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七章 迷宮の先(5)上

 先に四本目となる支柱の元に辿りついたのは、ログとスウェンだった。


 巨大な化け物をくぐり抜け、ゴールと書かれた扉を抜けた先に広がっていたのは、灰色の狭いコンクリート造りのフロアであったが、そこには、被害者の頭部――切断部から脛骨や動脈、性脈や筋肉の筋が伸びているのが確認出来る――の入った支柱があった。


 培養液のような薄緑が満ちる支柱の中に、人間の頭部が丸ごと収められている状態だ。加工の過程で人としての顔が形成されたのか、材料となった際にそこだけが残ったのか、どちらにせよ、掻き立てられるのは嫌な憶測ばかりだった。


 まさに、悪夢といった光景だ。血の海の方がまだマシだったと、ログとスウェンは同じ事を考えた。


 中央に設置された支柱には、中身の稼働液の状態が見えるよう大きめにガラスが貼られた箇所があり、そこからは男の顔がはっきりと確認出来た。男は両目を閉じており、まるで眠っているように生々しい首だった。


 人間の引きちぎられたような頭部だけが残っている光景は、スウェンの顔からも笑顔を失わせた。スウェンは少し見ただけで、首の下から続く肉体組織の細部まで把握してしまい、数十秒ほど完全に沈黙してしまった。


 中央に佇む支柱からは、これまでの支柱の現場と同じように、複数の電気ケーブルが伸び広がっていた。電気ケーブルの先には、四つの黒褐色の機材があり、これまでの支柱に比べて弱々しい稼働音を立てていた。



「……僕らが先に到着して良かったよ。セイジやエル君が見たら、トラウマになるだろうね」



 先に仕事を済ませてしまうため、スウェンは通信機器を設置し、現時点での状況を『外』に伝える事から始めた。


 通信に出たのは、現在ラボを指揮するハイソンだった。


 スウェンは、ハイソンとは擦れ違い程度に顔を見かけた程度で、ちゃんと話したのは今回の事件が初めてだった。ログがメンテナンス通いで交友を持っていた人物ではあったので、相手が科学者だろうと、出来るだけ嫌悪感が出ないよう事務的に話すようには努めていた。


 ログは、酒を飲む仲でもあるハイソンに挨拶はしたものの、話し合いについては普段通りスウェンに任せた。二人のやりとりに耳を傾けながら、支柱に使われたであろう男の顔をガラス越しに覗きこみ、生きていた時の恐怖や、死への苦痛も感じさせない穏やかな死に顔を目に止めた。


『一点、気になった事があります。セイジさんの位置状況が、数秒ほどこちらで確認出来ない事がありました。こちらにあるセイジさんの身体や脳波に異常は見られませんが……何かありましたか?』

「さっきざっと説明した通り、僕らは『ゲーム』に参加させられていてね。しばらく離れ離れだったんだ。セイジが戻ったら訊いてみるよ」

『そうでしたか。こちらでは大まかな座標特定しか出来ないものですから……あ、そちらから報告を頂いていた少年の件ですが、報告された場所の近くで妙な噂も拾いました』

「妙な噂?」


 スウェンとログは、そこで、お互いの顔を見合わせた。


「ふうん――一体、どんな?」

『数人の人間が、目の前で子供が消えたと証言しているらしいのですが、二名ほどの目撃者が、その少年は消える直前、誰もいない場所に向かって話しかけていた、と口していたらしいのです』

「どういう事だい?」

『はぁ。その、なんというか、近くの店の主人は、少年が僧侶と話しこんでいる姿を見たというし、数人の目撃者は、少年がたった一人で、まるで誰かがいるように話し掛ける姿があったと。今回の件と関わりがあるのかは不明ですが……』


 スウェンは「分からないなぁ」と頭をかきむしった。彼が見た限り、エルは精神的な疾患もない健康体そのものだった。互いに踏み込まないと暗黙の了承を取っている事もあり、信憑性もない時点でその『噂』を確認する気にはなれない。


 そもそも、エルから聞いた話に僧侶というキーワードはなかった。きっかけも前触れもなく、世界が変わったような違和感があったのだと、当時の事をエルは口にしていた。


「僕としては、何かの見間違いの可能性を考えるけどね。君としては、何か関連性があると思うのかい?」

『こちらとしても、角度的な問題での見間違い、とは考えています。ただ、今回の件については謎が多いですから、念のため用心はしています。こちらでは、少年が消えた正確な位置も特定出来たので、近くに防犯カメラが設置されていれば正確な詳細も得られるでしょう』


 スウェンは話を聞きながら、嫌な気持ちを覚えて自己嫌悪した。


 通信相手のハイソンとは知った仲でもなく、彼という人間性をそれほど嫌ってもいないはずなのだが、やはり相手が科学を専門に扱う者、と思うだけで嗤ってしまいたくなるのだ。


 これからの支柱が難所でしょう、と心配性なハイソンは続けて説明した。この時点でメンバーが一人でも欠けてしまう事があれば、先が難しくなってくる可能性が高い。


 ハイソンはそう説きつつ、セイジの安否も確認したがったが、スウェンは『科学者との話』を長引かせたくなくて、つい冷たく断ってしまっていた。


「済まないが、セイジが来るまでに君と世間話をして、仕事を遅らせる訳にはいかないからね」


 あ、しまった、とは思った。


 口を閉じて早々、スウェンはログから向けられる「相変わらずだな」という呆れた目に、苦々しく顔を歪めた。しかし、予想に反して『そうですか』という呑気なハイソンの返事が上がった。


『わかりました。次のエリアまでは少し距離があるようですので、移動用の乗り物を転送させましょう。そうですね、今一番早く用意できるのは……あ、以前の実験で残っていたデータがありますので、近くに鍵のついたハーレーであれば、すぐに用意が出来ます。そちらの処理後に現場で確認して下さい』


 ちょっと鈍い男なのだろうか……?


 それはそれで心配になるが、思い返してみると、初めて顔を合わせた頃からハイソンは、どことなくのんびりとした危機感のない空気を漂わせているようでもあった。彼はスウェンにまつわる噂を知っているようでもあったが、これまでの男達のように、心の底から疑い恐れるような目をしないのだ。


 むしろ、良い人っぽい、という目を向けられているような気がする。


 小動物のように気が弱い節もある、実に妙な男だと思う。小太りで眼鏡で、びくびくしている癖に真っすぐ目を見つめ返してくる、ログが時折「面白い良い奴だ」と口にする、スウェン達とは同年代になる研究員……


 その声を最後に通信が途絶え、スウェンも通信機器をウエストバッグにしまった。


 ハイソンという男が、スウェンの知るような性質の悪い科学者でない事は理解しているつもりだが、条件反射のように、毛嫌いに似た憎しみが腹の底で煮え滾ってしまう。


 生命を弄ぶ行為のなれの果てを、その目で多く目撃して来たせいだろう。

 今でもスウェンは時々、過去の怨念を夢に見る。



 まだ「リーダー」と呼ばれていた頃の、失敗した実験の最悪な結末と、当時の部下達でもあった彼らの末路が、スウェンは忘れられない。



 現場にいた科学者の保護は許可されていたが、生きていた被験者達が苦しまないようこの手で処分してやる事しか出来なかった絶望が、彼に、忘れるなと呪いの言葉を囁き続けているのだ。


 仕方がなかった、もう自我さえ残っていなかった少年達だったと仲間達には慰められたが、スウェンは一歩を踏み出せないでいた。出会ってすぐだというのに、どうやらその片鱗を、エルに察せられてしまったらしいのだ。

 

 聡い子なのだろうとは思う。あの年頃にしては洞察力があり、それなりに鍛えれば優秀な人材に成長するだろう。スウェンは初めて、悪意のない真っすぐ見透かすような眼差し、というものを見た。


 それを向けられ、正面から直視し――動揺してしまったのだ。



 踏み込まない、触らない。思い出さなくていいよと、悪意も知らない大きな幼い目で、あれは子供らしくない事を平気で口にする。



「結局のところ、向こうでも調査の進展はないようだね」


 通信機器を片付けた後、スウェンは、取り繕うようにログにそう告げた。研究員と話したスウェンの胸中を察したログが、擦れ違いざまに「お疲れさん」と彼の肩を軽く叩いた。


「あんまりピリピリすんなよ、ハイソンは『あいつら』じゃねぇ」

「……分かってるよ」


 ああ、そんな事、分かっているとも。


 スウェンは続く言葉を心に吐き出しながら、支柱に触れたログの左手から腕に掛けて、静電気のように発した光と共に赤黒い紋様が浮かび上がるのを見つめた。かつて、それを両腕に持っていた仲間を思い起こし、複雑な思いで唇を引き結ぶ。


 君の方こそ、僕と似たようなものだろうに。


 あの日以来、更に他人を近づけなくなった部下にそう思ったが、スウェンは口にはしなかった。だからこそ彼は、ログが浅くとも交友を持つ相手には、出来るだけ普段のような刺のある態度は出さないよう努めてもいた。



 分解という性質を持った『破壊の力』を受けた支柱が、心臓を貫かれた生き物ように一際大きな稼働音を上げた。



 数秒ほど部屋全体が振動したかと思うと、すべての機器が一斉に動力を失い、部屋は静寂に包まれた。


 四つ目の支柱と、それに関わる機器が灰のように端から白化して崩れ始めた。音の無い崩壊は、次第に吹き荒れる風をまとって激しさを増していき、とうとう支柱の中に残っていた男の顔も、見えなくなっていった。


 白い花弁のような残骸が舞う光景を、しばしスウェンは眺めた。全ての機器が消える刹那、支柱となった男が、この世界でどんな『夢』を見ていたのだろうかと、そんな事を考えた自分を嗤った。


 抽象的な事を考えるなんて、僕らしくもない。


 しかし、支柱が消え去っても、こちらに背中を向け続けているログを見て、スウェンは悩みの一つについては、この副官にとっくにバレているのだと察し、諦めたように小さな声で打ち明けた。


「……本当はさ、ずっと悩んでいたんだ。どこまで明かせばいいのか……エル君は賢い子だ。自分が生身の身体である事も気付いていた彼に、隠したり、そのために嘘も吐くのもちょっと、なんだか億劫な気がしないでもない、というか……」

「お前の事だから、本当は教えないでおくつもりだったんだろ。妙に勘ぐられて、パニックを起こされて任務に支障をきたすような判断を、お前は嫌う」

「うん、そうだったんだけど……」


 そのつもりだった。


 それなのに、必要最低限でいいと乗り気ですらない子供に、スウェンは事件について語り、自分達の秘密の一部も明かしてしまったのだ。


「エル君は、強い子だね。多分、あの子は最悪の状況まで考えていて、それでも弱音や我が儘一つ言わないんだろう。利口過ぎるのか、背伸びし過ぎているのか、……どうも僕は、彼を簡単に切り捨てられないみたいなんだよねぇ」

「お前が参ってどうすんだ。あいつがアリスと同じなら、一緒に最終エリアまで連れていけば脱出できるんだろ」


 ログが肩越しに振り返り、何でもないようにそう言ったが、スウェンは、すぐに言葉を返せなかった。


 相手が屈強な大人の男であれば考えも違うが、エルは華奢な子供だ。もし取り返しのつかない大きな怪我を負ってしまったら。もしくは、任務の遂行を第一優先ととなければならない状況が発生し、どうしても助けられないような事態に陥ってしまったら、と、スウェンの中では思考がループしている。


 冷酷無情な隊長として、スウェンは、これまで仲間以外の全てを簡単に切り捨ててきた。


 巻き込まれた民間人や、盾となった見知らぬ部隊の軍人。命乞いをする標的の友人や恋人の死を目にしても、痛むなんていう弱い心は理性の下に封じてきた。エルに対しても、同じ覚悟を持っているつもりだった。


 それなのに今、スウェンの心は不安定だ。


 例えばログと平気で喧嘩をする光景や、セイジと一緒にこちらを振り返るなど、エルのいる風景や空気は違和感なく馴染み、意外と相性が良いらしい部下達とのやりとりを、どこか楽しく見守っている自分もいた。


 どうしてか、道中でエルが欠けてしまうような想定を、考えたくないと感じ始めているのだ。


 そのせいだろうか。エルの落ち着きぶりには、少し警戒心を覚えてもいた。後悔のないように行動するエルの姿勢は、最期の瞬間に易々と死を認めてしまうような、そんな恐ろしさが潜んでいるようにも思える。


 多分、考え過ぎなんだろうとは思う。エルは軍人ではないのだから、かつての仲間達とは違い、戦って死ねるのなら悔いもないという考えはないはずで……



 それでも、唯一の『育て親』を失ったらしい子供が、たった一人で老いた猫を連れて旅をする姿が、共に行動し始めてから急速に気になってもいた。


 いつから、どこから、どうして旅をしているのだろうか?



 心を見透かすような眼差しを向けられてから、スウェンの心は、らしくもなく揺らいでいる。これまでには感じた事もなかった悩みだから、不可解な自分の胸の内の答えも、その判断も付かないでいた。

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