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六章 それは偽りの存在(2)上

 第四のセキュリティー・エリアは、夜の世界が広がっていた。そこは花も植えられていない、芝生が敷かれただけの公園の一角で、カーブを描いた道の先を抜けると、三車線の大通りに抜けた。


 通りの左右には、隙間なくビルやアパートや飲食店が立ち並んでいた。一見すると巨大な壁が、道の左右を立ち塞いでいるようにも見える光景だった。一直線に伸びる車道は街を真っすぐ縦断し、平坦な土地の中を少数の人影が流れている。


 道路の左右に敷きつめられた建物には統一性がなく、古びた細いアパート、商業ビル、二階建ての飲食店など大小様々で、道路に面した建物の奥には、背の高いビル群がびっしりと聳え建って黒い影を落としていた。


 通行人の他に、車の走行もあった。四、五台の車が、ゆとりある車間をもって道路を行き交っている。道路や歩道は、建物から発せられる電光で照らし出され、歩く人々が光りの中に影を落としていた。


 上空には星光りも見てとれたが、地上の方が明るい為に、小さな星の輝きは霞んでしまっていた。


「空間内は縦の一本道か……狭いようだね」


 小型機械のブラウザを確認したスウェンが、感想を述べて後ろポケットにしまった。支柱の地点については、まだ探査機に反映していないとの事で、スウェンは、辺りをしばらく見てからエル達にこう告げた。


「とりあえず少し休もう。この先に待っている舞台が、僕らに手荒な歓迎をしないという保証はどこにもないからね」


 スウェンを先頭に、エル達は通行人に邪魔にならない程度に連なり歩いた。


 いかにも会社帰りといった通行人達は、それぞれ薄地の長袖を着用しており、自分の足ばかりに目を落とし黙々と歩いていた。


 クロエがボストンバックから顔を出し、辺りを眺めた。エルは彼女の頭を撫でつつ、気持ちの沈むような夜の街を進んだ。先程の公園の他に、車道には一つの樹木も花壇も見られなかった。


 建物の多くは電気が灯り、夜の街はどこか賑やかな光にも溢れていた。居酒屋からは人の声も漏れていたが、不思議と食べ物の匂いはしなかった。途中、酔っぱらったサラリーマン風の男達が、騒ぎながら道端に躍り出て、タクシーを掴まえると早々に乗り込んで行った。


「……これって、支柱になってしまった人が、一番馴染んでいた景色なのかなぁ」


 エルが呟くと、近くにいたセイジが神妙な顔をして肩をすぼめた。


「そうかもしれない。この時間帯の、こういった景色の中を毎日歩いて、どこかへ向かっていたのだろう」

「なんだか、歩いている人は社会人ばかりだね」

「ああ、疲れ切った顔をした人達ばかりだな」


 足を引きずるように歩くスーツ姿の中年女性を、擦れ違いざま、セイジは悲しげな顔で見送った。


 スウェンとログは、辺りのビルへ目をやりながら時々短い言葉を交わしていた。擦れ違う登場人物は全て東洋人とはいえ、歩道の幅はそれほど大きくないので、二人が並ぶと歩道が少しばかり通り辛くなってしまうのだが、エキストラ達が彼らに目をくれる様子はなかった。


 エルとセイジは、クロエの座るボストンバンックを挟んで、先頭を歩く二人の背中を眺めつつ並び歩いた。


 セイジは、ゆっくり地面を踏みしめて歩きながら、時折ちらりとエルを盗み見た。エルは、その様子を横目で見て可笑しく思ってしまったが、セイジ自身が気付かれないよう装っているようだったので、それに付き合うべく別の話題を振った。


「さっきの世界とは違って、ちょっとだけ肌寒いような気がする」

「秋先、ぐらいだろうか」

「そうかもしれない」


 エルは、オジサンと過ごした、十四回の秋の様子を思い返した。


 縁側には大きな桜の木があって、石垣を超えてすぐの場所には、樹齢の長いガジュマルの木もあった。庭の雑草は、定期的に刈るだけの手入れだったが、季節の虫がよく居付いた素敵な庭だったと思う。


 タンポポが揺れて、いつか種を付けたそれを、空に飛ばすのが好きだった。


 秋を告げる虫達が鳴き始めたススキ畑を、夕暮れ時に駆け回ったりした。あの頃は、雑種犬のポタロウがまだ生きていて、二人と二匹で、畑道を散歩するのが日課だった。夏の暑さが和らいだ涼しい夜に、オジサンとやった、線香花火の灯りも思い出した。


 

 あの頃は、大きな街明かりなんて知らなかった。百人も住んでいない小さな部落の中で、エルは、十四年をオジサンと過ごしたのだ。



 少し阿呆そうな顔をした可愛い雑種犬のポタロウは、冬が来る前に死んでしまった。専門の葬儀屋に預けた日は雨が降っていたが、その日の夜は、見事に晴れ上がった。


 オジサンに手を引かれ、月夜の畑道を歩いた、濡れた頬にあたる秋風がひどく沁みた記憶も脳裏に蘇った。あの後ポタロウと、生まれてくる力のなかったポタロウの子供達の為に、二人で小さなお墓を作ったのだ。


 オジサンが亡き妻の墓に入る事が決まった時、――親族の大半は反対していたが、彼の妻が遺言を残してくれていたらしい――エルは、オジサンの横たわる棺の中に、ポタロウ達の位牌も一緒に入れてやった。


 縁側にあった大きな桜も、手作りの小さなお墓も、オジサンの妻の遠い親戚たちが全て取り壊してしまったのだ。だから、今帰仁のある土地に、彼の家はもうない。


「秋、か……寂しい風だね」

「過ごし易いと思うのだが」


 セイジが不思議そうに首を傾げた。エルは、力なく笑って「そうだね」とはぐらかした。


              ※※※


 しばらく歩きながら、スウェンが休憩場所を確保するため、通りに並ぶ建物の中に入っては出るを繰り返した。ほとんどの宿泊施設が本日の受付が終了しているか、満室となっていた。


 ようやくスウェンが空きを見付けてくれたのは、両サイドを高層ビルに挟まれた、十二階建ての細長い宿泊施設だった。正面から見ると、換気用の小さな窓が、各階に二つずつあるばかりの鉄筋コンクリートの建物だ。


 建物に入ってすぐが狭いカウンターで、一人の女性店員がいた。受付の脇には、狭いフロアに押し込められたようにエレベーターが一つあり、エル達が受付の前に立った時、スーツ姿の中年男がドレス姿の女とエレベーターの中に消えていった。


 その様子を見たスウェンが、「他になかったのだから仕方がない」と吐息交じりに呟き、泊まる手続きを行った。


 受付で四人分の料金を払う際、女性店員が四人をそれぞれ見て、ちょっと変な顔をした。ちらりとエルを盗み見た彼女の眼差しには、同情も垣間見えた。エルは違和感を覚えたが、セイジに促されて、小さなエレベーターに四人で詰めて乗り込んだ。


 エレベーターの扉が閉まったところで、スウェンが吐息をこぼした。


「……エキストラだとは分かっているけど、露骨にガン見されるのは堪らないなぁ。僕だって、まともな場所があったらそっちを利用したさ…………」


 セイジが肩身を狭めつつ、「道路で寝るよりは安全だろうし……」と遠慮がちにフォローした。彼の後ろでは、ログが眠たそうに欠伸をもらしていた。



 エレベーターを出ると、前方と左右に三つの扉があった。スウェンが部屋番号を確かめ、左手にあった部屋の扉を開けた。



 部屋の中は小奇麗だったが、床は桃色の絨毯一色だった。室内には化粧台が一つ、真っ白なシーツが掛けられたキングサイズのベッドが一つ、シャワー付きトイレが一つしかない簡素な造りだった。


 玄関と思われる一メートル四方のタイル地に、四人分の靴が窮屈に並んだ。エルが、ボストンバッグからクロエを出してやると、クロエは絨毯の上を軽やかな足取りで進み、室内の匂いを嗅いで辺りを観察し始めた。


 エルも、改めて室内を見渡した。ワンルームの室内は、大き過ぎるベッド一つだけで埋まってしまっているという、妙な造りをしている。


 女性物の、甘い香水の匂いに似た香りが室内には充満していた。壁や天井にはベージュ色のシールが貼られ、天井には何故か、キラキラと輝くシャンデリアが一つあった。


 そこでふと、エルは遅れてようやく状況を察知し、深々と溜息を吐いた。ベッドで埋まるような部屋には、少しスペースが空いていたので、とりあえず玄関から一番近い場所にボストンバッグを置いた。


 スウェンとログが、部屋の様子に目をやり「良い部屋じゃないか」「まぁまぁだな」とそれぞれ感想をもらした。


「もっとドギツイかと思ったけど、結構まともそうで何よりだね」

「ベッドは回転式じゃねぇな」

「君ね、そこは問題じゃないだろう?」


 二人がベッドに腰かけてクッション性を確かめる中、セイジが、落ち着かないように佇んでいた。エルは、居心地悪そうなセイジに小声で話しかけた。


「……他に、普通の宿泊施設とかなかったのかなぁ」

「……なかった、んだろうな」


 セイジが、叱られた子犬のようなか細い声で答えた。頭が痛くなる状況に、エルは思わず額に手をやった。


「受付の人に変な顔をされる訳だよ……。というか、この組み合わせで勘違いされるとかも有り得ないし、現実世界じゃないのにショックがデカい……」

「まぁ、いいじゃないの」


 ベッドの端に腰かけたスウェンが、女性店員から向けられた眼差しの一件から早々に回復したような朗らかな顔で、そう言った。


「ベッドは上等だし、空間の歪みも見られない建物だ。休息にはもってこいの安全地帯だよ」


 現実世界で持っている特殊能力の一部が反映しているらしいスウェンの目は、この仮想空間内の『歪み』と呼ばれる異常性が視認出来るので、その判断は的確で信用があるのだろう。ログが大きな欠伸を一つしたかと思うと、そのままベッドに横になってしまった。


 まぁ休むだけが目的なので、仮想空間内の、ピンク系の宿泊施設だろうと問題にはならないのかもしれないが。


 仮想空間内の登場人物が、もっと現実味のない反応をしてくれていたのなら、エルとしても「バーチャル世界だし」とダメージも少なかったが、先程の女性店員も、やはり実在している人間のようなリアリティーがあった。


 ……というかさ、何でこの組み合わせで心配されるの。おかしくない?


 連れが可愛い女の子だったら変に勘繰ってしまうかもしれないが、三人の外国人と自分だ。エルは自身の恰好を見降ろし、堪え切れず深々と溜息を吐いた。

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