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プロローグ

 村の男たちが狩りから帰ってくると、そこは地獄と化していた。

 顔見知りが苦しみながら獣へと変わり、近くにいた村人の喉笛を食いちぎり血の雨が降る。

 ガルトフリートの派出所にいた騎士がやられたのか、怒り狂った飛竜が炎を吐き魔法や己の爪と牙で獣たちに捨て身の攻撃を仕掛けている。

 だれもが呆然とする中、真っ先に立ち直ったのは村で一番強い剣士だった。

「突破口を開く。おまえは妻子を守れ。行け!」

 恒星よりもなお力強く輝く目をした剣士が同じ目をした黒髪の戦士にそう言って逃がし、迫り来る元村人、獣と化した同朋に白刃を振るう。

 炎を照り返し輝くそれは美しい死の舞いであったが、それを初めに見たのは剣士の妻にして戦士の母であった獣だった。

 父親の悲鳴を背に戦士は走り、まだ二歳にもならない赤ん坊を抱えて不安そうな顔をした妻の背後にいた獣を切り捨てる。

「あなた、これは一体……」

「わからない。走れ、逃げるぞ!」

「あ……」

 土砂降りの雨の中、戦士は子を抱え妻の手を引き燃え盛る村を背に逃げた。

 マガルトなる地で魔獣が生み出され、つい最近実戦投入されたと風の噂で聞いてはいたが、まさかあのような手段で生み出されていたとは。

「あなた、待って!」

 妻の声に足を止め、顔を向けるが子を抱えていた腕に激痛が走り、戦士は悲鳴を上げて子を振り落してしまった。

 腕を見れば腕の肉が一部、人間か何かに喰い千切られたかのようになくなり、血がだらだらと流れていた。


 ――今、自分は、だれに、何をされた?


 呆然として回らぬ頭で子を見ると、妻を喰い殺そうとしていた。


 ――あれは、もうダメだ。


 考える間もなく、気づけば剣が血に染まり、子だったものは血と雨によってぬかるんだ地面に倒れ死んでいた。

 妻が半狂乱で戦士を罵倒する。

 戦士が何も言えずにいると、妻が段々と変わり始めた。

 絹糸のようだった髪は細い蛇に、常に温かな光を宿していた目は冷たく、優しげな顔は冷酷なものに。

 そして、何より妻の口には獣のような鋭い牙、手には爪があった。

「た……たす……け……」


 ――魔獣だ。


 目の前には冷たい骸が二つ転がり、振り返れば村は燃え盛り消火活動が行われている気配もない。

 手の中の剣がずっしりと重みを増した。


 ――何一つ、守れなかった。


 戦士は血と雨に濡れた体と剣を引きずるようにして、長い間各地の戦場をさまようようにして渡り歩いた。

 戦士の種族からすれば短いが、まだ青年であるはずの彼の外見は老人のそれに近くなってしまっていた。

 己の名前すら忘れてしまった戦士のことを、いつしか人々はこう呼び始めた。

 老騎士ミーティアと。


 寂れた村唯一の酒場にその老騎士は居た。

 灰色の頭をした大人しそうな、言ってしまえば陰気な男だ。その眼には覇気や生気が無く、生きながらに死んでいるような目であり近寄る者はほとんどいない。

 騎士と言われながらグリフォンや飛竜のお供もない……が。

「ぴい」

 聞こえてきた子グリフォンの鳴き声に彼は食事の手を止め、そちらを見る。

 ふわふわとした赤毛の、幼いグリフォンがつぶらな目をくりくりと輝かせてそこにいた。

「……親の所に帰ったんじゃなかったのか?」

「ぴい」

 家出してきたとばかりの得意げな顔に彼は文字通り頭を抱え、酒場にいた村人は何事かと彼を見た。

 以前にこの子グリフォンをミーティアが助けた事があり、二人はそれ以来の付き合いだった。

 しかし、ミーティアにとって子グリフォンを捕食しようとしていた獣は夕飯でしかなく、本当に偶然の産物だったのだ。

「親が心配しているだろう、すぐに野生に帰りなさい」

 ぷい、とふわふわの頭が体ごとそっぽを向く。

「おまえが巣に戻らないと、私はいつまでもおまえの親の気配から解放されないのだが」

 どうでもいいじゃん、と子グリフォンはぴいぴい鳴く。

 彼は食事を再開するが、子グリフォンはじっと口に運ばれる肉を見て哀れっぽく鳴く。

 つぶらな目はじっと最後の肉を見ている。

 ミーティアの黄昏の目と見つめ合うこと十秒……彼は折れた。

「次は無いぞ」

「ぴい!」

 とは言うものの、こうしてこいつが自分の食事の一部を持って行くのはもう片手では数えられない。

 いっそのこと、塩が採れる所に巣を作ればいいのに。

 食器を返却し、子グリフォンを抱えると村はずれに行き、やや毛を逆立てている親グリフォンと向き合う。

「もう来るなよ」

 何度目かわからない言葉と共に子グリフォンを差し出せば、親グリフォンはその臭いを嗅ぎ、叱るように鳴いた。

 子グリフォンがぴいぴいと鳴き、すぐさま親グリフォンに小突かれる。

『またあんたは人様のご飯を……今日という今日は許しません!』

『だって人間のごはん美味いんだもん……あだあっ!』

 という感じなのだろう、と彼はぼんやりと考える。

 そして親グリフォンはひとしきり叱り終えるとつい先程仕留めたと思われる野兎を差し出してきた。

「いつもありがとう」

 野兎を受け取り、グリフォンの親子を見送ってから村の隅で野兎を解体して魔法で簡単に干し肉を作ってしまう。

 本当ならじっくりと時間をかけて作った方が美味いのだが、背に腹は代えられなかった。

 残った毛皮も加工して村の店に売って資金にする。

 宿を兼ねる酒場の自室に戻ろうかという時、村の警鐘が鳴った。

 ミーティアの顔つきが変わり、外見や普段ののんびりとした動きからは想像もできない機敏さで風のように駆け、村へと迫っていた魔獣の群れへと迫り青白い剣を振るう。

 青白い暴風は魔獣に死を運び、目に恒星の輝きを宿す彼は死の体現者となった。

 瞬く間に魔獣の屍を積み上げ、もういない事を確認した彼は魔法で剣を清めると鞘に納め、村へと戻る。

「ミーティア殿、ありがとうございます」

「かまいません。すみませんが、魔獣の死体の始末を……あと、村の中に剣や学を修めようとしている子供がいます。ガルトフリートに派出所を置いてもらうようお願いしてはいかがでしょう」

 村長の目が丸くなった。

「あなたはこの村には残らないので?」

「ええ。まだ一所に落ち着く気にはなれないので……それに、私の剣は大事なものを何一つ守れない殺しの剣です。間違っても子供に伝えるものではありません」

 村長が伝書飛竜を飛ばした翌日、すぐにガルトフリート王国から騎士や技術者が飛んできてあっという間に指定された場所に派出所を作ったが、ミーティアは姿を消していた。

「じいちゃん、ミーティアはどこ?」

「もう旅立ったよ」

 ええ、と子供は目を丸くしてむくれた。

「剣を教えて欲しかったのに」

「それだが、ガルトフリートの者に教えてもらいなさいとの事だ」

「むう……前もそう言ってたんだよ……ちゃんと引き留めてくれたの?」

「引き留めようと言葉を尽くしたが、彼は頑として聞かなかったよ」

 それらの話を聞いたガルトフリートの派出所の者たちはふうん、という顔をして似顔絵を作成すると、すぐさま本国と各地にある派出所へと回した。

 すると、山のような戦績が出てきた。

 最強魔獣を一人でねじ伏せた、一人で魔獣の群れ薙ぎ払った、野盗の群れを一人で壊滅させた、グリフォンに懐かれている……等々。略奪も無く大人しいものだ。

「見所のある奴だ。見つけ次第食い下がって引き入れろ」

 そんなことになっているとは露知らず、彼は凍えるような風が吹く中空を飛んできた魔獣を切り捨て、ふと赤ん坊の泣き声を耳にした。

 また捨て子だろうかと気持ちが底に穴を掘るようにして沈むが、それはすぐに憐みと悲しみへと変わった。

 赤ん坊は注意深く隠されていたのだ。

 親を求めてか、泣く赤ん坊の傍にはだれかの夥しい血と血に染まった白い羽が散っていた。

 赤ん坊を包むのはとても上質な布で、直前まで深い眠りの魔法がかけられていたようだった。

 親はどれ程この子を愛し、置いて逝くことを嘆いたか。

 壊れ物を扱うようにそっと抱き、目を見て驚いた。

 わかりにくいが、星眼……同族だった。となると、この近くに同朋が、この子の身元を示してくれるような物が残っているかもしれない。

 揺らぐことが無かった彼の星眼が揺れ、赤ん坊は不思議そうに彼の顔に……目元に手を伸ばす。

「おまえの親も、星の眼をしていたのだな」

 彼は赤ん坊を抱いて歩き出し、焼けた村へと辿り着いてあちこちを探し回った。

 しかし、この村が鳥のような翼を有する種族の最大勢力、ウスユキ一族の村という事しかわからず、星の眼を持つ星眼の一族の既婚者が所有する婚礼道具……玉などが見つからなかった。

 もっとも、有ったとしても、もう星眼の同朋に会うことは稀だろう。

 あの日、星眼の一族の村は滅んだのだから。

 とりあえず、同朋の忘れ形見であるこの赤ん坊を育てよう。まずは魔獣に襲われることの無い住居を確保しなければ。

 寒さに体温や体力を削られつつ、彼は赤ん坊を抱えて歩き続けた。

 途中に立ち寄る村々には派出所が無く、彼は労働力と引き換えに赤ん坊のための補給を行い、自分は泥水を啜り生き、ようやく新たな村に辿り着いた。

「すみません、この村にガルトフリートの派出所はありますか?」

 問われた男はぎょっとした顔をしつつ、何とか答えた。

「ああ……あそこの角を右に曲がってすぐにあるよ」

「ありがとう」

 ふらふらと幽霊のような足取りで行く彼の後ろを、小さなグリフォンがとてとてとついて行き、いつ気づいてくれるのかと尻尾を揺らしながら待っていた。

 だがおかしい、とグリフォンは首を傾げる。

 今までの事から、彼は何かに気を取られていない限り間合いに入った時点で自分の気配に気づくはずだ。

 それに、あんなに頼りない足取りだっただろうか。

 たん、たん、と皮の手袋に包まれた手が派出所の扉を叩く。

 しかし、扉が開く前に彼は壁にもたれかかるようにして地面に膝をついた。中からの声にも気がついていないようだ。

「ぴい!」

 慌てて駆け寄って大声で鳴いても彼には聞こえていないようだった。

 その彼は扉の向こうから兵士が出てくると、必死に訴えた。

「この子を……この子だけでも、保護を……」

『何言ってんだよこのバカ!』

 赤ん坊残して死ぬなんて最低の親なんだぞ! 中途半端に優しくすんじゃねえよ、この考え無し、脳足りん、あんぽんたん!

 親以外のだれが狩りとか教えるんだよ!

 ギャアギャアと罵倒する子グリフォンを兵士はどけ、赤ん坊に手を伸ばしたが、赤ん坊は弱々しく泣いてミーティアの服をつかんで放さなかった。

「こら、良い子だから……」

 若い兵士は赤ん坊の扱いに慣れていないのか引き離すのに四苦八苦している。

 ミーティアはそっと赤ん坊をなで、何事かを囁くと不思議な事に赤ん坊はぐずりながらもどうにか手を離す。

 しかしすぐに火が着いたように泣き出す。

 嫌だ嫌だと泣いてミーティアに手を伸ばすが届くはずも無い。

『おいコラ、死ぬな、寝たら死ぬぞ!』

 くたりと冷たい床に横たわり、目を閉じる彼にはもう何も見えず、聞こえない。


 ――もう、休んでもいいのでは?


 頭の片隅で、疲れた顔をした男が吐息のように言った。


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