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五章 迷路と残酷な一つの事実(1)

 ログの後ろをついて歩いていたエルは、坂道を登りきった先の平坦な広間に出て、ようやく一息吐いた。


 辿り着いた坂の頂上には、ぽっかりと開けたタイル地の空間が広がっており、中央には噴水が一つ設置されていた。広間の周囲には、氷の館と食事処、お土産ショップ、ジェットコースターの入場口までの道のりを案内する看板と、各アトラクション施設へと続くいくつもの道が伸びていた。


 しかし、そこには、スウェンとセイジの姿はなかった。


「あの二人は?」

「別行動だ。今回は支柱の場所が広範囲だからな、とりあえず目指す場所は見当が付いているが、念のため二手に分かれて向かう事になった。仕方ねぇが、俺がガキのお守りだ」


 スウェンが相変わらずセイジに甘いせいで、とログが小言を口にして舌打ちした。エルも、すかさず舌打ちを返し「俺はガキじゃねぇよ」と容認出来ない部分について指摘した。


「しぼりこめた支柱の在りかは、ここのメインパーク内だ」


 文句を言い返す前にログが顎先で方向を示して来たので、エルは、促されるがまま怪訝な目を向けた。


 その方向には、白いトンネルの入場口を持った、一つの都市のような建物群が聳え立っていた。踊り場や階段、橋やアーチなどが複雑に入り混じり、さながら巨大な迷路のようだった。


「……あの、アーチから階段がはえたりしてるんだけど?」

「アトラクション名は『迷路の城』だ。あの敷地の全部がそうなんだろ。スウェンは、先にセイジを連れてもう一つの入場口に向かった」


 二人は、山のようにどっしりと鎮座している、広大な敷地を活かした巨大迷路へ向かった。入場口となっているトンネルは三メートルほどの高さがあり、そこを抜けると、コンクリートの白が眩しい第一の迷路区が広がった。



 しかし、入場してすぐ、右にも左にも通路や階段が入り乱れる光景を前に、ログとエルは、思わず立ち尽くした。



 山のように折り重なる建築群は、近づくと遠目以上に正解の道のりが見えて来ない複雑な構造をしていた。ゴールまで辿りつけるのかも不明な広大な『迷路の城』には、他に人間の姿もない。


 むしろ、すぐに突破出来る気がしないので人気がないのでは、と邪推してしまうような光景だった。それが本当に、この仮想空間での『迷路の城』の詳細設定だとすると、かなり現実味がある。


「……これ、マジで行くの?」


 エルがそうぼやいた時、ボストンバッグの口からクロエが顔を出し、寝起きの欠伸を一つもらした後、しげしげと辺りの様子を窺った。


 しばらく立ち尽くしていたログが、無言でのっそりと歩き出した。エルは、「大丈夫かな」と思いつつも、迷いなく進む彼の後ろを付いていった。


              ※※※


 巨大な迷路の中は、始めの頃は他のアトラクション側からの音が鈍く響いていたが、少し進むと、風の音以外は聞こえなくなった。


 細く短い回廊があり、アーチや橋や階段と、目まぐるしく上ったり下がったりを繰り返した。エルは、始めの頃はどうにか道順を覚えようと努力していたが、いつの間にか方向感覚や、どこから来たのかも分からなくなってしまっていた。



「……なぁ。俺達さ、迷子になってない?」



 あれからどのぐらい歩いたのかは不明だが、ゴールに近づいているどころか、ちっとも進めている気がしない。


 不安を覚え、エルは、前方を歩く大きな背中に向かってそう尋ねた。すると、こちらを振り返らないまま、ログがふんぞり返ったように答えた。

 

「仕方ねぇだろ。勘が良いのはスウェンの方だし、運だけで進めるのはセイジの得意分野だ」

「嘘だろ、おまッ――ただ闇雲に進んでいただけなのかよ!」


 お前馬鹿じゃないの、なんで自信たっぷりにずんずん足を進めてんだよ!


 エルとクロエが、それぞれ言葉と鳴き声で抗議した。ログは次の階段を上がり、正方形の踊り場の折り返し地点でようやく足を止めると、顰め面で一人と一匹を振り返った。


「ここで一番怪しいのは城だ。ようは中心にある、あの城を目指せばいい」


 彼は仏頂面でそう断言すると、背後へ親指を向けた。


 黄色い円錐系の一際大きな屋根を持った城が、巨大なコンクリート造りの迷路密集群と化した敷地内の、一番高い位置から屋根を覗かせていた。意味もなく折り重なる通行用の建築物とは違い、この巨大な迷路の中で、唯一室内を持った建造物のようにも思える。


 迷わされているのは事実でも、方角は見失っていないとログは主張したいようだった。『迷路の城』というぐらいだし、目指す先は城なんだろうけれども、とエルは悩ましげに考えた。


 足を止めたのは久しぶりのような気がして、エルは、気休め程度に振り返ってみた。


 いつの間にか、随分と高いところまで来ている事に気付いた。下った先の迷路の向こうに、先程までいた遊園地の噴水地点が見えて、エルとクロエは「お~」「にゃ~」と、それぞれ達成感に似たような声を上げた。


「『迷路の城』って、まるで山みたいだ」

「緑は一つもねぇがな」


 言われてみれば確かに、花壇も池も飾り木もない。すると、ログが、苦虫を潰したような顔で踵を返した。



「――まるで、ガキの考える『夢の国』だ。虫唾が走る」



 風の音が一際強く吹いた。エルは、風の音が邪魔してログの言葉を全て聞きとる事は出来なかったが、彼が吐いた悪態の内容は把握出来た。


 しばらく進むと、アーチのかかった階段と、吹き抜けの踊り場ばかりが続いた。右にも左にも似たような道が続き、行き止まりが出て仕方なく一度来た道を戻り、逆の階段を上っても同じところに出てしまう、と選択ミスが目立ち始めた。


 日差しの位置は天辺のまま変化がなく、影も動かない為、頂上にある城の屋根を頼りに進むしかない。しかし、迷路の騙し道の行き止まりが圧倒的に多くなり、造りが複雑すぎて、一度通った道順も覚えられないため苦戦を強いられた。



 額の汗を何度か拭ったところで、ログが一時休憩を提案し、二人はアーチを持った階段に腰を落ち着けた。ログは階段上の広間に、エルは、アーチの屋根がある階段に腰を下ろした。



 エルは、息を整えながら頭上を仰いだ。

 

 アーチ状の小さな天井にも、階段のデザインが施されているという造りの細かさには、場違いな感心を覚えた。仮想空間でも汗はかくのだなあと、そんな事を思いながらシャツの中に空気を送り込む。


 クロエはボストンバックの外に出て、ひんやりとしたコンクリートで横になっていた。運ばれる事には慣れているが、変化のない迷路の光景には、飽きてしまった様子だった。


 少し落ち着いたところで、エルは、階段の上にいるログを横目に見た。彼はジャケットを脱ぎ、顰め面で明後日の方向を睨んでいた。


「お前さ、子共が嫌いなの?」

「あ?」


 唐突な質問に、ログが険悪な顔をこちらに向けた来た。エルは呆れつつも、言葉を投げ返した。


「さっきからさ、ガキの考えそうな国だとか何とか言ってたから、そうなのかと思って」


 そう指摘すると、ログが眉間に皺を寄せたまま唇をへの字に曲げた。彼は数秒ほど押し黙り、それから、諦めたように溜息をもらした。


「俺はガキが苦手なんだ。そこんとこ間違えんな、セイジに説教されちまう。あいつ、子共が三人いんだよ」


 彼は頭を大雑把にかいて言い訳のように続けたが、ふと「そういや、アリスに会ったのもそのぐらいだったか」と思い出すように眉を寄せた。


「アリスは、休憩所で父親の帰りを待つ事があって、暇がありゃあ、いつまでも喋っているようなガキだったな。絵本と人形遊びが好きで、ガキの癖に、ここぞとばかりのタイミングで女ぶれるような、大した子供だったぜ。よく絡まる癖に長い髪をふわふわとさせて、いつもフリルが付いたスカートを履いてた」


 エルは、ログがアリスとは知り合いらしいと察しながら、攫われたその少女について想像してみた。フリルのスカートと聞いて、なんだか、お姫様みたいな子だなと気分が上がった。


 事故に遭う前の遠い日々については、ぼんやりとではあるが一部は覚えていた。クレヨンを使って、そういう女の子を絵に描いていた記憶は残っている。


「髪はどれぐらい長かったの? もしかして、絵本に出て来る『アリス』みたいな女の子?」

「……やけに喰いつくな」


 ログが、怪しげなものを見るような目をエルに向けた。


 凹凸もないコンクリートに座り込んでいたクロエが、やれやれ、と言うように顔を伏せた。エルは、一人と一匹の視線も気にならず、適当にそれらしい理由を自信たっぷりに告げた。


「助け出そうとしている子なんだし、少しでも知りたいって思うのは当然だと思う!」

「今まで見た中で一番主張してんな……」


 ログは胡散臭そうに言ったが、「……写真、見るか?」と、どこかまんざらでもなさそうに提案し、後ろポケットから一枚の写真を取り出した。


 エルは彼の方に歩み寄ると、手を伸ばして写真を受け取った。


 写真には、廊下のベンチに座る、ふわふわとウェーブを描く、長い金髪の可愛らしい女の子が写っていた。歳は十一、二歳くらいだろうか。ブルーの大きな瞳は穏やかで、蕾のような唇には愛嬌があった。


 つまり、物凄く可愛かった。


 生粋の日本人であるエルからすると、写真に映ったアリスは、幼いとは思えないぐらいの女の子らしさを感じさせる少女だった。目鼻立ちは西洋人形のように整っており、後数年もすれば、かなり美人になるだろう。


「すごく可愛い子だなぁ。お人形さんみたいだ」

「そうか? まだまだちんちくりんのガキだろ。あと十年早ぇよ」


 ログが、心底分からないという顔で言い切った。


 こいつの周りには美人が多いらしい。金髪美人に夢を見るのは、東洋人ぐらいなのだろうか?


 エルが訝しがっていると、どこか思案するように視線をそらしていたログが、暇を潰すようにぽつりぽつりと話し始めた。


「……可愛いかどうかは知らねぇが、アリスの顔は、確か母親の幼い頃と瓜二つらしいとは聞いたな。アリスの方は、性格はおっとりしているが、決めた事だけは絶対譲ろうとしないところは、俺が良く知ってる『アリスの親父』にそっくりだ。俺が『ブサイクなガキ』だと言うと、自分は美人なんだと、平気な面で返すような根っからのお嬢さまさ」


 語るログの台詞はぶっきらぼうだったが、声は懐かしんでいるようにも思えた。エルが写真を返すと、彼は素直にそれを受け取り、しばらく赤みのかかった焦げ茶色の明るい瞳で写真を見ていた。


 他人が入り込めない大切な思い出が、きっと沢山あるのだろう。


 緊張感が和らいだログの眼差しを見ていると、彼の瞳に浮かぶ全てが、彼らと過ごした時間の長さを物語っているような気がした。


 短い付き合いではあるので、詳細を聞くのは、野暮というものだろう。


 どういった関係で彼女の父親である所長と縁があったのか、アリスとどう過ごして来たのか等、暇潰しに訊ける質問はいくらでも浮かんだが、エルは踏み込んでしまうような気配を察し、そこで話を打ち切る事にした。


 場に沈黙が広がった。


 チラリと目を向けると、ログはまだ写真を見つめていた。


 親友でもあり、家族のようであり、大切な今を共に紡いでいる人達の中に、アリスも含まれているのだろう。ログは大きくて強そうな大人だったが、写真を見つめる彼は、少し寂しそうにも見えた。


 きっと誰よりも、こいつがアリスを心配に思っているのかもしれないなぁ。


 どうしたものかと思案したエルは、仕方なくそっと足を進めて、ログの頭に手を伸ばした。


 癖毛の固い髪に問答無用で手を置いた途端、ようやくこちらに気付いた彼が、一瞬驚いたようにギクリと身体を強張らせた気がしたが、エルは、構わず力いっぱい雑に撫でてやった。


「元気出せって。お前強そうだし、絶対アリスを助け出せるよ。こうして会ったのも何かの縁だし、俺も出来る限りの事なら協力するからさ」


 なんだか、小さな子共が落ち込んでいるように見えて、頭を撫でて慰めてやるのが正しい気がした。驚いたような彼の明るい焦げ茶色の瞳に、次第に力が戻るのを確認してから、エルは手を離した。


 第一印象は最悪だが、――いや、喧嘩相手みたいな男だからこそ、大人しくされていると調子が狂う。


 しっかりしろよな、と眼差しを向けてエルがふんぞり返って見せると、ログが、まじまじとこちらを見つめた。



「やけに協力的だな……。こいつ、そんなに可愛いか?」



 ログが写真を片手に、そう問い掛けて来た。その感性が信じ難いんだが、と言わんばかりに訝しむような表情をしており、自分が慰められたとも気付いていないらしかった。


 何勘違いしてんだよ。お前、さては空気が読めないタイプだな?


 俺は決して、可愛い女の子の写真で妙にテンションが上がるような人間じゃないぞ、と反論しようとしたエルは、不意に、これまでほとんど思い出す事もなかった過去の記憶が蘇り、一瞬言葉に詰まってしまった。


「……えっと、その、アリスは――すごく可愛いと思う」


 どうにか、エルはそう答えた。意識して悪ガキ少年のような強がった笑みを作って見せたが、真っ直ぐこちらを見つめるログの視線が問うように細められて、エルは探られる前にと踵を返し、階段を下りてクロエを抱き上げた。


 背中から感じるログの視線がそれて、エルの口から、思わず安堵の息がこぼれた。彼は写真を仕舞い、ジャケットを着始めた。


 

 今では実感も持てないでいるけれど、エルにも確かに、可愛らしい物に憧れていた時期はあった。思い出す『中村エル』でなかった頃の記憶は、実感が薄いから、まるで自分ではないみたいに曖昧だ。それなのに、こうしてふと思い出した時、大切な何かを失った時のような息苦しさを、胸の奥に感じたりする。多分、似合わないからと諦めたせいもあるのかもしれないが……



 どこで、俺は大人になったんだろう。


 いつ諦めて、捨ててしまったのかも分からない。先程ログが語ってくれたアリスは、まるで遠い昔にエルが失ってしまった、夢のような女の子だった。

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