第五話「人材調達」
ヒルド王国。
北方を険しい山岳、西と南を海に守られた緑豊かな国である。
北からの冷たい山風の吹き下ろしと海からの風で気温は低く、避暑に訪れる他国の貴族も少なくはない。その冷涼な大地を守る兵士たちは精強で我慢強く、北の大国ルドベキア、東のヒノモトと過去何度も剣を交えその牙は研がれていた。
だが、それも頭が良ければこそだとヒルド王国の大公、ボルデウスは思う。
「旦那様、またリーリア様が……」
また、というのは人間遊びの事だ。
これで一体何回目で、他の貴族から恨みを買うのは何回目だろう、とボルデウスはため息を吐いた。
お目付けもまるで機能しないとは。
「ハマギク、今度はどんなことに?」
「ピーネ伯爵家が奴隷に落とされました」
もう救いようがない。
「リーリアは破壊工作の天才だな。もう足の腱を切り、喉を潰した方が良いかもしれん。……準備を」
「かしこまりました。旦那様、もう一件ございます」
「話せ」
「ミノシヤのシロと、最近その右腕になったライザー、ガルトフリートの魔神が入国し、ここヒルデスに到着したとのこと」
ボルデウスの眉根が寄った。
シロに関しては賢いのか馬鹿なのかわからない。
ミノシヤ城にて宰相のような事をやっていたかと思えば小間使いや兵士、王女や王子の遊び相手まで務めている。
今どのような役職についているのか皆目見当がつかない。
無職というのはまずあり得ない。
宰相の職で国を離れるのは無謀が過ぎるが、あの国ならやりかねない。宰相職にあるはずのギボウシの、あの煮ても焼いても食えそうにない仮面じみた笑みが脳裏の五割を占拠する。
奴なら、やりかねない。絶対やる。
「シロから目を離すな」
「かしこまりました」
使用人らしく一礼し去るが、その身にはまるで隙は無かった。
* * *
三人は宿を取り、これからの行動を話し合った。
「まず、戦利品を売り飛ばしてお金にします。あ、ライザーの慰謝料は当然ライザーの物だからね」
「うむ。アドラム殿が教えてくれたが、私の物はガルトフリートが高く買ってくれるというからそっちに売ることになった」
「任せろ」
シロはうなずき、続けた。
「次にこの国の奴隷を見て良い子がいたら買って、その後ガルトフリートでみっちり教育してもらうわ」
「なぜにうちで?」
「恥ずかしい事だけど、ミノシヤには能吏が少なすぎるのよ。ガルトフリート並の教育機関も無いし、育てるのを外注するしかないの」
がっくりと肩を落とし彼女は言う。
「それに、国防のためでもあるの。今は魔獣の被害でどこも手が一杯だけど、その内余裕が出てきたら絶対空白地の取り合いになって、調子づいたリアトリス辺りがこっちに攻め入ってくるわ。その時のために後方支援を任せられる人材も欲しいの」
宮仕えをしてくれなくても良い、民の中に入って穏やかに暮らしてくれるのも構わない。
アドラムは首を傾げた。
「シロは富国強兵を目指しているのか?」
「できたらいいわ。でも違う。私が目指しているのは、自分の足で立ち、考え、行動できる、頭が馬鹿でもやっていける強い民よ。民が強くて賢いなら、上が馬鹿でもやっていける。王は民無くして王を名乗れないけど、民はそこに住むだけで民を名乗れる。民が数十年の間に知恵と力をつけて平和に暮らす。それこそが私の勝利だもの。私はこの件に関して勝利以外はいらない」
「ヘリオとリチアのことはいいのか?」
ライザーに静かに燃える黒曜が向けられた。
「公的なことでぶつかる時、私は手を緩めない。国王陛下にも、リチアもヘリオも、ミーティアにも約束したわ」
「奴隷契約の兵は士気も低いし使いにくいぞ」
シロは背筋が寒くなるような笑みを浮かべた。
「奴隷証明書なんていう物は焼き芋の火種にでもすればいいのよ」
衣食住は当面保障する。望むなら知識と技術も与える。その代り何らかの形で出資者となった国と民に尽せ。
そう言っているのだ。
「人材育成の件、いいぜ、どこまでやれるのか見てみたい」
「ありがとう。荷物持ちよろしく」
シロが二人を連れ、向かったのは質屋だ。
「買い物と、これらの買い取りをお願いしたいの」
店主の目がちらりとアドラムに向けられた。
「そちらの方はまずいのでは?」
「原則三人一組だろ? 大丈夫、代わりは呼んであるし、オレの仕事は荷物持ちと運搬だ」
場所はミノシヤ城に移る。
容赦なく照り付ける太陽の下、ヘリオはミーティアに剣の稽古をつけてもらっていた。
木刀同士がぶつかり合う甲高い音が続く中、とうとうヘリオの木刀が手から弾き飛ばされた。
「あっ」
気を取られるや否や、ミーティアの怒声が飛ぶ。
「敵が待ってくれると思うな!!」
ヘリオは悲鳴を上げて逃げ、頭をかち割るつもりかと疑いたくなるような木刀を何とか避ける。
転がるようにして逃げ回り、泥塗れになりながらもどうにか木刀を拾い再びミーティアの鋭い一撃を受ける。
それすらもミーティアの誘導とはまだ彼は気づいてもいない。
「まともに受けるな、受け流せ!」
「はいぃっ!」
情けない返事をするな!
稽古を終え、ヘリオは地面に転がった。
「兄さん、大丈夫?」
「地獄だった……マジで容赦ねえ……」
ぜいぜいと汗だくで息を切らす彼に対し、ミーティアはほとんど疲れを見せず桶に汲んでおいた冷たい井戸水を頭から被って気持ち良さそうに息を吐いた。
「ヘリオが望むからそうしたというのに」
「お、オレはシロより強くなりたいから……」
「シロはあの程度ではめげんし、ばてん。私に何度投げ飛ばされても向かって来るぞ」
自分から剣や護身術を学びに来て、こちらの動きを覚えたかと思うと罠を偽装し……あの執念は恐ろしいものがある。
投げ飛ばされることすら遊びの一種と思っているのか。
考えていると、漆黒の飛竜が空から舞い降りてきた。
「おや、アンギラ殿。今日はアドラム殿と一緒ではないのですね」
そうなのよ、と彼女の喉が低く鳴った。
そしてそっと彼女の頭がミーティアに伸ばされた。
意図を読みかねた彼は空色の美しい眼を見るが、やはり彼女が考えていることはわからず、迷った末におずおずと青空を映す毛皮に触れた。
あー、そうそう、それそれ……って、違う!
「ぐるる……」
もう! と彼女は叱るように恒星の目を見るが、彼は何もわかっていない様子で、あれ? と首を傾げる様はシロそっくりだ。
しょうがない、と彼女はきょとんとしている彼をそっと前足で包んだ。
「アンギラ殿?」
恒星の目をぱちくりさせる彼の顔は子供のようで、やはり何もわかっていない、と彼女は再認識した。
彼女はそのまま軽く鳴くとミーティアを連れ去ってしまった。
「ミーティア!?」
リチアは苦笑した。
「大丈夫よ、ミーティアだもの。それに今、たぶん『借りてくね』って言ったんじゃないかしら」
シロたちがいる質屋の前に、ガルトフリートの飛竜が降り立ち通りはやや騒がしくなった。
「代わりが到着した」
アンギラに押されるままに店に入ったミーティアは目を丸くした。
「シロ? ということは、ここは……ヒルデスか。速いな」
「店主、これで頭数はいいだろ?」
店主はうなずき、シロたちを店の地下へと案内した。
通されたのは裸の男女が詰められた奴隷小屋だった。
「どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
シロはにっこりと笑って言い、奴隷に目を移し、二人に小声で言った。
「二人とも、いいなって思った人がいたら言って」
ライザーは黙って、ミーティアは戸惑いつつもうなずいて見た。
三人は静かになっている小屋を見て、番号を書いていく。
「ご主人、私の方はこれで終わりです」
「へ? ああ、ありがとう」
ライザーはシロに紙を渡した。
どれも裏の世界でも名の通った大盗賊や兵士たちだ。
「終わったぞ」
ミーティアも紙を差し出した。
優秀過ぎたために嫉まれ放逐された文官や武官、民を思うが故に家を傾けて身を滅ぼした貴族が含まれていた。
シロは、何の変哲もない、種々雑多な者たちだ。
そしてふと、隠れるようにしている桃色の髪の子が目に着いた。
――あれだ!
「そこの桃色の子、プレートを見せて」
彼女は震えながらプレートを見せ、近くにいた赤毛の学者風の男に縋る。シロは彼の番号も紙に書き留める。
「ありがとう。店員さん、終わりました」
店員は静かに来て出された紙を見て目を丸くし、慌てたように店主を呼びに行った。
「お値段が少々張りますが、お代の方は大丈夫ですか」
「いか程で?」
見積書を見たライザーとミーティアの顔が青くなるが、シロは平然と言った。
「もう少し勉強していただけません?」
例えば、と彼女はいきなり半額に値切った。
「ご冗談を、当店はこれが限界でして」
「あら、そうは見えなかったわ。でも残念ね、私としてはこれからも良いお付き合いをしていきたかったのだけれど」
店主は唸った。
ここで損を取り後のパイプを手に入れるか、ここで得を取り後の利益を捨てるか。
「このお値段にするのなら、彼らの衣類や武器を付けてくださいな。店主程のお方ならご存知でしょう? そういうのは意外と馬鹿にならないし、これから彼らの教育もあるの」
「わかりました、一割で」
「四割よ」
「三割」
シロから手袋を外した右手が差し出された――交渉成立だ。
店員が持って来た衣類などをミーティアとライザーがきっちり確認している間、シロは改めて奴隷たちを見やった。
彼らには彼らなりに、売られるだけの理由があったのだろう。
村の総意で売られたのなら、その村はしばらく食べていけるだろう。
賊にさらわれ売られたのなら、それは酷かったわねとでも言って賊を滅ぼし、上前をはねても良い。
だがここに、ミノシヤの者を並べたくはない。
「計算と確認が終わりましたので、お代をいただきたいのですが」
「ええ。その前に、質入れした物はいか程になるのかしら」
「二五八万ギルトになります」
アドラムには一部でいいと言われているが、今回はかなり世話になっている。きり良く半分渡しても罰は当たるまい。
となると、渡すのは一二九万になる。
シロは青白く輝く硬貨を置いた。
「これは……」
「おつりを忘れないでくださいね。あと、領収書をお願いします」
頭の中でそろばんを弾き、おつりの額を計算し、紙の上でも確かめて彼女はうなずいた。
「お客様、ご用意ができましたのでこちらに」
シロはミーティアとライザーを連れてひたすらに名前を書いた。
こういう時、シロは自分の名前が短くて本当に良かったと思う。
作業を終え、彼女はライザーに書類を渡す。
「信頼していらっしゃるのですね」
「ええ、これ以上はないわ」
「では最後、こちらに署名をお願いします」
シロは書類を受け取り、目を眇めた。
何の変わりもない契約書だが、それだけに今出てくるのはおかしい。
「ミーティア、よろしく」
「うむ」
ミーティアは受け取り、嫌な予感を覚えた。
そして金色に光る魔力を帯びた手で書類をなでると、別の文字が炙り出しのように浮かび上がってくる。
「これはどういうことか」
シロは書類を覗き込みあらあら、と苦笑した。
「店主、これはどういうことかしら。どうして私があなたと契約するにあたり、この二人と、私を売らなければならないわけ?」
店主の顔が歪んだ。
「この契約書に署名はいらないわよね?」
「ええ、不要にございます」
この三人により店からは目立った能力のある奴隷は全員消えてしまう。まさか竜族の奴隷まで消えるとは思わなかった。
「ここまで用心深い方は、お客様とあと一人しか存じません」
「ふふ……そうですか。石橋を叩き壊すような性格でごめんなさいね」
店主も笑った。
「私にもそのような時期がございました。用心はどのような黄金にも勝る価値がございますが、時に鉛に変わり、その重みに身動きが取れなくなってしまう」
「かといって、鉛だから価値が無いと脱ぎ捨てれば痛い目を見る……悩みどころですね」
シロは新しく出されたお茶に口をつけるが、後ろの二人はつけない。
「よろしいので?」
「この二人がいれば大丈夫よ」
店主はそっと微笑むと懐から酒瓶とショットグラスを取り出すと注ぎ、口を付けた。
辺りには芳醇な香りが広がる。
「あなたの信用と楽しい時に感謝を。あまりにも楽しいひと時なので、これはきっと夢なのでございましょう。……ボルデウス公の娘リーリアが星眼を集めていたようですが、集められた者はみな消息を絶ちました。リアトリスの王は、魔獣の種付けを奴隷にさせて飛べる魔獣を増やし調教しているとか……。おや、私は何か寝言を申しましたか?」
シロは懐から白金の硬貨を取り出し置いた。
「私は疲れのあまり物忘れが激しくなったようだ。硬貨をどこかに落としてしまった」
彼女は立ち上がる――夢は終わりだ。
「またのお越しをお待ちしております」
シロはおつりを受け取り確認すると、奴隷たちを連れて店の裏側に出た。途中武器を持った者がシロへと襲いかかったが、これはミーティアによって伸される。
外に出ると鋼鉄のコンテナがあり、二頭の飛竜が貨物の積み込みを待っていた。
「よう、遅かったな」
「あら飛竜便! ありがとう、大好きよ!」
「どうも」
奴隷の誘導を二人に任せ、彼女はアドラムに金袋を渡す。
「……多くねえか?」
「彼らの教育と入院、治療費も含まれています。不足分があれば請求書を出してください。あと、これも」
シロはライザーから証明書を受け取るとアドラムに渡した。
「どういうつもりだ?」
「彼らの教育が終わったら、これで焼き芋でもやらせてください。きちんとお医者さんの診断と手当てを受けること、教育を受けて学を修めること、全部終わったら証明書で焼き芋でもすること。以上三つが所有者である私の最初で最後の命令です」
「焼き芋などは確定か」
「ええ、お腹も膨れて一石二鳥でしょ」
違いない。
彼は愉快そうに笑い飛竜便に出発の合図を出し、アンギラに乗って飛び去った。
「アドラムさんが引き継ぎを終えて戻ってくるまでの間、あちこち見ていよう」
「兵士たちへの土産か?」
シロはうなずいてヘリオとリチア、王への土産も追加した。
「シロ、早速ですまないのだが、着替えと上着が欲しい……くしっ」
「え? あ、ごめん! すぐに服屋に行こう!」
三人は慌ただしく表通りに出て、服屋に飛び込むようにしてミーティアの服を頼んだ。
そのミーティアは毛布を体に巻き付け、日当たりの良い場所から絶対に動こうとしない。
ミノシヤは海風があるため涼しいが日当たりが厳しい。
しかし、上空もそうだがここヒルデスは山からの吹き下ろしと海風でとんでもなく寒い。
そのような環境下、いきなり薄着、それもずぶ濡れで連れて来られたらどうなるか……。
「……くしっ」
こうなる。
* * *
シロたちが帰った後も、店主の店には何人かの貴族がやって来た。
もちろん、護衛の兵を連れて。
兵も買った奴隷で遊んでいいと言われているのか、舐め回すような下卑た視線を奴隷たちに送っている。
そうして、彼女たちが選ばなかった、美しいだけの娘が選ばれ、買われていった。
商売上嫌な客に当たることが多々あるが、今回は極めつけだった。
ああいう客の前に、美しい目をした者たちに会っていたから余計そう思うのだろう。賢くて運が良い、奴隷を見る眼もある。ぜひとも自分の側に置いておきたかった。
……いや、もう飲んで忘れよう。
店主は店を閉め、雑務を終えると自棄気味に酒杯を手にした。
数日後、美しかっただろう娘が無残な死体となってドブ川に流され、浮浪者が群がっていた。
* * *
その日、ヒルド王国の貴族の娘は星の眼を持つ男に恋をした。
見え隠れする育ちの良さや、真紅の髪、何より青い星の眼。
そして男は幸せそうによく笑うのだ。
娘は護衛の存在を忘れ、男に見入った。
男の隣に白くて小柄な娘が自然な様子で立ち、何事かを言うと、男も楽しげに返す。まるで恋人か夫婦みたいだ。
娘の絹の手袋に包まれた手がスカートをシワにした。
娘はこの時、嫉妬を知った。
すっかり風邪を引いたミーティアは宿屋の暖炉の前から動かず、遊んで来いという一言に甘えてライザーとシロは元気にヒルデスを見ていた。
シロの目にはすべてが目新しく、ずっと目を輝かせている。
ライザーは見たことがあったが、仕事抜きで楽しむということに新鮮味を感じていた。何より、隣で楽しそうにしているシロを通して楽しんでいた。
彼女は本当にこういう時は己の欲望に忠実だとライザーは思う。
「あ、ライザー、あれ何?」
「ココアだな。ミーティアが喜びそうだ」
「甘いの?」
「そう聞いているが……百聞は一見に如かず。買って飲んでみよう」
二人はココアを買い、飲んでふう、と一息ついた。
「温まるね」
「これの粉末をお菓子にかければもっと違う物ができるんじゃないか?」
「なら、この地方のお菓子を知らないと」
「虫歯と肥満にならんようにしないとな」
シロは深刻な顔で考えた。
虫歯は怖い。命に関わる。肥満も同じだし、社会的ハンデを背負う。
どっちも嫌だが、甘い物は欲しい。
「レシピ本? ……本物を知らないと味が……」
ライザーはココアをお代りしながら悩むシロの姿を楽しんでいた。
「あと数日でアドラム殿が戻ってくるぞ。それまでに制覇しなくていいのか?」
「やったら確実に太るじゃない!」
「腹の肉でもつまもうか?」
「やったらライザーも太らせるからね」
ライザーは肩を揺らす。
「最初を思い出してみろ、吹けば飛ぶような無駄のない体型だったろう」
「あれは無さ過ぎっていうのよ」
とりあえず、と彼女は料金を払って立ち上がった。
「ミーティアにケーキを買って帰りましょう」
「そのためには味見をしないと」
「ライザー?」
「すまん、もう言わん……たぶん」
二人はケーキ屋に入り、三つショートケーキを買うと宿に戻った。
ミーティアは変わらず暖炉の前に陣取っていた。
「あ、おかえり」
酒場の方はなぜか盛り上がり、まだ日が高いというのに潰れた男たちもいる。
「ミーティア、これは一体……何があったの?」
「絡まれたから潰した」
かなり飲んだだろうに、彼は顔が赤いだけで風邪のせいか酒のせいかわからない。
「何を作っているんだ?」
「前にシロが鍋を作ってくれただろう? あれを再現してみた」
鉄の鍋に大雑把に切って味を着けた肉の塊と、ニンジンやジャガイモを適当に切って入れただけの物だ。
シロが調理時間短縮のためアレンジしたのをそのまま覚えたため、多少本家とは違っているだろうが、食べられればよしと彼はそのまま作業を続けたのだ。
「……そろそろ頃合いだな」
彼は鍋を火から下ろすとテーブルに鍋敷きを置いて店主に食器を借り、蓋を開ければいい匂いがした。
器に盛ればとてもおいしそうで、食欲をそそった。
「やはり温まる」
「あ、シロの味だ」
途中にケーキを挟みながら、三人は鍋をつついた。
早々に鍋を片付け、ミーティアは人心地ついたように表情を緩め、その様は陽だまりでのんびりとしている猫を連想させた。
「さて、体も温まったし、私は布団に入っているよ」
のんびりと彼は言い、足音もなく、それこそ猫のように寝床に帰ろうと踵を返した。
ふと、シロは気づいた。
「ライザー、見間違いかな? ミーティア、かなり着膨れしてない?」
「……してるな」
すると、倒れていた酔っ払いが起き上って言った。
「あの兄ちゃん、かなり強いのな。絡んだら一瞬で投げ飛ばされて慰謝料って毛糸のマフラー買わされた」
安かったから良かったけど。
他の男も言った。
「暖炉の前に陣取って動かねえから、酒を勧めてやったんだ。俺より飲めたらタダにしてやるって。そうしたら兄ちゃん一人がケロリとしていたんだ」
当然、飲み代は潰した男たちの懐から抜かれ、暴力関係で絡んだ者は防寒着や先程の食材を購入させられたという。
「シロ、ミーティアは寒いのは嫌いなのか?」
「そういえば、私を拾ってから保護されるまでの間に冬があって、着る物も食べる物も無くて地獄を見て、それ以来物資が無い冬が嫌いだって」
「……寒くて、ひもじいのは嫌だな」
言っていると、店主が苦笑して言った。
「一番すごかったのは、お嬢ちゃんを一晩オレに貸せって言われた時の反応だよ。私を倒せたらな、って剣持って表に出たんだ。相手は一瞬で剣を切られて呆然としていたよ。ガルトフリートの傭兵かと思ったくらいさ」
へえ、とシロは何事かを考えるように視線をさまよわせ、ライザーに向けた。
「どうした?」
シロはにっこり笑った。
「お酒の事はよくわからないから、選ぶのを手伝って」
「ああ、わかった」
店主に酒屋を教えてもらい、二人は再び町に出た。
「家には茶色いのが多いけど、ミーティアは普段どんなのを飲んでいるの?」
「ブランデーの類だな。紅茶入りブランデーにしている事も多いから、量があった方が良いかもしれん」
「紅茶入りって……普通逆じゃないの?」
酒屋に入り、二人はブランデーを購入すると外に出た。
「ねえライザー、あれ何?」
シロが見る方向には物々しい装備をした騎士や兵士と、それを怯えるように見る町の者だ。中心には派手なドレスを着た美しい娘がいる。
「貴族が出てきているのだな……面倒に巻き込まれる前に逃げるぞ」
「うん」
二人はさっと身を翻して雑踏の中に消え、宿に戻った。
「あの時、物凄い殺気が飛んできていたように思うんだけど、私の気のせいかな?」
「いや、気のせいじゃない。あの貴族の娘からだ。この辺りを縄張りにしているのはボルデウス公爵だが……何か心当たりは?」
「無いよ。ヒルド王国に来たのも初めてだもん」
心当たりが無いのに敵視されるのはおかしい。誰かと間違えられている可能性も捨てきれない。
「伝書飛竜を飛ばしてアドラム殿に連絡。私たちは早く逃げた方が良さそうだな」
シロは深々とうなずいてすぐに実行した……のだが……。
「出国できない? どういう事?」
入国証明書もきちんと取ってあるし、ミーティアの分もちゃんと出る所に出て筋は通した、税金も払った、これ以上何が必要なの?
「いえ、私も上から言われておりまして、通すわけには……」
「その上って、どこのだれ?」
「そ、それも言うなとのお達しで……」
話にならない。
シロは吐き捨てた。
「それじゃあ、あなたの上司に伝えてちょうだい。正当な理由の提示なく、これ以上ここに私たちを留めるのなら、私たちの帰国が遅れたが為に発生する損害をすべて弁償していただく。当然、留め置かれている間の宿代などもすべてです。明後日の正午までに返答をもらいなさい。それ以上は待たないわ」
嵐のように去って行く彼女の身分証を書き写していた役人は改めて書類に目を落として青くなり、上司に言った。
「今の人、ミノシヤ王国の宰相です!」
「何だと!?」
* * *
「あの、バカ娘が!」
ハマギクから聞いた、リーリアによるミノシヤのシロたちの出国禁止にボルデウスは吐き捨てた。
大使館を兼ねているガルトフリートの派出所からも、「我が国の竜騎士アドラムまで正当な理由なく出国禁止にするとはどういうつもりか」と抗議が来ている。
娘の足の腱を切り、喉を潰そうとしていた矢先の事であった。
しかも、シロは現宰相から宰相職と権限を預けられ、奴隷の中から人材発掘をしていたという。
そして、正当な理由の提示なくこれ以上ここに足止めするのなら損害賠償を請求すると、ミノシヤとガルトフリートから来ている。
「ハマギク、目付の者は何をしていた?」
「身分を理由に口を噤みました」
使えん。
「シロ殿らを呼び、出国禁止を解くぞ」
「かしこまりました」
「ハマギク」
「はい」
ボルデウスは城下を見たまま言った。
「私か陛下にもしもの事があれば、おまえは使用人と信用のおける者を連れて逃げよ。民を頼む」
「御意」
* * *
アドラムが渋面を作って戻ってきたことに三人は悪い予感がした。
「派出所で聞いてみたんだが、オレたちの出国禁止はボルデウス公の娘、リーリアによるものだ。その嬢ちゃん、赤毛に星の眼をした旅人に一目惚れして婿にしたいと」
星眼の種族は今となっては絶滅危惧種だ。
そして赤毛に星の眼となると一人しかいない。
「……今から髪を染めるか?」
ミーティアは墨汁を手にしたが、ライザーは剃刀を手にした。
「いや、剃った方が速いかもしれん」
「バカなこと言わないで。眉毛とまつ毛はどうするのよ」
ライザーはどんよりと暗い顔をして項垂れ、シロは彼の髪を梳いて三つ編みを始め、リボンまで結んだ。
「わーい、かんせーい」
ライザーはシロの食事と手入れですっかり健康的に肉がついて体に曲線が生まれ、髭が生えにくいのも手伝い髪型を変えれば少し背の高い女性に見えなくもない。
「紅でも差してみるか?」
アドラムのからかいにそれもいいかもな、とライザーは虚ろに笑った。
「重傷だな」
言いつつ、彼は面白半分にシロの最低限の化粧品を借りて薄化粧を施してやり……後悔した。
どこかで抵抗するかと思ったのに。
「無理やり召し上げられる生娘にしか見えねえぞ」
ライザーはシロの方を見た。
「シロ……貴族の馬鹿女の所になんて行きたくない……」
彼女は言葉に詰まった。
「ライザー、私も目玉収集家なんかにあなたをやりたくない。とりあえずお化粧を落とそうか。その、迷子の伝書飛竜のような目はやめて」
シロがクレンジングオイルを手にした時、ボルデウスの使いがやって来てしまった。
「失礼します、ミノシヤ王国宰相シロ殿のお部屋で間違いはございませんか?」
今化粧を落とすために時間をもらっては、逃亡を疑われてしまう。
「ライザー、ごめん。……間違いないわ、入って!」
入室した騎士は表情を保つのに必死だった。
「シロ殿、ボルデウス公がお待ちです。申し訳ありませんが、ご足労いただけませんか? その……そちらの、赤毛のお方も……」
シロはちらりとライザーを見た。
相変わらず迷子の伝書飛竜や、親とはぐれた子飛竜のような目をしている。
「わかりました。そちらに伺いますので、少々お時間をいただけませんか? 彼の……お化粧を落とすために」
騎士は深々とうなずいた。
シロからオイルを受け取って顔を洗い、彼女の手入れを受けた彼の肌はますます状態が良くなった。
「……アドラム殿、私には、ライザーの肌の状態がかなり良くなっているようにしか見えんのだが」
「魔力の共鳴による活性化を考慮に入れても、シロの特殊能力を考えても、おかしいな。なあエルジア、おまえさんシロの手を食った時何をしたんだ?」
すっかり痩せたエルジアはきゅうきゅうと鳴いた。
「ふうん……白い手の出力向上ねえ……それであんな美容効果が生まれているわけだが……」
シロとライザーはその間に準備を済ませ、一行は外へ出た。
「お待たせしました」
そして彼を連れて騎士の後に続き、彼女はボルデウスの館を見上げた。
「アドラムさん」
「ん?」
「ルドベキアの方も、こんな感じ?」
アドラムは遠い目をして言った。
「こっちは上品であっちは下品な感じ。見栄っ張りだからな。ミノシヤは珍しい方だ。うちの剣の館はかなり派手だったろう? ルドベキア貴族にはあれでも地味って言われる」
シロはあまりの金ぴか具合に館から目を背け、ライザーを見た。
「どうした?」
「目の保養」
広い庭園を進み、これまた広い館を進み、ふかふかの赤い絨毯を踏む感覚に違和感を覚えつつ一行はボルデウスの待つ大広間へと到着した。
ボルデウスの風貌は栗色の髪に中肉中背、髪と同じく栗色の目には強い意志とわずかな陰りがあった。
「初めまして、ミノシヤ王国の宰相職を預かるシロです」
「初めまして、アルファルト・ボルデウスだ。本来ならこちらが出向くところを呼び出してしまい申し訳ない。この度は娘が迷惑をかけた」
慰謝料を差し出され、シロはうなずいた。
甘いだろうが、こちらも急ぐ身だ。
「謝罪、確かにお受けしました。ですが、二度は無いように、今後の処置を教えていただきたく思います」
「娘の両足の腱を切断、喉を潰します」
アルファルトの目は本気だった。
余程腹に据えかねるものが溜まっていたのだろう、と推測しシロはうなずく。両目と利き手を潰さないのはせめてもの慈悲だろう。
「では、私たちはこれで失礼します。この件はこれで終わりにして、次にお会いする機会があれば、お互いに笑顔で久しぶりと言って握手できることを望みます」
アルファルトはどこか羨ましそうに彼女を見た。
「感謝します」
その時、目付の者や見張りの静止を振り切りリーリアが部屋に飛び込んできた。
彼女を見た途端、ライザーの背を氷塊が滑り落ちるような感覚が襲う。
反射的に彼はシロを庇い、己に抱き付こうとしてきた彼女を投げ飛ばしてしまった。
「も、申し訳ありません!」
顔面蒼白になる彼にシロは肩を叩き言った。
「私を守ってくれたんだから、これは私が投げ飛ばしたんだ。謝ることは無い」
アルファルトは怒り心頭の様子でリーリアの髪をつかもうとするが、彼女は意外な程に俊敏で彼の手から逃げ、青い顔をしているライザーに今度こそ抱き付き言った。
「私、リーリアと申します。星の眼のあなたに一目惚れしましたの。どうか私と添い遂げてくださいまし」
彼は視線でシロに助けを求めたが……。
「あちらではなく私を見てくださいまし」
シロはさりげなくリーリアが持っている短剣をすり取り、兵の手配をしていたアルファルトに渡して言った。
「ライザー、おまえの口の悪さは十二分にわかっている。言いたいことがあるのならどんな内容でもいい、言え。あらゆる手段をもって自分の心身を守ることを認め、シロの名の下に許す」
これ以上無い許しを受けライザーは爆発した。
「わ……私はおまえの下になんて行かない、行きたくない! 絶対に嫌だ!」
気持ち悪いんだよ! と震えながら叫ぶ蒼白の彼の肌をよく見ると、鳥肌が立っていた。
「私よりもあの女の方が良いのですか!?」
「当り前だ! 私はシロの傍が良いんだ!」
ライザーはリーリアを引き剥がし、待機している衛兵に向かって投げ飛ばしてへたり込んだ。
ガタガタと震えて両腕をさする彼をシロは労わるようになでる。
「ボルデウス公、リーリア嬢がミノシヤ国内にて派出所の青服さんにしょっ引かれたというニュースは手にしたくないのですが」
「私もこれ以上頭痛の種を抱えていたくはない。連れて行け」
リーリアは悲劇の姫のように連れ出される間、ライザーの名前を呼んでいたが、彼は声すらも聴きたくないと両手で耳を押さえた。
「……ライザー、いなくなったよ」
迷子の伝書飛竜から、捕食される寸前の子飛竜に昇格していた。
ストーカーはやはり怖いだろう。
「すまなかった。だが、そなたは本当に富や権力に興味は無いのか?」
ライザーは静かにアルファルトの目を見返して青い顔のまま言った。
「ありません。衣食住に困らず、優しい奥さんと静かで平和な家庭を築いて全うする程度にあれば十分です」
「その奥方を見つけたら、大切にしてやりなさい。良妻は金や身分で買えず、黄金以上の価値がある」
一同はガルトフリートの航空便を使いヒルド王国を出国し、ミノシヤへの帰路についた。
ミーティアは去り際に言われた一言が耳に残っていた。
『賢い娘を育てられたあなたが羨ましい』
確かにシロは賢いし、容姿も良い方に入るとは思う。
だが……。
「ねえエルジア、生体反応の一目惚れってどうやって起きるの?」
「きゅう……きゅうきゅう!」
エルジアは「そんなの知らないよ」とでも言いたげであったが、シロの興味はすぐに彼の肉球へと移った。
「エルジア、お家に帰ったら肉球の型を取らせて」
「きゅっ」
「ダメ? じゃあスタンプを……」
交渉は決裂しそうだ。
アドラムはその光景と、座ったまま寝て、シロに寄りかかって……いたライザーを見て苦笑した。
「飛竜の毛布に意中の者の膝枕か、贅沢な奴だな」
シロもその内に船を漕ぎ始め、多少苦しそうな体勢で寝てしまい、ミーティアも苦笑した。
「なあミーティア、孫の顔はそう遠くはないんじゃないか?」
「だと良いな。シロを恋愛や結婚という観点から見ると、卵の殻がくっついているような赤ん坊から飛竜を育てるようなものだぞ」
「難易度が高いようで低いな」
「だが、その方が好都合だ。相手にする者が少ない。ククッ、何人立ち上がって向かって来られるかな?」
鋼の目がちらりとシロを見た。
一撃必殺を心がける鬼神ベルンの薫陶厚きミーティアの本気を相手にして、真正面から「お嬢さんをください」と言うのは並大抵の事ではあるまい。
だが、と彼は考える。ライザーに限って言えば「自分はシロのもの」と言える立場にある。
果たしてこれをどう利用するのか。
口元は知らず緩んだ。




