第十八話「別れ」
リアトリスが荒れ始める一方、ミノシヤにはのんびりした空気が流れていた。
遊びに来た神造騎士団の者たちが海岸で釣り糸を垂れ、川底の石を拾い上げて彫刻の技術を競い合う程度には平和だった。
そんな光景を眺めつつ、兵士が言った。
「シロって、美人だったんだな」
いつもお下がりの作業着や男物の服で、女物を着るのは仕事がらみで滅多にない。
ミーティアにじゃれつく、子猫のような時はかわいらしいとも思えたが、捕獲するためだけに辺り一面から雑草を引き抜き、ミーティアに一人追い込み漁を行ったのには脱帽した。
「とてもじゃないが女とは思えなかったな」
それがあの男、ライザーが来てから変わり始めた。
髪や肌の状態が良くなり、娘らしい姿をする時が増えた。
「あーあ、あそこまで美人になるなら、声かけて口説いておけばよかった。意外と胸もでかかったし」
小柄で巨乳って反則だろ。
かつてライザーに聞いた兵士は苦笑した。
「それ、ミーティア殿とライザーの前で言うなよ。言ったら最後、オレは瞬殺される自信がある」
その場にいた兵士たちはミーティアとライザーの星眼を思い出す。
ライザーはシロがいないと隠している事が多いが、ミーティアは違う。
普段見る分には、温かく穏やかな光を投げかける美しい目で、戦場では味方を鼓舞する。
だが、これが敵になったら?
古くより、星眼の一族は相手の戦意を粉砕し死をもたらす苛烈な戦いぶりで知られ、戦場で敵陣の中に星眼を目にしたら死ぬとまで言われていた。美しくも恐ろしい死の魔眼とうたわれている。
そのことはミーティアと、小遣い稼ぎに害獣退治を手伝うカフィールがよく体現しているし、ライザーに至っては極限状態を生き延びた。
「ライザー、本当によく生き残ったよな」
「しかも、奴隷からの脱出だろ? よくやるよ」
言った矢先、神造騎士団が大移動を始めた。
花壇の傍で日向ぼっこをしていたユルも素早く身を起こして近くの小石を拾うと投げた。
警鐘が鳴り響く。
彼が跳躍しようとした時、シラーが言った。
「ユル殿、何事ですか?」
「敵襲です。リアトリスが侵攻を開始。これより我々は妹の財産とエルジア様の奥方になられる方の故郷を守るため、迎撃します」
既に円卓ではシロクマが指示を飛ばしていた。
『国境を守備し、領内に入ってきた者のみを撃破しろ』
国境を挟み、二つの旗が翻った。
一つはリアトリス、もう一つが神造騎士団だ。
「リアトリス軍に問う。其の方らはいかなる理由があってこの地に布陣した」
ユルの声が平原に響き、大気を震わせる。
「ガルトフリート王ブルノルフとミノシヤ王ココは我々の王を辱めた。その報いを受けよ!」
リアトリス軍の大将も声を張り上げ、白刃が陽光に煌めいた。
その時、地面に綺麗な線が引かれた。
『国境に線を引いたよ!』
デルベリウスはよくできたでしょ? と鼻高々な様子だ。
「その線はあの世への入り口だと思え」
ユルは警告するが、リアトリス軍はその日、半数近くが命を散らしたという。
国境を越える者がいなくなり、ユルは言った。
「仲間の遺体を回収する時間をやる。残らずかき集めろ」
おずおずと境界線を越え、肉片を集める彼らの戦意は最早跡形も無く打ち砕かれていた。
遅れて駆け付け、途中から戦を見ていたヘリオは吐き戻し、シラーは赤く染まった戦場に目を細めた。
「戦場って……シロ、あんな所にいたのか?」
咳き込みながら言う彼にシラーはうなずく。
「シロに限らず、兵士は皆戦場に立ちました。ですが、あれはもう戦いではありません。虐殺です」
神造騎士団の火力は次元が違った。
ユルが一度剣を振れば、かなり離れていたにも関わらず国境線を踏み越えたおよそ百人の兵士が胴を両断されたのだ。
技も何も無い、無造作に武器を振り回すだけで敵兵を血塗れにし、血と暴力の嵐は恐慌を呼び、リアトリス軍は総崩れとなった。
魔法を放っても打ち消され、矢も投石も当たることは無く、彼らにかすり傷一つつけられなかった。
むしろ彼らが武器を振り回すと方向を換え、投げた当人の方へ飛んで行く始末だった。
恐ろしいことに主に暴れたのはユルとイルの二人で、一万人を超える軍隊が、たった二人にかなりの余裕を持って抑え込まれたのだ。
しかも彼らの後ろでは十人程が暇そうにそれを見ていた。
飛竜やグリフォンを駆る騎士が突撃しようとしても、その飛竜やグリフォンは死にたくないと泣き叫んで嫌がり騎士を振り落として脱走、投降した。
「シロとリチア、大丈夫かな?」
ヘリオが案じるそのシロは、リチアにあることを問われ目を泳がせていた。
「ええとですね……夜の事はお答えできませんししたくもありませんので、ご想像にお任せします」
「ねえシロ、私には擬似的な経験値でも必要なの。お願い!」
困り果てたシロは何事かを考えているエランを見た。
外身はともかくエランはかなり幼い。この手の事はまだ早いだろう。リチアには男性向けの官能小説でも買って渡すべきかと悩んでいる横で、エランは宙をぼうっと眺めたかと思うと、言った。
「あ、あるよ。お兄ちゃんとお姉ちゃんが映像データくれた。でも、私は見ちゃダメって言われているから、ウルお兄ちゃんが私を中継してリチアお姉ちゃんに見せるって」
リチアが首を傾げた時にはもう遅かった。
エランの口から低い男性の、ウルの声が出た。
「では、性行為に関する知識をお求めでしたね。我らが主のため、お受け取り下さい」
十分後、リチアは顔を真っ赤にして蹲っていた。
隣では自分も見たかった、とひとり拗ねるエランがいた。
「し、シロ……あなたも、昨日、一昨日……あんなことを……」
シロは頭が痛そうに額を押さえ、ヤケクソに答えた。
「そのあんなことの結果に私たちがいるんですよ。動物だって交尾しなきゃほとんどが増えませんよ!」
先日の痴態が生々しく思い出され、彼女は真っ赤になった。
「リチア、もう……エルジア様に熱烈にかわいがってくださいって言えばいいじゃないの!」
別室にいたエルジアはそっと苦笑した。
「どうしたの?」
「えっと……ボクは……初夜の時、人並み以上にがんばらなきゃいけないみたい」
期待されているみたいだし。
カンディアはそっとエルジアの頭をなでた。
「お互い、怪我をしないようにね」
「うん。父さん、シロさんとライザーさんは朝帰りしたって」
そうか、とブルノルフは笑った。
「あと、ミノシヤに遊びに行っていた神造騎士たちが大暴れした」
「なに!?」
「リアトリスがミノシヤに攻め入ったんだけど、ユルたちが迎撃したって。妹の財産と、ボクのお嫁さんの故郷を汚されてなるものかって」
ブルノルフは唸った。
「エルジア、おまえの騎士は全員転移魔法が使えたな?」
「うん。半分くらい呼んでおくよ」
冷静に仲間を呼び寄せる一方、リチアはエランを追いかけていた。
「お姉ちゃん落ち着いてってば! シロお姉ちゃんだって言ってたじゃない、人間は交尾しなきゃ増えないって」
「そういう問題じゃないの」
「みんなやってるから怖くないよ……たぶん」
シロはどこの違反行為だと苦笑しつつ、ドアの隙間からライザーの報告書を受け取る。
「あ、だれかと一緒なら怖くないよ!」
「余計ダメ! 動物だってね、襲われる心配が無い環境じゃないと交尾しないのよ!」
聞こえてきた騒ぎにライザーは呆れたように言った。
「シロ、仕事で話がある」
「ありがとう。すぐに行くわ」
そっと部屋を抜け出し、ライザーの部屋に行く。
声を潜め、ぼそぼそと言葉を交わす。
「リアトリス軍がミノシヤへ侵攻するも、遊びに来ていた神造騎士団によって返り討ちになった。あと、裏が取れた。城の地下は魔獣牧場になっている。最悪な事に人との間にできた魔獣は知能が高く厄介だ。有翼の一族が素体にされているからか、飛行能力を有している」
星眼の者も、およそ人の形をしているほとんどの種族が素体にされているのが確認できた。
「ココ様とブルノルフ様に報告だね」
報告を受け、エルジアはすぐに地下へと騎士たちを派遣した。
「サルごときが私に財を使わせるか。戦役前なら、このリアトリスを焦土に変えてやるものを……」
そこにいるのは幻の第一王子ではなく、正しく冬の神だった。
底冷えのする声と苛烈に輝く緑の目に、クランツは懐かしいものを見るように微笑んだ。
「エルジア様、恐れながら申し上げます」
シロは跪き言った。
「許す」
「ミノシヤはリアトリスに貸し付けがございます。吹き飛ばすのであれば城内の財をすべて回収した後にお願いします」
ブルノルフも貸し付けがあるとうなずいた。
「石材はかなりあるからいいとして、調度品なんかは後で出てくる成金に高く売るつもりだ。城内を干すまで待つかキリンギと魔獣に的を絞れ」
エルジアはわかった、と言って飛竜の姿になるとお気に入りのクッションを出してその上に陣取るも、カンディアに持ち上げられ膝の上へと移された。
「きゅ?」
「こういうの、後少ししかできないから、お母さんの我儘を聞いてね」
「きゅう……」
しょうがないなあ、という顔をして彼はごろりと寝返りを打った。
地下について報告が上がってくるが、気がかりなのはアキノの事だった。元々が人間のゴーレムだからか、彼らはあまり円卓へは接続しない。
それどころか、術式を解析して新たに会議室を設け、ほとんどはそこで通信を行っている。
近くにいるのはわかっているが、どうもその動きが妙だった。
* * *
「クロユリ、無理はするな」
魔獣の返り血を浴びたアキノは肩で息をする彼女に言うが、彼女は決して歩みを止めなかった。
既に彼女は戦える体ではない。
呪いの力で死を欺いていたが、どういうわけか限界を迎えつつある。
「アキノ、これ、預かってて」
いつかのように、化粧品が入ったポーチが渡される。
「オレは永遠の荷物持ちはごめんだぞ」
言いつつ、彼はそれを腰のポーチに入れる。
「見つけた……この子を楽にしてあげれば終わり……」
彼女は母体にされていた奴隷の息を止めようとするが、膝をついた。
「もういい、休め。オレがやる」
槍を構えるアキノの腕を氷のような手が引いた。
「クロユリ?」
「あなたは人を守る騎士よ。人を救うだの言って、殺めることがあってはならない。それが許されるのは、王か神だけよ」
厳しく言い、彼女は奴隷の頸動脈を切り、腹の中に育っていた魔獣の息も止めた。
磨き抜かれていたナイフは血と脂、刃毀れで切れ味が落ち、もう一撃で苦しまないようにとはいかなくなってきている。
アキノが渡そうとする武器も拒み、彼女は独りその道を行く。
こうして母体、あるいは種馬扱いされていた者たちの息の根を止め、二人は破壊音を耳にした。
「神造騎士団が動き始めた。早く逃げないとまずい」
「なら、上に連れて行って。あの子に……会わないと……」
最早立って歩くこともままならない彼女の冷え切った体を抱え、彼は最下層から上へと走り出した。
冷たい体は意外な程に軽い。
「クロユリ、リリィにはなんて言うんだ?」
やや間があった。
「無いわ」
「無い?」
「ええ……いつ終わるかわからない体だから、できる限り伝えてきたつもりよ」
そうか、と彼は速度を上げた。
広間では静かに殺気が渦巻き始めていた。
「これは、どういうつもりかな?」
ココが静かに言うと、キリンギはせせら笑う。
「亡国の王がほざくな。おまえら全員、魔獣のエサになるが良い」
一行の回りには魔獣が牙を剥いて「食べて良し」の合図を待っていた。
「キリンギ、寒さで頭が凍ったのか?」
ブルノルフはつまらなそうに言う。
しかしキリンギは静かで、それがかえって不気味であった。
「今ごろ、私の兵がミノシヤを焼き払っているだろう。のう、ココよ。娘を私に差し出し命乞いをすれば助けてやるが?」
「断る」
「ブルノルフ」
「同じく。というか、おまえの軍は壊滅したぞ」
キリンギは濁った眼で残念だ、と滴るような悪意を込めて言う。
同時に一斉に魔獣が動き出し、シロたちは剣を抜いた。
「エルジア、地下はどうなっている?」
「もう少しで制圧完了。クランツ、やれ!」
「はい!」
静かな薄緑色の光が辺りに満ちたかと思うと、全員の頬を冷たい風がなでていた。
「申し訳ありません、壁が倒れてくることが考えられましたのでこの階を屋上とさせていただきました」
「よくやった」
周囲には魔獣の姿は無かった。
「さて、リアトリスの王キリンギとやら。私はエルジア。アトラシア戦役にて神造騎士団を率いたエルジアだ。よくもまあここまで魔獣を増やしてくれたな」
一歩、また一歩とエルジアが歩を進めるに従い、キリンギはじりじりと後退した。
翼を持つ最強魔獣が二対やって来たが、すぐさまクランツが竜の姿に戻り咆哮し、ベルンがその背に乗り躍りかかり、続いて現れた新手もシロたちが切り払う。
エルジアは虫でも払うかのように襲い来る魔獣を片端から肉片へと変え、周りを染め上げつつ進む。
そんな折、シロはエルジアの足元に違和感を覚え叫んだ。
「エルジア様、お戻りください! 危険です!」
ふと、彼は背中に衝撃を受け吹っ飛ばされ、床に転がった。
「何だ!? シロ?」
怒りも露わに振り向けば、シロの腹には深々と黒い槍が刺さっていた。
彼女は槍を抜こうと手を伸ばしたが、槍は黒い霞となって彼女に溶けるように消えてしまい、途端襲ってきたかつてない悪寒に彼女は膝をつき床に倒れ込んだ。
「シロ!」
駆け寄ったライザーの腕の中でバキバキと鎧が壊れる音がし、彼女の背から血塗れの翼が生えた。
「あ……が……」
即座にエランが駆け寄り手を翳すと青白い光が零れる。
「はは……ざまあみろ!」
狂ったように笑うキリンギの肥えた腹に大穴が開き、彼の正面には冷え切った顔をしたエルジアがいた。
「エルジア様、ダメです! シロお姉ちゃんの魔法抵抗力が強すぎてスペルブレイクができません、抑えるので精一杯です!」
エランの悲鳴にエルジアは苦々しく吐き捨てる。
「あの、鳥頭が! 抜け道くらいは作っておけと……」
言いつつシロに魔力を纏った青白い手を伸ばし、胸元から何かを掬い取るとエランに言う。
「やれ!」
「はい!」
彼女の手が一層強く光ると、甲高い音を立てて何かが割れたような音がし、シロの魔獣化は止まり、歪な部分は元に戻ったのだが……。
「エルジア様、羽が消えません」
まさか失敗したのかとエランが青い顔をするが、エルジアは問題ないとシロの能力に手を加え戻してやった。
「ライザー……寒い……」
真っ青な顔でガタガタと震えながら吐息のように言う彼女に彼は上着で包んでやり、周囲に障壁を張り魔力を熱へと変換した。
「シロ……もうすぐ終わるから、少しだけ、堪えてくれ」
中にいるライザーは顔を真っ赤にして大粒の汗を流し、シロはようやく震えが収まるがこのままではライザーがもたない。
「ミーティア、早く片付けてくれ!」
その時、青白い無機質な暴力の嵐がその場を吹き飛ばし、魔獣は血霧と化して消滅した。
「エルジア様、遅くなりました」
「城外に散った魔獣の殲滅も完了しました」
「ご苦労」
踵を返したエルジアだが、ふと足を止めて玉座があった所を睨んだ。
どろりとした魔力が渦巻き、人が吐き出される。
「おまえがマガルトの王、クロベルだな?」
「はい」
男は跪いたまま言った。
「おまえには聞きたいことと言いたいことがある。まず、おまえはいつどこで私を知り、なぜ人間の魔獣化を引き起こした」
「私が貴方様を知ったのはアトラシア戦役直前でございます。あの時の貴方様の凍える眼差しと神々しい御姿を拝見し、貴方様のお役に立ちたく此度の事を行いました」
エルジアの目は更に凍え、クロベルは喜悦の表情を浮かべる。
リチアは思わず父親の袖をつかみ、カンディアは軍医をやっている兄とそっくりの表情を浮かべた。
兄のエヴァルトなら薬さじをクロベルの眉間に投擲してこう言っただろう。
――おまえに付ける薬は無い、と。
「それで、私に何を求める」
「私を、貴方様の眷属にしてください」
「断る」
にべもない一言に初めてクロベルが顔を上げた。
「なぜ」
「もうでかいカラスがいる。眷属は間に合っている」
冷然と告げるエルジアに、クロベルはしばし呆然とし、我に返った。
「なぜです……私は、神々が……貴方様が古より憎悪なさる人間を今まで減らして……」
「私は確かに人を憎んでいる。一部の愚か者のせいで失われたものは取り返しがつかない程に大きかったからな」
だが、と彼は続けた。
「人の中にもヨールの心を継ぐ者がいた。ヨールを死へと誘った愚か者以上の事をしているおまえの方が赦せん。万死に値する」
クロベルは呆然となぜ、と繰り返し、エルジアは温度を感じさせない声で続けた。
「ヨールの望みを受け、私はヨールを世界に溶かした。あのお方が常に始まりと終わりを迎えられるように、退屈しないように。ヨールは世界に溶けて循環し続けるはずだった」
草や木、大気や生物……命に乗って、世界を回り続けるはずだった。
「だが、馬鹿共がヨールの欠片を集めてでたらめに組み換えて固めて歪め、その傷が癒えぬ内にこの魔獣騒ぎだ。どれほどの欠片が歪み、傷ついたことか」
エルジアが指先で示すと、すぐさま青白い戦斧が振るわれ、クロベルの体は消し飛んだ。
「さて、マガルトのクロユリよ、私は機嫌が悪い。要件なら手短にしろ」
「ご安心を。用があるのは、シロにですから」
ふらふらと歩み寄る後ろを、槍を手にしたアキノが音も無く歩く。
ライザーは意識が無いシロを守るように抱き、言った。
「クロユリ、おまえが前に言った、すべき事とは迫害を受けている同朋を保護し、安住の地を確保することか?」
「ええ」
「なぜ最初からガルトフリートに保護を求めなかった」
クロユリの顔が歪んだ。
「私がやったのは人攫いと虐殺。ガルトフリートには、他国に押し入り、人を攫うことはできない。言えば奇跡的に動いてくれたかもしれないけれど、それをやれば連中はより深く潜って隠すようになってしまう」
だから、魔獣騒ぎに乗じて羽狩りを行っていた。
「おまえのやり方は劇薬に等しい。連れ去って隠し、村や町を作り、派出所を置いてもらい、訴えるだけで良かった。根絶やしにする必要などどこにも無い」
以前ユルに頼んでデルベリウスの目で有翼の一族を探してもらったが、もう全種類合わせても三百人程度しかいなかった。
「仮にあなたの言う通りにしていたとしよう。村を作っても、その村は十年ともたないわ」
彼女は吐息のように言う。
「人は低きに流れる生き物よ。忌み子の村があると知れたら、災害からその日の些細な不幸まで全部忌み子の村のせいにし、必ず潰しに来たでしょうね。そして八つ当たりの的を手に入れる。私の村はそうして生まれ、百年と経たず潰されたわ」
シュロチクや他の村を見たでしょう? 愚かな人間がいかに残酷か。
ライザーは返す言葉を持たなかった。
あの後何度も掃除の手伝いをしたが、殺してやるしか救う手立てが無く、刃を振り下ろすとき、決まって彼らは笑っていた。
やっと終われると、笑っていたのだ。
「あなたの身近にも地獄は存在するわ」
クロユリは不意に氷のような手を伸ばし、シロに触れた。
「私があなたを、あの人の所へ送るはずだったのに……私が先に逝くことになりそうね」
「そのあの人とやらの事だが、シロの父親だろう? 彼の名前はルピナス。あなたが持っていた剣にずっと憑依していたらしい……シロが、前に教えてくれた」
『父さんが言っていたよ。私にはもう一人黒い羽の娘がいる。危険なジジババ共がいなかったら引き取った。年が上だったからシロの姉さんだって。あの時、村から遠ざけておいて良かったって』
クロユリの目が揺れた。
『でも、できるなら、自分の言葉なんかに縛られず、自由に……幸せに、二人揃って生きていてほしかったって』
彼女は諦めたように笑った。
なぜか返さねばと思ったが……ああ、やはりあの剣は、去るべくして己から去ったのか。
ぽつ、ぽつと雨が降っては床に落ちる前に霞となって消える。
「そう……ね……父さんには、ごめんなさいって、言わなきゃ……」
ゆっくりと彼女の体が光の粒子となって解けるようにして消えていく。
「さようなら……妹と、義理の弟になったかもしれない人」
静かな声だけを残し、彼女は消えてしまった。
焼けつくような、それでいてとても寒い荒野の中、血塗れの彼女はずっと歩いていた。
大切な何かがあったはずなのに、もう何も思い出せない。
とても小さなものだけど、だれかが大切にしてくれたような気がする。
疲れ切って、もう一歩も動けず座り込んでしまった。
太陽は容赦なく照り付け、冷たい風はなけなしの体力を奪い、実りが何一つない景色は気力を根こそぎに奪っていく。
自分は、ここで消えるのだろうか。
思った時、目の前に水が差し出され、見上げればとても幼い自分がいた。
「やっと気づいてくれた! はい、お水」
ここには無いはずなのに、どうやって。ああ、お礼を言わなければ。
言いたいことはあるはずなのに声が出ない。
「お水も、お洋服も、綺麗な羽をした優しいお姉ちゃんにもらったの。あと、お花の種を蒔いたらこんなに咲いたんだよ!」
気づけば、荒野だったはずの景色は季節を無視した、色とりどりの花で埋め尽くされていた。
「あ……」
「お姉ちゃんはお花好き? 私は大好きだよ」
彼女の口元がゆっくりと、優しげな弧を描いた。
「ええ、私も、大好きだよ……ありがとう」
そっと花に触れ、理解する。
――これは、星の眼からの贈り物だ。
「届けてくれて、ありがとう」
――ああ、やっと、休める。
満足そうに死にやがった、とライザーは渋面を作った。
アキノは覆面と手袋を取り最敬礼をし、エルジアに今までの情報を公開した。
流れ込んでくる大量の情報に、エルジアは渋い顔をする。
呪いで死と終焉を欺けるだけの術者がいたとは……こうなる前に眷属に欲しかった。
「私は、こんな終わりを迎えさせるために人間に自由と死、痛みを与えたわけではない……ヨール、いるのでしょう?」
黒い髪が揺れた。
「ばれちゃったね」
振り向かず、エルジアは言う。
「あなたの望みを」
「相変わらず優しいね……ここに私の欠片がある。割れて双子になっちゃったんだけど、どっちも今は疲れて寝ているんだ。この子たちが起きたら、この子たちにそれぞれ新しい肉体と人生を与え、人並みの幸せを約束して欲しい」
初めて振り向き、彼はその欠片を手にした。
「種族などの指定は?」
「エルジアに任せるよ」
わかった、と彼はうなずきその欠片をどこかへと飛ばしてしまった。
「ありがとう。それじゃあ、元気でね」
ああそうだ、とヨールは思い出したようにシロの傍に本を置いた。
「この前はすまなかったね、あれじゃあ報酬とは言えない。あなたに錬金の知識をあげよう。使いこなせるかはあなた次第だけど」
じゃあね、と今度こそヨールは消えてしまった。
どやどやと物々しい音がして階下から兵士たちが上がってくる音が響いてきて、全員は静寂の中顔を見合わせ、ブルノルフは言った。
「エルジア、全員を転移でミノシヤまで飛ばせ」
「わかった……でもボクは一応、神様だよ……」
「あら、エルジアはお父さんとお母さんの息子でしょう?」
「う……うん」
エルジアはすぐに魔法陣を展開し、騎士たちがそこに到達するころには彼らの姿は影も形も無かった。
転移魔法でミノシヤ城へと戻った彼らはそれぞれの部屋で一先ずの休息を得て、ライザーたちはすぐに忙しくなった。
気絶しているシロの、血で固まりかけていた羽を丁寧に洗ってやり、魔力切れになりかけているライザーはミーティアと交代する。
「……頼む……魔力、切れた……」
グラジオラスの手入れをしていたミーティアは手馴れたもので、さくさくと翼の手入れをしてやる。
「透明に近い羽か……珍しいな」
汚れやゴミが着いたら目立ちそうだ、とミーティアは思う。
とりあえず、エランの服を着せてやり作業は終わるが、ライザーはやはり情けない顔でシロをじっと見ている。
「情けない顔をするな。シロは生きている」
起きたらきっと、服代がかさむと頭を悩ませるだろう。
「これを機に作業着ではない服を増やしてやれ」
ライザーは黙ってうなずいた。
一方、エランはエルジアたちに聞いていた。
「エルジア様、どうしてお姉ちゃんから羽が消えなかったんですか?」
「シロの場合、飛行能力を持たない代わりに様々な常時発動型能力を得ていたが、あの時私が一時的にそれらを抜き取り、飛行能力を有するようになった状態で彼女は一度安定した」
その後、彼女に限り能力所有の条件を削除して抜き取った能力を戻したため、彼女にとっては飛行能力を新たに得たようなものだ。
「それにしても……私も鍛え直しだな」
翌日、シロは目を覚まして身を起こした。
背中に目を向ければ綺麗な羽があり、まだ夢でも見ているのだろう、と彼女は再び横になる。
すると、精神の世界に降り立った。
「シロ、良かった、ちゃんと生きているね」
「うん。……羽が生えた程度で済んだよ」
暗い顔をするシロにルピナスは穏やかに微笑んだ。
「母さんのと同じくらいに綺麗な羽だよ。でもごめんな、父さんに羽は無いから飛び方を教えてやれない」
「……変じゃない?」
「ああ、変じゃないよ。シロが最初から羽を持って生まれていたら、きっとこの色になったんだよ」
ルピナスはシロを幼子にしてやるようになでながらゆっくりと語りかけた。
「母さんが見たらきっと喜ぶよ。飛び方を教えてやれるって。飛ぶのが本当に好きな人だったから。父さんも、母さんが飛んでいるのを見るのが好きだった。ライザーなら大丈夫だよ。シロに羽が生えても、絶対に離れようとはしなかった。むしろ、主人に捨てられそうな伝書飛竜のような顔をしてシロの事を本気で心配していたよ」
だから大丈夫。母さんと、飛べない父さんの分も空を楽しんでおくれ。
頭一つ低い娘が腕の中でうなずいた。
「行ってきます。あ、孫の顔を見るまでは成仏しないでね!」
彼は思わず失笑した。
「約束するよ。行っておいで」
ルピナスに送り出されたシロは再び目を開けた。
目の前にはいつの間にか赤い頭があり、くうくうと寝ている。
「ありがとう」
そっと手を伸ばし、頭をなでるが起きない。抱き寄せてなでていると寝ぼけているようだ。
「ライザー、ありがとう」
「そういうのは起きている時に言ってくれ」
彼ははっきりと言い、むく、と起きた。
「体調はどうだ?」
「おかげで良いよ。いつから起きてたの?」
「抱き寄せられてなでられた時」
前の時は逃げ方がわからなくて窒息しかかったから。
そう、と彼女の目が輝くが、察知した彼は素早く逃げた。
「羽、綺麗だな」
「天然羽毛布団だよ」
ライザーが羽に触れると、羽はピクリと震えた。
「羽まで感覚があるのか?」
「そうみたい。少し敏感かも」
彼はおもしろがって羽を触り始めた。
「おお、ぬくい」
武骨な手が無遠慮に羽の中に潜り込んで動き回る。
「ちょっと、くすぐったいってば!」
バサバサッと翼を羽ばたかせ、彼女は背中に小さくたたんでしまった。
ひらひらと透明に近い白い羽が散る。
「そんなにくすぐったいのか?」
爛々と目を輝かせる彼に彼女は翼をより小さくたたみ、ぴったりと体に密着させた。
途端に彼はつまらなそうな顔をする。
「ダメだよ」
彼は唸り、しょうがないからこっちで我慢すると落ちた羽を指先で摘みしげしげと見た。
「ねえライザー、エランはどこ?」
「む? エルジア様の所に行ったはずだが」
「ありがとう」
やけににこやかな様子で出て行った彼女に彼は嫌な予感……身に迫る危険な臭いを感じて腰を上げた。
あの流れから察するに、飛び方でも習いに行ったのだろう。だとすれば、今回の件に関する復讐は上空からの急降下につきあわされることか。
予想通りの反応をして楽しませてなるものか。
先手を打って慣れてやる。
「……なんて、考えてるんだよ」
エルジアの部屋にて、シロはエランに言った。
「上空からの急降下はライザーお兄ちゃんに予想されている可能性が大なんだよね? あっ、くすぐり倒すのはどう? 笑う門には福来るって言うから、きっと幸せがやってくるよ!」
二人の目がキラキラと輝き、アドラムの顔は引き攣った。
「手加減してやれよ? くすぐりは拷問にも使われるからな。呼吸困難もあるし、下手したらちびるし、吐くぞ」
「大丈夫、息が切れた辺りでやめるから。エラン、よろしく!」
はい! と二人は元気に外に出て行った。
「……エルジア、結果の予想は?」
「母さんがボクのお腹をなでるのと同じだよ」
「効果なし、か」
「うん。多少こそばゆいだろうけど、シロが直接触れるなら全然効かないよ。羽を使われて目隠しされたらわからないけど」
シロが飛ぶ練習を始めてしばらく後、彼女はエランとほとんど変わらないくらいに飛べるようになった。
それと同時に、ライザーはアドラムから高高度を飛行中の飛竜から飛び降りて無事に着地する、竜騎士の必須技能を教わり習得することに成功した。
「これで、シロの策は破れただろう」
「……まあ、がんばれよ」
笑う彼の後ろではその彼女が協力者を連れて目を輝かせていた。
「じゃ、まずはお望み通り急降下行こうか」
がっしりと両脇を固められ、連れて行かれるライザーを上空に確認し、ミーティアはニヤリと笑って仕込みにかかった。
危険害獣の血色大クジャクを狩り、中庭の隅でその羽を嬉々として毟っていた。その傍らには鍋を持って待っている使用人がいる。
「ミーティア様、よろしいんですか? せっかくの獲物なのに……」
言う彼女の目はご馳走を前にした肉食獣のそれだ。
彼はにっこり笑って答える。
「おいしいのは知っているけれど、私が今欲しいのは羽だからね」
彼の目的は柔らかくてしなやかな芯があり、繊細な尾羽だ。
手の中の羽を猫じゃらしのように揺らし、彼は陰鬱に笑う。
「あの、ミーティア様、どうしてライザー様をいじめるんですか?」
婿舅問題にしてはかなり過激というか……とにかく何かが違うのだ。
「何の事だ? 私は愛娘たちに羽を贈るだけだとも。奴が結婚式の事を忘れている事なんぞ、全然、まったく、これっぽっちも気にしてはいないぞ……ふふ、ふはは……」
そして彼は戻って来た彼女に羽をあげた。
「ありがとう!」
「シロ、結婚式を楽しみにしている。エラン、お姉ちゃんのお手伝いをして偉いな」
「えへへ」
二人の後ろではライザーが青い顔をしていた。
……しまった、忘れていた。
燃えるような赤い羽を手にしたシロとエランがにっこり笑って振り返る。
「ま、待ってくれ!」
「ヤダ」
エランがライザーをたやすく抑え込み、シロは剥き出しになっている肌に羽を滑らせた。
しばらくして、耐え切れなくなったライザーの笑い声が上がり、それは十分程続いた。
「シロ……くすぐって、悪かった……」
「あ、お兄ちゃん」
「む?」
「結婚式はどうするの? マガルトが撃墜されるの、一週間後だけど」
ライザーの顔色が真っ青になった。
* * *
アキノはリリィに化粧ポーチを渡し、詳細を報告した。
彼女はうつむき、震える手でポーチを抱いた。
「アキノお兄ちゃん、ありがとう……いいの……わかって、た……から」
ぽつぽつと雨が降る。
アキノは雨を止める方法も、差し出す傘も持ち合わせてはいなかった。
「クロユリ様は、今から十五年前に病気で死にそうになって、自分に呪いをかけたと仰っていました。自分が目的を果たすまでは、死を欺くと」
その代り、体温は無くなりどんな苦痛を受けても死ねない。
「こういう時、人はお墓にお花などをお供えするみたいだけど、私はどこに供えればいいの?」
クロユリは本当に遺髪さえ残さず消えてしまった。
残ったのは彼女が使っていた日用品くらいだ。
「兄ちゃんの故郷は、その人が使っていた品物を棺に納めて埋葬したり、自分が手元に残しておきたい物の傍に一輪挿しでも置いて花を供えたりしていたぞ」
彼はそっと一枚の写真を取り出して渡した。
「これ……クロユリ様?」
「ああ、本当はいけないんだが……まあ、黙っておいてくれ」
一緒に行動していた時、本当に偶然、彼女が穏やかに、柔らかく笑うのを見た時があった。
それは決まってリリィの事が絡む時だった。
『それは?』
差し出された本に彼女は不思議そうな顔をした。
『流行の服と、化粧品のサンプル付き雑誌。まずリリィちゃんの服を選んでやってくれないか。オレたちだとどうしても作業着になっちまう』
『私もそう詳しくは無いのだけれど……』
彼女は呆れたような顔をして雑誌を手にして真剣に目を通し始めた。
『お金に糸目をつけないならこれらね』
サクサクと選び、後日その服を着たリリィの写真を見て、彼女は慈母のように微笑んだのだ。
その時の記憶を写真という形にしたのだ。
その後、リリィの部屋には写真盾と一輪挿しと化粧ポーチが置かれるようになり、供えられる花が白かった事は一度も無かったという。
ライゾウはプリンターの写真用の用紙が減っていたことに気づいたが、彼は黙って目を背けたのだった。
そのプリンターが起動し、用紙が足りないと表示され、やれやれ、といった顔をした部下が補給する。
神造騎士のだれもが気づいていたが、だれも何も言わなかった。




