96話:歴史の変遷
皇都で1週間の十分な休養をとった後、僕らは1万の師団を率いてウェルリア王国に侵攻することに決めた。
「では、これより本格的にウェルリア侵攻して参ります、陛下!」
「あぁ。華々しい戦果を期待している」
皇都の門の外に並ぶ1万の兵を見渡しながら、レティス皇帝陛下は僕に激励の言葉をかけてくれた。
「しかし、たった1万の兵で、いまだ10万に総動員兵力を持つウェルリアに挑むとは、予想外だったが」
「寡兵、それも外様の僕を使って戦争勝てれば、陛下にとっては都合がいいでしょう?」
「それは確かに」
もっともらしく、浅黒い肌をした皇帝陛下がそう言った。
彼の隣には陛下のご息女、ルーン皇女殿下が控えていて、こう口にする。
「大丈夫ですわ、お父様。ルーク様に勝利の女神が見えます」
「そうか。それは心強いな」
これからウェルリア王国に挑む僕らの師団の内訳は、
重装歩兵が7000、騎兵が2000、魔導弓兵1000。
これで戦闘要員が1万。
さらに軍需物資を運ぶ輜重部隊が1500ほど後続する。
対するウェルリア王国は、総動員兵力がまだ10万を超える大国だ。
「陛下に新しく僕らの部隊に配給していただいた魔導銃。
アレは非常に使えます。
魔導銃を使えば、部隊の消耗を抑えてウェルリアの騎兵を叩けること間違いないです」
「あぁ、魔導銃な」
ちら、とレティス皇帝が僕の師団の魔導弓兵たちを見た。
今まで魔法の弓で敵を攻撃していた彼らには、銃タイプの魔導具が配備されている。
魔力を込めてトリガーを引くだけで、致死性の魔法弾丸が出る魔導具だ。
僕らの師団の魔導弓兵は、軒並みこの新しい武器を装備させている。
「あとはどれぐらい、僕の戦術と戦略でウェルリア王国をひっかき回せるか、ですね……。
ゲリラ戦は先手を取り続けることが必須ですから……。
こればかりは、やってみないと確かなことは言えません」
「あとは補給の問題もあるだろう。
無論、こちらからもレスティケイブルートで送るつもりだが、ウェルリアに妨害されて届けられない場合も想定しておいてくれ」
「大部分は現地調達、それも略奪ではなく正規の資金を払って調達するつもりではあります。
そのほうが、ウェルリアを統治する側に回ったとき、市民に悪感情を保たれないで、内政の立て直しが速やかにできますからね」
「戦争後の統治戦略のことも考えていただき、誠にありがたいよ」
レティス皇帝陛下は、くつくつと笑う。
「ともあれ、先のウェルリア軍のように後方連絡線を断たれ、焦土戦をされないよう。
上手く立ち回りってきます」
「うむ。ルーク殿が再びエジンバラの地を踏めることを、祈ってるよ」
「ありがとうございます。では、行って参ります!」
「貴公に、多神の加護を」
「行ってらっしゃいませ、ルーク様」
レティス皇帝陛下とルーン皇女殿下の激励を受けながら、僕らは皇都を出発した。
◆
皇都を後にした僕らは、その足を大陸北部へと進めた。
エジンバラとウェルリアのあいだに、長く広がっている大峡谷を通らず、最北部のピオネー山脈からウェルリア王国に進撃する予定だ。
そこに至るまでの行軍は、僕や副官、ロイさん、リリ、ベアトリーチェは騎乗して部隊の先頭を進んでいる。
僕やロイさんは言うまでもなく、リリたちもこの部隊では高級将校に値するからだ。
「しかしまぁ、ピオネー越えを画策したはいいが。
どれだけの兵力が保ったまま、ウェルリアにたどり着けることやら」
僕の隣を行くロイさんが、ぽつりとそう言った。
ピオネー山脈は急峻で知られる霊峰で、部隊が行軍不可能というのが、この世界の常識だ。
「厳しい寒さ、高い標高。それに加えてピオネー山脈に住み着く未開の原住民による妨害。
たしかに、これまで幾度となく挑んだ山岳家たちを、跳ね返してきただけの要素はありますね」
「だが、それだけに、ピオネー山脈越えはウェルリア王国も想定していないだろう。
あそこを突破できれば、ウェルリア王国の喉元にナイフを突きつけることができる。
問題は、どれだけ部隊数を維持したままピオネーを踏破できるか、だが」
「ですね」
彼の洞察は正しい。
「以前の会議でもリリの空間跳躍を使うとほのめかしていたが、具体策はあるのか、ルーク」
「あります。……というか、あるはずです」
「ある“はず”……?」
ロイさんが僕を見る目が、一気に険しくなった。
「おいおい、推測や見込みで戦略を立てているのか」
「実際に確認したわけではないですから、攻略できない可能性ももちろんありますが。
それでも、ピオネー山脈を踏破できる根拠はいくつかあります。
大きな理由に、ピオネー山脈に住み着く原住民の存在」
急峻な霊峰には、文明や文化を放棄し、自然とともに暮らす原住民が住み着いている。
原住民はピオネー山脈に侵入する登山家や軍隊にひどく嫌悪感を示し、崖に突き落としたり、上から岩石を投下してきたりと、これまで幾度ものピオネー攻略が原住民の妨害によって頓挫させられてきた。
「あそこに原住民が住み着いているかぎり、必ずピオネー山脈を踏破できるルートが隠されている。
なければ、原住民たちは山脈の中で移動できませんし、いくら文明を放棄していると言っても、さすがにウェルリアやエジンバラから生活必需品を仕入れなければ、あの厳しい霊峰の中で暮らすことは不可能でしょうからね。
つまり、原住民を味方につけることができれば、隠しルートを教えてくれる可能性が高い」
「しかし、原住民はピオネー山脈の中に入る俺たちのような人間をひどく嫌う。
味方につけることができるのか?」
「まぁ、策は考えてます。
資金による買収、というもっとも野蛮な策ですけど」
僕の言葉に、ロイさんは苦笑をにじませた。
「だから、輜重部隊に大量の金貨や黄金を積んで運ばせているのか。
食料や戦闘物資を必要最小限にまで抑えているのは、買収のためだったか。
あれ、お前の金もつぎ込んだんだろ?」
「すべてをピオネー越えに使うわけではないですけどね。
ウェルリア王国に侵入してからも、金貨を使って現地の人々から食料や物資を買い集めます」
「なるほど。たしかに人としての礼儀を守り、金を支払うのであれば、原住民やウェルリアの村人たちにとっては、買い手がどこの国の人間であろうが関係なくなるな」
「金は剣よりも強い。これは歴然とした事実です。
ならば、敵を味方につけるには金を使えばいい」
「なるほどね」
パッカパッカと地面を馬蹄が叩く音を聞きながら、僕とロイさんの会話が進む。
徐々に寒冷地にそびえる山脈に近づいていく。
「それにしてもウェルリア王国か……懐かしい響きだな」
「そうですね。まさか向こうも、追放した僕らが揃って歯向かってくるとは思ってないでしょうね」
「大陸戦争でウェルリア王国と戦うのはいいんだけどさ、ルーク」
ロイさんと会話を続けていると、リリが参加してきた。
「ん? なんだい、リリ」
僕の左隣を行く金髪の女性騎士に、僕は笑顔を向ける。
「この戦いでエジンバラ皇国が勝ったとして、本当にみんなが幸せになれると思う?
支配者がウェルリア王国から、エジンバラ皇国に変わるだけって思わない?」
「そうだなぁ……」
リリの問いに、僕は返す言葉をよくよく吟味する。
つまり彼女は、エジンバラが大陸の主権を握ったとき、また専横的な政治に逆戻りするのではないかと。
それは、レティス皇帝の代では起こらないかもしれないが、次や、次の次の皇帝の代では、横柄で暴君な人物が皇帝という座に座る可能性もあるのではないかと。
リリはそう危惧している。
だから僕は、それを否定する言葉を選んで言った。
「たぶん、この大陸戦争でエジンバラ皇国が勝てば、絶対王政は時代遅れの政治体制として、歴史上から滅びると思う」
「絶対王政がなくなるなんてことがあるの?」
リリはきょとん、と目を丸くさせる。
彼女や僕が生まれてから、いや、生まれる前からもずっとあった政治体制・絶対王政。
それが滅びてなくなることなど、誰が予測できようか。
「なくなるはずだと、僕は読んでいる。
歴史的に言って、政治体制が時代の移り変わりによって、制度疲労を起こした時、必ず制度の革命が起こってきた」
「制度の革命」
リリは難しいことを聞いた、と言わんばかりに目を丸くしながら、僕をじっと見つめた。
「ずっとむかし、この大陸の政治制度の主流がまだ奴隷制だった頃、生産道具や農法の発展によって、生産性が飛躍的に向上した」
「ふむ」
「生産性が向上したことによって、農地を耕す奴隷の存在価値も上昇した。
そうして奴隷の彼らは、発言力を得るようになる。
賃金をよこさないと、もうこれ以上は働かないぞと、ストライキを起こせるようになった。
そうなると、奴隷に働いてもらわなければ生きていけない市民は困ったことになる。
奴隷の立場は改善され、徐々に奴隷に人権を与える仕組みが成り立っていく。
このようにして彼らは、奴隷から領主に土地を貸し与えられて小作を行う農民へと移り変わっていった。
これが奴隷制から封建制に、時代が変わったときのあらましだ。
それと同じことが、現代にも起きていると思う」
「待って……難しいよ、ルーク。どういうこと?」
「現代のウェルリア王国のような王を頂点とし、地方を領主が治めて税を巻き上げる封建制は、エジンバラ皇国のような資本があれば成り上がっていける先進的な国家によって、時代遅れになっていると言わざるを得ない」
「あ、そうか。エジンバラ皇国は皇帝陛下が最高権力者だけど、人民もちゃんと立法で人権が守られてるもんね」
リリの発言に、僕は頷いて答える。
エジンバラ皇国には、社会契約説という社会システム理論のもと、人民に自然権や財産権を認める思想が広まっている。
これは先進的な考えを持つ、レティス皇帝が取り組んでいる政治制度だ。
「おそらくこれからの時代、単純な封建制度は絶滅するだろうと思う。
エジンバラ皇国のような、立法に自然権を守られた資本主義制に移り変わっていくんじゃないかな」
「うーん……。
歴史とか政治とか、ルークの言ってることは私には難しい……」
リリは頭をかきながら、小難しい顔をする。
そこで僕らの会話に、ビーチェが混ざってくる。
「要するに、この大陸戦争の結果で時代が大きく変わるってことを、ルークは言いたいわけでしょ?」
「そのとおり、ビーチェ。
生産力の向上や人間の存在価値の進展により、既存の政治制度が疲弊を起こした時。
その社会システムが抱える矛盾のパワーをもとに、歴史は次の段階に移行する」
「詳しい理論は私には分かんないや……。
とりあえずルークがすごく先のことを考えてるってことだけは分かった」
リリは首をふりかぶって言った。
「右に同じ。まー、そんなこと言われたってもさ。
あたしらみたいな雑兵は目の前の敵と戦うだけなんですけどねー」
ビーチェは、にへら、と笑ってみせる。
「そうだね。僕も社会構想のことは趣味で考えてるけど、これは僕の仕事じゃないしね。
さいわいにして、エジンバラ皇国のレティス皇帝は人格者だから、ウェルリア国民も悪いようにはしないと思う」
僕の言葉を聞いて、リリはこう結論づけた。
「戦争に負けちゃうと、何もかもが終わりだもんね。
だから、勝つしかないんだ」
「そういうこと、リリ。
未来を語るのは、社会を広く見通して社会構造の設計ができる、優秀な政治家の役割だ。
それは僕らの役割じゃない。
僕らみたいな戦うしか能のない人間は、ただ勝つことだけ考えてればいいよ」
そんな会話を交わしながら、やがて僕らの部隊は10数日ほどかかって、大陸の最北部にそびえる急峻なピオネー山脈の麓に到達した。