五章 迷路と残酷な一つの事実(4)
人形達の中に飛び込むログの方から、続けて銃声が上がると同時に、金属を打ちぬくような破壊音がした。撃ち抜かれた人形は、開いた穴から細かい部品の集合体を覗かせており、細かな部品を散らばらせて後方へ吹き飛んでいった。
機械仕掛けの人形、という設定なのだろうか……?
道を切り開くログの後ろに自然とつく形になったエルは、そう訝しげに思いつつも、ミサイルのように突っ込んでくる小さな人形達の攻撃を反射的にかわした。
八方からの攻撃に対するログの身体さばきは、戦い慣れた者の余裕さえ窺えた。しかし、人形達は、同胞が壊されようが構わず次々に突っ込み、彼の強烈な蹴りに数体の仲間が飛散し、銃の柄で頭部を凹まされる様子を気にとめる様子は、微塵もなかった。
ログの無駄のない暴れっぷりを見て、エルが「マジで軍人なんだなぁ」と呆気に取られていると、ストラップタイプの兎が、破壊され宙を飛ぶ仲間の屍を踏み台に方向転換した。
きらりと光る果物ナイフが鼻先をかすめ、ひやりとしたが、エルは回避直後に警棒で打ち払った。すると、その隙を付くように、ジャックナイフを持った顔の半分が焼けているドール人形が、脇から飛び出してきた。
「ひぃ!? ホラーなんだけどぉぉぉおおお!?」
エルは、育て親であるオジサンに見せられた、アメリカ産の恐怖映画を思い出し、堪え切れず悲鳴を上げて、両手で思い切り警棒を振るった。
まるでホームランのような豪快な手応えと共に、人形が遠くまで飛んでいった。
あれ? 意外とメチャクチャ良い感じに飛んだ……
その手応えにコツを掴み、エルは警棒を軽快に振り、飛び込んでくる人形を次々に外側へ打ち返した。ほとんどのログが先頭で暴れてくれていたため、しばらくもすると、エルの方に突進してくる人形は少なくなった。
攻撃の手が途絶えた一時、壊された人形達に目が吸い寄せられた。地面の上で身体の自由がきかずに震えている人形がほとんどで、壊されても完全に停止しているものはなかった。
人形である彼らに表情の変化はないが、どうにか立ち上がろうともがいている様子は、どこか人間じみて痛々しく、必死さも伝わってきた。その姿が感情的な意思によるもののようにも映って、エルの戦闘意識が、込み上げた罪悪感に揺れそうになった。
セキュリティーでありながら、全く別の意思を持った登場人物という可能性が脳裏をよぎる。しかし、そんなはずはないと自分に言い聞かせ、エルは、振り払うように前方へと顔を戻したのだが――
『ヤメて……放っておいて』
そう呟いたのは、地面に転がっていた頭や首の一部が欠けた木製の兵隊人形だった。人間のような悲痛な声が耳に入った途端、エルは、思わず闘いを忘れたように足を止め、振り返ってしまっていた。
その刹那、近くで銃声が炸裂し、エルは目の前で砕け散った、錆びた包丁の銀色の破片が、宙を舞う輝きに目を奪われた。
『まだ、ココに、ある』
『もう一度、キット……』
『連れ出さレタク、ナイ』
夢のテーマパークにあるのは、可愛らしいお城や建物、巨大な迷路と、楽しいアトラクション。ピンクやオレンジの屋根が色鮮やかで、幸福に満ち溢れた小さな楽園の中には、お話が出来る人形達が住んでいる――……
エルの中で一つの違和感が生まれ、それが急速に膨れ上がって、腹の奥を締めつけた。
力が抜けた手から、警棒が滑り落ちた。強烈な既視感が込み上げ、失われていない幼い過去の一部が脳裏を横切り、目の奥に痛みを感じた。一瞬この状況を忘れかけたエルは、強い眩暈に呑みこまれそうになったが、強引に腕を引かれて我に返った。
ハッと視線を向けた先には、、赤や黄色や水玉模様をしたテディ・ベア三体に、銃弾でとどめを差しているログの厳しい横顔があった。
「ぼさっとしてんじゃねぇ! 死にてぇのか!」
ログが、振り返りざま怒鳴った。エルは考えが追いつかず、どうにか言葉を返そうとして、彼の腹辺りに視線を落としながら「……ごめん」と口にした。
初めに会ったテディ・ベアと、姿形が全く一緒の三体の人形達は、顔や胸から銀色の機械の部品を覗かせて、地面の上で小さくもがいていた。辺りを見回すと、既に立ち向かって来られるような人形は、一体として残っていなかった。
いつの間にか、煉瓦造りの城がすぐそこまで迫っていた。まるで監獄のような鉄製の古びた扉が一つ付いていて、それが迷路のゴールであると、エルは脳裏の片隅に残った冷静な思考で理解した。
城に気付いたエルを見て、ログが手を離し、扉へ向かって歩き出した。
「はぐれるなよ、ついて来い」
ぶっきらぼうに告げられたエルは、踵を返したログの後に続こうとしたのだが、足の裾を弱々しい力で掴まれる気配に、ギクリと立ち止まった。
地面に転がった黄色のテディ・ベアが、一つだけになってしまった目でエルを見上げ、柔かな人形の手でズボンの端を掴んでいた。腕は一本しか残っておらず、鼻から下は抉れ、耳元には先のテディ・ベアと同じ商品タグが付いていた。
『ヤメて。あの子は、帰りタクナイノ。連れ出サレタクナイって、思ッテル。ダカラ、オ願い……』
ボストンバッグの中で大人しくしていたクロエが、息苦しそうに顔を出し、懸命に訴えるテディ・ベアを見降ろした。しかし、クロエは蒼白したエルに気付くと、気遣うように耳を伏せて、助けを求めるようにログへ視線を向けた。
城の扉を開けたログが、立ち止まっているエルを目に止めて、むっつりとした表情で戻って来た。
彼はクロエの視線に気付くと、「……お前は、賢い猫なんだな」とぎこちなく言って膝を折った。戦意喪失した人形達の惨状をチラリとだけ確認し、それから、エルのズボンの裾にしがみつくテディ・ベアの手を、不器用な指先でそっと外した。
ログは攻撃の意思のない人形とは目を合わさず、いつもの罵倒も口にしないまま、エルの背中を控えめに手で押して、城の扉まで誘導し出した。
『帰れナイ。あの子は、連れ出されタクナイノ。帰りたクテモ、もウ、帰れないんダヨ』
ああ、なんて可哀想なアノ子。こんなのって、ナイ。ひどイ……
そう続けるテディ・ベアの泣き声が遠くなる。ああ、ここにいる人形達は泣くんだなと、目の前で口を広げる城の入り口の前で、エルは優しく背中を押す大きな手の熱を覚えながら、それに逆らうように足を止めた。
ログがエルの顔を覗きこみ、「どうした」と神妙な顔で訊いた。棘もない、どこか気遣うような深く低い声だった。
聞き慣れなくて違和感も覚えたが、エルは、らしくない落ち着きを見せるログに、子供扱いするなよ、と言い返すだけの怒りを覚える事は出来なかった。人形達の泣き声が、嫌な憶測をかきたてて止まらないでいる。
「……変だよ。だって、これじゃあ、まるで……誰かの『夢』そのものみたいじゃないか」
誰かが見た光景や、誰かが望んだ世界が、希望と悪夢に満ちた一つの世界を作り出している。
エルは、背中を屈めて近くなったログの、深いブラウンの瞳を見つめ返した。ログの瞳に映り込む自分が、ひどい表情をしているのが見えたが、何も告げない彼に溢れる言葉を続けた。
「支柱って、何で出来ているの。あの人形達は、まるで皆で守ろうとして、俺らをそこに行かせたくないみたいな……」
幼い頃、人形に名前を付けて遊んだ事がある。友達だからと小さな鞄に入れて連れ歩き、いつか両親が一緒に行こうと約束してくれた、色鮮やかで可愛らしい遊園地を想像して楽しんでいた。
大人がただの人形と見ていたとしても、幼い子供にとっては、想像の世界で動いて喋ってくれる友達だ。
エルは普通の『夢』を見た経験はないけれど、きっと他の子供達は、想像を夢世界で体験して、動いて話せる人形と楽しい時間をすごした事もあったのかもしれない。エルだって、あの頃は、ずっとそれを想像して待ち望んでもいた。
まさに、このセキュリティー・エリアがそうだった。幸せばかりが詰まった遊園地に、お友達のような人形達がいる。
「……セキュリティー・エリアの製造や正体については、スウェンの方で一つの仮説は立てられているが」
ログは呟くように口にしたが、顔を顰め、歯切れ悪く言葉を切ると、「とりあえず行こう」とエルの背に片腕を回して促した。
それでもまだ、ショック状態のように動き出せないエルを見て、ログが戸惑うように眉を下げた。どうしたらいいのか分からない、という初めて見る大男の弱った表情に気付いたエルは、強張っていた身体の緊張が少し解けて、ゆっくりと瞬きをした。
無理やりにでも引っ張っていく方法もあるのに、それをしないんだな……
変な男だ。よく分からない。脳裏にそんな疑問が小さく浮かんだが、エルは、そこまで考える余裕はなく、こくりと肯き返すと、開かれた扉からログと共に城の中へと進んだ。
そこには、薄暗い一本道の廊下だけが続いていた。数十メートルも離れていない距離に、出口らしさ光が覗いていたが、テディ・ベアの泣き声は、数秒もしないうちに聞こえなくなった。
エルは無意識に、クロエが控えめに顔を覗かせているボストンバッグのベルトを、強く握りしめていた。
「俺としても、一人の人間の記憶や『夢』が、この世界を作り出しているかもしれないなんて信じたくもねぇよ。……スウェンの仮説では、支柱は」
そうこぼしたログが、不意に言葉を切った。進み終えた廊下から開けた空間に踏み込んだ二人は、そのタイミングで、そこに広がる光景を前に言葉を失った。
エルは、目に飛び込んで来た光景に、仮説の内容が容易に想像出来てしまい――
ああ、まるで悪夢だ、と思った。




