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一章 白いホテルの惨事(2)

 両隣りを他の建物に挟まれたホワイト・ホテルは、スッキリとした外観からは想像もつかないほど、かなり広々とした造りをされていた。エントランスを抜けてすぐ、高い天井の大理石造りのフロアが現れた。


 ランチバイキングは、ホテルの一階の敷地を贅沢に使った大会場で行われており、床は柄の入った赤い絨毯が敷かれ、表道路側は完全なガラス張りになっていた。高い天井には明るい照明とシャンデリアが灯っており、通りからの差しこむ光もあって、会場内はとても明るい印象だった。


 エルを席へと案内しながら、ホテルマンは、当ホテルの二階と三階には別の会食席も設けられているのだと説明した。四階から上は、宿泊施設とサービスルームが設置されていると話し、利用方法についてもつらつらと語り続けた。

 

 会場のテーブルは正方形型で、白いテーブルクロスがされており、厚みと重さのある造りをしていた。一定の間隔を開けて、テーブル席が会場いっぱいに整列している。


 昼食時間を過ぎているせいか、広いランチ会場には客が少なかった。


 中年夫婦が三組、夫人同士が二組、スーツ姿の若い男達の組み合わせが三組、珈琲を飲んでゆっくりとしている初老の男と、大学生風の青年が四人で一つの席を囲んで小さな声で談笑しており、後は、三人の外国人が腰かけるテーブル席があった。


 エルとクロエは、三人の外国人が座る席から、少しばかり離れた場所に案内された。


 こちらの席からは、会場の中央に置かれている漆黒のグランドピアノがよく見えた。残念ながら、本日のピアノの演奏時間は終了しているのだと、席まで案内してくれた自称親切で素晴らしいホテルマンが、エルの視線を勝手に解釈して、そう説明した。


「十二時と十三時に一回ずつ演奏されますので、是非、次回はご友人、ご家族様とお起こし頂いて――」


 彼は暇なのか、エルが席についても中々傍から離れようとしなかった。ピアノの話を終えると、今度はホテルの自慢話や設備、本日のメニューについて、まるで自分のホテルのように話し始めてしまった。


 会場の入り口には、客の飲料が空になったら注ぎたそうと待っているらしい男性ウェイトレスがいた。彼の横に立ち、下げる皿はないかと客席をぼんやり見回す別のウェイターもいたが、ホテルマンが、その若い二人にエルの相手を頼む様子はなかった。


「当ホテルのバイキングは、あちらから食器を取って頂き、右手に進みながら料理をお取り下さい。大丈夫です、当ホテルはお客様第一を心掛けておりますので、客数が少なくなった今のお時間でも、きちんと全てのメニューがご用意出来るよう、コックが作り続けております!」


 ホテルマンは、いちいち演技かかった喋り方で説明を誇張するので、どこか嘘臭い営業マンのそれに似ていた。エルは席に腰かけたまま、二回ほど「はあ」としか相槌を打っていないのだが、ホテルマンの話は、それでも全然終わりそうになかった。



 こいつ、話の途中で大丈夫ですって言ったけど、俺は何も質問していないし、質問したいような顔もしてないんだけど……



 エルは思わず、心の中でぼやいた。


 会場には、静かなクラッシック音楽が流れていた。お喋りを楽しむ客の静かなやりとりや、皿とフォークやナイフが当たる音が上がっている程度で、ホテルマンの意気揚々とした声だけが、場違いにも会場に響き渡っている状態だ。


 かなり目立っているに違いないと、エルは居心地の悪さに肩をすくめた。しかし不思議と、どの客も自分達の世界に浸っているのか、こちらに注意を向けては来なかった。


 少し高い椅子に置かれたボストンバッグの中で、寛いで座っていたクロエが欠伸を一つした。そろそろ食事にあたりたいのだけれど、と言いたそうな目をホテルマンに向けるが、彼は気付かない。


 ホテルマンの話は、もうしばらく続きそうだ。


 興味もないホテルの歴史などの話題へ突入してしまった辺りで、エルは、諦めたように溜息を吐いた。いつになったら終わってくれるのだろうか、と思いながら視線を流した時、ふと、二つほど離れた席の向こうに座っていた外国人の大きな男と目が合った。


 そこは、三人の外国人が腰かけているテーブル席だった。一人は短髪のいかつい日本人風の大きな男、もう一人は暗いベージュ色の癖毛のある短髪をした同じぐらい大きな外国人、残りの一人は、金髪碧眼をしたハンサムな細身の男だ。


 三人共、日本人と比べるとかなり背丈があり、そのうち二人は軍人のように鍛えられた大きな身体をしていたので、エルは、沖縄にある米軍基地の男達だろうか勘繰った。



 彼らの中で、こちらに視線を向けていたのは、暗いブラウン頭をした大柄な外国人の方だった。肌は小麦色で、顔には全く愛想がない。眉間の皺どころか、彼は鼻頭にまで怪訝な皺を寄せ、煩いと言わんばかりにホテルマンとエルの方を睨み付けていた。



 愛想のないその男は、ベージュのシャツに、着慣れたようなジーンズ・ジャケットをはおっていた。袖がまくられ、筋肉が割れた大きな腕が覗いている。彼は胡散臭いホテルマンを怪訝そうに見たかと思うと、すぐにエルへと視線を戻して、目が合った拍子に片眉を引き上げ「なんだよ」というように一層顔を顰めた。


 うわぁ……印象の悪いおっさんだな。


 三十代中盤頃だろうと思われたが、エルは、十以上離れているだろうと考えて「おっさんめ」と視線で睨み返した。


 どうにも、彼とは馬が合いそうにない。そう思って視線をそらしたエルは、その無愛想男と同伴している大柄な日本人風の男に目が止まった。


 彼は無愛想男と同じぐらいに大きく、迷彩柄の服を上下に着用し、ポケットの沢山ついたジャケットをきっちり首元まで締めていた。大きな四角い顔が、張り出している頬骨のせいで更にいかつく見える。日本人独特の角の上ったやや太い眉をしていたが、明るい鳶色の瞳は穏やかで、思慮深さや謙虚さが窺えた。


 日本人風のその外国人が、同席しているブラウン頭の大男がエルに睨みをきかせている事に気付いた。彼は慌てたようにエルを振り返ると、申し訳なさそうに眉尻を下げて、控えめに笑いかける。


 あ、こっちは第一印象を裏切らない人の良さがあるや。


 エルは、睨みつけて来る無愛想男の視線を無視し、日本人風の男に「問題ないです」と伝えるべく小さく会釈を返した。


 すると、金髪碧眼の男も同席者達の様子に気付いて、エルの方へ顔を向けて来た。こちらも長身だが、筋肉質というよりは引き締まった細身で、スタイルの良い上半身にフィットした袖の短いシャツと、機能性のあるサバイバル・パンツを履き、細い腰元にミリタリー風のウエストバッグを巻いていた。


 金髪碧眼の男は、整った顔に愛想のある柔和な笑みを浮かべていた。エルを数秒見つめた後、「ごめんね」言うように苦笑して軽く手を振って来た。白人独特の透明感ある大きく白い掌に、貫かれたような大きな白い傷跡が浮いていた。

 

 ハンサムなその男は、一見すると三人の中で一番若作りとも言えそうだったが、エルは、何だか隙が見えない男という印象を覚えた。


 エルがぎこちなく笑い返すと、金髪碧眼の男の近くにいた無愛想男が、更に顔を顰めてそっぽを向いた。二人の外国人の男が彼へ視線を戻し、注意しつつも問うように話しかけ始める。



「お知り合いですか?」



 そちらへ目を止めたホテルマンが、眉頭にそっと影を落として、不思議そうに言った。エルは、またしても無愛想な大男と視線が合ってしまい、苛立ちを覚えて「知らない人」と答えて立ち上がった。


 椅子をテーブルへ押し込んだところで、エルはクロエの眼差しに気付き、眉間の皺を消した。


 クロエのエメラルドグリーンの瞳が、エルを見てキラキラと輝いていた。家の外では、主人の許可をもらわない限り勝手に行動しない賢い猫だ。クロエは自分で歩きたいらしいと察して、エルは「体調は良さそうだね」と安堵の笑みをこぼした。


「おいで、クロエ」


 声をかけられたクロエが、「ニャン」と調子良く答えて、老体とは思えないしなやかな動きで絨毯の上に降り立ったところで、一人と一匹は歩き出した。



「『知らない』、ですか。まぁ、そうでしょうねぇ」



 擦れ違い様に囁く声が聞こえたような気がして、エルは、足を止めてホテルマンを振り返った。「何か言った?」と尋ねてみると、ホテルマンが、いつもの嘘臭い笑顔をぐるりとエルに向けて「――いいえ、何も?」と答えた。


「お食事を、ごゆっくりとお楽しみ下さい。猫ちゃん様のお食事も、すぐに持ってまいります」


 そう告げたホテルマンは、まるで主人に仕える執事のように、エルに対して恭しく丁寧に頭を下げた。

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