鬼じゃねぇからな。運転出来ないようなら、乗る時にそう言うだろうと思って待っていたら、こいつが文句も言わずに運転席についちまったから、そのまま運転させてやったんだよ」

「突っ込みどころを逃したんだよ! あんまりにも自然にクロエを受け取られたら、俺、どうしたらいいか分かんなくなっちゃうじゃん!」

「でも、エル君って免許が取れる年齢だったんだねぇ。僕は、そこにびっくりしちゃったよ」

「信じてなかったのッ? 俺、子共じゃないって何度も言ったよ!?」


 日本で運転免許を取得できる年齢を考えだしたスウェンは、十四、よくても十五歳ぐらいにしか見えない少年を前に、笑顔をピキリと固まらせて沈黙した。その後ろで、「えッ」と声あげたセイジが、自身の口にさっと手をあてて塞ぐ。


 スウェンの頭の中で、早急に思考が渦巻いた。



 日本人は比較的童顔も多く、外見から年計を計るのが難しいタイプだが、だけど、まさかこの幼い外見で、彼は十代後半だとでもいうのだろうか?


 いやいやいや、有り得ないし全く想像もつかない。つまり酒も飲めるし、女も買える年齢だという事だろうか。待って、この外見で大人の世界に踏み込む姿が想像出来ないんだけど。だって、猫に話しかける姿も違和感なく可愛らしい子供にしか見えな――……



 そこで彼は、自分の思考が珍しく、回避という結論に傾くのを感じた。


 もしかしたら、この少年は最近十八歳になったのかもしれない、だから運転免許も取得しているのだろう。よし、それ以上は今のところ考えないでおこう。


「さっ、ここから向こうが次のエリアだよ。皆、心して突入するように!」


 日本人って奥が深いな、と無理やり思考を終えたスウェンは、エルの追求から逃れるべく踵を返した。


 爽やかな笑顔で逃げられた事を察し、エルは、心の中で「畜生」と嘆いた。長い付き合いをする訳でもないのだから、実際年齢を明かす必要はないのかもしれないが、こう見えても二十歳であるのだ。


 本当の年齢ぐらい、訊いてくれたっていいんじゃないか?


 次に機会があれば、真っ先に年齢を主張しよう、とエルはそう心に決めた。


 目の前には、相変わらず暗い車道が真っすぐ続いていたが、スウェンが宙に手を触れると、途端に景色は光の壁に遮られた。まるで水が立っているように、その表面は滑らかに波打ち、眩しい光を反射させていた。


「ここを乗り越えれば、五番目のセキュリティー・エリアだ。空間としての完成度は、ここからぐっと高くなるらしいから、十分気を付けていこう」


 完成度が高くなると聞いて、エルは、この世界で感じていた違和感について理解出来たような気がした。つまり、五感に触れる感覚がリアルにもなる、という事なのだろう。


 スウェンが先に光りの壁に足を踏み入れ、続いてセイジが光の向こうへと飲み込まれていった。


 エルは、次の世界に何が待ち構えているか分からないと考え、念の為ボストンバックを抱え持った。クロエも緊張感を覚えたのか、目覚めて鞄の口から顔を覗かせてきたので、エルはクロエと目を合わせて「用意はいい?」と尋ねた。


 その時、その様子を後ろから見ていたログが、痺れを切らしたように「とっとと行けよ、俺が進めねぇだろが」と、エルの背中を靴の裏で軽く蹴った。



 背中から押されたエルは、心の準備もないまま光の洪水の中に投げ出された。以前飛び蹴りを受けてエリアを超えてしまった事をログが根に持っているのでは、と勘繰り、思わず「子供かよッ」と突っ込んだ。



 エルは光の洪水に揉まれながら、ここを出たらログに文句の一つでも言ってやろう、と沸々と考えていたのだが、次の瞬間、眩しい日差しと空の青さが目を焼いて怒りを忘れた。


 到着したその世界は、とても眩しかった。


 身体中に降り注ぐ太陽の熱や、吹き抜ける海風の涼しさを鮮明に覚えて、エルは、ゆっくりと瞬きした。青い空には夏の雲が流れ、斜面を下った先には広大な海が広がり、長閑でリアルな美しさがエルの五感に突き刺さった。


「……ここ、どこ? というか、本当に仮想空間なのか?」


 まるで現実世界みたいだと思いながら、エルは、額に浮かび出した汗を拭った。

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