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四章 第三のセキュリティー・エリア開幕(上)

 仮想空間のシミュレーション・システムには、強制的な目覚めを発動させ、意識を身体に戻す保護プログラムがされている。仮想空間内で受けた衝撃に対し、脳内で起こる生命の防衛反応が利用されている――らしい。


「人によっては、不意打ちで現実世界に戻る事もあるらしいよ」


 ホテルから出てしばらく、スウェンが歩きながらそう語った。怖い夢で目が覚めたり、現実世界で意識を手放してしまうのと同様で、精神力にも強く左右されるという。


「じゃあ、もし俺の身体が『外』にあるとしたら、死ぬぐらいの衝撃を受けたら戻れるって事でいいのかな」


 理屈でいけばそうなりそうだが、と考えながら、エルは適当に言葉を返した。


「う~ん、君は正規のルートから入っているわけではないし、とりあえず試さない方が懸命かもね。うん、君ってちょっと極端すぎて怖いかも」

「そう?」

「うん、結構な強者だと思う。素人にしては状況の飲み込みも早いし、精神的にタフなんじゃない?」


 スウェンは、行方不明者達が次々遺体となって発見されている件も解決しておらず、起こりうる結果も未知数なので、状況が分かるまで危険な賭けはしないようにとエルに説いた。彼らは、ここへ来る際に保険として二重の強制帰還プログラムが施されているらしい。


 ホテルの外の通りは、先程と打って変わって静まり返り、風も吹いていなかった。ログとセイジ、その後ろにスウェンが続き、その三人の後ろをエルが少し離れて歩いていた。クロエはバストンバッグの中から、辺りを物珍しそうに眺めている。


 エルは歩きながら、スウェンが語っていない憶測の一つについて想いを巡らせた。


 一体何の必要があって、マルクという科学者は人間を連れ去ったのだろう。連れて来られた人達は、どうなってしまったのだろうか?


 エルとしては、スウェン達から話を聞かされた時から、科学者であるマルクが、非人道的な実験を進めた可能性を頭の片隅に浮かべていた。失踪事件については、『仮想空間エリス』のバグも関わって、もしかしたら不意打ちのように巻き込まれた人間もいるのかもしれないけれど。


 それでも、やはり攫われた線が強いのだろうなぁ。


 聞いた話が冷静になった頭の中で、ぼんやりとそんな形を取っていた。しかし、理由も根拠もない直感的な感覚で、どうしてか、マルクが残虐な犯人だというイメージが付かないでもいる。


 よくは分からないけれど、どうにも、何かが引っ掛かる。



 まだハッキリとしない一番身近な疑問といえば、自分がバグというやつで巻き込まれたのか、連れ去られる予定であったのか、だろうか。



 スウェンの様子を見る限りでは、「可能性が高い方はこっちかな」という感じはあるのだが、実感も確証もない状況だから、普段のように、自分の気持ちにハッキリ整理が付けられないでいる。


 最初で最後の旅なのだ。ぼんやりしている暇はない。この時間だって貴重なわけで、早く心を決めて、いつもの自分達らしさに戻らなければならない。


 小さな鳴き声が聞こえて、エルはボストンバッグに目を向けた。クロエが脇腹に頭をすり寄せて来たので、らしくない俺でごめん、と心の中で謝りながらクロエの頭を撫でた。


 気のせいか、クロエの毛並みがどこか少しふっくらしたようにも感じた。仮想空間でも調子が良さそうだと、エルは少し前向きになれた。考え方を、もっとシンプルに変えれば、もしかしたら……?


「そういえば、支柱っていうのは、どうやって探すの?」


 考えが行き詰って来たので、エルは一先ず思考を切り替え、近い距離にいたスウェンの背中に尋ねた。彼が肩越しに振り返り、「『外』に協力してもらってるよ」と言った。


「場所を特定してもらって、伝えてもらうんだよ。仮想空間内の見取り図は地形しか出て来ないんだけど、自分達の現在地から支柱までの距離を見て、探す的を絞るという感じかな。――あ、そろそろ次のセキュリティー・エリアに入るよ」

「は……?」


 そうなんだ、と答えようとしていたエルは、スウェンの掛け声と同時に、不意に身体が浮くような感覚を覚えて「え」と声を上げた。


 途端に風が強く巻き起こり、服や髪を躍らせた。様々な色のついた光りが。水の中の気泡のように激しく視界を飛び交い、同時に脳が激しく揺さぶられるような衝撃を受けた。エルは、思わず身をかばい、眩しさに目を瞑った。


 数秒も掛からず、唐突に風が止んだ。


 世界の色や空気が唐突に変化し、急降下と急上昇した後のように一瞬、頭の奥がグラリとする。エルは、「一体何なんだ」とぼやきながら、辺りを窺うべく、そろりと目を開けた。


 目を開けてすぐ、鼻先に舞い落ちる桃色の紙吹雪に気付いて、エルは目を丸くした。


              ※※※


 第三のセキュリティー・エリアは、どこもかしこも人で溢れ返っていた。人々の賑わいや歓声が、楽しさと熱気を伝えて耳に飛び込んで来た。


 西洋風の通路やカラフルな小振りの建物が広がり、舞い上がる風船や紙吹雪、様々な仮装と衣装の色鮮やかさが世界を染め上げている。通行人の中には、仮装の姫や騎士、ピエロ、魔法使い、王など、多くの仮装人が入り混じっていた。


 どうやら、ファンタジーをコンセプトとした遊園地のようだ、とエルは理解した。エキストラは全て日本人だった。


 観覧車や魔法の城、お菓子の家や氷の館にジェットコースター、世界感を演出する色鮮やかな小さな建物が坂の上まで続いている。仮装人やマスコットが、入園者と同じぐらい大勢出歩いており、子供や大人達が時折足を止めては、声を掛けたり写真を撮ったりしていた。


 立ち止まる四人の頭上には、『幸せランドへようこそ!』と書かれた横断幕があった。幸せはここにあったよ、帰らなくてもきっと楽しい、といったフレーズの曲がどこからか流れている。



 空は澄んだ青で、温度のない日差しが、遊園地全土に降り注いでいた。けれど、エルは物珍しさよりも、慣れない人の多さにたじろいだ。



 クロエがボストンバッグに身を潜り込ませ、ログが「人混みかよ」と嫌悪感を露わに通りの人々を睨んだ。スウェンが「ふむ」と特に変化なく景色を目に止め、セイジが、困ったように首を傾げる。


 立ち尽くす四人の姿は目立っていたが、気にとめる通行人は一人としていなかった。仮想空間は、所詮ただのシミュレーション・システムなので、設定されていない行動を起こすエキストラは、ここにはいないのだろう。


「次は遊園地か」


 訝しげに辺りを窺ったログが、そう唇を尖らせた。


 四人が到着した通りの場所は、遊園地のメイン・ゲートのようだった。ゲートから頂上へ向けて、ゆったりとカーブを描く坂道が伸びており、それに沿って一階建ての店や施設が立ち並んでいた。


 丘に設けられたような遊園地には、メイン通りの他にも道が細く別れており、色鮮やかで形も大きさも違う多くの建物が乱れ建っていた。まるで、一つのファンタジーの世界を凝縮させたように、大通りの他は法則性もなく敷き詰められている。


「さっき一休憩しているし、ちゃちゃっと任務を終わらせてしまおうか」


 スウェンが提案して歩き出したので、一同はその後をついて歩き出した。


 自分の身は自分で守る、絶対に足手まといにならない。そう心の中で唱えながら、エルはスウェン達の後ろに続いた。何が起こるかは未知数なので、警戒するに越した事はないと気を引き締めて、辺りを窺った。


 目に止まる人々は、家族連れや恋人が多く、皆とても楽しそうだった。仮想空間内の登場人物とは思えないほど、彼らの顔に浮かぶ表情は暖かい。声に同一性はなく、それぞれきちんとキャラ設定でもあるのか、人間としての個性も感じた。


 先程のホテルとは違い、地面に敷かれた柔らかいタイルの感触も、鼻先にかすめる様々な食べ物や香水の匂いも、日差しに照らされた建物が熱を持った時の独特の匂いも五感に伝わって来て、エルは、現実世界と錯覚しそうになった。


 唯一の欠点とするならば、太陽の日差しの再現までは出来ていない事ぐらいだろうか。それでも、先程のセキュリティー・エリアに比べると、再現がよりリアルさを増しているような気がする。


 もしかして、エリアによっては、現実感が強くなったりするのか……?


 そう訝しんだエルは、アイスクリーム・ショップの前にいる母子に目が止まり、思案を中断した。


 トリプルのコーンアイスを頼んだ六歳ほどの男の子が、一番上に乗せていたはずのアイスを地面に落として泣いていた。がやがやと賑やかな騒音の中で、まるで世界が終わるような悲しみの声が、エルの耳にこびりついた。


 母親が困った顔で男の子を慰めていると、近くを通った兎の着グルミが、男の子に風船を渡して気をそらせ始めた。アイスクリーム・ショップの店主が、あっという間に新しいアイスを乗せて母親に渡す。男の子はアイスクリームが元に戻った事を喜び、彼らは一同に笑顔を浮かべた……


 途端に、エルがこの世界に抱いた現実感は薄らいでいった。


 まるで子供が思い描いたような幸せな世界に、息苦しさを覚えた。こんな事が現実に溢れている訳がないのに、この世界では、それこそが正しいとばかりに誰もが行動している。


 ああ、なんて残酷なんだろう。これはまるで、ただの夢物語だ。


 親を失って泣き叫ぶ子供も、人混みに苛立つ大人も、休憩所を探して重い足を引きずる人間も、この幸せランドにはいないのだと――エルは、三番目のセキュリティー・エリアの世界設定を、正しく悟れたような気がした。



 失った物は決して取り戻せないし、泣き叫んでも助けが来ない事をエルは知っているからこそ、この世界が偽物なのだと強烈に痛感した。泣いて求めても、それはこの手に戻って来てはくれないのだと知った時から、エルは、求める事をやめたのだ。



 腹の底がきゅうっと締まるような、懐かしさと苦しさに自然と歩みが遅れた。


 母子の姿を目で追っていたのは、ほんの十数秒の事だったが、擦れ違う人と肩がぶつかって初めて、エルは、前にいたはずのスウェン達の姿が見えない事に気付いた。咄嗟に辺りに目を走らせたが、大きな三人の異国人の組み合わせは見付からなかった。


「…………これって、アレか」


 どうやら、はぐれてしまったらしい。


 エルは、少し遅れて自分の状況を把握した。遊園地を楽しんでいるのは、どれも平均的な日本人ばかりなので、少し先まで探せば、頭一個分飛び出た男達を見つける事は容易に違いない。


 そもそも、家族や恋人連ればかりの遊園地で、あの三人は場違いな存在感を放っているから余計に目立つだろう。エルは自分にそう言い聞かせて、とりあえず自力でどうにかする事にした。


 人の通りがあまりにも多いため、クロエはボストンバッグに身を潜めてしまっていた。仮眠を取っている可能性もあるので、邪魔をしたくないとも思う。



 クロエが寝ている時は少しだけ心細いが、エルは我儘を言わず、ひとまず坂の上を目指して歩き出した。



 歩く坂道は、進むごとに傾斜を増していった。人の波に押されないよう注意しながら、場違いな三人の外国人の姿がないか辺りを見回したが、歩く大人達も着ぐるみもエルより背丈があり、視界は良好とはいえなかった。


 畜生、自分の身長が憎い……ッ


 一度足を止め、つま先立ちで坂の上を眺めやったエルは、ふと、名前を呼ばれたような気がして振り返った。


 人混みの中に見知った顔はない。そう確認したところで、呼ばれた名前が『エル』でなかった事と、か細い声が聞こえるほど辺りが静かでもない事実に気付き、エルは、不意に込み上げた恐怖に身を強張らせた。



 呼び掛けられたその名は、育て親であるオジサンしか知らない、エルが永遠に失ってしまった本当の名前だった。

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