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二十章 戦士と科学者~私が愛した世界~(4)

 地下から抜け出したエル達を待っていたのは、春の吹雪のような景色だった。


 ログの脇に抱えられたエルは、機械がハラハラと崩壊しながら、一枚一枚が花弁のように宙を漂い、灰となっては消えていく光景に見惚れて泣き止んだ。眼前に広がる景色を、ただ素直に「綺麗だ」と思った。


 エルは、冷静になって鼻を啜ったところで、ようやく、『エリスプログラム』の破壊が既に終わっているという事実に気付いた。



 そうか、彼らの任務は、もう終わったのか。


 長くて短いようだった旅の終わりには、相応しい光景のようにも感じた。なんとも思わない様子で、フロアをむっつりと歩き続けるログが不思議でならないぐらいに、これまでの支柱と比べ物にならない量の白い灰が美しい。



 そっと手を伸ばしてみたが、それは触れるよりも早く消えてしまう。まるで幻みたいだなと、エルは、そんな感想を抱いた。自分を平気で抱えているログの腕の熱や、こうして一緒にいるマルクの存在感だけが本物だった。


 反対側の腕に抱えられていたマルクが、そんなエルからそっと視線をそらし、罰が悪そうに唇を尖らせて呟いた。


「……子供が、そんなに我慢をするものじゃない。少しぐらい我儘を口にして、泣きたい時は、泣けばいいのだ」

「……俺、二十歳になったんだ。もう、子供じゃないよ」

「……そうか、二十歳だったか。私はてっきり――」


 彼は言い掛けたが、エルの声色にまだ元気がないと察して、そのまま言葉を切った。日本人にしても幼過ぎないか、という感想を口にしようものなら、また泣き出されて怒られそうな気もした。


 女の子に泣かれるのは、特に苦手だ。


 マルクは、自分を必死に引き上げようとしてくれたエルを一目見て、女の子だとは分かっていた。多分、少女時代からエリスを見てきて、生まれた時からアリスのそばにいたせいだろう。彼はそう考えながら、別の言葉を探した。


「男の子であれば、子供ではないと言える年齢だろう。――だが女の子は、ゆっくり育っていけばいいのだ。そんなに早く大人になろうとしなくても、それぞれの成長速度で、大人になってしまうものなのだから」


 エリスがそうだった。

 いずれアリスも、自分達の庇護から巣立っていくのだろう。


 マルクが懐かしむように目を細めたのを、エルは、不思議そうに見つめた。



 ログは二人を抱えたまま、品もなく床を踏みしめながら無言で塔を出た。外にエリスの姿はなく、地面には大きな穴がいくつもあるばかりで、黒い鉄の茨も消えてしまっていた。



 破壊されつくした場所から、スウェンが「おぉ~い」と呼ぶ声が聞こえてきて、エルは、慌てて袖口で目尻に残る涙を拭った。ログの片腕は、まるで人間一人を抱えているとは思えないほど安定していて、その現状にも恥ずかしさを覚えて身をよじった。


「あの、もう下ろしていいよ。俺は大丈夫だし、歩けるから」

「もう平気なのか。泣き虫は」

「泣き虫じゃねぇよ! けど、その、……スウェン達には内緒にして欲しい、かも…………」


 誤魔化せるような言い訳も思い浮かばず、エルは唇をすぼめた。これまでずっと我慢してきたのに、寂しくて悲しい、と号泣した事を思い返すと羞恥が込み上げる。


「相変わらず、可愛くねぇな」


 ログは顰め面でそう言ったが、「まぁいい」とエルから視線をそらすと、独り言のようにこう続けた。


「安心しろ、言いふらすつもりはねぇよ。勿体ねぇだろ」


 勿体ないって何だ、弱味を握ったとかいう、アレか……?


 先程と違い、どこか機嫌が良いらしいログの腕から、すっと力が抜けたのを感じ、エルは、訝しみつつも彼の腕を抜け出して地面に降り立った。


 気になってマルクの身体の様子を確認してみると、足に関しては軽い骨折があるようだが、他は擦り傷や小さな切り傷で済んでいた。隣まで回り込んで来たエルを見て、マルクが途端に眉を顰めた。


「自分の身体の事は、私自身が一番良く知っている。少し歩けないだけであって、別に重症と分類されるような損傷はない。……まったく、君は実にお節介な子供だ」

「お前俺の話し聞いてたよね? さっき『二十歳なのか』って納得したんじゃなかったッ? だから、子供じゃないんだってば! 俺は夏に、ちゃんと二十歳になったの!」


 畜生、運転免許証でも見せてやろうかと、エルが悔しくなってそう主張すると、顔を顰めたマルクが、痛みのない方の腕を持ち上げて喧しそうに耳を塞いだ。


 すると、マルクを脇に抱えたログが、宙を見やって顎に手をやった。


「そういや、お前、二十歳なんだったか」

「なんだよ、文句でもあんの?」

「二十歳ならセーフだよな」

「何が?」


 エルは訊き返したが、ログはどこか思案するように「うっかりとはいえ、あの妄想も合法か?」「そうか、成人……」と口の中で言い、先程の気迫もすっかり抜けた仏頂面で、いまいちよく掴めないと訝しげに宙を見た。


 二十歳という年齢を信じてはもらっていないような気もしたが、反芻するという事は、もしかしたら「言われてみればそういう気もする」と理解しようとしてくれているのかもしれないとも感じて、エルは、怒りを解いた。


              ※※※


 合流して早々、スウェンは、ログの脇に抱えられたマルクに目を丸くしたが、どこか興味深そうに彼を窺い、途端に苦笑をこぼして「予想していたのと違うなぁ」とぼやいた。


「君が珍しく脇に抱えているから、そう見えるだけなのかな?」

「うるせぇ」


 放っとけ、とログが顔を顰めた。


 スウェンとセイジは擦り傷も目立ったが、大きな怪我はなかった。塔の外での戦いは徐々にハードになったようだが、『エリスプログラム』の破壊が完了すると同時に、全てが停止してくれたらしい。ホテルマンの衣服にも少しだけ擦り傷が入っていた。


 ホテルマンは、疲れているのか、気が抜けているのか、珍しく場の空気を読んだように一歩引いてスウェン達を眺め、エルに駆け寄ろうとするクロエを抱き上げて、「もう少しだけお待ち下さい」とクロエに声を掛けた。


 スウェンは、後方のホテルマンをちらりと確認し、それから集った顔ぶれを満足げに見渡した。


「全員無事で何よりだね。先に確認しておきたいのだけれど、君が『マルク・シーウェル』で間違いないかい?」

「そうだ」

「この子を知ってる?」


 探りを入れていると悟られない言い方で、スウェンはエルを指した。一同が見守る中、ログの脇に抱えられたままのマルクが、途端に鼻頭に皺を刻む。



「先程も本人から同じ質問をされたが、私は、彼女とは初対面だ」



 ふうん、とスウェンは何食わぬ顔で考察を進めた。


「僕らの事は知っているよね?」

「見覚えはある。……まるで夢を見ていたような映像の断片で、自信はないが」


 お前達は私を車で追い駆けなかったか、とマルクが訝しげに尋ねた。その辺の事情が分からないエルは、自分よりも随分と高い位置にある男達の顔を窺ってみたが、涼しげな表情から推測するのは難しかった。


 スウェンは「そうだね」と、落ち着いた声色でどちらとも取れない言葉を口にし、明確な回答をするりとかわして、マルクに尋ね返した。


「自信がないというのは、どうしてだい?」

「この大きい二人が、ショーン・ウエスターの診察を受けていただろう、その資料で名前と特徴は見た」

「なるほど。気のせいかもしれないし、その記憶が曖昧で覚えに確証がもてないから、そういうふうに答えたわけか。実に生真面目な科学者らしい意見だなぁ。――ところで君は、映画のように『片手ハンドルでピストルを窓の外に構えながら、時には片輪走行』まで出来る人間っていると思うかい?」

「お前達のような軍人の中には、いるんだろう?」


 実に信じ難いと言わんばかりに、マルクが顰め面を深めた。


 スウェンは、ログとマルクという二つの仏頂面が並ぶ光景に気付き、笑顔のまま沈黙した。意味もなくセイジとエルのきょとんとした表情を目に収め、ふぅっと息を吐き出してから、再びマルクへと視線を戻す。


「――だよね。君が、運動とスピード系がダメだとは報告を受けた」

「知っているのなら何故訊くのだ。人間、誰しも得意不得意はある。ショーン・ウエスターに運転させてみろ。もっと酷いぞ。制限速度以下でのんびり走らせるうえ、うっかりサイドブレーキを掛け忘れて、よく車を流すからな」

「…………」


 スウェンは、またしても返答に詰まって笑顔を固まらせた。戦場地でログを手術した技量は確かであり、生きている人間にメスを入れているとは思えないほど冷静な横顔が印象的だったのだが、自分の中で所長という人物像がおかしな方向に傾きかけているぞと察し、一旦思考を止めた。


 セイジが不思議そうに首を傾けて、「みな運転は苦手らしいな」と言った。


「ハイソンも、原付バイクを運転出来るようになるまで、数年かかったと言っていた」

「え、待って何それ。ハイソン君って、あの眼鏡の彼で間違いないよね? どん臭すぎないかいッ?」

「落ち着けよ、スウェン隊長。あの研究所の中には、自転車にも乗れねぇハイソンみたいのもいるが、ヘリの免許を持っている奴だっているんだぜ」


 スウェンの中の科学者像を知っているログは、「それぞれなんだろ」と口にした。


「同じ人間なんだ。酒豪もいれば下戸もいて、小食もいれば大食らいだっている」


 そりよりも、俺としてはこの男を降ろしたいんだが、とログはスウェンを半ば睨みつけた。何が面白くて男を抱え持ち続けなければならないんだ。今はこれぐらいで十分だろ、と、そろそろ我慢にも限界がある事を眉間の皺で訴える。


 それもそうか、とスウェンは察して頷き返した。ひとまずは、ちらりと過ぎっていた可能性が、かなり濃厚になったと分かっただけでいい。根拠があるのだから、気兼ねなく行動を起こせるだろう事を彼は予感した。


「そうだね。詳しい話は戻ってからにしよう」


 スウェンがようやく許可を出し、ログが大股で歩き出した。


 マルクは、ログにアリスの元まで運んでもらうと、彼女の隣で瓦礫を背もたれて腰を落ち着けた。彼は眠ったアリスの頬を曲げた指の背で撫で、彼女の心臓が動いている様子を確認して、そっと安堵の息をこぼした。



 スウェンとセイジとログの三人で、遂行された任務について手短に情報が交わされてすぐ、エルは、ようやくとばかりに走り出し、クロエを抱きしめて再会を喜んだ。ホテルマンが「私がきちんとお守りしましたからね!」と演技臭く自己主張してきたが、嬉しくて素直に「ありがとう」と心から答えた。



 上空は、既に黒一色に染まっていた。

 星も見えない、深い闇ばかりが世界を覆っている。


 引き込まれていた精神体が全て解放され、残された正常機能の主導権が人間側に奪還された為だ、とホテルマンは説明した。周囲から迫ってくる崩壊の足音は、先ほどよりも大きく速くなっている。


「まぁ、ギリギリーフ、というところでしょうか。『外』の人間が頑張ってくれたおかげで『出口』も繋がりましたが、まだ通信に不具合がありますから、脱出については私が誘導致しましょう。先に脱出経路を確かめてまいりますので、お客様達は、しばらく身体を休めてお待ち下さい」


 ホテルマンはそう言うと、疲労も見えない様子で一つ飛びで瓦礫を飛び越え、廃墟と化した高層ビル群の向こうへ消えていった。


 スウェンとセイジ、ログはようやく緊張が解けたのか、深い溜息をついてその場に座り込んだ。今更ながら、エルもどっと疲れが込み上げて、腕からクロエを下ろして腰を落ち着けた。


「結構しんどい任務だったな」

「私としても、随分長い旅だったように感じる」

「そうだねぇ。確かに働き過ぎだよね、僕らは」


 ようやく終わったのか、と男達がそれぞれ姿勢を楽に身体を休める傍ら、エルは、めくれたコンクリートに背中を預け、立てた膝の内側にクロエを乗せて、塔の中の様子や、出る際に綺麗だった光景について話し聞かせた。


 クロエはつぶらな瞳でエルを見つめ、相槌を打つように「にゃ」と鳴いた。不思議とクロエの毛並みには艶があり、そんなに食が進んだ訳でもないのに体重も増えているように感じた。


 一通り話し聞かせた後、エルは、両手でクロエを両手で持ち上げてみた。やはり少し重くなっている気がして、小首を傾げた。


「なんだかお前、若返ってるみたいだ」

「にゃ?」

「うーん、俺も分かんない。腕が疲れているから、そう感じるのかな?」


 不思議そうに頭を右へ傾けたクロエが、手を伸ばし、肉球でエルの頬に触れた。どうやら泣いた事を悟られたらしいと知って、エルは苦笑し「大丈夫だよ」と答えて視線をそらした。


 エルはその拍子に、何故かスウェンと目が合った。こちらを見ていたらしい彼は、言葉を発するタイミングを逃してしまったような顔をし、困ったように微笑んだ後、顔を正面に戻していった。何か言いたい事でもあったのだろうか、とエルとクロエは首を捻った。


 会話が途切れ、それぞれがしばらく『仮想空間エリス』の崩壊を聞いた。



「……こんな事になっていたとはな。ここは、とても美しい未来都市であったのに」



 改めて辺りの惨状を目に止めたマルクが、ぽつりと呟いた。


 そのタイミングで、クロエが膝の上から飛び降りて毛繕いを始めた。エルは、ホテルマンがまだ戻って来ないので、膝を抱き寄せて頬杖を付き、「どんな場所だったの?」と尋ねてみた。


 すると、スウェンも「僕も興味があるね」とマルクへ言葉を投げた。セイジとログの顔も自然とそちらへ向き、一同の視線を受け止めたマルクは、「そうだな」と、遠い昔を思い出すように目を細めた。


「誰もが幸せに暮らせるような、そんな都市風景だったように思う。公園や湖があり、林道も敷かれて空はどこまでも澄み渡り、夜になると一つの陰りも残さずに街頭に灯りがついて、――エリスが思い描き、設計した都市の光景を、私は、とても素敵な場所だと思った」

「資料はあまりないみたいだけど、映像や画像記録はないのかい?」


 以前起こった原因不明の事件で、処分でもされたのかとスウェンが訊くと、マルクは首を小さく左右に振った。


「残念ながら、当時の技術では映像を残すまでには至らなかった。設計図と、イメージ画像が残されていただろう。あれしかないのだ」

「頭の中で見ている光景を残すってのも、無理な話か」


 瓦礫に背を持たれたログが、頭の後ろに両手をやりながら「難しい事は分からねぇけどよ」と怪訝な顔でそう言った。セイジも苦笑して「私も難しい事は分からないな」と同意するように頷いた。


 その時、スウェンは気掛かりを思い起こして、そっと眉を寄せた。


 ホテルマはこれから脱出を誘導するらしいし、彼らは『宿主』を守るようなので、これで本当に終わりだという事は、つまり嫌な予感も全部、自分の取り越し苦労だったと考えていいのだろうか?


 つまり本当に、偶然が重なっただけなのか。――例えば、たまたまホテルマンを宿していたエルが巻き込まれ、人工知能が偶然にもエリスの姿を選び、マルクが何らかの接触方法で引き込まれ、仮想空間に本物の夢世界が紛れ込んでいた……


 そう順序立てて並べると、まるで運命が絶妙に『設計』されているような悪意も覚えるが、こちらの常識が通用しないのだから当然なのかもしれない、とスウェンは思い直した。


                ※


 エルは、もしあの時『この運命』を選び取らなかったとしたら、見る事もなかった光景なんだよなと、話すスウェン達の様子を感慨深く眺めていた。もしかしたら、この世界でスウェン達と出会えた事も、きっと、贅沢な奇跡の一つなのかもしれない。


 あの時、ログに助け出されたマルクを、電気ケーブルは追ってこなかった。つまりは、そういう事なのだ。運命の神様とやらは多分存在していて、マルクは、ここで死んでしまう運命ではなかったのだろう。


 生きていて良かったな、と思った。


 彼らに出会えて、少しの間だけでも共に過ごせて、良かった。

 彼になら、と、大事なものを預けられる決心も付いた。


 心残りはない。旅が終わったのだと思わされた彼らが、相変わらずな様子で気ままに話しているのを見ていると、今更になって少しだけ寂しくも感じるが、きっと、そんな悔いもすぐに色褪せてくれるだろう。



 別れる心構えも覚悟も、もうとっくに出来ているのだから。

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