7話:冤罪
「おそいなぁ、ルーク……。一体どこで油売ってるんだろう」
私は誰もいない大きな屋敷の中で、ぽつんとルークの帰りを待っていた。
いつもだったら夜遅く帰ってくる私のことを、食事と入浴の用意をして待ってくれているのに。
今日は夕飯の準備もしていないようだし、何か特別な仕事でもしているのだろうか。
自分でご飯を作って食べることもできるけれど、こんな大きな家に一人っきりで料理して食事をするとか、寂しさに耐えられそうになかった。
「はぁ……。一人だとむなしい……」
早く帰って来てよ、ルーク。
あんまり遅いと、私、機嫌悪くなっちゃうよ。
私はこてんとソファに転がると、そのままうつらうつらしだした。
今日も今日とて、騎士団の苛烈な任務で疲れていたから、私はそのまま微睡みに落ちていった。
翌朝。
ガラス窓から陽光が差し込んできて、私の右頬を軽くあぶる。
「ん……、寝ちゃってたか……。ふぁ……」
眠気眼をこすりつつ、私は横になっていたソファから身体を起こす。
今日も騎士団の苛烈な任務が始まるかと思えば、とんでもなく憂鬱になる。
「あー……任務に行きたくない、もう辞めたいって感じ……」
そんなことは期待してくれている騎士団のみんなや、頼ってくれている平民さんたちの前では決して言えないことだった。
そんな弱音を、この家の中だけでは漏らすことができた。
「ルーク、ご飯できてるー? ルークー?」
いつのも癖でルークを呼んだが、返事は返ってこなかった。
「……あれ?」
そうか、そうだった。
何か違和感に気づくと、そういえばルークがいないんだった。
昨日の夜から、まだルークは帰って来ていないんだ。
「まだ仕事なんだ……。事務方ってそんなに忙しいのかな」
私は首をかしげる。
今までこんな事は一度もなかった。
ルークはいつも私が起きるよりも早くに起きていて、朝食の準備を済ませているのに。
今更ながらに、ルークのありがたみを感じた。
ルークだって騎士団の後方事務方としての仕事をこなしながら、私の身辺の世話を焼いてくれていたのだ。
今度会ったら「いつもありがとう」と、言ってあげないこともない。
……面と向かって改まって言うのは恥ずかしいから、ちょっとだけ。さりげなくね。
「しかしそれにしてもルークどうしたんだろ。朝まで帰ってこれない大事な仕事って今の騎士団にあったかな? ま、騎士団の詰め所行けば分かるかな」
ルークがいないから仕方なく自分で朝食を用意する。
あまり時間がないからライ麦のパンを切って、野菜を煮込んだスープだけ。
手早く調理し、誰もいない食卓で、一人ぼっちの朝ごはんを食べる。
「…………はぁ……さみしい」
気落ちしてしまう。
一人がこんなに寂しいことだとは、知らなかった。
自分以外誰もいない静かな豪邸を後にした私は、いつもどおり騎士甲冑を身にまとって、王城に登第した。
騎士団の詰め所は王城1階の大きな階段の横にある。
大きな部屋が2つ縦に並んでいて、前の方は事務方さんたちの仕事場、後ろの部屋が私たち前線で戦う騎士の待機室。
事務員さんたちの仕事場を通らなくても、専用の通路をとおれば待機室には行けるのだけど、今日はルークの顔を見たかったから事務員さんたちの部屋へ寄った。
開け放たれた扉から中に入ると、私を見て出勤していた事務員さんたちはみな起立した。
「「「おはようございます、リリ様!」」」
聖十字騎士団という組織の中では、騎士がなによりも偉い。
みんなたかが15歳の小娘の私へ、最上級の敬意を払ってくれる。
最初は「そんなかしこまらないで、普通にしてください」と言ったのだけれど、彼ら彼女らは私に最大限の尊敬を見せる態度は決して崩そうとしなかった。
組織の上下関係って、そんなものなのかな。
ちょっとむずがゆいのだけれど。
「おはようございます。あの、ルーク事務員は出勤していますか?」
私がそう問いかけると、みな困ったように顔を見合わせた。
「実は、その事でリリ様のお耳に入れておきたいお話がございまして……」
「はぁ、なんでしょう」
「立ち話もなんですから、奥の会議室へ」
私は促されるまま、会議室へと入った。
会議室のテーブルを挟んで向かい合う私と、事務員さんたちの中でリーダーを任されている中年の男性主任さん。
たしか名前は、カスターさんとか言ったはずだ。
以前ルークが、「カスターさんは僕に目をかけてくれるし、いい人なんだ」と言っていた気がする。
「実は、私どもが出勤してまもなく、王城の上の方からお達しがあったのですが」
「はい」
何か嫌な予感がして、私は表情をこわばらせたまま頷いた。
「ルークくんが騎士団の予算から自分の懐へ不当にお金を着服したという罪をかけられ、現在は牢屋の中に入れられている様子です」
「不当に、お金を着服した!?」
思わず声を荒げる。
とてもではないが、信じられる話ではなかった。
「えぇ、私どもも『そんなまさか』という思いでいっぱいで……」
「ま、待ってください! どうしてルークがお金を着服する必要があるんですか!?」
「そこら辺の事情を聞きたくて、私たちも牢屋に連行されたルークくんへの面会を要求したのですが、上層部は取り付くシマもなく……」
「その上層部というのは、具体的にはどなたなんですか? 私の権限で、面会を再要求します」
騎士と下級貴族の権限を目一杯使えば、そのぐらいはできるはずだった。
「軍務省のラクサス大臣と、その下で働く兵士たちです」
「軍務省か……」
私は舌打ちする。
ウェルリア王国の虎の子部隊――最強部隊は、誰がどう見たって私たち聖十字騎士団だが、私たちは少数精鋭の陛下直属部隊だ。
当然ながら大国・ウェルリア王国としての総兵力を少数の騎士団だけでまかなえるはずもなく、一般兵士を統率する軍務省およびその正規軍が存在する。
騎士団はなにかにつけて陛下に特別扱いされ厚遇されるため、軍務省はふだんから騎士団のことを目の敵にしている。
おそらく、私が面会を要求しても、あの手この手で難癖つけられて断られるだろう。
「軍務省に手をいれるとなると、少し厄介ですね」
「えぇ、ルークくんはよく気がつく子で、仕事も丁寧だし、私たち先輩事務方も特別かわいがっていたのですが……。今回のことは嘘か冤罪としか思えないのです」
「分かりました。この件は私に一任してくれませんか? まだ経験の浅い新人騎士ですが、これでも私は下級貴族です。それなりに社交界でのツテもありますし、個人的なルートをたどってルークの所在を明らかにします」
「お願いします、リリ様。ルークくんは着服なんかをするような子ではないと、事務員のみなが思っています」
おじさんの主任事務員にうなずいて、私は席を立った。
私も何かの間違いであるに違いないと思っていた。
今ならまだ、騎士団の権力を振りかざせばなんとかなると信じていた。
だが事態を解決するには、私の力はあまりにも無力だった。
◇ ◆
冷たい牢屋の中、僕はぽつんと座り込んでいた。
情報の遮断された世界で、僕はこれからの自分の行く末を思案する。
横領は冤罪に違いないが、相手は僕を牢屋にぶち込むぐらいだ。
おそらく横領罪を確定させるだけの物的証拠と根回しはすでに揃えているのだろう。
この王国では国王陛下が1番偉い王政ではあるが、立憲君主制の形をとっている。
だから国王やそれに近しい人たちが僕を裁こうとしても、極刑クラスの罪状を言い渡すには必ず王国裁判にかけなければならない。
王国裁判を開くとなると、僕にも弁護の機会が与えられる。
そこにリリが弁護席に立って僕の無実を立証してくれれば、極刑はまぬがれることができるかもしれない。
リリならきっと僕が無罪であると信じ、僕がハメられたことに気づいてくれるだろう。
その証拠をリリが掴めば、今度は僕をハメた人間が窮地に立たされる。
そこまで行けば勝算はあるし、リリなら必ずやってくれる。
問題は裁判前にどうやってリリと会って、今回僕がハメられた事態を知ってもらうかだが……。
そんなことを延々と考えていたら、地下牢に降りてくるものがいた。
鉄の靴が石畳をコツコツと叩き、やがて僕の目の前で立ち止まる。
その男は、先日リリと問題を起こしていた、ユース公子だった。
「ユース……!」
「よう、無様な姿を見に来てやったぜ」
ユースは僕のことを、牢屋の鉄格子ごしに見下ろして、睥睨した。
「やはり、僕をハメたのはお前だったのか」
「ハメた? 何を人聞きの悪い。俺はお前が可哀想だから様子を見に来てやっただけだぜ、犯罪者」
舌打ちをこらえるので精一杯だった。
いかにもユースの顔は、醜い優越心と嗜虐心でいっぱいのそれだった。
「一つ、お前にいいことを教えてやる」
「いいこと?」
そう切り出すユースに、僕は警戒心をあらわにした。
「これからお前は王国裁判にかけられる。お前の有罪はもう動かない。すでに裁判官や国王陛下には莫大な賄賂を送って抱き込んである。お前がどう無罪を主張しようが、お前が事実としては何もやっていなかろうが、お前は死刑確定だ」
「貴様……。どれだけ下衆いことを……!」
「たかが下級文官ごときが、伯爵貴族に恥をかかせたらこうなるという良い例だ。勉強になっただろう?」
「ふざけるなっ! リリに振られたのが、そんなに悔しかったのか!?」
僕は激昂する。
リリに振られたのはどう考えてもこいつ自身の問題によるものだったのに、何をどうとち狂えば僕を裁判で死刑にしようと言う考えに思い至るのだろう。
僕がいなければ自分がリリをモノにできると思っているのか?
断じて違う。
僕がいなくたって、リリはユースに惚れたりは、絶対にしない。
「俺がドブネズミがごときのクズのお前にわざわざ会いに来たのは、その話があったからだ」
「なに……?」
慎重に聞き返した。
「おそらく、お前の愛しい愛しいリリちゃんは、裁判で健気にお前の事を弁護するだろう」
「リリならそうしてくれると信じてる。僕の無実を証明してくれるって」
断言できる。
リリは僕が1番信頼している、女の子だ。
「だから無駄なんだよ、その行為が。何度も繰り返すが、お前の死刑はもう動かない。関係各所はすでに買収済みだからな」
「このクズ野郎……!」
そう言うしかなかった。
あまりに理不尽な展開に、憤りを隠せない。
「お前はもう王国では死んだも同然だ。だが、よく考えろ? お前の惨めな一生に、リリを付きあわせていいのか?」
「どういう意味だ……」
「優しいリリちゃんはお前の弁護を必死でするだろうが、それは無駄な行為だ。それどころかお前を弁護すればするほど、『騎士団のリリは、犯罪者の身内だった』と蔑まされることになるんじゃないのか? このことが、これからのリリの将来に暗い影を落とすとは、思い至らないか?」
「貴様……! 僕だけでは飽きたらず、リリの一生をも弄ぶつもりか!」
にたにたと笑うユースに、僕は激憤をぶつけた。
「あぁ、可哀想になぁ。リリも犯罪者が身内ならば、これから騎士団の中で冷や飯ぐらいになるだろう。もしかしたら王宮や貴族社会でいじめられるかもしれんぞ? なんせ上流階級は犯罪者と成り上がり者には異様に冷たいからな」
「僕に……僕に、何をしろと……!」
プライドを傷つけられて震える声を押さえつけ、僕はユースに尋ねた。
「リリと縁を切れ。裁判の席で、はっきりとあいつとの断絶を口にしろ。そうすればお前のことを死刑からは助けてやるし、リリは俺が責任をもって守ってやる。なんならあいつと婚姻を結んで、伯爵夫人という地位を与えてやらないこともない。どうだ、お前一人が涙を飲めば、悪くない条件だろう?」
「ぐ……!」
おそらくユースが言うように、裁判を行ったとしても、僕の死刑はもう動かない。
こいつの言動から省みるに、それぐらいの根回しはやってあってしかるべきだ。
僕がどれだけユースと今交わした言葉を暴露しようが、みんな頭のおかしくなった平民が何か言ってると思うだけだ。
僕の社会生命は、もう終わったも同然……。
あとは、リリのこれからということになる。
リリなら僕のことを裁判の最後まで弁護してくれるだろうが、それはリリの一生に暗い影を落としかねない。
ユースの言ったとおり、ただでさえリリは平民から貴族に成り上がった新参者だ。
そこへ僕という犯罪者が身内だったということになれば、リリのこれからの一生は凄絶を極める。
本当にリリのこれからのためを思うなら、彼女に嫌われてでも僕はリリと縁を切らなければならない……。
「……………。少し考える時間をくれないか」
「いいだろう。良い返答が聞けることを祈っているぜ」
くっくっと笑いながら、ユースは地下牢から歩み去っていった。