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五章 迷路と残酷な一つの事実(7)

 現場は相変わらず穏やかではなかったが、先程まで感じていた強い緊張感は解けていた。ログとセイジの方を見れば、自然と血の海も目に付いてしまうが、エルも当初よりは落ち着いていられた。


 軽い冗談を口にした後、仲間達の様子とエルを比べるように見たスウェンが、一つの事を決めたように頷いて、エルに向き直った。


「僕らがやるべき事は、アリスを助け、『エリスプログラム』の完全破壊だ。今後、エル君は僕らと一緒に先へと進まなければいけないから、僕らについて少しだけ話しておこうと思う。仮想空間内では、機械が予測していない範囲外の『特殊な事情』については、完全に持ちこむ事が出来ない訳だけれど――」

「『特殊な事情』……?」


 話の途中ではあったが、エルは思わず疑問を口にした。スウェンが「どう説明したものかな」と、明かす範囲内を調整するよう思案して、こう続けた。


「僕らが当時所属していた部隊は、軍の中でもちょっと特殊な能力や才能を持った連中が多くいた、とだけ説明しておこうかな。仮想空間では『能力』は完全に反映されないんだけど、使えない訳でもない。僕らが三人だけで今回の任務にあたれたのも、そこに理由があるんだよ」


 一般兵を数十人寄越すより、部隊を派遣するより、専門とする小隊を送り込むよりも、個人でそれに匹敵し、尚且つ生き残れる三人が送り込まれたのだという。


 スウェンの視線に促され、エルは、セイジとログを順に見た。ログは相変わらず苛立ったような顔をしていたが、セイジは、申し訳なさそうに大きな肩をすくめるように立ち尽くしていた。


「さて、僕らがこの世界に持ちこめた『能力』について話そう。例えば僕だと、能力の一割が変質反映しているのか、空間内に不規則に起こるバグのような『歪み』が察知出来て、視覚的に見えるようにもなっている事かな」


 自身の能力の詳細についてはぼかすように、スウェンがそう言った。


 特殊な才能や能力と聞いてもピンと来ず、エルは悩ましげに首を捻った。スウェンに関しては、ひとまず頭が良いところに『能力』とやらが関わっているのだろう、と簡単に解釈しておく。


「エル君は、仮想空間内で不利になってしまうような、――例えば低下してしまうような『能力』はないよね?」

「普通の一般人に、そういったものを求められてもなぁ……」


 なんとなくではあるが、エルは、スウェンが言うの『能力』について、常識では考えられないような特殊な事柄なのではと勘繰った。例えばフィクション作品に出て来るような、世間に公開されない軍の秘密組織が思い浮かぶ。


 うん、これも絶対に機密情報ってやつだろうな。俺からは、絶対に首を突っ込んで訊いてはいけないタイプのッ


 ここはスウェンの話術に期待して、最低限の必要な情報だけを寄越される事を期待しよう。エルがそう考えていると、スウェンが「ごめん。念の為に訊いておきたかっただけなんだ」と言って、話の先を続けた。


「まずはセイジだけど、通常の人間より肉体が頑丈で強い。彼は肉弾戦を主とした戦闘部隊員で、こちら側には九十パーセント以上の戦闘能力が持ち込めた。そして、今回の任務で欠けてはならないのがログの存在だろう。支柱の破壊は、全て彼の力に頼っているのが現状でね。『エリスブログラム』は『外』からの命令を一切受け取らず、データ・ウィルスも徹底して拒絶しているから、今のところログだけが策なんだよねぇ」


 つまりセイジは、見た目を裏切らない屈強な軍人で、筋力も異常に強いということだろうか。気になるのは、ログに頼っているという『破壊』の件だけれど……


 エルは、ひとまず情報を整理しつつ話を聞いていた。三人がこれまで過ごした中で、お互いの役割がしっかり確立されている様子も見て取れる事から、ウスェンがリーダー的存在なのだろうという印象も覚えた。


「つまり、今回の任務では、ログの持つ『破壊の能力』に頼るしかないんだ。彼の能力は『生命以外のすべての物質を壊せる』事でね。仮想空間に持ち込めたのはごく一部だけど、本来が結構荒々しい能力だから、反映された分の能力値だけでも『支柱』を容易に消滅出来る」

「壊す? というか『生命以外のすべて』って?」


 何だか創作小説みたくなってきたな、とエルは大きな瞳を瞬かせた。イメージはまるで浮かばないし、超能力みたいだなぁと、素直に感じたままチラリとログへ目を向けてしまっていた。


 すると、何を考えているのか分からないログの、無愛想で鋭い明るいブラウンの瞳と目が合った。エルは、ピンポイントで視線が絡みんで驚いてしまった。どうやら彼は、ずっとこちらを見ていたらしい。


 視線を外すタイミングを掴めないでいると、ログが怪訝そうに眉を寄せた。エルは、ログの表情から言葉を察して、眼差しで「おいコラ」と喧嘩を売り返した。


 ただ目が合っただけで喧嘩を売られるとか、有り得なくない?


「『生命以外の全て』は命を持たない物の事だよ、エル君。彼の場合は、自然界で誕生していない、人間によって造られた機器などの構造物がそれにあたるかな。能力の反映値は数割だけど、実際に支柱も消滅出来ているし、任務遂行に支障はないとも確認された。まぁ、現実世界よりも負荷がかかるみたいだから、連続した発動は厳しいけどね」


 威嚇するエルの視線をさりげなくそらさせながら、スウェンがログに目配せした。すると、ログが察したように片手を上げて応え、大きな身体を揺らしながら面倒そうに支柱へ向かって歩き出した。


「いいかい、エル君。これから起こる事を、よく見ているんだよ。現実世界で起こる破壊反応とは少し違うけれど、仮想空間内で起こる対象物の消滅を見ると、結局は現実世界ではないんだなぁと思える光景でもあるよ」


 スウェンは、そこで一度深く息をついた。


「――でも、ごめんね。正直にいうと、ここの支柱の様子については、僕らにとっても想定外だった。見る事が辛いなら、次に持ち越しても構わないよ」

「ううん、次には持ち越さない。俺はきっと、それを知らなければならないから」


 先へ進むのであれば、目をそらし、逃げてはいけない。それが戦い抜く為には必要なのだ。


 エルは呼吸を落ち着けてから、改めて支柱を振り返った。ログが真っ赤な血溜まりの中にある支柱に向かって、進んでいく姿があった。彼の靴底には血がまとわりつき、歩くたびに、跳ねた雫が嫌な音を立てていた。


 中央で佇む支柱は、苦しそうな稼働音を上げ続けていた。まるで、呼吸をするたびに吐血を繰り返しているようにも思えて、エルは、改めてそのおぞましさに小さく身震いしてしまった。


 支柱へ辿り着いたログが、そこに左手を当てた。


 すると、ログの左腕を中心に銀色の放電が起こり、髪や衣服が膨らみ始めた。支柱に触れた左手が青白く発光した瞬間、指先から腕に掛けて、赤黒い模様のような柄が透けて浮かび上がり、発生した力に反応するかのように支柱が一度だけ、大きく振動した。



 空間内が小刻みに揺れたような気がした次の瞬間、稼働音がピタリと鳴り止んだ。ハラハラと、何かが風に運ばれて崩れていくような音が上がる。



 支柱に一番遠い電気ケーブルの先と血溜まりの周囲から、急速に風化するように白く寂れて、柔らかく散り散りに剥ぎ取られるように崩れ始めた。それは次第に分解される速度を上げ、上空へ向けて舞い上がる白い残滓が、粉々になりながら部屋内を満たした。


 柔らかな風が下から巻き起こった。仮想空間に投影されていた物質が、粒子となってデータの中から消去されていくみたいで、エルは、瞬きも忘れてその光景に見入っていた。


 白化はとうとう支柱本体にも及び、白い灰と化して脆く崩れ出した。呆けたように眺めているエルのそばで、ボストンバッグから顔を出したクロエも、髭を揺らしながらエメラルドのつぶらな瞳で、じっと見据えていた。



 その時、不意に女の子の笑い声が聞こえたような気がして、エルは顔を上げた。



 崩れ落ちる支柱の白が空間を染めるよう舞い上がる中、沢山の白く柔らかな欠片を背景に、まるでスクリーンに投影されるような映像が浮かび上がった。


 映し出される場面は大小様々で、次々と切り替わり流れていく。


 小さな女の子が、両親と何事かを約束している光景。次に、遊園地で父親に肩車をされて楽しそうな女の子と、風船を持ってくれている母親のいる風景……場面は切り替わり、毎年行われた誕生日で、父親から手渡された立派なテディ・ベアが、一際大きく映った。


 支柱に残されていた、被害者の記憶なのだろうか。その映像の中で、おさげ髪の女の子は次第に、少女へと成長していった。


 思春期に入り、父親が突然死んで悲しみにくれた時期、ちょっとしたきっかけで家出をしてしまう。少女は悪い友達の家に泊まるようになり、そして、帰らないまま年月が過ぎる。


 雪の降るある日、彼女が路頭で座り込んでいるところを一人の男が見付ける。男は、座り込む少女の隣に腰かけて話を始めた。また明日も回って来るからと微笑んだ男は、保護指導員だった。


 少女は、男の言葉に次第に心を動かされ始め、同じ年頃の少年少女のいる家に住み、共同生活を送った。彼女は様々な事を学び、母親とようやく電話で連絡を取るまでになった。


 十八歳を迎える前の日、彼女は、とうとう実家に帰る決意をした。指導員達に感謝を述べ、旅立ちの日まで新しい入居者達を元気付け、そして彼女は、子供の家から旅立った。


 少女は、あまり大きなお金を持っていなかったから、帰りの駅に乗る際に、安いテディ・ベアのストラップを一つだけ買った。昔、両親にもらったテディ・ベアが懐かしかったのだと、映像の中で少女が独り言を口にした。


『帰ろう。もう一度あの家に帰って、一からやり直す事だって出来るはずだもの』


 駅を降りた後、彼女はバスに乗る前に家に電話連絡を入れた。部屋はそのままにしてあるから、と母親が電話越しに言った。亡くなった父親との思い出がたくさん詰まった、たくさんのテディ・ベアや人形達の部屋の様子を、携帯電話に送られてきた写真に見て、少女は微笑みながら泣いた。

 


――帰りたい、帰りたい。何度も諦めてしまったけれど、私は、幸せだったあの家に、もう一度帰りたいのよ……



 映像は、そこでプツリと途切れた。


 気付くと、支柱は完全にその形を失くしてしまっていた。大量に舞う白い灰は、まるで少女の悲しみのように吹き荒れて、エルの耳元で、髪や衣服を煩く鳴らせていた。


 エルは、舞い狂う柔らかで凶暴な嵐に、少女の心が痛いほど溢れているような気がした。


 もしかしたら、セキュリティー・エリアは全てでないにしろ、支柱となってしまった人間の心でも出来ているのかもしれない。科学というものは知らないけれど、エルは、少女の未来を奪ってしまった事実は許せないとも思った。


 帰りたいと願った少女の想いが、無くなってしまった家に帰りたいと願った以前の自分を彷彿とさせて、エルの胸は激しく痛んだ。いつしか、育て親であるオジサンのいる場所が、エルの帰る場所になっていたのに、もう叶わない寂しさばかりが募る。


 悲しい、苦しい、会いたい、帰りたい……


 消えていく支柱の少女の心は、一体どこへ還るのだろう。家族のもとへ戻るのだろうか。それとも、彼女はテディ・ベアを抱えて、天国で父親に抱きしめられる『夢』を見るのだろうか?


 エルは、崩れ散ってゆく、まるで遺灰のような大量の白を眺めていた。


 ハラハラと瞳から暖かい何かが零れ落ちていたが、エルは、しばらく自分が泣いている事に気付けなかった。ボストンバックから身を乗り出したクロエが、忙しなくエルの袖をひっぱり、何度も鳴いていた。


 セイジに「大丈夫か」と気遣うような声をかけられて初めて、エルは、自分が泣いている事に気付いた。


 我に返って顔を上げたエルは、妙な顔をした三人の男と目が合った。巻き起こる風に煽られながら、慌てて袖で涙を拭い、顔をそむけた。


「――ごめん、大丈夫。何でもないんだ」


 弱い自分は、早く隠してしまわなければならない。俺は、自分の願いの為だけにクロエを連れ出したも同然なのだ。


 鳴き続けていたクロエが、痺れを切らしたようにエルのコートに爪を立てた。エルは、這い上ろうとした彼女の身体を抱き上げると、柔らかな身体に顔を寄せた。クロエが、エルの鼻先を一度舐め、満足げな顔で頭をすり寄せた。


 エルは、クロエにしか聞こえない声で、懺悔のように唱えた。



「――ごめんね、クロエ。君を連れ回す俺は、きっとひどい奴なんだ。それでも、それでも俺は……」



 一人にしないで。誰も、いなくならないで。ずっと傍にいて……そう一人で泣き続けた過去の記憶が、エルの押し込めた本心の底で揺らいでいた。

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