第三話「グラス」
うららかな昼下がりの事だ。お茶請けにクッキーを出してみたが、ライザーの皿はあまり減らない。
前にお煎餅を出した時はかなり減ったのに……もしかして、と思い彼女は言った。
「ライザー、甘いの苦手?」
う、と彼は図星だったようで呻いて目を泳がせた。
「もう少し、甘さを控えてくれたら嬉しい」
「どのくらいまでなら大丈夫?」
うーん、と彼は考え、台所に立ったのだった。
しばらくして、台所から戻って来た彼の手には団子があった。
「だいたいこのくらい」
「……おいしい。甘さは柿やミカンくらい?」
「うむ。甘いのも好きといえば好きなんだが、食べた後口の中がすっぱくなって……それが苦手なんだ」
ふむふむ、と彼女はうなずいた。
最近ライザーがよく笑うようになって、ちゃんと好き嫌いも言うようになった。
シロは嬉しそうに言い、ミーティアに包みを渡した。
「新作のお菓子。オルテンシアお姉ちゃんに教えてもらったのをアレンジしてみたの」
「ありがとう。では、行ってくる」
ミーティアを見送り、部屋に戻るとライザーが大学芋を食べていた。
一度食べてみたかったという彼に作って出した物で、かなり気に入ったようだ。
「おかえり、仕事が来ているぞ。村の肝試し大会会場の下見だそうだ」
「コースの下見……ついでにどのくらい怖いのかも見ようか」
「それは楽しそうだな。一番怖くなさそうな所をどれだけ改造できるのか……楽しみだ」
二人はいそいそと準備し、楽しい下見のために他の仕事を大急ぎで片付け始めた。
一方、ミーティアはリチアの兄、ヘリオの話しを聞き恒星の目を鋭くした。
「殿下、そのお話し、詳しくお願いします。いつ、どこで、何を見聞きしたのか。どのような些細なことでも構いません」
ヘリオは居心地が悪そうに蜂蜜色の頭をかき混ぜた。
まさか、勉強から逃げ出しての話にここまでミーティアが食いつくとは思っても見なかった。
「いいけど、その殿下はやめてくれよ。ミーティアに言われるとなんていうか、ケツがざわつくんだよ」
ミーティアは表情と声音を緩めた。
「ではヘリオ、話しておくれ」
「それはそれで、何か怖いよ」
ヘリオは目を泳がせつつ言った。
「西の森に、知らない家があったんだ。見間違いかと思ってもっとよく見ようと思ったら消えちまってた。入ったら最後、出られないような気がしたんだ」
「よく戻った、ヘリオが無事で良かった」
席を立つ彼にヘリオは待ったをかけた。
「確かめるんだろ? オレも行く!」
「なりません」
「でも、場所を知らないだろ。それに、あの辺りは肝試しの会場予定地なんだ。危ない物だったら早くみんなに教えないと。調査するにしても早い方が良いし、効率的な方が良いだろ」
ミーティアは渋面を作った。
言っていることは確かに筋が通っている。だがその魂胆は……。
「私の仕事についてきて、課外授業にするのは良いでしょう」
ヘリオはわかりやすく喜色を浮かべた。
「ですが、これで本来の勉強がなくなるわけではありません。調査から戻り次第私も教師に加勢しますのでお覚悟を」
「ゲェッ、マジかよ!?」
言うんじゃなかった、と頭を抱えるも後の祭りであり、ミーティアは苦い顔をするだろう教師を、どう説得したものかと頭を悩ませるのであった。
ミーティアとヘリオは森に入り、すぐに古びた館を見つけた。
「私が先行する」
姿勢を低く、音もなく進み、彼はドアに近づくと分厚い手袋をはめてそっとノブを回したが開かない。
アドラムの家のように、ドアと見せかけて引き戸になっているのかとも思ったが、そうでもない。
物は試しとナイフで軽くドアに傷をつけようとしたが、まるで刃が立たず、彼は一度退くことにした。
「どうだった?」
「ダメだ、刃が立たん。家主の出入りを狙うしかない」
その頃、シロとライザーはリチアを加えて会場予定地の下見に行っていた。
「子供向けの定番といったらやっぱり墓地かしら。でも、死者が眠っているのに騒がしちゃまずいわよね……」
どうしよう、と考えるリチアにライザーは言った。
「彼らは次世代の礎となったのだ。その次世代の元気な姿を見るのは嬉しいものなのではないか?」
「あ、それなら事前にお騒がせしますってお供え物をやっておけばいいんじゃないかな?」
「あなたたちねえ……」
三人はしばらく歩き続け、最後の下見、森の中に入った。
「いい感じに暗くなってきたね」
「夜目は利く方だ、道は任せろ」
森を進み小休止を挟む。日はすっかり暮れていた。
「まさか夜までかかるなんて……シロ、あなたとライザーの仕事っていつもこうなの?」
シロとライザーは顔を見合わせて言った。
「ライザーが来る前はもっと酷かったよ」
「家の中はほとんど手が回らないようだった。うむ、寝るための部屋という感じだったな」
「我が国の労働基準法はどうなっているのよ?」
「ストライキ中だって」
しばらく森を進み、シロは遠目に館を見つけた。
「ライザー、二時方向に館、見える?」
「確認した。不自然にドアが解放されている。魔法式のオートロックの館に誰か侵入したのだろう」
シロはポケットから手帳を取り出し、パラパラとめくって言った。
「届けは無いし、持ち主も不明……国有地に無断で建てられた違法建築物ですね」
「調べるの? 危ないんじゃ……」
シロは微苦笑して言った。
「悲しいけどこれ、仕事なのよね」
「何事も、欲しがれません、やるまでは……というのがあったな」
この時、リチアは誓った。
必ず、我が国の労働環境や条件を改善してやる、と。
三人は館の入り口に着き、足を止めた。
「石とメモが置いてある……これは……マガルト? ミーティアの字だ」
シロとライザーの目つきが変わった。
「どうしたの?」
「リチア、絶対に、何があっても私たちから離れないで。ここはもう敵の勢力下だから。詳しくは後で説明する」
「うん、わかった」
その間、ライザーはドアの隙間に小石を挟み込み、ドアが閉じられないようにしていた。
「終わった、中に入るぞ」
三人は中に入り、ドアというドアを固定して退路を確保しつつ進んだ。
「シロ、何をやっているの?」
壁際の目立たない所にしゃがみこんで何かをやっていた彼女は振り向いた。
「チョークの粉を撒いているの。こっちの居場所がばれるけど、壁が動けばすぐにわかる」
どんどん先に進み、三人は声を上げた。
「すごい、宝物庫だわ」
「本当にすごい、盗品の山だわ」
シロは袋を取り出し、言った。
「二人とも、全部かっぱらうよ」
三人は入る部屋すべてで家探しを行い、金目の物から文書までをすべて袋に詰めて回収していった。
「シロ、これじゃ私たちが泥棒だわ」
シロは文書を袋に入れながら言った。
「慰謝料を先にもらっているのよ。この分だと連中、高飛びするつもりだったみたい。今回収しなかったら絶対に戻らない」
「シロ、こっちはもう持てない」
言って、ライザーはぎょっとした。
当のシロは袋を現地調達してかなり増やし、自身も上着を脱いで袋代わりにしていた。
「そうね、こっちも限界だわ」
小山のようになっているシロを含め、そっと移動して三人は玄関へと向かった。
「待て、足音がする」
三人はそっと荷物を下ろした。
「ライザーか?」
「ミーティア殿、無事だったか」
そのミーティアは手ぶらに近く、代わりのようにヘリオが小山のようだった。
「荒らされた部屋があったが、やはりシロの仕業か」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。仕事よ、仕事。ミーティアだってやってるじゃない」
さあな、と彼はわざとらしくそっぽを向いた。
「そんなことより、地下に大量の魔獣がいた。早く撤退した方が良い」
それもそうだと一行は急ぎ足で警戒しつつ外に出ようとした時、ミーティア、ライザー、シロは足を止めた。
「ヘリオ殿下、申し訳ありませんがこれらをお願いします」
シロは遠慮なくライザーと自身の荷物を押し付けた。
ライザーとシロの二人分の荷物を押し付けられたヘリオはさすがに呻いた。
「殿下、いざとなったらばら撒いて障害物にして、絶対にリチア姫と逃げきってください」
既にシロは腰の拳銃とナイフに手をかけており、ライザーもまた黒塗りの短剣を抜いた。
拍手と共に足音がし、不気味な笑みを浮かべた男が階段を上がってきた。
「お見事です。よくもまあここを見つけ、ここまで荒らしてくれましたね。盗賊顔負けですよ」
「その顔……昔イルミネと共にギルトリウムを襲ったのはあなた?」
男はうなずいた。
「ええ、クソみたいなデータしか取れませんでしたが、使い方によっては黄金の価値がありますね」
例えば、と彼はミーティアを見た。
「治癒魔法の広範囲制御理論を応用し、魔獣化魔法の展開を制御したり、知性を残すなんていうことができたり……」
恒星の目が鋭さを増した。
「星眼の一族は良い素材になってくれましたが、どういうわけかあなたたち親子にはどのような呪いも魔法も効かなかった。種を明かしてもらえませんかね。嫌でも連れて行きますが」
銃声が響き、男の頭の上半分を吹き飛ばした。
「あんたがザコだからでしょ。ミーティア、ライザー、行こう」
ミーティアとライザーが館から出ると、シロは地下に向けて油と松明を投げ込んだ。
地下に放たれた火は炎となり館を舐めるようにして食い荒らし、瞬く間に灰に変え、魔獣の断末魔が響いて来た。
「まったく、手厳しい人だ。ガルトフリートの兵そっくりですね」
炎の中から現れた男にシロは銃を構えたが、撃たなかった。
「ほう、賢いですね。どうでしょう、私たちの軍門に下りませんか? 労働環境も良いですし、待遇も応相談です」
シロは笑って銃を下ろした。
「……シロ?」
ライザーは不安そうにシロを見て、ミーティアは表情を消して剣に手をかけた。
彼女の口が開いたとき、黒い風が吹いて男をはね飛ばし、地面にゴリゴリと擦りつけてひき肉にしてしまった。
ヤバ、やっちゃった! というような焦った飛竜の鳴き声がした。
「気にするなアンギラ、あの程度じゃ死なねえよ。それより毛皮汚れてないよな?」
え? と足の裏を確認し始める黒い飛竜からアドラムが飛び降り、煮ても焼いても食えなさそうな笑みを浮かべた。
「でかいキャンプファイアだな。で、敵さんに誘われていたシロはさっき何て言おうとしたんだ?」
鋼色は炎に照らされて揺らめき、鋭さを増していた。
「お断りに決まっているでしょ。あっちにはミーティアもライザーもいない。楽しみが何もないもの」
「楽しみ?」
「ミーティアとライザーとグリフォンのぐーちゃんの手入れに決まってるじゃないですか。ミーティアの胸に関してはまだ目立った成果はないけど、これから大きくなるかもしれない」
「ならん、なってたまるか! 手入れならグラジオラスの方にしなさい」
いつになく熱弁を振るう彼女にミーティアはさすがに声を上げた。
その横では、自分も巨乳に魔改造されるのだろうかと己の体の肉付きを確かめるライザーがいた。
「シロ、アドラム殿は本気だ。まじめに答えなさい」
「ぐーちゃんをもふもふしたいし、ミーティアの胸を揉んでいたいし、ライザーを磨きたいのでこっちに残ります」
ミーティアはがっくりと肩を落とした。
「シロ、本気?」
さすがにアドラムは苦笑するが、シロは大まじめにうなずいた。
「はい。ようやくちょっと大きくなってきたかな、とか、昨日より柔らかくなったかな、とか思えてきた一番楽しい時なんですよ」
ミーティアは思わず己の胸に手を当てた。
体重は変わっていないし、筋肉も変化はない。何をどうしたら柔らかいとなるのだろうか。
「ライザー、おまえから見て、服の上からわかる程に私の胸に変化はあるか?」
ライザーはそっと目を逸らした。
「無いが……シロの、握力や揉み方が変わったんじゃないか?」
言えない。
シロが自分に「お金に糸目をつけないから一番良い美容液を買って来て。できれば無香料で塗った後サラサラになるやつ」と何気に無茶なことを言って買いに走らせ、何に使うのかと思っていたら……。
仕事と鬼ごっこやその他で疲れて熟睡しているミーティアの部屋に忍び込み、自分の体温で温めて全身に塗り込んで揉んでいたなど……その用意周到さや気配の消し方やお金など、もっと別の事に使えばいいのに。
寝ているミーティアも気持ち良さそうだった。
アドラムは何とも言えない顔で襟巻にしていた白い飛竜をつかむと言った。
「エルジア、おまえのせいだぞ。シロはすっかり胸揉みに夢中じゃないか! 胸どころかあの分だと全身に拡大中だ」
「全身? ……シロ」
恒星がシロに向けられ、シロはそっぽを向いた。
「きゅう」
「だってぇ、じゃない! ミーティアの外見見てみろ、かなり若返っているじゃないか。おまけにかなりの幸運。どんだけシロに能力付与したんだよ」
シロは首を傾げた。
「アドラムさん」
「ん?」
「私は単にやりたいからやっているだけです」
「……最終目標は?」
「前みたいに胸に飛び込んで鼻血を吹かなくなること、ぐーちゃんみたいにふかふかにすることです!」
アドラムは遠い目をして、同情の眼差しでミーティアを見た。
「強く生きろ。とりあえず、今のところはミーティア限定だが揉まれているとそれなりに良い事があるから、大人しく揉まれておけ」
「それしか、ないのですか?」
「きゅっ」
「ない、だそうだ」
アドラム命名の特大キャンプファイアを背に、一行は城に戻ることにした。
途中、ミーティアはシロに言った。
「シロ、私とライザーがこちらにいるから向こうに行かないというのは、本気か?」
「本気だよ。それにあいつすごく気持ち悪いもん。絶対に嫌」
シロはくす、と笑った。
「ミーティアの体を揉んだり、肌や髪の手入れをしたり、全部楽しいの。全部私が手入れしているんだよってディアルガさんに自慢したいし、ぐーちゃんの手入れをちゃんとやって、オシャレさんのグリフォン美容部門優勝者のビルケお姉ちゃんと勝負したいから、私から楽しみを取らないでね、お父さん」
「む、むう……わかった」
聞き耳を立てていたアドラムははっきりと苦笑して投げナイフから手を離した。
シロのそれは、ガルトフリートの騎士が相棒の手入れをするのと同じ理由だ。
現に、ミーティアは保護されていた時からかなり健康的に若々しくなり、年齢相応の外見に戻りつつある。
オシャレさんの人間育成部門があったら、優勝するのではなかろうか。
城に戻った一行は盗品と戦利品を整理し、一度眠ることになった。
翌朝、リチアは日常に戻り、ヘリオはミーティアの監視付で勉強することになってしまったと頭を抱え、シロとライザーは盗品に関し各部署への連絡と情報の整理に追われた。
「ヘリオは昨日の疲れもあり脱走する元気もないようだな」
「普段からさぼってるからよ。それより、あの全裸男をどうしましょう?」
そのことだが、とアドラムが口を開いた。
「昨日アンギラが轢き潰した男だが、あれはグラスっていって、雑草のようにしぶといことで有名だ」
銃弾を叩きこまれても、轢かれても、燃やされても生きている。
「おまえさんらも見ただろう? ただ、あいつは自分の服までは再生できないようだからまだ楽だ」
「まだ?」
「うちの鬼神ベルンが原初第三神のゼルネスと戦って半身を吹き飛ばしたらしいんだが、服や防具まで再生されてえらく時間がかかったってぼやいていた」
青が瞬いた。
「あの鬼神ベルン殿でも手を焼いた?」
「ああ。轢き潰してわかったんだが、あいつはゼルネスのパシリの一体だから、神造騎士団が討伐する」
「神造騎士団って、冬の神様……エルジア様の軍勢で、ガルトフリート王国の最大最強の火力保有戦力じゃありませんでしたっけ?」
アドラムはうなずいた。
「よく覚えていたな。そう、あいつらが動く。今後はミノシヤを守るということでユルが常駐するぞ」
アドラムが宝石のような何かを投げると、それは青白く輝き光の粒子となり、人の姿を取った。
銀髪に緑の目をした、華奢な男性だ。作り物のような体躯は美しい。
正しく神の御業だ。
「神造騎士団所属、ユルです」
「しばらくぶりだな、早速草刈を頼む」
「了解……いえ、できません」
え? と三人がユルを見て、エルジアはするりとアドラムの首から降りるとアドラムに出されていたクッキーとお茶に手を付けた。
「ミノシヤ城地下に本体がいる事はわかるのですが、地図が無いため建物を破壊しつつ本体に接近、戦闘行為を行うとミノシヤ城が崩壊する危険が考えられますが」
それでもよろしいでしょうか。
シロは青くなった。
「全然良くない。地下なら私が案内するから、城崩壊事故だけはやめて」
「待て、この間地図を作ったから、私の安住の地を崩さんでくれ」
ライザーが地図を差し出し、ユルはそれを見るとライザーに返した。
「もういいのか?」
「ええ、憶えました。では、討伐に向かいます」
静かに歩いて行くユルをシロはじっと見て、やがて深刻な声と表情をして言った。
「ライザー、ミーティアにも伝えて。私たちのシェルターに荷物を運ぶわよ」
シロと戻って来たミーティアは手早く重要な荷物をまとめてミノシヤ城から少し離れた場所にある小さな館に荷物を運びこんだ。
「こんな所に家持ってたんだな」
アドラムが感心したように言う。
「ええ。倉庫代わりだけど、ライフラインは確保してあるわ」
館の中には井戸が確保してあるし、水が流れている。燃料の確保も十分だ。
「石壁があったら砦だな」
「ええ。このお家、ミーティアとぐーちゃんと遊びで作ったから」
グリフォンのグラジオラスが基礎工事と資材運びをやって、ミーティアが資材を調達、シロが微調整だ。建築工事中に他の飛竜やグリフォンも遊びで手を加えたため、かなり広く頑丈になった。
「お城が崩れるような何かがあったらここに逃げるわ」
城のシロの部屋に戻ると、エルジアがおかえり、と鳴いて軽く尻尾を振った。どういうわけかお茶が新しくなっている。
シロは首を傾げて新しくクッキーを出してやる。
ライザーは問う。
「アドラム殿、マガルトの件に関して貴殿と冬の神エルジア様はどのようなお考えでいらっしゃるのでしょう?」
アドラムは鋼の目を細めた。
「エルジア様はマガルトの魔獣化魔法も、その仕業も赦さない。大変腹を立てておいでだ。オレもマガルトのやり方は気に入らない」
「では、神々は今回の件にほとんど関わりがない?」
「ああ。今のところは人間だが、そこから神になろうとあがいている途中と見ている」
シロは新しくお茶と茶菓子を出しながら言った。
「アドラムさん、神話に出てくる神の眼って使えないんですか?」
「それが無理なんだよ。神様やそのパシリは一発でわかるんだが、あれは神々に対しての抑止力であって、人間やミジンコなんかにはあまり効かないんだ。あのパシリ……グラスもトカゲの尻尾だろ」
シロはわからない、と唸った。
「何が?」
アドラムは楽しそうに聞いた。
「まず、この国を得る利点。次に、ミーティアを狙う理由。最後に、何で神様になりたいとか世界征服がしたいとか考えたのか」
「シロだったら?」
「マガルトがどこにあるのか知りませんが、ミノシヤを手に入れても塩と魚介類くらいしかありません。ミーティアを狙うのは……魔獣にできなくて悔しかったから、あるいは最強魔獣の素材にしたいからか、こちらの戦力を削ぎたい。世界征服はわかりません」
アドラムは楽しそうにうなずいた。
「まずマガルトは空中の城砦都市と判明した。ミーティアを狙う理由は惜しいな、だがよく考えた。これが当てられるようならうちの情報管理体制を疑わなきゃならん」
じゃあ聞かない方が良さそうですね。
シロは言ったが、アドラムは首を振った。
「そうもいかん、もうガルトフリート内では知れ渡っているからな、すぐにこちらにも流れるさ。ミーティアが今使っている剣は元々ベルンの剣だった」
ミーティアはうなずいた。
「悪魔の剣かと思ったら鬼神の剣だった」
「馬鹿みたいに重いし、使うには身体強化で魔力をドカ食いするからな。使用者登録をしていないのに、よくあれを使えたと感心したよ」
そんなに重いの? と見てくるシロとライザーにミーティアは苦笑してうなずいた。
「シロがまだ五、六歳くらいの時、村が害獣の群れの襲撃を受けたんだ。その時に私の剣が折れて消えてしまって、しょうがないから敵の死骸でも振り回して一体でも道連れにしようとした時、空から剣が降ってきた。それを手に戦ったのはいいがかなり重くて、戦闘後私はそれを引きずって帰って、公園の塔の残骸に突き刺しておいたんだ」
「あの石に刺さった剣ってミーティアがやったの?」
ミーティアは苦笑した。
「子供が触れない高さを持つ場所に安置するとなったら、あそこくらいしかないだろう? それで持ち主が判明して、騎士が回収に来たんだが、その騎士は引き抜くことができなかった。結局、三人がかりで引き抜いて横倒しにしたが、持ち運ぶことができず、持ち主が回収しに来るしかなかったんだ」
アドラムは苦笑した。
「あいつらは泣いて悔しがっていたよ。詳細は長くなるから省くが、あの剣は冬の神エルジアからベルンに贈られた剣だった。毒や幻惑、呪いを尽く弾き、使用者に一番合った重さになり、よく切れて絶対に壊れない剣としてそれは作られた。マガルトはそれを欲しがってもいるのさ」
彼は笑い、ミーティアも深々とうなずいたが、口元が歪んでいる。
「落としたら最後、地面を掘らねばならんがな」
「持てるのはベルンと神造騎士団くらいだな、エルジア」
アドラムがクッキーを咀嚼しているエルジアをなで、三人の視線が集まった。
「あの、その子……物を食べる自立式の珍しいぬいぐるみじゃなかったんですか?」
まさか本物の飛竜? とシロはじっとエルジアを見る。
「さあ、どうだろうな。エサでもやってみるか?」
シロがクッキーをつまみ、恐る恐る口元に持って行くと、彼女の手が口内に一瞬で消えた。
ヨダレでべとべとになった手からはクッキーが消え、白い飛竜は満足そうにクッキーを咀嚼しお茶を飲んでいる。
「シロ? 大丈夫か?」
ミーティアが問うが返事はなく、ライザーは言った。
「ダメだ、目を開けたまま気絶している」
アドラムは涙を浮かべて笑い、エルジアはちゃっかりとシロのクッキーを攻略していた。
「だからあれほど動物の口元に手をやるなと……」
ミーティアは嘆きつつシロを担ぎ、手を洗ってやり布団に放り込むが、居間ではライザーがシロの敵討ちを始めていた。
「とりあえず、神々の眷属についてはそちらで対応していただけると?」
「ああ、その通りだ」
ライザーはエルジアに大量のクッキーを出してやるが、内心では丸々と肥えちまえと吐き捨てていた。
アドラムは笑う。
「よく食べるなあ……エルジア、太るなよ。太ったら腹の肉つまんでデブジアって呼ぶからな」
「きゅう!?」
エルジアは食べかけのクッキーを手に固まり、そっと己の腹を見た。
ミーティアはにこにこ笑ってクッキーを追加した。
「どうぞ、エルジア様。我が娘の手を口に入れる程空腹とは気がつきませんでした」
「クッキーばかりでは喉も乾きましょう、お茶をどうぞ」
そう言ってライザーが出したのはとても甘いミルクティーだ。
ミーティアは普通のミルクティーを飲みつつ、穏やかに言う。
「戦士として各地を回りましたが、食べ物はとても貴重でした。いや、今は良い時代ですな。このように甘い物に恵まれている」
身に覚えがあるライザーとアドラムはうなずく。
「子供が飢えた村は早々に滅んだな」
「ええ、私を拾ってくれたシロのためにも、そのような事は避けたいと思います。シロ自慢のジャムをどうぞ。ガルトフリートの方では紅茶にジャムを入れることもあると聞きました。お口に合えばいいのですが」
アドラムは苦笑してジャムを紅茶に入れた。
「よく作ったな。エルジア、もてなしを断るのは失礼だぞ、責任持って完食しろ」
食べ物を粗末にするなよ。
「きゅうぅ……」
情けない声としおらしい態度に手を緩める二人ではなかった。
ライザーは一度台所に引っ込み、戻ってくると手に持っていたのはまた違ったお菓子とお茶だ。
「お、和菓子だな」
「ご存知でしたか。昔ガルトフリートの騎士に教えてもらったと母が言って、よく作ってくれました」
どれどれ、とアドラムは食べてうなずいた。
「うちでも通用するな。よくここまで味を変えず伝えた。エルジア、敬意を払い食べろ」
この時、エルジアはもう涙目であった。
だが翌日、シロは珍しく朝食を作るミーティアに首を傾げた。
「ミーティア、ご飯なら私が……」
「今日の朝食は私が、昼食はライザーが作るよ。シロは夕食を頼む」
うん、とうなずいたが、ミーティアはボリュームのある肉料理を出し、ライザーは煮魚を出した。
「肉、魚、となったらやっぱり肉よね。ローストビーフでもやろうかな」
でもピーマンの肉詰めやハンバーグも捨てがたい。どうしようか。
ぽつりと言ったシロにエルジアは泣きながら駆け寄り腹を見せた。
「きゅうきゅう!」
あまりに悲痛な鳴き声であったが、シロに思い当たる節はなく……。
「ピーマンの肉詰めの方が良いの? あれもおいしいよね!」
にっこり笑って柔らかい腹をなでつつ言う。
「きゅうぅ!」
違う! と身を捩り訴えるもシロの手も勘違いも止まらない。
「喜んでくれているの? ありがとう、あれも自信あるんだ! うん、今日はピーマンの肉詰めとハンバーグにするね!」
アドラムは笑い転げ、ミーティアとライザーはにやりと笑った。
こうして、エルジアの減量が確定した。
アドラムはすっかり豊かになったエルジアの腹をつまみ言った。
「一度のイタズラは高くついたな」
「きゅぅ」
一方、シロは空になったクッキーとジャムの容器を見て固まり、ミーティアとライザーは揃ってそっぽを向いていた。
「ライザー、クッキー知らない?」
「さあな」
「ミーティア、ジャム知らない?」
「知らんな」
シロは唸った。
「欠食児童……恐ろしい子……ライザー、新しく作るから買い出し手伝って!」
シロはライザーを連れて村に出た。
燦々と照り付ける太陽の下、シロは小麦粉やグラニュー糖、バターなどのお菓子の材料を買う。
「後はお夕飯の材料も買わないと。ライザー、今日何か食べたいものは?」
荷物に潰されそうになっていたライザーの顔が輝いた。
「肉。一度ローストビーフや大きいステーキを独り占めしたかった」
「わかった、それにするね」
そうしてシロは牛肉とリンゴを入れた。
「リンゴ?」
「うん。今日はアップルパイも作ろうかと」
「それはいいが、こんなに買って使いきれるのか?」
「大丈夫、お城の兵士さんにもあげているの」
なるほど、と彼は納得した。
彼女に対し、兵士たちが好意的なわけだ。
聞いてみれば、シロが雑用で会計関係を任される以前は給料もまともに支払われず、飯と寝床があるだけマシであったという。
シロが手を入れてからしばらくして、滞納されていた給料が一気に入り、その後もまともに支払われるようになり懐具合がかなり良くなった。
更に、ミーティアが持っているお菓子を兵士に気まぐれであげたところ好評になり、以来シロは多めに作って兵士に分けているという。
女っ気が皆無で、使用人の女性は女性と見られない、そんな職場では一種の清涼剤として機能しているという。
城にある一番大きな厨房にお菓子の材料を運び入れればライザーの仕事は終わりだ。
「ありがとう!」
「手伝いが必要な時は呼んでくれ。夕飯を楽しみにしている」
彼は部屋に戻り、ミーティアとチェスをしながら言った。
「今日はアップルパイを作るそうだ」
「楽しみだな。それ、王手」
「あっ」
むう、とライザーは駒を並べ直す。
その横で、エルジアは怯えたように二人を見ていた。
「ちゃんと謝ったからもうしないって」
アドラムが言うもエルジアは「本当に?」と大きな緑の目を潤ませる。
「本当ですよ。今日のアップルパイは私の好物でして、うかうかしているとなくなりますよ」
「あなたは本当に甘い物には目がありませんからね」
ミーティアはポーンを動かした。
「おや、そう言うおまえも、甘い物はそれほど好きじゃないのにシロのお菓子はよく食べるな」
同じくポーンを手にしていたライザーは言葉に詰まった。
「おや? シロのことが好きなのか?」
「わ、悪いか?」
「耳まで真っ赤で初々しいことで」
ふむ、とミーティアはクィーンを移動させた。
「娘が欲しければ私を倒せ、とやった方が良いかな?」
「やめてくれ、何年かかるかわからん」
アドラムはからかうように目を細めた。
「まだ片思いなのにな」
その一言はぐっさりとライザーの胸に突き刺さり、言い返そうと口を開いた時だった。
――ぎゃああぁっ!
「何だ、今の悲鳴?」
ずいぶん色気のない悲鳴だと鋼と緑が瞬いた。
「シロの声か? とりあえず、行ってみるか」
ミーティアは毒蛇や毒虫でも出たのかと思っていたが、悲鳴が上がった現場……厨房に到着し呆気にとられた。
「シロ、強かったんだな」
アドラムが言う目の前は血の海で、シロが泣きながらフライパンを斧のように振り下ろしていた。
辺りには壊れた道具が血と肉片に塗れて散乱している。
「た……たすっ……たすけっ……」
ライザーは冷めた目で言った。
「あれ、グラスじゃないか?」
全裸だし。
アドラムは頭が痛そうにうなずいた。
「ユルのやつ、分身を一匹逃がしたな……とりあえず、シロを引き離して奴にとどめを刺すぞ」
ミーティアはシロの胴体を抱えてグラスから離れ、同時に青白いナイフがグラスの再生途中だった頭に突き刺さった。
「あ……りが……とう……」
グラスは灰のようになり崩れ、とうとうその灰すら残さず消滅し、あとには大泣きしているシロが残された。
「よしよし、もう怖いのはいないぞ」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔が上げられ、しゃくり上げ、また大粒の涙が滝のように零れ落ちる。
ミーティアは優しく笑いながら言った。
「本当にもういないよ。何があったのか、父さんに教えておくれ」
深みのある声に、彼女は涙声で切れ切れに答え始めた。
お菓子を作っていたら何か変な気配がして、振り向いたら全裸のグラスが薄ら笑いを浮かべて立ってこちらに手を伸ばしていた。
咄嗟に顔面に塩を叩きつけ、近くにあったミートハンマーで殴り飛ばしてしまい、やってしまったと思ったが血まみれの死体が起き上って、怖くなって手当たり次第に道具を使い潰した。
「やっても、やっても、起きてきて……本当に怖かった……」
ぐちゃぐちゃになった死体が起き上ってくるのは恐怖以外の何物でもないだろう、とミーティアはシロの背をあやすように軽くなでる。
「そうか、怖かったな。今日はもう休もう、な? お菓子はまた作ってくれればいいから」
えぐえぐと泣きながら彼女はうなずき、ミーティアに付き添われて部屋へと帰っていった。
残されたライザーとアドラムは壊れた調理器具を集めてリストアップし、捨てていく。
「知っているか? 熊が攻撃するのは怖いからだそうだ」
アドラムがぽつりと言う。
「つまり、殴り飛ばしてから怖かったと泣くのか」
「ああ。うちの方に、ワイルドベアキャットっていう、超凶悪な野熊猫がいてな、野生の本能と熊の攻撃力、猫の俊敏さを併せ持つ最上級危険害獣だ。シロの攻撃理由はそいつにそっくりなんじゃないかと」
「そのものだな。しかし、これでマガルトへの道は潰え再び待たねばならんのだが」
抜かりない、とアドラムは笑う。
「ユルの仲間がマガルトの位置を特定した。詳しくは明日だ」
翌日、シロは青白い顔で起き、ライザーはまだ寝ていた方が良いと言ったが彼女は仕事だと聞かずに働き始めた。
「シロはあの館に放火したし、初対面のグラスの顔面に銃弾ぶち込んでいたよな? 人を殺すことにそんなに抵抗はないはずだが、何であそこまでふらついているんだ?」
ライザーの問いにアドラムはエルジアの腹の肉をつまみながら言う。
「仕事と意識を切り替えて武器を手にしている時は強いが、日常での不意打ちには対処できん。まして、この城はシロにとって準安全圏だったし、厨房に立っている時シロはほとんど無防備だ」
当分肉料理は出ないだろうとの予想にライザーは泣き、愛娘のお菓子を楽しみにしていたミーティアは深々と溜息を吐いた。
「マガルトはどこかの町の上や主要な街道の上にでも居座っているのだろう? まったく、壊れた調理器具を含めて慰謝料と損害賠償を請求したいくらいだ」
中庭にて、ライザーは団扇を片手にぱたぱたと炭火を煽り、一人ぽつんと肉を焼いていた。
「ライザー殿、ここで何を?」
シラーが問えば、彼は焼き上がった肉を手製のタレが入った壺に入れながら言った。
「焼肉だ。……あの一件以来、シロが肉料理を出してくれなくて……」
ああ、とシラーは納得し、同情と憐みの眼で彼を見た。
あの現場は本当に酷かった。血と肉片の海なんて戦場でもそう見ないし、事前に準備をして意識を切り替えでもしないとその場には居られないだろう。
「仕方のない事だとわかってはいる。わかっては……」
でも、シロの料理が食べたい。
「気長に待つしかないだろうな」
「うむ」
じゅう、と音を立てて真っ赤な炭が煙を立てた。