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第八話「教育」

 ライザーに庇ってもらったが、自分も刺されたことはわかった。

 でも、自分が死ぬよりも、庇ってくれたライザーが死ぬ方が怖かったのはどうしてだろう。

 気がついたら、綺麗な星空の中にいた。

 あまりに綺麗で、今までの思考がどこかに行ってしまう。

 それくらいに綺麗で見惚れていると、ふと控えめな笑い声が聞こえてきて、そちらに顔を向けると中性的な黒髪の人がいた。

 男性にしては線が細すぎ、女性にしては声が低い、そんな人だ。

「あの……すいません、先客がいるとは思いませんでした」

「いや、良いんだ。こちらは初めての客人に驚いていたから。まさかここに人がやってくることができるなんて思いもしなかった。私はヨール。あなたは……シロ、だね?」

「はい」

 不思議と、その人の声は不快感を与えず、むしろ安心感を与える。

「ここは、どこ?」

 幼子のように問えばヨールは困ったように笑った。

「ここは……私の隠れ家のようなところだね。世界の狭間のようなところだよ」

 ヨールは笑みを深めた。

「わからなくてもいいよ。でも、私は世界のどこにでもいる。ただ、答えを返す術が無く、ぼんやりとそこにあるだけだけど」

「寂しくはないの?」

 まさか、とヨールは楽しそうに笑った。

「これほど楽しく嬉しいことは無いよ。可能性に満ちた世界のなんと美しく、なんと素晴らしいことか」

 通常の人が言ったら興醒めしそうだが、ヨールが言うと讃美歌のように聞こえるからシロには不思議でたまらなかった。

 ふと、何かを感じたようにヨールは宙を見ると苦笑した。

「もっと話していたいけど、時間切れだね。あっちにいる子が泣きそうになっているから」

「あっち?」

「ふふ……綺麗な赤毛の子だよ。白い竜のエルジアに伝えておくれ。私は今、とても幸せだと」


   * * *


 リーリアの乱終結から二日が経過したが、シロは目を覚まさなかった。

「ライザー、もう寝ないと」

 ミーティアに促され、彼はのろのろと自分の部屋に帰る。

「ライザーも、相当参っているな」

 ライザーがシロを庇いきれず彼女も刺されたと知った時、彼は今にも倒れそうな顔色で茫然と言ったのだ。

『私が……殺した? 庇いきれなかった?』

 すぐにアドラムが眠りの魔法をかけて眠らせ、彼に見張りが付くようになった。

 際限なく沈んでいく彼らにヘリオは言った。

「ミーティアが飲んでいたグラカムはダメなのか?」

「ダメだ、死ぬ」

 ミーティアにはっきり言われ彼はうなだれた。

「ボウズ、目を覚ますのを待つしかねえ。魔法で傷を治す方が体への負担が大きいんだぞ」

「マジで?」

 シュナイダーはうなずいた。

「魔法の治し方っていうのは、傷口の血を無理やり止めて、ばい菌や邪魔物をぶち殺して、場合によっては傷口を新しく作って組織や血管をくっつけてさあ治せ! って、体をこき使っているんだ」

 魔法で治して戦闘にすぐ復帰するのは、単に死にたくない、戦わなければ死ぬからだ。

「シロは戦闘で体力と魔力を使い果たして、そこをざっくりやられて魔法の治療だ。もうちょい待ってやれ」

 ヘリオはライザーの部屋に目を向けた。

 あれ以来、ライザーの治りが目に見えて遅くなったと医者がぼやいていたし、白髪もちらほらと見え始めている。

「けほっ、けほっ……ぅ……」

「シロ?」

 ぼんやりと焦点の合わない黒曜がさまよい、ミーティアに向けられた。

「戦局は……ライザーは?」

「戦いは、ミノシヤの勝利だ。ライザーは隣の部屋で寝たところだ」

 今は休みなさいという言葉にぼんやりとした様子で力無くうなずき、彼女は再び目を閉じてしまった。

 翌日、ライザーはいつものようにふらふらと布団を抜け出し、シロの傍に行った。

 そのままじっと待っていると黒曜の目が開き赤毛を捉えた。

「ライザー?」

「シロ!?」

 震える手で頬をなでられ、彼女は不思議そうな顔をした。

 ぼたぼたと涙が降ってはシーツにシミを作り、黒い目が不思議そうに瞬いた。

 一方、彼は言いたいことが山程あったはずなのに、すべて吹き飛んでしまい、出て来たのは涙だった。

 ぼろぼろと大粒の涙を零してしゃくり上げる彼にシロは回らぬ頭で考え、どうしようか、と枕元を見た。

 何か拭ける物が……あった。

 白くてふわふわしていて温かく、手触りがとても良い。だれの物かわからないけど、使わせてもらおう。

 少々重いのが気になるけれど、ある物は何でも使えが我が家の家訓だ。

「これで拭きなよ」

 ライザーは泣きながらその白いのを受け取り、涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭いた。

 しばらくそうして、ようやく涙が止まり彼はぐっしょりと濡れたそれに目を落として固まった。

「きゅう」

 小さい鳴き声と、どこか恨めしそうな緑の目……エルジアだった。

 後ろではいつの間にかやって来ていたシュナイダーとイェーガーが声を殺して笑い転げている。

 涙と鼻水に汚れた、己の毛皮の被害状況を確認したエルジアは涙目でのそのそとライザーの傍を離れ、自身を水の球で包み丸洗いした。

「ごめんなさい」

 素直に謝る二人に、彼はまったく、と鳴いた。

「あ、エルジア様に言伝が」

「きゅ?」

「ヨールという人が『私は今、とても幸せだ』と」

 緑の目が限界まで丸くなった。

「一人で寂しくないのかと聞いたら、そんなことは無い、可能性に満ちた世界の、なんと美しく素晴らしいことかって、とても嬉しそうで、楽しそうでした」

「きゅう……きゅ!」

 ぽん、と音を立てて彼は何かが入った小瓶を差し出した。

「これは……香油?」

「きゅう」

「シルリアの香りですね……いい香り……」

「きゅう!」

 仄かに漂う優しい花の香りに眠りを誘われたのか、シロは枕元にそれを置くとすぐに眠ってしまい、ライザーも布団に入らぬままにその場で丸くなるようにして目を閉じてしまった。

 イェーガーはライザーの部屋から布団を持ってくるとシロの隣に敷いてやり、彼を寝かせてやる。

 シルリアの香油とは、またとてつもない大盤振る舞いだと思う。

 高い癒しの力で知られているが、花の栽培から加工まですべてエルジア自身と神造騎士団が行っており、まだ人の手では作れないのだ。

 数日後、二人は体力を戻すためにあちこちをゆっくり散歩したり、軽くじゃれ合ったりして過ごしていた。

 仲良く散歩をする二人を見下ろし、ディアルガとミーティアはそれをしばらく見ていた。

「そっちの意味でのシロの教育は良いのか?」

 ディアルガはくす、と笑んだ。

「シロちゃんは大丈夫よ。ちゃんとお婿さん候補がいるじゃない。そう遠くない内に孫の顔が見られるんじゃないかしら?」

 ミーティアは唸った。

「そんなことより、シロちゃんの衣装ケースを見たけど、なにあれ?」

 ディアルガはシロが寝ている時、掃除や洗濯を行っていたのだが、しまう時に見た物が問題だった。

 ミーティアのお下がり、作業着の山。礼服と下着を除いて女の子らしい服が一着も無かった。

 ぎろ、と翡翠の目がミーティアに向けられた。

「私は、シロちゃんが女の子らしい格好もできるようにとあなたに色々と教え込んだつもりよ。ええ、確かにあの子はお化粧も所作もできるようになっていたわ。でも、それは仕事よね? 日常はどこに行ったの?」

「さ、さあ」

「さあ、じゃありません! このままじゃあの子は一生女の子らしい格好や生活をしないまま結婚よ。どんな教育をしていたの?」

 詰問されミーティアは必死に過去を振り返った。

 ミノシヤに居ついたとき、男装を解くように言ったが「このままの方がいい」と言われ、気がついたらずっと作業着になっていた。

 自分が新しい服を買えば、シロは着なくなった服を抜き取り、自分で丈などを調節して着ていた。

 成長するに従い胸や尻が大きくなると、渋い顔をして財布の中身と相談し「衣類代が」と呻き、最終的には胸部を軽鎧で押さえて無理やり昔の服を着て、「胸が無いから動きやすい」と目を輝かせていた。

 十分な生活費を渡していたはずなのだがこれいかに。

 いや、思い出すのはこのようなことではない、その原因だ。

 いつだ、なぜシロはあのような姿をするようになったのだろうか。

「ミーティア、まさかとは思うけど、ここに流れ着いてからあなたシロちゃんに働くよう促したのかしら」

「いや、自主的に働き出した」

 ふうん、と彼女は眼下を軽蔑すら込めて睥睨した。

「ここって、衣食住揃った職場よね? 周りには働いている人がいっぱい。嫌味の一つも言われないとでも思ったのかしら」

 翡翠の目が凍え、ディアルガは続ける。

 外部から流れ着き、父親の方は名の知れた剣士でグリフォンにも乗れ、その強さで瞬く間にのし上がった。

 だが娘は? おもしろく思わない連中には格好の的だ。

「あの子は自分の身を守るために働いたのよ。それにあなた、旅に出た時あの子を男装させていたでしょ? 聞いてみればあれでシロちゃんを男と思ったっていう使用人や兵士が多いわ」

 女と露見すればなめられ、危険も増す。王家がその危険を更に増長してくれた。

「なめられないように、身を粉にして働いた。襲われないように、進んで護身術を身に着け、力をつけた。この城内でまともに彼女を守るような人間が一人でもいたのかしら」

「襲う奴はいても、守る奴はいなかったな」

 無論、襲ってきた奴は社会的に抹殺、物理的には半殺しにしたが。

 ふん、と彼女は鼻を鳴らす。

「職場選び、他よりはマシだけど完全に失敗したわね。ミノシヤの内政ほとんど彼女におんぶにだっこじゃない。今すぐにでもガルトフリートに連れて帰りたいくらいだわ。とんだブラック企業よ。ミノシヤは彼女を、ガルトフリート出身者を使い潰す気?」

 ミーティアは俯いた。

 それは思っていた。

 今のミノシヤの内情は異常だ。立ち去るべき時がとっくの昔に来ていたのかもしれない。ここはあまりに長く居過ぎたのだろう。

「そうだな。マガルトの騒ぎが終わったら、ガルトフリートに帰るか、シロと相談してみる」

「そうなさい。戦争とはいえ来て正解だったわ。シロちゃんの能力は希少だし、ライザーもあなたもまだまだ伸びる余地があるから、今からでも遅くない。来たらたっぷり扱いてあげるから覚悟しておきなさい」

 彼の唇が弧を描いた。

「ええ、よろしくお願いします」

 下では何も知らない二人が自然に笑い合い、のそのそとやって来たグラジオラスにもう戻るよう促されていた。


   * * *


 歩いて来た赤毛のグリフォンにシロは顔を輝かせ、彼の傷に触れないようにそっと首をなでた。

「ぐーちゃん、寝てなくていいの?」

 ぴい、と小さく鳴いて彼は建物を見る。

「ありがとう。お家に戻るから、ぐーちゃんもお大事に」

 グラジオラスに促された二人はゆっくりと歩いて部屋に戻る。

「グリフォンの言葉がわかるのか?」

「うん。飛竜はダメだけど、グリフォンならわかるよ」

 みんな個性があってかわいいんだ、と言う彼女にライザーはそうなのか、と首を傾げた。

「伝書飛竜も、表情が豊かでかなりわかりやすかったな。ふふっ、私が幼い頃にかわいがっていた伝書飛竜はライガの茶菓子をよく狙っていた」

「ライガさんの?」

「ああ。うまいこと機会を作ってくすねて遊んで、見せつけるように食べていた。なんだかんだ言いながら、ライガはあの伝書飛竜をかわいがっていた」

 彼女はおかしそうに笑う。

「あのライガさんが……ちょっと、想像できない」

「だろう? ああ見えて、幼く無邪気な者には甘いんだ」

 和やかに会話していると、廊下の向こうからは沈んだ顔をしたジンライがとぼとぼと歩いていた。

「あ、兄さん」

「シデンは死にました」

 青菜に塩とばかりにしおれる彼にシロは憐みの目を向ける。

「ライザー」

「シロ、甘やかしてはダメだ」

 取り付く島もない。

「立ち話しもなんだし、中に入ろうよ」

「うむ」

 部屋の中に入り、ライザーは静かに問うた。

「ジンライ殿、職務はどうなされた」

「やってきました。それで、いつ頃ヒノモトに戻るのか決めるのに手間取りまして」

 ライザーは片眉を上げた。

「ならば、行くべきはギボウシ殿かヒノモトの民の所でしょう。私とシロにその権限はありません」

 コツコツと窓が小突かれ視線を向けると、伝書飛竜が手紙を携えていたのでシロは窓を開けてやった。

「お疲れ様、ありがとう。お茶やクッキーはどう?」

 喜ぶ様子の伝書飛竜にシロは快くクッキーとお茶を出してやり、手紙に目を通して軽くライザーの服を引いた。

「ライガさんから手紙なんだけど……こっちである程度国を立て直すから、それまで坊ちゃんを預かってくれって……ねえ、彼、戻しても大丈夫なの?」

 ライザーはわざとらしい笑みを作った。

 雲行きが怪しくなったのを察したのか、伝書飛竜はお礼のように一声鳴くとそそくさと飛び去った。

「問題ない。最初こそ職務を部下に丸投げした馬鹿殿呼ばわりされライガを頭にしようとする動きがあるだろうが、ライガはこいつを立てるだろう。後はライガが心酔し感動のあまりむせび泣く程にこいつが賢くなり馬車馬のごとく働けるか否かだ」

 できなければ放逐されるだろう。

 彼女がジンライに目を向けると、彼は小さく首を振った。

「に……ライザー殿、ライガが泣くとは思えないのですが」

 むしろ、喜んで仕事を追加しそうだとシロは思った。

「だろうな。だが、昔はよく泣いていたぞ。やっと書類や障子にイタズラをするのを止めてくれたとか、おねしょの隠蔽工作を手伝わされなくなったとか、大人しく机についてくれるようになったとか……」

「やめてくださいよそういうの! それに先程から扱いが酷くありませんか?」

 星眼が煌めき、彼の口が三日月に割れて滴るような何かを纏った言葉が静かに紡がれる。

「戦闘用奴隷に叩き落とされてからというもの、私の仕事の三分の二はあなたの尻拭いだったので、つい」

「尻拭い?」

 ジンライは何があったのかと考えたが、思い当たる前にライザーはまったく笑っていない眼のまま告げた。

「他の奴隷には学が無く、私に役目が来たのですよ。他国の女間者に引っかかり入れ込み、重要文書の持ち出しを許した際はその女を始末して文書を戻し、しばらく寒気のするような手紙を書き続けなければならなかった」

「ぐっ」

 ジンライの脳裏に苦い思い出がまざまざと現れる。

 手紙を受け取り次の逢瀬を心待ちにしていたら、逢瀬の連絡が入り、下心満載で意気揚々と約束の部屋に入れば、待っていたのは美女ではなく鬼の形相をしたライガだった。

『お待ちしておりましたぞ……この、大たわけ!!』

 文字通り雷は落とされるし、鉄拳をくらって幼少時以来のたんこぶを拵える羽目になるし、散々だった。

「何が楽しくて男と恋文を交わさねばならんのかと」

 しかもそのためだけに娼婦と繋ぎを取り、文面を相談しなければならないという……その時の情けなさといったら!

 ジンライのこめかみに冷や汗が流れ、ライザーはにこやかに話す。

「あなたがお忍びごっこをする度に目的地とその周辺の血生臭い掃除をしなければならなかった。いや、懐かしいですね。いかに周りを汚さないように暗殺し、掃除の必要性を最小限にして効率良く死体を運び出して消すかなどに頭を悩ませる毎日でした」

 シロの目が段々と冷えていく。

「ああ、悪友殿と下らんことで張り合い見栄を張った結果、私に野熊猫の毛皮を取って来いという命令が下りましてねえ……」

 ガルトフリートの派出所に事情を説明して頭を下げ、本土での狩猟を認められたものの、やはり軍資金も無くまともな装備や食事を与えられず放り出され……地上に比べて薄い大気と厳しい寒さに体力を奪われ、それでも仕事だからと狩りに行けば、危うく狩られるところだった。

 あのまま死んでいればどれ程良かったかと何度思ったことか。

「イェーガーと知り合えたのが不幸中の幸いでした。ああ、ミノシヤに賢い女がいて嫁か妾にしたいから見て来いという命令には感謝していますよ。また死にかけましたが」

 白い手がそっと彼の肩をなでた。

「ガルトフリート一の危険害獣相手によく生き残ったね。今は私が上司になっているけど、馬鹿殿にならないようにするよ」

 ジンライの顔色は悪くなる一方で、シロの纏う空気も氷点下に落ちた。

「ジンライ殿、私、以前からライザーの前の主に言ってやりたいことと、やってやりたいことがありました……良いでしょうか?」

「な、なんだ?」

 では、と彼女は立ち上がり重傷を負っているとは思えない機敏な動きでジンライの胸倉をつかみ力一杯頬を殴った。

「このクソ野郎! 人を、臣下を何だと思っているんだ!? あたしがライザーを拾った時、あいつは骨と皮しか無かったんだぞ、おまえの所じゃ部下を使い潰してぶち殺すのが当たり前か、答えろ!!」

 彼女の怒声は廊下まで響き、通りかかったベルンとクランツは何事かと目を向け、アドラムはさもありなんと呆れた顔をした。

 何も言えないジンライをドアの外へと叩き出し、彼女は吐き捨てる。

「自分で殺しかけておいてよく甘えられるな。その腐った性根と体制を叩き直し終えた上で謝罪しない限り、二度とライザーを兄と呼ぶな」

 ばん、と乱暴にドアが閉められ、彼はへたり込んだまま殴られた頬を押さえた。

「通行の邪魔だ、さっさと立ちな」

 アドラムは心底めんどくさそうに言う。

「アドラム様……もう少し言い方を……」

「自分の命令で生き別れの兄をぶち殺しかけておきながら、その兄ちゃんに甘えるのが一国の王子のやる事とは思えんがね。せいぜい裕福な家で育った甘ったれのお坊ちゃんだ」

 シロがどれ程ライザーを大事にしていたか。

 気絶している彼を運んでいる時、「ダイエットしてとは言わないから、早く起きて」と頼んでいた彼女はどことなく嬉しそうでもあったが、最初が骨と皮なら納得だ。

「ベルン、おまえがクランツを大事にするように、シロはライザーを大事にしているんだ。だから、シロはライザーを殺しかけ、傷つけようとするこの坊ちゃんを絶対に許しはしない。今回のだって打ち首覚悟だ」

 静かになったドアの向こうでは、シロは開いた傷の痛みに呻いて蹲っていた。

 魔法で塞がったのは心臓を含む胸の傷だけで、他は深いのも浅いのもすべて縫われて塞がっていたのだ。

「シロ、傷を見せろ……ああ、こんなに開いて……あのバカは、完治した後に全力で殴ってやればよかったんだ」

 通る針と糸の痛みに彼女は身を震わせ、消毒を終える頃にはぐったりとしていた。

「それでも、本気で腹が立ったんだよ」

 かた、と薬箱が片付けられ、彼はそっとシロの頭を抱いた。

「ありがとう……人の事を言えないが、自分の身を大事にしてくれ」

「うん」


   * * *


 約束通りミーティアが女装し、すったもんだの末にようやくその期間を終えた頃、シロとライザーは夕食をどうするか話し合っていた。

「ミーティアが外で仕事したから、酢の物を入れようか」

「魚を焼くから、みそ汁をつけてくれ」

 シロの目が期待に輝いた。

「みそ汁の具は何がいい?」

「ネギ」

 夕飯前の夕暮時、中庭に七輪が置かれ、ライザーは釣って来た魚を炭火でじっくりと焼いていた。

 もうしばらく待てば、おいしく焼き上がる。

「……ジンライ殿、魚はまだ焼けませんぞ」

「いえ、少し話を」

「焼けるまでなら聞きましょう」

 ジンライはぽつぽつと話し始めた。

 いきなり兄のシデンがいなくなり、周りの大人たちが笑っていたこと、何をやってもつまらなくなったこと……ライガが隠れて泣いていたこと。

 ライザーは黙って魚をひっくり返した。

「ライザー殿が羨ましいです」

「む?」

「いつも隣にだれかがいて、共に笑っている」

「ふむ、たしかにシロはよく笑う」

 自分が彼女に甘えるばかりだったが、最近は彼女が不器用に甘えてきてくれている。嬉しい限りだ。

「ライザー殿は、シロ殿を好いているので?」

 ライザーは改めて考えた。

 シロが、他の男のものになるとしたら? 考えるだけで仄暗い独占欲が首をもたげる。

「好き……なのだろうな」

「なら……」

「だが、これは依存と紙一重だ。いや、まだ判別がつかん。手出しは無用だ」

 これが依存なら、お互いに不幸になる。

 だが、彼女の傍は心地良く、もっと欲しくなる一方、それを失くして自分は生きていけるのだろうかと不安になる。

「……ふむ、焼けたな。私としたことが、うっかり多く焼いてしまった。これはあなたが食べると良い」


 夕食を片付け、寝るだけになった二人はシルリアの香りに導かれるようにしてまどろみ……そのまま寝てしまった。

 帰って来たミーティアはしょうがない、と苦笑し二人に布団をかけてやる。

 大きな子供が二人に増えたようだが、それもいいだろう。

 翌朝、ライザーはぼんやりと目を覚ました。

 ふあ、とあくびをして己の顔に触れる温かくて柔らかい何かに手をやるが、どうしても眠気の方が勝る。

 大きく息を吸えば、甘いような、優しいような、良い匂いがする。

 これは何だろう?

 その温かくて柔らかい何かに手をやり、触れればその形と柔らかさに心当たりがあった。

 ……人間の乳房?

 ――だれの?

 まさかとは思うが、シロの願いが叶って、ミーティアが巨乳にでもなったのだろうか。それにしては成長が速いしミーティアが騒いでない。諦めて高性能な偽乳の開発でもやっていたのだろうか。

 手を置いたままぼんやりしていると、シロの笑い声が聞こえた。

 シロの声だ……ん? シロ?

 彼の頭が覚醒するのと、寝ぼけたシロが胸のくすぐったさに彼の頭を抱き込むのはほぼ同時であった。

「ぐーちゃん……ふふ……」

 朝食を用意したミーティアが呆れ顔になるまで後三〇分の事であった。


「良かったな、青少年。そうあることじゃないぞ」

「ほっといてください」

 アドラムはにやにやと笑い、ライザーは耳まで赤くしながら木刀を素振りする。

 一方、シロは村へと買い出しに出ていた。

 戦争の傷もかなり癒えたとはいえ、人は少ない。

「ええと、椿油に美容液……」

「女を磨くの?」

 ディアルガも艶やかに笑い、彼女も笑う。

「私も使いますが、これはミーティアとライザーも使うんですよ」

「あの二人が?」

 翡翠が丸くなり、彼女は深々とうなずいた。

「朝気づいたんですけど、ミーティアの髪は痛んでいるし、ライザーに至っては肌も唇もカサカサ。早く手入れしないと手遅れになっちゃう」

「あの二人が羨ましいわ。シロちゃんの全身エステを受けているなんて」

「ディアルガさんにもやりましょうか?」

「じゃあ、私もシロちゃんにやってあげるわ。まずは見学させてちょうだい」

 そうして夜、風呂から上がったライザーは美容液を手にしているシロとディアルガに大人しく傷だらけの肌を出した。

「いつもありがとう」

 美容液をたっぷりと塗られ、二人がかりで揉み解されて彼は幸せそうに枕に顔を埋めた。

 その間、シロとディアルガは筋肉の付き方や今後の鍛錬とそのサポートの方針を話し合う。

 こうして、ライザーとミーティアは見違える程に、それこそ並の女性では相手にならないくらいには綺麗になっていった。

 そんなのが続いたある日のこと。

 ミーティアとライザーが浮かない顔をして職場や村から帰って来た。

「二人ともどうしたの?」

「村を歩いていたら、見知らぬ女に男のクセに生意気だと言われた」

 ライザーは何もしていないのに、何が生意気なのかと理解に苦しんでいるようだ。

「私は、いつも通りにしているのに女性に間違えられること数回なんだが……髪を切った方が良いのだろうか?」

 ミーティアはまさか自分がわからないだけで巨乳にされたのかと青い顔をしている。

 とりあえず、シロは髪を切るのを却下した。

「醜い嫉妬に見る眼が無いのが溢れているのね。でも、磨くのをやめる気はないわ。ディアルガさんと約束したし、つまらない嫉妬をする余地すら消してやるんだから」

 それじゃあ、と彼女はディアルガに肩をつかまれた。

「あれ?」

「シロちゃんも磨かないとね」

 首根っこつかまれた子飛竜のように、シロは自室へと連行されてしまった。

「もう、若いのは一瞬なのよ? シロちゃんもオシャレなさい」

「いえ、普段から仕事で、仕事の邪魔に……」

「仕事はいいから、これを着なさい」

 あっという間に常の作業着から娘らしい服へと着替えさせられ、彼女は所在なさげに立っていた。

「あとは、お化粧ね」

「お化粧も?」

「当然よ。はいじっとして」

 長くなった髪を結い化粧を施され、彼女は鏡を見せられる。

「せっかく守ってくれる人ができたんだから、もういいんじゃないの?」

 言われ、シロはうなずいて立ち上がった。

「ありがとう、ディアルガさん。ライザーと村を散歩してきます!」

「ええ、楽しんでらっしゃい」

 部屋から出てきたシロを見て、ライザーとミーティアは目を丸くした。

「ライザー、お散歩行こう!」

「あ……ああ!」

 シロに手を引かれる形で始まったが、やがて彼は自分で彼女に歩調を合わせて出て行った。

「ディアルガ殿、ありがとう」

「どういたしまして」

 ミーティアはディアルガに茶を出しつつ言った。

「あんなに幸せそうに笑うなら、こんな事なら、ライザーを拾った時点でガルトフリートに転がり込めばよかった」

「たら、れば、はいくらでも言えるわ。冬を越して、大輪の花を咲かせると信じましょう」


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