87話:戦いの後
「くすん……くすん……」
しばらくの間、僕の腕の中でリリの泣きすする声だけが響いていた。
皆がそれを神妙な顔で見守っている。
が、しかし。やがて森林道の奥側から聞こえてくるウェルリア軍の最後尾で攻撃を受けている兵士たちの悲鳴が、彼らを正気に戻させた。
「リリ様……自分らは一体どうすれば……?」
兵士たちの困惑した顔に、リリはせめてもと、涙をぬぐって表情を改める。
「ごめんなさい……。私はもうルークとは戦えません。
エジンバラ軍に投降します」
師団長を務めるリリの言葉に、ウェルリア軍の兵士たちに衝撃が走る。
「そ……そんな……。じゃあ我々は一体どうなるというのですか!」
「あまりにも無責任ですよ、リリ様!」
「そうだ。仮にも一軍の総大将が、男がいるからって敵国に投降などしていいのか!?」
兵士たちの不満は、やがてリリへの糾弾に向かおうとしたところで、リリの親友らしきベアトリーチェがそれを遮る。
「うるっさいな、あんたたち! 今までリリにおんぶに抱っこで、散々引っ張ってきてもらってさ!
リリはとても強いかもしれないけど、まだ16歳の女の子なんだよ!? そりゃ、心折れる時だって来るよ!」
「ビーチェ……」
僕の腕の中で抱かれるリリは、親友の言葉にまた涙をにじませる。
ベアトリーチェは続ける。
「あたしはリリの味方だ! エジンバラ国で捕虜になろうが、いじめられようが。リリについていく!
それが認められないというのであれば、あんたたちはどこへでも行け!!」
「お、おい……リリ様とベアトリーチェ様が戦意喪失して、俺たちはどうなるっていうんだ……?」
「一騎当千の騎士団のお方がいなければ、戦いだって満足には……」
「そもそも、食料がもう尽きかけているんだろう? 残った糧秣も襲われて、このまま戦えるはずもないだろ!」
ウェルリア兵士たちのあいだに、動揺と諦観の色が広がっていった。
やがて、ウェルリア兵士たちの中でも一目置かれている男が、こう口にする。
「なぁ……分かってるだろ、みんな。もうこの戦いはお終いだ。
あちらの総大将どのは、うちのへっぽこユース様とは格が違う。指揮官として別格なんだよ。
無理に腹をすかせて、負け戦をやることもねぇだろ。投降しようぜ」
その言葉をきっかけに、
「だな……。こりゃもう、勝ち目ねえわ」
「あぁ。補給もない戦いがうまくいくわけない」
「投降しよう。捕虜でも、飯ぐらいは食えるだろ」
ウェルリア兵士たちは次々にそう口にして、武器を地面へと投げ出し、その場にへたりこんだ。
その様子を見て、僕は彼らに高らかに宣言した。
「ありがとう、諸君らの聡明な判断に、深く感謝する!
諸君らは捕虜として迎えることになるが、きみたちの待遇を決して非人道的にしないことを、ここにお約束しよう」
「はっ。そりゃありがたいね」
「ま、ウェルリアに逃げ帰ったところで、貴族様がたにいびられる末路だしな……」
ウェルリア軍の兵士たちが武器を捨て、戦士喪失していく様子を眺め、僕はこの戦いに予想以上の戦果を上げたことを確信した。
想像以上に脆かったが、彼らも限界を迎えていたのだろう。
それに……士気の高揚と主導権の争奪の問題は、戦争でなによりも重要なキーとなる。
相次ぐ奇襲で主導権を奪い、敵兵がみな信頼している指揮官を彼らの前で打ち破ったことは、士気の徹底的な破壊効果があった。
「……ともあれ、後続で奇襲を行っている騎兵たちに勝ったと連絡し、無用な血は流さないようにしなければ」
僕は部隊の合図となっている、空へ火球を打ち上げる連絡方法をとった。
森林道の上空に、ファイアーボールを3度打ち上げる。
それは、
――戦闘に勝利。
――自衛を除く、すべての攻撃行為を中止せよ。
との命令合図だった。
こうして僕らエジンバラ軍は、森林道の戦いで圧倒的な勝利を上げた。
森林の奥深くに誘われていたウェルリア第1師団はもとから散り散りになり、ロイさんたちに各個撃破されて組織系統はすでに破壊されていた。
彼らはそれぞれが思うがままに逃げおおせ、その半数以上が戦場で行方不明。
リリ率いるウェルリア第2師団は、奇襲を受けた最後尾の兵以外の7000ほどが生存していたが、ほとんどの兵が戦意喪失。
リリとベアトリーチェに習って、エジンバラ国の捕虜になることを受け入れた。
――ここに、大陸戦争の初戦は終結した。
僕の考案した戦略、焦土戦とアウトレンジ攻撃作戦、そして騎兵を使った迂回奇襲によって。
エジンバラ皇国は歴史的大勝を記録した。
この戦いでもって、我がエジンバラ皇国は大陸中に、その精強さを轟かせることになる。
そしてこの時をして、これまで最強国家と名高かったウェルリア王国が、大陸の王者の椅子から転げ落ちることとなった。
新たな時代の覇権を握るものとして。
エジンバラ皇国が、その羨望と賞賛を、一身に浴びる栄光の時代へと突入した。