66話:この天然ジゴロめ!
聖教会で魔法を覚えて、宿で一日たっぷりと休養を挟んだ。
そうして、『いざ、デミウス鉱山最奥部の攻略へ!』と、乗り出すつもりだったが、ヒメリが体調を崩した。
休養日を挟んでしまったことで逆にこれまで張り詰めていた緊張の糸が途切れたのか、高熱を出してしまったのだ。
彼女に無理をさせるわけにはいかず、僕たちはもう1日か2日。
ヒメリが復調するまで、デミウス鉱山の攻略を見合わせることになった。
「うう……本当にすみません……。ぐす……わだじが足を引っ張って……」
ヒメリは宿のベッドで毛布にくるまって、鼻水をすんすん、喉をけほけほ、と言わせている。
僕は彼女の個室の部屋にお邪魔して、ベッドサイドの椅子に腰掛けヒメリの看病をしつつ、戦術書を読んでいた。
ロイさんは朝早くから鉱山街を散策しに出ていった。
「くちゅん!」
「はい、ヒメリ。この手ぬぐいで鼻をかみな」
「あ、ありがどうございまず……」
僕が手渡した手ぬぐいで、ヒメリはちーん! と鼻水をかんだ。
「本当に、ごめんなさい……。体調管理すらできないなんて、論外ですよね……」
「いいよ、いいよ。シリルカの街からここまでずっと旅してきて慣れない疲れもあったろうし、休養を挟んだことで逆にこれまで溜め込んでたものが一気に出たんだろうね」
「うう……ぐず……ルークしゃん、優しい……」
ヒメリは泣きそうな顔で、また鼻水を出している。
僕は笑って彼女の鼻元を拭いてあげると、ヒメリは恥ずかしそうに赤面していた。
「それより……、あたしなんかどうでもいいですけど、あたしの近くにいたらルークさんにも体調不良が移るかもですよ……」
「あぁ、僕は大丈夫。『ウンディーネの加護』をつけてるから。状態異常とか体調不良とか、そういうのは全部魔法が弾く」
「えぇー……、なにそれ……。水系統の魔法、万能すぎません……?」
「だよなぁ。心底覚えて良かったよ」
くつくつと笑って、僕はヒメリに言った。
そのまましばらく、僕は本を読み続け、ヒメリはヒメリでベッドに横たわったまま静かにしていた。
宿の部屋は、もちろん男性陣と女性のヒメリでは別々の部屋を取っている。
僕がヒメリの看病をしている部屋は、本来はヒメリだけの部屋だ。
女子の部屋に男が居続けるのも問題だし、人がずっと側についているのも病人の気苦労になるだろうから、最小限の看護が終わったら出ていこうと思っていた。
宿で作ってもらった温かいお粥の持ち運びや、水に濡らした手ぬぐいの用意、それから薬の準備など。
ひととおりの世話が終わって、ヒメリの容態が安定したら、部屋から出ていくつもりだった。
ヒメリはベッドに寝て浅い呼吸を繰り返していたが、一番つらい状態は脱したようなので、僕は言った。
「じゃ、女子の部屋に長く居続けるのもあれだし、僕はこれで出ていくよ。隣の部屋にいるから何かあったら、呼んでくれ」
「あ……ルークさん……」
部屋から去ろうと椅子から立ち上がる僕のローブを、ヒメリの弱々しい手がつかんだ。
「ん? どうした」
「あ……あの……。あたしを、一人にしないでくれませんか……」
きょとんとした顔で彼女を見返すと、ヒメリは顔中を真っ赤な林檎のように紅く染めて、布団に顔を埋めていた。
「別にいて欲しいっていうならいくらでもいるけど……。でも、僕がいて精神的に負担じゃない? ほら、汗もかいてるだろうし、着替えをする時とか……」
僕がそう言っても、ヒメリはふるふると首を横に振る。
どうもヒメリは、身体が弱っているときは、心も弱るらしい。
「分かった。いいよ、ここにいる」
「ありがとうございます……。すみません、変なお願いしちゃって……」
「気にしないで。こういう時はお互い様だから」
そういう訳で、ヒメリの部屋で静かに読書を進めることにした。
羊皮紙の書籍、戦術書だ。
石橋や河川地帯などの、特殊な地形における戦闘の極意を解説しているページから読書を再開して、しばらくパラパラと本をめくっていく。
本に書かれていることを鵜呑みにするのなら、
――障害は、遠きに渡れ!
が、地形戦の基本らしい。
敵の部隊が展開している近くで障害物を渡ると、渡河中に敵から火力の集中を受けてしまうことが問題のようだ。
なるほど……障害は、遠きに渡れ、か……。
読書に没頭していると、ヒメリが弱った声音を上げた。
「ルークさん……」
「ん? どうした、ヒメリ」
「お腹すきました……」
「あぁ、林檎でも剥こうか?」
「おねがいします……」
「はいよ」
本にしおりを挟んでテーブルの上に置き、水桶に溜めた水で、手を清潔に洗った。
そして朝一でロイさんが買ってきてくれていた果物籠の中から、林檎を手に取る。
ナイフを使って二等分、四等分と切り分けた。
それから、林檎の皮が見栄えがよくなるように切込みを入れていく。
「なにげに、めっちゃ上手くないですか……?」
「ロロナ村という辺境の村にいた時に、よくこうしてリリが風邪になったときの面倒も看ていたから」
僕が言うと、病床のヒメリは少し面白くなさそうな様子で、こう言った。
「ふーん……リリって誰ですか? ルークさんの女?」
「女ってほどじゃあないけどね。まぁ、幼馴染だよ」
「へー……」
明らかに、不機嫌な色を帯びていた。
苦笑しながら、ナイフで切り分けた林檎をフォークで突き刺して、ヒメリに差し出す。
「はい。林檎さんどうぞ。うさぎさん林檎だよ」
「わー……かわいい」
うさぎさん林檎を見て、ヒメリは感嘆の声をあげる。
林檎の皮をうさぎの耳のようにして切ったものだった。
こういう風に剥くと、リリがよく喜んでくれた。
ヒメリはうさぎさん林檎をパクっと口に含み、シャクシャクと咀嚼する。
「おいしー……」
「もっといる? まだ剥こうか?」
「いえ……。もういいんです、けど……」
「けど?」
ヒメリは熱に浮かされた瞳で、僕を見る。
綺麗なはしばみ色の瞳には、感情の雫が浮かんでいるように思えた。
意を決したように吐息を飲み込み、ヒメリは僕にこう言う。
「ルークさんって……なんで、あたしなんかに優しくしてくれるんですか……?」
少し熱もあるのだろうか。上気したように赤くなった頬で、ヒメリは僕に尋ねた。
「なんでって……理由がないと、ヒメリに優しくしちゃダメなの?」
「下心とか、分かりやすいんだったら納得なんですけどね……。そういうの……、たぶん、勘違いする女の子もいると思うんです」
「…………?」
何を言いたいのかは分からなかった。
ただ、何か大切な事を言おうとしているのだけは、分かった。
僕は口をつぐみ、彼女の言葉に傾聴することにした。
「女の子が、男の子を好きになる基準って、なんだと思います?」
「さぁ……分からないな。カッコイイから、とか?」
「違うんです。そりゃもちろん、面食いでカッコイイ男の人しかダメって子もいますけど、少なくともあたしはそうじゃないんです」
「ほぉー。じゃあヒメリはどういう男を好きになるんだい?」
僕が尋ねると、ヒメリは息を呑み込んで、こう語った。
「『どれだけ自分という存在を、大切にしてもらって、気にかけてもらっているか』なんですよ」
女子の気持ちを聞いたことがこれまであまりなかったので、ヒメリの言葉は新鮮に感じられた。
「たとえば、女の子が風邪や体調が悪かった時、何も言わないのに気づいてくれて『しんどそうだけど、大丈夫かい? 休んだほうがいいんじゃないか』って優しい言葉をかけてくれる男性。
それも他の女子にはそうせずに、自分だけ特別扱いしてくれるような男性には、女の子って比較的恋に落ちやすいんです」
ヒメリは弱々しい笑みで、こう続ける。
「だから、多分ルークさんは、女にモテると思いますよ」
「僕が? それはどうかなー」
苦笑いを浮かべる僕を、ヒメリは潤んだ瞳で見つめ、言った。
「あたしたちが皇都に来るまでの旅で、あたしが靴ずれを起こした時、ルークさん言いましたよね。
『ヒメリ、顔色悪いけど大丈夫か? つらいのかい。休んでいくか?』って」
「あぁ……」
そういうこともあったな、と僕は思い返す。
「それだけじゃないです。
デミウス鉱山の攻略をする時にも、いつもルークさんは魔物から守ってくれ、あたしの異変に気づいて声をかけてくれた。
それはルークさんにとっては、たまたまそう言っただけのことかもしれない。あたしが相手じゃなくてもね。
でも女にとって、『言われなくても、きみのつらさは分かってるよ』という好意は、とても暖かいんです。
そういう小さな好意を、女はいつまでも大事に大事に抱えて生きていく。
もちろん、清潔感があってわずかでも好意的に思ってる男性に言われれば、ですけど」
そうして、ヒメリは小さく笑う。
「だから、あたしは――……」
その先の言葉は、かすれて聞こえなかった。
しばしの静寂がおとずれる。
僕は柔和な表情で、彼女の汗で濡れた赤茶色の髪をなでた。
「ヒメリ。そんな風に言ってくれてありがとう。
きみは優しい子だね」
「そんなに……そんなに、あたしのことを気にかけないでください。舞い上がってしまいます……」
「舞い上がる?」
「あたしのことだけ、好意的に見てくれてるんじゃないかって、勘違いしちゃうじゃないですか」
「あぁ……」
そう言えば、リリにもかつて、言われたことがある。
――ルークはもっと、優しくする人を選ぶべきだよ。 と。
なるほど……。そういうことか。
「……この、天然ジゴロめ」
そう言って、ヒメリはベッドに横たわったまま、布団から手を伸ばして僕の膝をパタパタと叩いた。
「えいっ! 悪い男はこうしてやります!」
「痛いじゃないか……」
でもそれが、彼女のとびきりの情愛を示していることは。
鈍感な僕にも手に取るように分かった。
だから同時に、近い将来、彼女を傷つけることになるであろうことが、容易に予測できた。