第四話「解放」
マガルトが空中にあると仮定し、ガルトフリートはまず何をするにしても必要な金銭と奴隷の動きを改めて追った。
その結果、どこからか金品が奴隷商へと流れ、肉体労働に向いている男性の奴隷と、見目麗しい愛玩用の奴隷が姿を消し消息を絶っていた。
神造騎士団は人間を模したゴーレムを新たに作成、己のデータリンクシステムを用いて自身が操作するゴーレムを売り飛ばし、買わせ、マガルトの内部へと潜入することに成功していた。
「光学迷彩か……考えたな」
神造騎士団の拠点、移動要塞ガルベリアのブリッジでライゾウは目を細めた。
モニターにはマガルトの内部でゴーレムが見た情報が表示され、その中にかつて己が乗っていた船のエンジンのネームプレートがあった。
巡視船文月。これが船の名前だった。
光学迷彩と反重力装置を搭載し、民間人を乗せて逃げ隠れするにはうってつけの船で、アトラシア戦役の際にフォルトレスの砲撃を受け、更に神の一人によって切り裂かれ、己と運命を共にしたはずであった。
奇跡的にエンジンが生き残ったのか、今ではそのエンジンと直結した反重力装置がマガルトを空中に浮かべ、光学迷彩がその姿を隠している。
魔法ではなく科学で浮く船だからか、ガルベリアやデルベリウスでも探すのに手間取ってしまい、アキノが冗談交じりにガルベリアの素体に使われた船のレーダーを起動したら見つかったのだ。
皮肉なことに、敵味方識別信号も生きていた。
ライゾウは己が操作するゴーレムを走らせ、光学迷彩のプログラムを完全に消去し、配線に目を走らせ驚愕し、視界が白く染まった。
「ライゾウさん、一体何したんすか?」
凄い揺れだった、とアキノがゴーレムを操作しながら言う。
「光学迷彩のプログラムを消去したんだが、配線がネズミにかじられてショート、爆発炎上に至る」
「マガルトが目視できるようになり、下の町では混乱が広がっています」
しかしどうするか、と文月を知る一同は頭を抱えた。
核を用いた半永久動力……核エンジンを搭載した船だ。中がどうなっているかわからないが下手に撃墜すれば取り返しのつかないことになる。
アトラシア戦役後人口が激減し、自然環境にも深手を遺したのは他ならぬ核搭載兵器が破壊された時の爆発と、撒き散らされた放射能だ。
「上から解体も、引きずりおろすこともできない。なら、デルベリウスに引き渡してバラしてもらうか?」
「難しいな。あのエンジンは手入れもされていないし耐用年数をとっくの昔に過ぎている。宇宙までもつとは思えないしゴミをばら撒くだけだ」
そのデルベリウスだって、太陽光等と飛んでくる宇宙の塵を燃料に変換することによって永久機関にし、同時に自分の身を守っているのだ。処理速度を上回れば深刻なダメージが予想される。
「デルベリウス、ガルベリア、ゼフィリウス、クランツと我々の総攻撃で蒸発させることはできないか?」
「砲撃魔法を使うタイミングを合わせればいけるだろう」
「ああ、データリンクを搭載している我々ならば。クランツには合わせてもらおう」
話し合う同朋の横でライゾウはじっとマガルトの立体映像を見ていた。
過去の情報を基に、光学迷彩装置と反重力装置、エンジンを色別に表示させ、居住区として判明している空間にも色を着ける。
ほとんど色が着いたが、一部色が着かない。
「おまえら、ここを調べろ」
ライゾウの命にアキノたちはうなずいた。
しかし、接触しようと試みたゴーレムは尽くクロユリによって阻まれ、八つ当たりなどで破壊されてしまった。
「根っからの悪人には見えんが……恐ろしい女だ」
ライゾウは一度手を引かせ、ブルノルフへと手紙を書いた。
「これをブルノルフ王へ」
「きゅあ!」
任せろ! と真紅の体色に金色の鞄を身に着けた伝書飛竜は力強くうなずき、あっという間に紅い閃光と化して見えなくなった。
「さすが国内最速の伝書飛竜、もう見えねえ」
シロクマが感心したように言った。
* * *
その日の午後、書類に目を通していたシロは首を傾げ、パラパラと書類をめくり今度は渋面を作った。
「どうした、美人が台無しだぞ」
ライザーがからかうも彼女は黙ってメモを書き、渡した。
「このメモに書かれている連中のヘソクリの場所を全部調べて。こっちが城内の見取り図。そして、調査費用」
机に金袋が出された。
「これは私のお小遣いだから、余った費用は懐に入れていいし、お給料はまた別に出すわ。お願いできない?」
「それはいいが……調べるだけでいいのか?」
「いいの。それでぎゃふんと言わせるから」
ライザーは疑問を覚えつつ、まあいいかと費用と見取り図を懐に入れて消え、数時間後戻って来た。
「これですべてだが、どうするのだ? そっちは城内の要望書だが」
「雨漏りがするとか建付けが悪くなったとかあったから、部分工事でもやってやろうかと」
彼女はせっせと発注書を書いていたが、ふと腰を上げた。
「シロ?」
「ライザー、アドラムさんとミーティアを連れて散歩に行くよ」
「え?」
「今すぐに、急いで!」
シロは唐突にミーティアとアドラムを連れて城外へと出た。途中にいたヘリオ、リチア、国王のココを誘う。すると、城内の兵士や使用人たちも何事かと全員ついてきた。
「シロ、どういうつもりだ?」
ミーティアに厳しい声で問われ、彼女は城を振り返った。
アドラムの首に巻き付いていたエルジアの耳がぴんと立った。
「きゅ?」
グリフォンたちが城内から逃げ出し、主の所へと飛ぶように駆けた。
『おまえら運が良いな。あの城もうすぐ崩れるぞ』
グラジオラスがミーティアに言った矢先、轟音と土埃を立ててミノシヤ城は倒壊した。
だれも何も言えず、シロは言った。
「シラーさん」
「最低でも十年はかかります」
ですよね……シロはそっとユルに目を向けた。
ユルはデータリンクを通して仲間に連絡を取っていた。
『やっぱあの時壁をぶち抜いちまったのがいけなかったんじゃねえの?』
『違うよ。ユルが抜いたんじゃなくって、グラスが抜いたんだよ』
『でもやっぱ、壁を走った時亀裂入っていたよな……直した方が良くないか?』
『業者を装って、入って直すのはできそうか?』
「シロ殿、私の兄弟が体を動かしたいと言っているのですが、ミノシヤ城の再建に使っていただけませんか?」
「腕は確か?」
「土木建築や築城の経験者もいますし、人件費はタダ、不眠不休で働けます」
「採用」
その後、神造騎士団のほとんどがミノシヤに移動し、ミノシヤ城再建に励んだという。
「シロ、その箱は?」
「これ? お城の跡地で見つかった不審物」
どう見ても価値のある宝飾品で、ライザーには見覚えがあった。
立派な窃盗であるが、元をたどれば立派な国家予算だ。
「さ、別の所で売ろうか」
アドラムは笑った。
「シロ、道中護衛するから売ってできたお金の一部をおくれ」
「良いですが……たぶんそんなに高く売れませんよ」
いいの、と彼は笑った。
「夜中、『無い、無い……』ってむさくるしい啜り泣きを聞いているよりはずっと楽しそうだ」
「ああ、妖怪宝探し。一生やっててほしいわ。それじゃ、ヒノモトを経由してヒルドに行きましょう」
ぴく、とライザーの顔が強張るが、シロは気にも留めず引っ張り連れ出した。
「シラーさん、ミーティアの世話をお願いします!」
「わかった、気をつけて。ライザー、シロをちゃんと守れよ」
「あ、ああ……」
シロたちは旅立ち、一路ヒルド王国を目指した。
「さて、シロ。何でわざわざヒノモト経由なんだ?」
「アドラムさんにはかなわないわ。ヒノモトにはライザーの奴隷証明書があるから、そいつに用があるのよ」
「ライザーの新しいご主人サマになるってか?」
「馬鹿言わないで。ライザーは拾った時から私の家族みたいなものよ。それを紙切れ一枚のためにごちゃごちゃ言われたくないの。見つけ次第そこで焼き払ってやるわ」
ぼうぼうと燃え盛る書類の前で高笑いしているシロの姿が、アドラムには容易に想像できてしまった。
「幸か不幸か、政府の人は建物を捨てて裸足で逃げ出したみたいだから、公文書も残っているはず」
「焼印は?」
「ライザーが望むなら、ガルトフリート内で医者を探すわ」
ガルトフリートの医者なら、手術で消せる人もいる。
二人がライザーを見ると、彼は青い顔をしていた。
「ライザー、よく聞いて。あなたは私の家族にして対等の人よ。これだけは忘れないでね」
「ああ……わかった」
煮え切らない暗い返事にシロは眉間に谷を作り、声を潜めてアドラムに言った。
「アドラムさん、私は、剣はほとんど使えません」
「だろうな」
「でも紙の上なら戦えるし、とりあえず逃げることならできます」
「知ってる」
「私は、家族を奪う奴は大っ嫌いです」
「ほうほう……で?」
「旅の間、私よりもライザーを守ってあげてください。今の彼には守り手が必要です」
アドラムはちら、とライザーを見てうなずいた。
かつて多くの商人や旅人が行き交った街道の多くはガルトフリートが整備し、その途中には宿場町が設けられていたが、そのほとんどは魔獣の被害によって荒れ果て滅ぼされてしまっていた。
「ここも良い町だったんだろうけどなあ……残念」
「オレがかわいらしいひな鳥だった頃、大叔父に連れられて来たことがあったが良い町だったぞ。美人で気立ての良いお姉さんがいたし、料理も美味かったし、風呂も気持ち良かった」
「アドラムさんのひな鳥時代って想像できないわ……あ、温泉」
「宿屋のやつがそのまま残っているんだな。今日はここで野営するか」
一度湯船の中から古く汚れた湯を捨て、浴槽を掃除し、衝立などを簡単に修理する。
そうして綺麗になった浴槽の前でシロとアドラムは顔を見合わせた。
「……アドラムさん、足、伸ばせそう?」
「無理だな。だけど、オレには秘策があるから気にするな」
アドラムはなぜか風呂桶の中に子飛竜を手入れするためのブラシと石鹸を放り込んだ。
「アドラムさん?」
「気にするな。こう見えてもオレは冬の神エルジアのパシリなんだよ」
鋼色の魔力が彼を包み、ぼふん、と音を立てるとシロの足元には大きめに育った鋼色の子飛竜がのしのしと歩いて風呂桶に近づいていた。
かわいらしい口元からは彼の声が流暢に紡がれる。
「こうすれば足どころか尻尾まで伸ばせるし、お湯も節約できる。羨ましいだろう!」
シロは目を輝かせた。
「ええ、とっても! ちょっとお手入れしちゃダメですか?」
「ライザーが風邪をひくぞ」
「うう……今回は諦めます……」
アドラムは器用に前足を使って風呂桶をつかみ、お湯を汲むと頭から被り、石鹸をブラシに付けて人の気配に顔を上げて驚いた。
ライザー?
しかし、出たのは「きゅう?」という鳴き声だ。
ライザーは手早く体を洗い終えると、アドラムを見て、ブラシを手にした。
「シロに聞いた。こんな感じで良いのか?」
ガシガシと洗われ、たまらずアドラムはきつく目を閉じた。
背中から腹、足の指の間まで細かく洗われ、お湯でしっかり流される。
「結構細かいんだな」
「性分だ」
アドラムは湯船にゆったりと浸かりながら言った。
「んで、どうするんだ? 奴隷証明書はおまえさんが自分で破棄しねえと意味がねえんだぞ。シロはおまえさんと主従の関係ではなく、対等の関係でいたいと言ったんだ。女にここまで言わせて動かないなんて、おまえ本当に玉ついているのかよ」
「わかってはいる……だが、手が震えるんだ……」
「わからねえでもねえけどよ、シロは自分ができる戦い方をオレに提示して、その上でおまえを守れとオレに命じたんだ。城砦の一つや二つ吹き飛ばせるガルトフリートの歩く最終兵器兼、冬の神エルジアの眷属を味方につけて何が不満だ」
ばちゃり、と尻尾が水面を叩いた。
「いざとなったらシロのやつ、おまえの背中についている焼印をその場で焼き潰したり、相手をぶち殺して魔獣のエサにしたりして知らん顔をしかねないぞ。シロに泣かれながら手当てされたいのか。それとも奴隷の身分のままでいたいのか?」
尻尾は器用に動いてアドラムの頭にお湯をかけた。
「オレが父親なら、奴隷から這い上がろうとすらしない奴なんかに、娘や息子をやりたくなんてないね」
彼は湯船からあがり、全身を振って水気を飛ばして風呂から出ようとしたが尻尾をつかまれて浴槽へと引きずり込まれ落ちた。
「きゅぅうっ!」
何すんだ!
「今までの礼だ」
そして、彼は言った。
「シロ、アドラム殿はシロに手入れをして欲しいそうだ!」
途端に爛々と目を輝かせたシロがすぐに飛んできた。
「教えてくれてありがとうライザー、ありがとうアドラムさん! 一度ちっちゃい子飛竜ちゃんの毛皮なでたかったんだ!」
ライザーは穏やかに笑い、浴場を去った。
後ろでは飛竜の鳴き声と彼女の笑い声がする。
手早く服を着こみ、寝袋に潜り込みしばしまどろむ。
奴隷の焼印を見ただろうに、シロは決して奴隷扱いせず、人間として扱ってくれた。温かい衣食住を与えてくれ、働いて返してくれればいいと言って、きちんと給料もくれて、返すと言っても「もう天引きしているからいい」と言う。
酷い風邪を引いたこともあったが、彼女はきちんと薬をくれ、忙しいだろうにあの温かい手で看病までしてくれた。
自分の前の職場を思い出す。
人間扱いされず徹底して道具として扱われ、ぼろ布に腐った食料、雨漏り隙間風は当たり前のじめじめした住居、怪我人や病人が出ても薬も何もくれず、毎日のように死体が運び出された。
八つ当たりの暴行は当たり前で、シロの調査を命じられる直前に証明書の破棄を目論んだ自分は散々に殴られ蹴られ、どうにか衣類はまともに近い物が与えられたが、武具と食料は最低ランクを更新した。
思い出すだけで震えがくる。絶対に戻りたくない。
そしてふと思う。自分がまたヒノモトの奴隷に戻ったら、奴隷から解放すべく動いてくれているシロはどうなる? 酷い目に遭いかねない。
それだけは何としても防がねば、いや、防ぎたい。
もう、手が震えることは無かった。
夜が明け、三人は再び街道を行く。
道中出てくる魔獣を蹴散らし、シロは血塗れのメイスを片手にふう、と息を吐いた。
「シロ、容赦ねえな。こいつら一応元人間なんだけど」
「せっかくミーティアががんばって繋いでくれた命よ? 食べられたくないもん」
そして彼女は視界にヒノモト城を入れて言った。
「絵本にある魔法の杖みたいに、このメイスを一振りしたら、あの城が崩れて公文書だけが手元に飛んできたらいいのに」
「神様でも無理だぞ」
歩きつつ彼女はなおも言った。
「ねえアドラムさん」
「やらないぞ」
「まだ何も言ってないのに……」
「オレだって、あの城を事故っていう事で吹っ飛ばしたいけど、そうしちまうと足が着くんだ」
二人はがっくりと肩を落とした。
「道のりは遠いわ。ライザー、道案内よろしく。慰謝料をたんまり請求してやりましょう」
「ああ」
ライザーは軽く笑った。
「柱の金箔まで剥してやろう」
三人は城に着くと、さっさと目に着いた宝を片端からくすねた。
「ライザー、本当にいいのか?」
アドラムが問うも、ライザーは陰鬱に笑って言った。
「長年の不当な苦役と暴力に対する慰謝料を請求しているんだ。これでも安い。ああ、子供の頃に目の前で母親を殺され、私は押さえつけられて無理やり奴隷の焼印を捺されたし、その際に切られて書類も代筆されたな」
「代筆っていうよりそれ偽造よ」
「幼児虐待に国際条約にも違反しているし暴行傷害に脅迫に殺人もあり……金銭でけりをつけるとなったら数十億単位で取れるんじゃないか?」
その時、アドラムの目が光った。
「あ、くそっ、こんな所に……」
アドラムの手には黄金でできた間抜け面のカラスの像があった。
「どうしたんですか?」
「かなり前に盗まれたオレの水吐きカラス。こんな所にあったとは……盗品で国際手配かけたのに……」
わなわなと彼の肩が震え、カラス像をどこかへとしまい込むと彼は眼光鋭く言った。
「ライザー、オレの分も取り立てるぞ」
「ああ、ぜひそうしてくれ」
本気を出したアドラムの目利きはシロの勘と同等の働きをし、価値のある物はすべて三人によって回収された。
限界まで膨らんだ品物を背負い、ライザーとシロ、アドラムは進み、とうとう公文書を保管している部屋の前まで来た。
「普段はここに見張りが立っていてな、奴隷が近づけば暴力を振るったものだ……ふふっ……初めて魔獣に感謝したい気分だ……」
鬱々と笑うライザーは遠慮なく扉を蹴り破った。
驚いたのはヒノモト独特の装束を着た男三人からなる先客だ。
「貴様、シデン!」
驚いた髭面の男の顔面に薪が飛んだ。
「足癖が悪くてすまんな。シロ、金庫破りを手伝ってくれ」
「はぁい!」
シロは荷物を置くと懐から一枚の紙きれを取り出し、金庫に貼りつけた。「ばぁい」とふざけた筆跡が鮮やかな紙がぼんやりと光り、金庫をあっという間に砂に変えて中身を曝す。
「おお、ギルトリウム通販で販売禁止になった名品をよく持ってたな」
「えへへ……小さい頃お小遣いを貯めて買ったんだ」
彼女は呆気にとられる残りの男二人を他所に、書類を素早く分けてライザーに帳面を渡した。
「この中?」
「それだ」
彼は素早く帳面をめくり、自分の名前を見つけると破り取りその場で灰に変えた。
「これで自由だね」
ライザーは軽くなった己の体にほっとしたようにうなずいた。
「シロ、帰ったら焼印や傷跡を消したいから、医者を探すのを手伝ってくれ」
「うん。あ、ねえアドラムさん、この書類売ったらいくらになる?」
「そうだな……二束三文にしかならねえぞ」
「残念ね。ライザー、帰ろうか」
「ああ!」
満面の笑みで彼は荷物を手にし、シロの後ろに続いて外に出たが、追ってくる気配が三つ。
アドラムは舌打ちして二人の荷物を倉庫に放り込んだ。
「このクソガキ! 一から躾直してやる!」
叫んでつかみかかる髭面の男の突進に合わせてシロはメイスを持っていた左手をぐいと押し下げた。
てこの原理を思い出してほしい。支点、力点、作用点からなる、遊具や工具などに用いられる原理だ。
シロは右手を支点とし、左手を力点、作用点にメイスのハンマー部分……跳ね上がったメイスは吸い込まれるように男の股間に直撃した。
悲鳴を上げて転がる男、メイスのブレードには血がついていた。
「クソガキってどこかな? 私には見えないや。あ、天才には見えないガキなのね!」
けらけらと笑う彼女に、男は殴りかかったが、ひらりと避けられる。
「オレの最高傑作を返せ!」
彼女は鼻で笑う。
「彼の事? 馬鹿じゃないの? 彼は自分の手で証明書を破棄したわ。ルート大陸間における奴隷国際条約第一条、奴隷は自衛のためであれば命令を拒否でき、また所有者はこれを虐待してはならない……」
第二条、奴隷の身分に置かれた者が自らの手で証明書を破棄した場合、所有者はこれを手放さなければならない。
第三条、奴隷は証明書をあらゆる手段を用いて探しても良い。
第四条、一度自由になった奴隷は元の所有者の下に戻る時、自らの意思によるものでなければならず、これを非人道的行為等により強制してはならない。
「……最低でもこれだけの国際条約にあなたは反したわね。ねえライザー、あなたを無理やり奴隷にした奴はだれ?」
「目の前にいる髭面の男だ」
シロの口が三日月に割れた。
「つまりあんたは、犯罪の被害者を私に送りつけたわけ……ふふっ……貴重な人材、ありがたくいただくわ」
男は冷や汗を流しながらもせせら笑った。
「そんな条約、どこのだれが守るんだよ。裁く者がどこにいる?」
ここに、と彼女はアドラムを示した。
「奴隷条約を定めたのはガルトフリート王国。ガルトフリートの騎士や兵士は条約の守護も誓っている。あんたは裁かれる」
アドラムは腕章の覆いを取りながらクツクツと笑った。
「シロには若い連中の方が良かったか。これじゃあ、手柄を独り占めだ」
彼は抵抗する男を縛り、指笛を吹いて五秒後、男を力一杯空中へと投げ飛ばした。悲鳴を上げて飛んで行った男は朱色の飛竜にさらわれ、北東の空……ガルトフリートへと飛び去る。
ガルトフリートの貨物特急であった。
「いやあ、助かったよ。あいつには前々から目を着けていたんだが中々逃げ出そうとする奴隷がいなくて困っていたんだ。そんで、そっちの二人はまだ何か用事でも?」
生真面目そうな初老の男が進み出た。
「ええ……その星眼、シデン様に相違ありませんね」
「ライガ……そいつは奴隷にされ殺された」
「ウソだ! 兄さんだろ!?」
もう一人の若い男が言うが、ライザーは凍える声で言った。
「人違いだ。シデンは死んだ」
「兄さん、兄さん!」
ライガはすかさず男の首根っこをつかみ、ライザーに目礼した。
「先を急ごう」
ライザーは二人を急かし、その場を去った。
肩を落とす若い男に、ライガは静かに言った。
「参りましょう、シデン様が亡くなられていたことが判明しただけでも幸いでした」
「違う、あれは兄さんだ!」
「なりませぬ!」
三人を追って駆け出そうとする男の肩をつかみライガは鋭く言い、若い男はびくりと身を竦ませ足を止めた。
「シデン様が戻られたとしても、影になられるだけです。ともすれば、国を二分し、国内は更に荒れましょう」
ぎりぎりとライガの手に力が籠められる。
「諦めなさい、シデン様は、逆臣によって奴隷に落とされ亡くなられたのです」
男の脳裏に、シデンが行方不明になってからというもの、夜遅くまで単身彼を探していたライガの後ろ姿が甦った。
『よくおまえに干し柿をくれていた少年を覚えているな?』
『きゅう』
シデンによく似た青い目をした伝書飛竜が鳴いた。
『もし、あの子が生きていたら、こっそり教えておくれ』
ぼそぼそと会話が交わされ、伝書飛竜が飛び立ったがその飛竜が帰ることは無く、ライガに生傷が絶えることは無かった。
今でも、赤毛に青い目をした伝書飛竜を懐かしげに目で追っているし、自分に文などを届けてくれた伝書飛竜には干し柿や煎餅などをやっている姿が見られる。
『ライガ、なんで伝書飛竜に菓子を二つやるんだ?』
『シデン様が生きておられたなら、きっと伝書飛竜をかわいがったでしょうから』
そう言ったライガの横顔には年齢がくっきりと刻み込まれ始めていた。
男はぐっと唇を噛んだ。
「……わかったから、放せ」
するりとライガの手が肩から離れたが、まだそこに手があり、つかまれているようだった。
のんびりと歩いて日が落ち、野営する中アドラムは言った。
「それにしてもよくあれだけの条約を憶えていたな」
「ガルトフリートにいた時、ミーティアと一緒に勉強してて言ったことがあったの。条約を作った人はよっぽど奴隷制が気に食わなくて、嫌々にやったんだねって」
「各国の利権が絡んでまともな条文が作られなかったから、中立と公平を掲げていたガルトフリートに押し付けたんだったか」
アドラムはうなずいて古い知識を引っ張り出した。
「ガルトフリートに条文作れ、って押し付けたはいいが、押し付けられた本人は舌打ちしながら作ったってよ。後で絶対に文句を言わないっていう誓約書を諸国の王に書かせてからな」
条約作りをガルトフリートに押し付けたのはいいが、できあがったのは所有者の権力を大幅に制限する物ばかりであった。
また、その条約は奴隷制とそれに類する制度が存在する限り効力を発し、一言でも変えるには大陸に住む民草、身分や性別を問わず生まれたばかりの赤ん坊から死にかけの老人までの総数を調べ上げ、そのすべての投票を得なければならない。
総数の半数を超える票を獲得できれば条約の変更ができるが、一票でも無効票があった場合変更することはできず、選挙後に不正が発覚した場合はその決定は無効とされ、条約の内容は選挙前のものに戻り、どこのだれが不正を働いたのかという事までもが広まる。
条約変更の実現は永遠にないだろう。
当時のガルトフリート王も諸国の王に詰め寄られたが鼻で笑い一蹴したという。
『金で買った労働者たちに逃げられたくなければ良き主人になることだ。また、自由とは他者によって保障され施されるものではなく、自らつかみ取り守る物だと知れ』
己の弱さを恥もせず、弱さを理由にして努力しない者は永遠に奴隷でいろというガルトフリート王の一言は後世に伝わっている。
それを厳しすぎると見るか、優しいと見るかは人それぞれだ。
「シロ、ありがとう」
「お礼はアドラムさんにもお願い。彼がいなかったらあなたの事を聞かれても『人違いです、魔獣に食べられたんじゃないですか?』ってしらを切るしかなかったから」
シロはその時が来ないで良かったと心から思った。
その場で焼印を確認させろと言われたら、事故を装って焼印を潰すつもりだったのだから。
「本当に良かった」
赤毛の頭を白くて温かい手が労わるようになでると、青い目が向けられ、彼女は気がついた。
「あ、ミーティアと同じ眼?」
「ようやく気づいたのか?」
「だって、よく見たことなかったんだもん」
むう、と彼女は膨れた。
「シロが私の目に気がついていないのは意外だった。何度もこうして見ているはずなのに……何でだろうな?」
「まつ毛まで紅いんだと思ってよく見てなかったわ。おやすみ」
シロはすっかりへそを曲げて寝袋に潜り込んでしまった。
すぐに穏やかな寝息が聞こえてきたことに二人は苦笑する。
「あんまりいじめてやるなよ。実際、おまえさんを星眼と見破るのは難しかった。おまえさん自身が隠したし、イベリスの一件から人の目を見なくなっていたからな」
う、と彼は痛い所を突かれた。
「それよりも、あの兄さんって呼んでいた男、放置しても大丈夫なのか」
「問題ない、ライガがついている。あの若い方の男はジンライといって、私の腹違いの弟で、父親に似て馬鹿なところもあるが、愚かではない。きちんとライガの助言をおとなしく聞いて、何事もなければヒノモトを治め、立て直すだろう」
「奴さんのシロへの評価は?」
「賢い女がいると聞いた、嫁か妾にしようと思っているから本当に賢いか調べて来いと言われたが……それからは……どうだろうな?」
アドラムはシロを見て苦笑した。
父親の胸を大きくすることや、拾った男をもったいないと言って磨き上げることに心血を注ぐ女が賢い? 胸は冗談としてどこが賢いのか。
「あいつの馬鹿さ加減に腹を立てること星の数だが、その命令にだけは感謝している。おかげでシロに会えていい暮らしをしているからな」
イベリスではないが、「私を見て!」と怒っても、傍を離れても良かったのにシロはそれをせず「家族」と言ってくれた。
「ライザー、シロは優しい娘だ、大事にしてやれ」
ふと笑い声がし、二人がそちらを見るとシロが寝言で笑っていた。
「シロ、昨日は何か楽しい夢でも見ていたのか?」
「うん! エルジアが神造騎士団の一人を身代わりにして、隠居金を稼ぐんだって泥まみれになりながら落ちているお金を集めて回ったり、緑色の大きな亀みたいなお城がスキップしたりしている夢だよ」
「きゅ、きゅうう……」
アドラムは逃亡を図ろうとする足元のエルジアをつかみ上げた。
「シロ、そいつは全部史実だ。エルジア、帰ったらオハナシしようか」
エルジアは必死に逃げ出し、シロの後ろに逃げようとしたが、踏み台にしたライザーによって阻止された。
白い飛竜はじたばたと身をくねらせて脱出を図る。
「そうか、そんなに遊んでほしいのか」
ライザーの手はエルジアの柔らかい腹を指先で弄び、その鳴き声はヒルド王国に着くまで止むことはなかった。