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第二話「紅い目」

 ルート大陸中央部の小さな村に、紅い目の美しい娘がいた。

 娘に微笑まれればだれもがそれに魅了され、財を捧げ、命を捧げた。

 その話は地主や商人、貴族や王族の耳に届き、彼女は贅を尽くした生活を手に入れていた。

 手に入らない物なんて無い。

 紅い目が妖しく輝き今日もまた人から夫、あるいは妻、あるいは財産……そのすべてをもらう。

 その時の歌声が彼女のお気に入りだった。

 だが、聞き飽きてきてしまった。そんな時、魔法使いが現れて囁いた。

「私と来れば違う歌が聞けるぞ」

 退屈していた彼女は魔法使いの手を取った。


   * * *


 昼近いミノシヤ城では引継ぎが行われていた。

「お疲れ様でした、お先に失礼します」

 目の下に隈を作ったシロが頭の埃避けを取り、やや眠そうに言うと、交代の使用人の女性は笑ってそれを受けた。

「お疲れ。ふふ……急ぎ足で、いい人でもいるの?」

「そりゃあ、私の帰りを待っているのがいますよ」

 まあ、と使用人の女性が沸く。

「どんな人? やっぱり、赤毛の彼?」

「うーん……ライザーもそうだけど、包容力においては負けるよ。ずっと帰りを待っていてくれて、ちょっと荒っぽく飛び込んでもしっかりと抱きとめて、すっぽりと包んで癒してくれる優しい相棒だよ」

「生き物とか何か飼っているの?」

 シロはへらりと笑ってそれを否定した。

「お布団ですよぅ」

「もう、期待させておいて……早く帰って寝な」

 こうして雑用の仕事を終えて帰る途中、見慣れない美しい女とすれ違いシロは振り返った。

 大陸中央部で流行していそうな上質な服に、腰を過ぎるくらいに長く豊かな黒髪が揺れていた。

 十人中九人が美人と言うだろう容姿だ。

 その彼女が振り向き様に笑んだ。

 紅い目が妖しく輝く。

 女性をも魅了するだろう艶のある笑みはしかし、徹夜明けで鈍ったシロには通じなかった。

 あ、どうも、などと言って会釈してその場をふらふらと去るシロを、彼女は燃え盛る眼で見ていた。


 城内に妙な気配の人間が入った。

 ライザーはシラーにそのことを言うも、何やら上の空だ。

 隻眼は微妙に紅が混じり濁っているようにも思え、嫌な予感がした。

 城内の人間がおかしくなっており、ライザーは魔眼に対処する術はあるのかと不安を抱きながらシロを探し……見つけた。

「シロ、見慣れないような、変な人を見なかったか?」

 今までになく神経を尖らせた様子のライザーに、彼女は徹夜明けで鈍っている頭を働かせた。

「……ああ、あの美人さん。すれ違ったよ」

「何かされなかったか?」

「うん、何もされてないよ。どうかしたの?」

「女がやって来たらしいが、彼女が魔道王国マガルトの使者、イベリスらしい。気をつけろ、彼女は魅了の魔法を魔眼という形で使っている」

 ふうん、と聞きつつ彼女は疑問をそのまま口にした。

「目を合わせなかったり、美学が違ったりしたら効果が無いのかな?」

「ううむ……特殊性癖の持ち主に効くかどうかは知らぬ……と、そうではない! シロ、彼女の目を見たのか?」

「見たよ。真っ赤だったね」

 どこまでも暢気な彼女に彼は段々腹が立ってきた。

 シロは目を擦りつつ苦笑して言った。

「私がイベリスの魅了の魔法にかからないかが心配なんでしょ? ありがとう、大丈夫だよ。ミーティアの胸には勝てないから」

「シロ、本気で言っているのか?」

 本気だよ、と彼女は言った。

「ミーティアに限らず男性の胸ってはっきり言ってまな板じゃん。んで、女性の間では胸は揉めば大きくなるとか、好きな人に揉まれると気持ち良いとか何とか聞いたから……」

「わかった、それ以上言ってくれるな。頼むから」

 寝不足で思考が酔っ払いと化しているシロの、意外と小さく繊細な手を引きながら、ふと彼は思ってしまった。

 今のシロはもしかすると、ガルトフリート王国の技術開発研究所、悪名高きギルトリウムにいる連中と同類なのだろうか。

 彼らは確かに頭が良く、興が乗れば料金を無料にしてくれたりもするが、主に精神的な代償が大きい。

 研究対象を前にすれば、容赦や妥協の文字を星空の彼方まで吹っ飛ばす勢いで消してどこまでも追い回す執念深い変態共と有名だ。

 知り合いのガルトフリートのグリフォン騎士が言っていたが、とある技術者は決闘を挑まれた際、受ける条件として自分の実験につきあえと言った。挑んだ相手は慌ててそれを取り下げようとしたが、昼夜を問わず三日間機材を担いだ技術者に追い回され悪夢まで見たという。

 そんなのと同類であってはとても困る。

 考えつつ布団を整えて夢の世界に旅立ってしまったシロを放り込み、彼は部屋を施錠してミーティアを探した。

 ちょうど鍛錬から戻って来た彼と鉢合わせ、ライザーは事情を話す。

「マガルトのイベリス……奴が来ていた?」

「ああ、知っているのか?」

 ミーティアは、ここは危ないと移動して話し始めた。

「大陸中央部の小さな国が一人の女のために傾き、他国に攻め滅ぼされた話は知っているか?」

「ガラムのことだな」

「ああ。ガラム王家は最初その女を外交に利用しようとしたらしいが、逆に喰われたという。その女の目は鮮やかな紅だったと伝わっている」

 ライザーは言った。

「シロは、奴の目は紅だったと答えた」

 ミーティアの顔から血の気が引いたが、彼は歩みを止めなかった。

「シロの様子は?」

「美人さんよりあなたの胸、だそうだ。今は仕事で疲れて夢の世界を旅行中だ。なぜ彼女はあなたの胸の方が上だと?」

「私もわからないが……いや、まさか……」

 母親が欲しいと言い出せなかったか、他愛のない会話を真に受けたりでもしたのだろうか。

 ミーティアは幼い頃に何かあっただろうかと過去を振り返った。



 シロを拾ってから数日が過ぎただろうか、赤ん坊の世話をしつつ旅を続けるのは不可能なので、ミーティアは腰を落ち着けられる所を探した。

 だが、どこも魔獣や戦争、災害の被害を受けて貧しく、戦うしか能のない男と手のかかる赤ん坊を受け入れる余裕はなかった。

 更に悪いことに、ガルトフリートの派出所がある村までは遠く、元々少ない水や食料はあっという間に底を突いた。

 お腹が空いたと泣いて胸をぐいぐい押して来る赤ん坊に最後の水を飲ませて耐えてもらう。

 もう喉はからからで、何日も飲まず食わず。大人でも空腹と渇きは耐えがたいのに、赤ん坊には当然耐えられないだろう。

 行き倒れ同然の体で派出所がある村へと辿り着き、彼は派出所のドアを叩いた。

 これで拒否されたら、もう終わりだ。

 もう赤ん坊も自分ももたない。

 赤ん坊だけでも保護してくれたなら御の字と思っていたが、ガルトフリートの者たちはミーティアも保護することに決めてくれた。

 赤ん坊をミーティアから離そうとすると弱々しくも泣いて抗議し、服をつかんで離れようとしなかったというのもある。

「私は大丈夫だから……離れておくれ」

 赤ん坊はようやく離れ、ミーティアは後に言われた。

 あなたの方が危なかった、と。

 ガルトフリート王国の本土で体を休めつつ子育てと学業に励み、数年が過ぎたある日、世話になっていた村に害獣が大挙して押し寄せてきた。

 村に常駐している騎士と兵士がいつものように倒すかと思いきや、数が多すぎるため時間稼ぎにしかならないという。

 民間人がシェルターに避難している時に、害獣のもう一つの群れが現れて村が挟撃される形となってしまった。

 己の手には使い込まれた剣がある。

 迷うことは無かった。

「パパ、行っちゃうの?」

 涙目で見上げてくるシロに彼は言った。

「シェルターで待っていておくれ。大人の人の言うことを、ちゃんと聞くんだよ」

「うん……行ってらっしゃい」

 シロをシェルターに確実に入れると、彼は魔獣のもう一つの群れへと、たった一人で立ち向かった。

 どれ程の数を倒したのか、気がつけば夥しい数の害獣の屍の上にただ一人立っていた。魔力も気力も体力も、底を突いている。

 夕暮が近い空にはガルトフリートが誇る飛竜が舞っていた。

 鉛のように重い体ととてつもなく重い剣を引きずり村に戻ると、すぐに剣を公園の残骸に突き立てる。

 こうすれば本来の持ち主も見つけやすいだろうし、子供も触るまい。

 そう思っていたら衛生兵に見つかって野戦病院へと叩き込まれ、処置を終えると手早く叩き出された。

「さっきから小さい子が半分泣きながら『ここでパパを待ってる』って言って、シェルターにいるんです。すぐに行ってあげなさい」

 どこか麻痺したままにうなずき、シェルターに行くと、シロが迎えてくれた。

「パパ! おかえりなさい!」

 涙の痕が残る顔を満面の笑みに変えて胸に飛び込んでくる小さな命を抱き、彼はどうにか微笑み言った。

「ああ、ただいま」

 そこまでは良かった。

「あのね、えっとね、お姉ちゃんと、おばちゃんが言ってたの。好きな人にお胸を揉んでもらうと、お胸が大きくなって、気持ち良くって、良い事がいっぱいあるって!」

 周りの大人、主に女性を見るとふいと目を逸らされた。

 な、何ということを教えてくれたんだ、あのオバサマ共は!

 小さくて温かい手が包帯が巻かれた胸に触れて我に返り、シロを見れば無邪気な様子で……。

「良い事いっぱいありますように!」

 と、揉むどころか全身ですりよっている。

 止めるに止められず、彼はその場で思いつく限りの最善を尽くした。

「シロ、ありがとう」

 その後、ミーティアは誠意のない謝罪を受け、シロは「本当に好きな人にしかやっちゃダメ、触らせるのもダメ」というずれた指摘を受けたという。



「……赤ん坊の頃はお腹が空いた、ちょっと大きくなってからは幸せのおまじない……かなり育ってからは……まさかその延長か?」

「なぜ胸揉みが幸せのおまじない?」

「幼い時、近所の女性の会話を真に受けたらしい。揉むと気持ち良いとか大きくなるとか……あの時の事を覚えているのかは知らんが、私を思ってやっている事だけは確かだ。それに恐ろしいことに、あちこち揉まれてから色々と運が良くなってきているような気がする」

「それは……そのまま揉まれていた方がいいんじゃないか?」

「それしかないか……イベリスについては対処を頼んでおく。それまではライザーも気をつけろ」

 ライザーはうなずき、シロの部屋に戻るべく人気が無さ過ぎる廊下を進んだ。

 あの角を曲がればもうすぐシロの部屋だ。

 ふと気配を感じ、死角から振り下ろされた角材を避け警戒をそのままに相手を見る。

 不気味に染まった紅い隻眼と目が合った。


 シロは布団から身を起こし、だいぶ寝てしまったと夕食の支度にかかろうとしたが、時計を見て首を傾げる。

 もうライザーが帰って来てもおかしくない時間なのに、まだ帰ってきていない。

「迷子になったのかな?」

 本人が知ったら「だれがなるか」と憤慨しそうなことをさらりと言い、彼女は彼を探すことにした。

 ゴミ箱の中や草むらの中、天井裏まで探したがいなかった。

「あ、ミーティア、ライザー見なかった?」

「いや、見てないが……帰ってないのか?」

 ミーティアの顔が強張る一方、シロは目を丸くして一歩下がった。

 そうしなければ相手の顔が見えなかったのだ。

「ん? オレの顔に何かついているか?」

 ミーティアの背後にいた長身の男はからかうように言うが、その左腕には黒地に真紅のラインが入った腕章が、ガルトフリートの兵士である証がついていた。

「ミーティア、この子は?」

「私の娘、シロだ。シロ、こちらはガルトフリートのアドラム」

「よろしく。仕事にかかる前に、こいつを着けておいてくれ」

 アドラムは銀色のプレートが付いたネックレスだ。

「三つ?」

「シロと、ミーティアと、ライザーの分だ。ライザーは予防しようにも手遅れだから捕獲してかけてやれ。軽いのならそれで解呪できる」

 シロは着けつつ言った。

「他の人たちを助けるにはどうすればいいの?」

「一番良いのは魔眼を潰すことだが、おまえさんらの立場じゃ難しいか。オレがミーティアの顔を見に来たついでに解呪していくっていうことにする」

「ありがとう」

「どういたしまして。お互いの健闘を祈る」


 三人は城内を進み、襲い掛かってくる者をシロとミーティアは遠慮なく殴り飛ばしアドラムが解呪していく。

「おまえら本当に容赦ねえな」

 一応仲間だろ? と言えば二人はよく似た仕草で顔を見合わせて首を傾げた。

「やらなきゃやられちゃうし……ねえ?」

「ああ。こちらが数で負けている以上手加減の余裕は無い。命があるだけマシでは?」

 とりあえず、とシロは格闘戦の練習用のグローブを着用してとにかく殴っている。

 手加減のためかと思いきや自分の手を痛めないためだという。

 ミーティアの方は主に投げ飛ばして制圧し、武器を持った相手に対しては箒で叩き伸している。

 つい先程はシラーを叩き伸したのだった。

 引っ叩かれた腕を押さえ、彼は涙目で呻いた。

「もうちょっと優しくしてくださいよ」

「すまんな、手加減する余裕が無かった。解呪した者たちがそこらに転がっているから介抱してやってくれ」

「了解」

 三人は城中を回り、残るは地下になった。

「ここにも居ないとなると……地下牢しかないな」

 じゃあ行こうか、と後にする三人の後ろでは頭に大きなたんこぶを拵えたヘリオが頭を抱えて呻いていた。


 地下牢にて、イベリスは美貌を歪めて舌打ちした。

 老騎士ミーティアは厄介かつ危険だから、娘のシロから落とそうと思ったのにどういうわけか魔眼が効かず、調べてみれば男、それもジジイの胸に負けたという。

 クロユリの「やれるものならやってみなさい」という嘲笑が思い出され、腸が煮える。

 それだけでも腹が立つというのに、目の前の赤毛の男もかなり強情で人の神経を逆なでする。

 ライザーを捕獲したのは良いが、この男は意識が戻るなり舌を噛み切ろうとし、やむなく猿轡を噛ませている。

「いい加減にしなさいよ」

 ふざけるなと激しく鎖が鳴った。

 そう、この男の、おまえなんかに屈しないという、なかなか紅く染まらない強情な青い目も腹が立つ。

「私を見なさいよ」

 絶対に嫌だと顔ごと背けられる。城の兵士たちに痛めつけさせても絶対にこちらを見ようとはしない。

 むしろそのまま殺せと言っているようだ。

 怒りに任せて赤毛をつかみ、無理やり目を見て大量に魔力を注ぎ込む。

 もう廃人になっても構うものか。男も女も、みんな私のお人形だ。お人形のくせに逆らうな。

 力任せに注ぎ込み、ライザーの絶叫が地下牢に響き、不意に途切れた。

 うるさそうに顔をしかめていたイベリスが、糸が切れた人形のように動かないライザーの目を見ると紅く染まっていた。

 屈服させることはできたが、これでは使い物にならない。

 せいぜい魔獣の素材にしかならない。

「馬鹿な男」

 踵を返し、彼女は紅を丸くした。

「よう、テロリスト。ここで会えるとは思わなかったよ」

 彼女の足は力を失い、よろめくように後退する。

「魔神、アドラム……なぜここに」

 アドラムの傍には憤怒の形相をしたシロと、表情が無いミーティアがいた。

「雇われたからさ」

 それにしても、とアドラムは嬉しそうに、そして獰猛に鋼の眼を煌めかせる。

「賞金首に会えるなんて、オレってば運が良いじゃん!」

 イベリスはアドラムたちを魅了しようと魔眼を向けるが、だれ一人効かない。

 彼が無駄口を叩いているのはいつでも制圧できるという事に他ならなかった。

「うそ……」

 彼女の脳裏にクロユリの三日月に割れた口から漏れた言葉が甦る。


『ミーティアと、彼が連れている娘に呪いの類は効かないわ。嘘だと思うならやってみなさいな。ああ、飛竜とグリフォンが唾付けている連中にも効かなかったわね』

 大事な時に使えない眼ね。飾っておきましょうか?


 ああ、クロユリの哄笑が甦る。

 イベリスは何度も魔眼を発動させるが、まるで効果はない。

「無駄だよ。ああ、手下もいないよ。可哀想に、そっちの新しいの、どうせやり過ぎて潰しちまったんだろ?」

 馬鹿じゃねえの?

 アドラムの言葉に食ってかかろうとしたイベリスに、シロの素早く鋭い蹴りが炸裂した。

 そのまま無言で目を抉ろうとするのをミーティアは止め、イベリスを縛り上げて魔封じの枷を着けた。

「シロ、耐えろ。後で良い事がある」

「そうそう、良い事あるからちと我慢な」

 アドラムが紅く染まったライザーの目を覗き込むと、微かに抵抗するように身を捩り呻いた。

「シロ、ミーティア、後でこいつを褒めてやれ。うちの連中でもここまで抵抗できる奴は少ない」

「アドラムさん、治せますか?」

「ちと手荒いが、治せる」

 鋼が紅を覗き込み、ライザーの悲鳴が短く上がり、途絶えた。

「ライザー?」

「心配するな、気絶しただけだ。でも、寝ている時は一人に、様子を見に行くときは必ずミーティアを先に行かせること」

「はい、ありがとうございます!」

 シロはライザーの猿轡を切り、重たい枷を外してやった。

 血に染まった猿轡を見て彼女はそっとライザーをなでた。

「またこんなにボロボロになって……」

 さすがに担ぐことはできないので、拾った時と同じように背後から腕を回して引きずる。

 拾った時と違い、健康的に肉が付いてきているので重くなっている。

 そのことに思わず苦笑した。

「ライザー、ダイエットしてとは言わないから、早く起きて……」

 牢屋を出て階段に着いた時にはすっかり息が上がっていた。

「ミーティア、ちょっと持とうかな、なんて思わないの?」

 彼は微笑み言った。

「いつまで持つのかと」

 成長したな、と言う彼にシロは覚えていろと唸った。

「覚えているとも。それこそ夜泣きからおしめ替えまで全部」

「ごめんな、シロ。オレはこっちのオバサンで手が一杯でな」

 オバサンと言われたイベリスは髪の毛をつかまれ引きずられている。

「その運び方、良いんですか?」

「こっちの方が安全だよ。下手に人道的に扱ったら腕を切り落とされかねないからな。それより良いのか? 賞金首もらっちまって」

 シロは諦めたように笑った。

「我が国の兵の質ではイベリスに裁きを下すことはできませんし、賞金も出ません」

 それに、今必要なのはライザーの医薬品と好物を作るための材料。

 言いつつ、シロはふと思い至った。

「ねえミーティア、ライザーの好物に心当たりはない?」

「知らないのか?」

「うん、何食べてもおいしいって……だからわからないのよ」

 ミーティアはライザーを一瞥し言った。

「酒を好むようだが、何が好きかまではわからない」

 アドラムは低く笑った。

「なら、一番自信がある物を作ってやればいいさ。たぶん、シロの料理が好きなんだよ」

「ふふ……じゃあ、気合入れて作らないと。アドラムさんはどうしますか?」

 アドラムは一瞬目を輝かせたが、すぐに手の中の存在を思い出し苦い顔をした。

「食べたいけど、また今度頼む。こいつを運ばないと」

「では、また今度」

「お世話になりました」

 アドラムは漆黒の飛竜に乗って飛び去り、シロはどうにかライザーを運び布団に入れた。

「ミーティア、ちょっとでいいから手伝ってくれても良かったんじゃないの?」

 ゼイゼイと肩で息をして彼女は額の汗を手の甲で拭った。

「私は娘の成長が嬉しい。いや、逞しくなったな」

「それ褒めてないよね」

「気のせいだ」

 彼はちゃっかりと茶器を戸棚から出して一番いい茶葉を使ってお茶を入れ始めた。

「あっ、とっておきのやつ!」

「私のためにありがとう……冗談だ、後で補充しておく」

 もう、とぷりぷり怒りながらもシロは遅めの夕食の支度を始め、良い匂いが漂い始めた。

「う……」

 ライザーが呻いてぼんやりとした様子で目を覚まし、頭が痛いのか抱えるように押さえた。

「ここは……シロ!?」

 一気に彼の顔から血の気が引き、紙のように白くなった。

 ミーティアはわざと音を立ててコップを置いた。

 青い目が怯えたように向けられる。

「イベリスはガルトフリートの騎士に捕えられ、被害者は全員助かった。今のところ、あなたが最後の被害者だ」

「シロは?」

「無事だ」

 良かった、と彼は安堵の息を漏らしたが、直後、目を瞠った。

「ミーティア殿、何を?」

 ミーティアは目上の者にするように、床に膝をつき剣を置き、頭を垂れ……跪いていた。

「貴殿のおかげで我が娘は無事だった。ガルトフリートの魔神アドラムが言っていた。うちの連中でもここまで抵抗できる奴は少ない、と。貴殿の勇気と行動に敬意と感謝を」

「やめてくれ……私は……」

 弱々しく首を振り言う彼にミーティアは音も無く立ち上がり、静かに声を潜めて言った。

「知っている。仕事、だろう?」

「いつから?」

「つい先日だ。ヒノモトの方角へ向けて飛び立つ伝書飛竜を見て確信した。シロは知っているかは知らん。話したければ話すと良い」

 ライザーの目が揺れた。

「話すなら、夕食の前にしなさい。罪悪感に塗れた食事は美味くないどころか、味もわからないだろう」


 その後、ミーティアの忠告通りライザーは洗いざらい告白し、それを聞いたシロは一枚の報告書を持って来た。

「ライザー、故郷に大切な人はいる?」

「……いない」

「……そっか。これ、渡しておくね。話したことで苦しくなったら見て」

 ライザーは首を傾げてその場で報告書に目を通し、最初は驚いた顔を、次いで笑みを浮かべた。

「ようやく、自由になれるかもしれない」



 ガルトフリートに連行されたイベリスはギルトリウムへと引き渡され、その後、彼女の姿を見た者はいない。

 イベリスがガルトフリートの騎士に捕えられ消息を絶ったと耳にした、マガルトのクロユリは笑みを零した。

「だから言ったのに、馬鹿な人」

「助けには行かないのですか」

 彼女と同じ黒い翼を持つ少女の問いに、彼女は慈母のごとく微笑み言った。

「行かないわ。私にはあの人よりも、あなたたちの方が大事だもの」

 クロユリは少女をなでようと手を伸ばし、思い出したようにそれをひっこめようとしたが、少女はその手をつかみ頬に当てた。

「冷たいでしょう」

 クロユリの言う通り、白い手は氷のように冷たかった。

 少女は言った。

「クロユリ様以上に温かくて優しい手を、私は知りません。クロユリ様、手が冷たい人は、その分心が温かいと、仲間が言っておりました」

 私はそれを信じたく思います。

 少女はクロユリを温めるように翼を広げて包み、抱きしめた。

「ありがとう」

 クロユリは軽くそれに答え、少女を離し言った。

「あまり冷えると、お腹を壊したり風邪を引いたりするわ。さあ、お人形に見つかる前に、戻りなさい」

 少女は黄昏の目を揺らし、隠し通路の扉を潜った。

 温かい目でそれを見送っていたクロユリであったが、次には冷酷な目をして皮の手袋をはめ、立ち上がった。

 奴隷の中に複数のゴーレムが紛れ込んでいる。精神面はかなり人間らしいが顔のパーツの配置が同じ。それが逆に不自然だ。

 二、三体を難癖つけて解剖したが内臓も画一的。

 ブルノルフがガルトフリート王国国王の座に返り咲き、エルグ教を始末してまだ数年程度だが、ガルトフリートが本気で動き出したとしか思えない。

 噂では古のアトラシア戦役で滅んだはずの冬の神エルジアが復活し、休眠状態にあった夏の神アダマスも覚醒したという。

 となると、中に潜り込んでいるゴーレムはエルジアの手先、伝説に彩られた神造騎士団の可能性が高い。あるいは、ギルトリウムの新型ゴーレムだろうか。

 何にせよ、もうマガルトの仕組みや居場所については奴らの主人に漏れているだろう。

 鈍い馬鹿な男共は気に入ったゴーレムを抱いてご満悦だ。体液と一緒に情報まで吐き出しているだろう。

 ならば、と彼女は己に接触してきたゴーレムに微笑んだ。

「あなたには別の仕事をあげるわ」

 縛り上げて奴隷小屋の壁に固定し、服を切り裂く。

 驚き嫌がる様のなんと人間らしいこと。

 奴隷が帰ってきて彼女を見て怯え、クロユリは笑った。

「前に娯楽がないと零したそうね、設置しておいたわ。壊しても構わないから存分に使ってあげて」

「ありがとう、ございます」


 以来、奴隷小屋からは肉がぶつかる音がよく聞こえるようになった。


   * * *


 クロユリは冷え切った目でマガルトの模型と地図を見る。

 鋭い音を立ててナイフが地図に突き刺さった。


 人間は魔獣を悪魔のように言うが、人間こそが悪魔だ。


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