8話:さよなら
僕が牢獄に入れられているあいだに、宮廷では瞬く間に裁判の準備が進められていったようだった。
どう弁護しようが、僕の有罪は動かない出来レース。
リリとは一度も面会を許されないまま、僕は王国裁判の被告人として裁判所に出頭を命じられた。
両脇を兵士に固められ、僕は裁判所の中に連れて行かれた。
大理石で作られた裁判所は底冷えするような冷たさがあった。
中央の被告席へ通される。
目の前には大きな木の机に、裁判官たちが座っている。
さらに左右の傍聴席には、僕の最期を嘲笑おうとする下衆な人間たちが、好奇心をむき出しにしていた。
「ルーク!」
声のした方を斜め後ろを振り返ると、金髪のショートカットのよく見慣れた少女がいた。
リリだ。
予想通りというべきか、リリは弁護人席に立ってくれている。
僕のことを裁判で弁護してくれるつもりなのだろう。
あぁ……リリ……。
祝福の儀で神級騎士を天啓され、一躍スターダムにのしあがった女の子。
可愛くて、優しくて、ちょっとわがままで、愛おしい僕の大切な人だ。
「ルーク、大丈夫だから! 私が絶対にルークの無実を証明してみせるからね!」
リリはそう意気込んでいた。
無駄だ。これは出来レース、仕組まれた裁判なんだよ、リリ……。
僕は彼女に淡い微笑を浮かべて、前を向いた。
主席裁判官がおごそかに告げる。
「では、これより法廷を開廷する!」
木槌を鳴らして、裁判官は言った。
「被告人は下級文官のルーク。罪状は、国王陛下が所有する貴重な財源に、愚かにも手を出したことである!」
裁判官が言うと、法廷には一気にヤジの声が飛んだ。
「下級文官ごときが、恥を知れ!」
「これだから平民出身のいやしい子は……」
「死刑だ! 陛下の財産に手をつけるとは、死刑以外にあるまい!」
「静粛に! 静粛に!」
木槌がガンガンと鳴る。
「告発人に問う、先日、被告人は陛下が所有する聖十字騎士団の財源に手を付けた。これは事実かね? また、事実なら証拠はあるのかね?」
弁護人と対立する告発人の席に立っているのは、僕が知らない壮年の男性だった。
おそらくユースに買収され、僕のことをハメようとする人物だ。
さすがにユース自身が裁判の席に立つほど、相手も馬鹿ではなかったということか。
「事実です。被告人が騎士団の財貨を着服した日の夜、王都の居酒屋うさぎ亭では被告人に酷似した人物が美女をはべらせて酒を飲んでいました。」
法廷はわっと荒れた。
「陛下の金に手をつけただけでなく、女を金で買おうとなど、恥を知れ!」
「これからこの王国でまともに生きていけると思うなよ、犯罪者!」
僕のことを罵る声が圧倒的多数を占める中、気高く美しい少女の声があがった。
「異議あり! 被告人は当日、私と一緒に自宅で過ごしていました!」
リリだった。
僕を信じるのが当たり前だと言わんばかりに、正義を貫き通す声が法廷に響く。
「彼は私とずっと一緒でした! うさぎ亭なんて居酒屋に行ったという告発人の証言は、虚偽です!」
そう語るリリに、傍聴席から批判が集まる。
「そんな弁護は嘘に決まっている!」
「どうせ身内が可愛いから、虚偽の証言をしているのだろう!」
「静粛に! 私が発言を許可した者以外は喋らないように!」
裁判官が木槌を鳴らすと、また法廷は静まり返った。
「弁護人はあのように述べているが、告発人からそれを否定できる証拠はあるかね?」
そう聞かれるのが分かっていたと言わんばかりに、告発人はにやりと笑った。
「当日、被告人が飲み食いして遊んでいたうさぎ亭の店主と、はべらせていた女性を、重要参考人として法廷に召還しております」
重要参考人の席には、今まで会ったことすらない人物たちが首を揃えていた。
「重要参考人のうさぎ亭の店主に問う。告発人が述べたことは事実かね?」
「事実です。私の店で彼が酒を呑み、こちらにいる女性方と楽しんでいました」
「ルーク被告と同席していた女性たちに聞く。事実かね?」
「間違いありません。私たちは彼と一緒に一晩を楽しみました」
彼らの証言に、リリは絶望の表情を浮かべる。
「そんな……馬鹿な……」
「ほら見たことか! 被告人は大罪を犯していたんだ!」
「死刑だ! 死刑にしろ!」
「そんなの嘘よ! だってルークはずっと私といたじゃないっ! この人たちが嘘をついてるだけじゃない! 嘘だと言ってよ、ルーク!」
リリの顔が、涙でいっぱいになる。
「被告人、彼らは君が犯罪を犯したと言う証拠を揃えてきている。この事に何か申し立てすることはあるか?」
裁判官の言葉を聞いて、僕はしばらく瞑目した。
ユースのあの言葉が脳裏に蘇る。
――お前の有罪はもう動かない。すでに裁判官や国王陛下には莫大な賄賂を送って抱き込んである。お前がどう無罪を主張しようが、お前が事実としては何もやっていなかろうが、お前は死刑確定だ。
そう。
この法廷は出来レース。
僕の有罪は、開廷する前から決まっていた。
そしてユースはこうも言った。
――優しいリリちゃんはお前の弁護を必死でするだろうが、それは無駄な行為だ。それどころかお前を弁護すればするほど、『騎士団のリリは、犯罪者の身内だった』と蔑まされることになるんじゃないのか? このことが、これからのリリの将来に暗い影を落とすとは、思い至らないか?
僕を弁護すればするほど、リリのこれからの人生は暗くつらいものになる。
きっと、リリのこれからの幸せを考えるなら、僕なんかと縁を切って別のいい人を見つけるべきだ。
ユース公子は人格に問題があるからともかく、王国では僕よりもずっと人格も地位も財産も優れているものがいるだろう。
きっとリリは優しいから、最期まで僕のことを擁護してくれる。
僕の無実を信じて、最期まで戦ってくれる。
でもそれをすればするほど、リリの人生は悲しくつらい一生になるんだ。
なら、心に決めるしかない。
――リリに嫌われるんだ。
もう僕の顔が見たくないほど嫌われて嫌われて、僕のことを忘れさせてあげるんだ。
そうだ、リリ。
君のこれからの人生に、ルークという犯罪者の汚点はいらないんだよ。
だから、ここでお別れだ、リリ。
呼吸を整える。
とりわけひどい、リリの心の傷をえぐるような言葉を思い浮かべる。
きっと、この言葉を言ったら。
もう二度と、君は僕に笑顔を向けてくれないだろう。
もう二度と、君は僕のことを許してくれないだろう。
それでいい。
僕のことを嫌いになって、恨んで、憎んで。
それが君のこれからの人生のためになるなら、僕は喜んで礎になろう。
僕は一度だけ、大きく息を吸って、吐いた。
愛する女性のために、すべてを投げ出す覚悟を決めた。
脳裏に浮かんではにじんでいく、彼女との楽しかった思い出を抹消するように。
僕は、ひときわ残酷な言葉を発した。
「リリ……」
「ねぇ、ルークからも何とか言ってよ! ルークが騎士団のお金を着服して、女の人たちと飲んでたなんて、でたらめに決まってるでしょ!? そんなの真っ赤な嘘だよね!」
「リリ……聞いてくれ。今までずっと黙ってたことなんだけど」
波音一つない静かな湖畔に石を投げたときのように、それは法廷の静謐な雰囲気を音も立てず破壊していく。
「え……。な、何。こんな時に」
「もう、うんざりなんだよ。君と友達ごっこをするのは。はっきり言うね。僕はリリのことがずっと大嫌いだった」
「え……? ル、ルーク……? 何を言っているの……?」」
僕のその一言で、リリの顔に衝撃が広がる。
何を言われたのか分からない。
そう、彼女の顔に書いてあった。
「村の復興のためにリリとここまで王都まで来て、しょうがなく家政夫みたいなこともしてたけど。もううんざりなんだよ。君みたいな性格の悪い子のお守りをするのは!」
「え……、な、何を……? ルーク、なんでそんな事を言うの……?」
「君はいつだってわがまま放題だった。やれ疲れただの、足が痛いだの、マッサージしてだの、肩をたたいてだの。君のような性格の悪い子とは、もう付き合いきれない」
嘘だ。
リリはそんなこと言わなかった。
彼女のわがままは、いつだって可愛かった。
こちらの負担にならず、かつ男の庇護欲をくすぐる絶妙の塩梅で。
君はとても可愛かったんだ。
「な……何を言っているの、ルーク……?」
「僕のことは、もうほっといてくれないか! 裁判の内容が嘘か、だって? あぁ、事実だよ。あの日、僕は君が寝たあとに、うさぎ亭に行ってそこの美女たちと飲んでたんだ。家ではブサイクで性格の悪い君のお守りをしなきゃいけないんだ。それぐらいしなきゃ、ストレス解消できないだろう!?」
僕の言葉に、リリの表情が悲しく歪んだ。
ひどく傷つけられた。
彼女の悲哀の表情が、そう物語っていた。
「僕が有罪になれば、今生の別れになる? あぁせいせいするね。君のようなお荷物のめんどうを見るのはもううんざりだ! リリにはこれまでの人生でずっと足を引っ張られてきたんだ。むしろ僕の前から君が消えてくれてせいせいするよ! 君に合わせるのは、もう苦痛なんだ!」
僕が言うと、リリは静かに涙を落とした。
リリのまなじりから流れる、天使の雫が。
美しい透明色の結晶が。
僕の胸を、激しく灼いた。
罪悪感と後悔でいっぱいになる。
ここで全部嘘だと言ってしまいたい。
違うんだ。
そんなこと本当は思っていない。
リリは素敵な女性だ。
思いやりに満ち溢れていて、強く、優しく、美しい。
君のような理想の女性は他にいない。
そう言いたかった。
好きなんだ、リリ。君のことが。
愛を叫びたかった。
けれど、
「君とはこれでおさらばだ、リリ。実はね、僕は騎士団の金を着服して、それをリリのせいにするつもりだったんだ。リリを裏切っておとしめることによって、さる筋の人から大金がもらえる約束になっていたんだ。僕は金のために君を裏切ろうとしたんだよ! 結果、僕がハメられてしまったけれどね。残りの人生を遊んで暮らせるんだ、君のような馬鹿でブサイクで何の価値もない女の子、裏切ってなにが悪いんだ!?」
それが、決定的な一言だった。
僕の無神経な言葉で、繊細な心を傷つけられたリリは、烈火のごとく激怒した。
「いっ……今までそんな事思ってたの!? なによ……なんなのよっ! ルークのバカ! じゃあもういいよ! あなたを信じて弁護席に立った私がバカだった! 無神経! 最低男! 犯罪者! ルークなんてもう知らない! あんたなんてどこへでも行っちゃえ!」
リリは溢れ出る涙をぬぐって、法廷から走り去っていった。
そうだ、リリ。それでいいんだ。
ウェルリア王国の聖騎士団の一員として、君は成功を約束されている。
君はもう、僕のことを忘れて生きるんだ。
僕みたいな何の才能もない平凡な男とは、ここでお別れだ。
今は僕のことを怒り、憎み、罵るだろう。
けれど、それもいつかは、時の流れで感情が風化する。
そうすれば君は僕を忘れ、あとは輝かしい未来が約束されている。
騎士団団員で、下級貴族で、若く美しい君は、上流階級の社交界でも大いにモテるだろう。
君の人生に、僕のような凡夫はいらないんだ。
君の輝かしい未来の足を引っ張るぐらいなら、僕一人が悪者になればいい。
どうか、どうか。
これからのリリの人生が、祝福の色に満ちていますように。
リリが心から幸せになれますように。
君の幸せな顔が見れなくなることだけが、心残りです。
いままでありがとう……リリ……。
優しい君が、大好きだったよ……。
その日、僕は死刑を言い渡された。