6話:渦巻く陰謀
「なんでだ!? なんであの女は俺の言いなりにならない!」
ブロンドの長髪男は、手に持ったグラスを壁に叩きつけた。
豪奢な部屋の壁にあたったグラスが、粉々に砕け散って高級そうな絨毯に散らばった。
癇癪を起こしているのはユース・フォン・レジスター。
王国で伯爵の地位を持つ、レジスター家の跡取りだ。
今日の昼間にリリに無理やり言い寄り、すげなく断られて恥をかかされた男であった。
醜く顔を歪ませて、ユースは吐き出した。
「あの平民男だ……。あんなクズの雑魚を飼っているから、リリはこの俺になびかないんだ。あいつさえ……あいつさえいなくなれば……」
醜く濁った不気味なうめき声が、部屋に反響する。
「おい! シドレー! シドレーはいるか!」
ユースが高らかな声で叫び、机にあったベルを鳴らす。
そうすると部屋の扉が開き、壮年の身なりの整った執事が入室してきた。
「は。ただいま参りました、お坊ちゃま。いかがなされました」
「おい、俺はもう成人しているんだぞ。いい加減お坊ちゃまはやめろ」
「しかし、私にとってはユース様は子供の頃からお世話してきた、お坊ちゃまに違いはありませんから」
「チッ……まぁいい。今はそんなことを言っている時ではない」
「と、申されますと?」
「騎士団に新しく入ったリリという女を知っているな?」
「えぇ、それはもちろん。平民たちの無理難題を嫌な顔ひとつせずこなし、聖女だと崇められているのだとか」
「俺はあいつを手に入れたい」
「ほう……。お坊ちゃまがのめり込むほどの女ですか」
「顔は十分、名声も名誉もある。おまけに下級ではあるが貴族だ。この俺の妾にしてやって、ヤるだけヤッて使い捨ててやるぐらいには、利用価値はあるだろう?」
「さすがユースお坊ちゃま。その女を見下した傲岸不遜な態度はさすがでございます。性格がお悪い」
「おい、貴様、主の俺にケンカを売っているのか?」
「とんでもございません」
シドレーはうそぶいて肩をすくめる。
「それで、私にお坊ちゃまの恋路の手伝いをしろとおっしゃるのですか? 私はとうに枯れ木になった、ただのおいぼれた執事ですぞ」
「それはわかっている。消して欲しい男が一人いる」
ユースの言葉に、シドレーは目を光らせた。
「リリが飼っているルークという男だ。同じ村の出身だとかで、騎士団で事務員をやってリリの邸宅で一緒に暮らしているらしい。目障りなことこの上ない。リリを落とすためにはあいつが邪魔なんだ、殺してくれ」
「なるほど……。そういう汚れ仕事であれば、私の出番でしょうな」
もっともらしくシドレーは頷く。
「頼む。報酬は弾む。あいつを消してくれ」
「分かりました。下級文官一人消すぐらいは簡単ですが、聖女の男というだけあってあまりに露骨なやり方だと、ユースお坊ちゃまに火の粉が飛び散る可能性もなきにしもあらずです。少々、工作にお時間をください」
「あぁ、頼む。できるだけすみやかに抹殺してくれ」
「お坊ちゃまの御心のままに――」
横柄に頷くユースに対し、シドレーは恭しく頭を垂れた。
◇ ◆
「ルークくん、こないだのカストーナ地方の事後処理報告書の件、もう終わらせて陛下に裁可印はもらったかね?」
騎士団の詰め所で書類仕事をする僕に、事務員主任のカスターさんが話しかけてきた。
「はい、もう終わっています。カストーナ地方の復興計画書も作り上げて、工部省の大臣を通して陛下に上申しています」
「さすが、仕事が早いな」
カスターさんが目を細めて褒めてくれた。
「いえ、そんなことは」
「その調子で励んでくれたまえよ。君は騎士団事務方の、期待の新人だ」
「はい。頑張ります!」
元気の良い返事を返し、僕はまた仕事に戻る。
騎士団での事務仕事は順調だった。
僕の1日はこう始まる。
毎朝、まだ誰も来てない時間に登城して、詰め所をひと掃除する。
みなの机を水で濡らした雑巾で拭き、花瓶の水を取り替え、バラバラになっている書類を分類し整理する。
掃除を行っていると先輩の文官さんたちがちらほらやってきて、「お、ルーク今日も早いな」「いえ、おはようございます」と挨拶を交わす。
そして業務前の紅茶をお出しして、雑談をかわしてから本格的な仕事に入る。
先輩のみなさんは優しく丁寧に仕事を教えてくれるし、僕もまた騎士団での事務仕事が性に合っていた。
祝福の儀を受けておきながら低魔導師という天職しか得られなかった僕に対して、文官の仕事をもらえただけでもありがたい。
リリも前線で頑張っていることだし、そんなリリのために少しでも後方支援ができると思えば、頑張れた。
だから騎士団の詰め所に突如として現れた軍務省の兵士たちを見て、僕は首をかしげることになった。
「ルーク! ルーク下級文官はいるか!」
いかつそうな兵士がずらずらと入ってきて、僕の名を呼んだ。
「はい、僕がルークです」
「貴様に横領罪の疑いがかかっている。我々と一緒に来てもらうか」
その言葉に、硬直する。
「お、横領罪……ですか……?」
身に覚えがなかった。
横領罪とは、つまり騎士団や王国のお金を自分の懐に着服したということだ。
たしかに騎士団での会計処理も多少は任されていたが、それにしたって騎士団の維持費や装備品の購入費、雑費の支払いや管理だけだった。
もっと大きな予算を動かしたことは、一度もない。
「ま、待ってください。僕は騎士団の下級文官になってまだふた月しか経っていないんですよ? そんな新人に、横領罪ができるほどの大きな財務処理が任されるわけがないじゃないですか」
「そうです。うちのルークは優しく真面目だけが取り柄の、いい子です! 何かの間違いでは?」
カスターさんも僕のことを擁護してくれた。
「ふんっ。ふてぶてしく開き直りおって。貴様が陛下の大事なお金を着服したネタはすでにあがっているのだ。さぁ、我々と来てもらおう!」
「これは何かの間違いだ! お願いします、横領なんてするような子じゃない! ルークくんを信じてやって下さい!」
僕を連行しようとする兵士たちに、カスターさんがすがりつく。
「ええ、うるさい! 貴様も任務妨害罪で連れて行かれたいのか!」
兵士はカスターさんの頬を殴り、後ずさりながらうっとうめいた。
「カスターさん! 僕は大丈夫です。これは何かの間違いですから、必ず戻ってきます。カスターさんにご迷惑はかけられません」
「ルークくん……」
あっけに取られるカスターさんや他の事務員たちに一礼して、僕は何が起こっているのか分からないまま兵士に両脇を固められ、連行されていった。
そのまま王城内の地下牢まで連れて行かれ、服以外の持ち物すべてを奪われて牢屋にぶち込まれる。
「しばらくここで頭を冷やすんだな」
「横領罪と言いましたね。いきなり牢屋に連行するからには、僕がやったという証拠はあがっているんですか?」
僕の言葉に、兵士が嫌味ったらしく笑う。
「昨日、騎士団の予備会計から金貨10枚という大金が消失していた。その夜、ルークという名前の男が、王都の酒場で女をはべらせて盛大に酒盛りしていたという目撃証言がいくつもある」
「は……? いや、本当に、まったく身に覚えがないんですが」
昨日の夜はたしか、リリと一緒に家でごろごろしていたはずだ。
このまま裁判にかけられても、リリなら証言台に立ってくれるはずだろう。
「罪人はみなそう言うんだよ」
抗議する僕の目の前で、冷えた鉄の格子が閉じられていく。
兵士は僕の事を見下した目で笑うと、歩き去っていった。
なにが……なにが、どうなっているんだ?
僕は地下牢に入れられたまま呆然とする。
契約の女神・アスティナに誓ってもいい。
僕は横領なんてしていない。
これは何かの間違いか、濡れ衣だ。
騎士団の財務を一手に任されているカスター主任ならともかく、新人の下級文官ごときがそれほど大きなお金を動かすことができないのは誰の目にも明らかだ。
だったら、これは誰かの仕組んだ冤罪……か……?
そういえば先日、リリに強引に言い寄る騎士団のユースと一悶着あった。
その時に彼は「この俺に恥をかかせて、タダで済むと思うなよ」と言っていた。
彼の恨みを買って……?
貴族ならそれぐらいの汚い仕事を任せるツテはありそうだ。
だったら、これはユース公が仕組んだ罠なのだろうか。
僕のような木っ端が、他に王宮で恨みを買うとも妬まれるとも思えないし、その線は高そうだった。
僕が横領の冤罪を着せられたまま裁判にかけられ処刑されるなんてことがあれば、僕と一緒に住んでいたリリの立場は悪くなるかもしれない。
どうするのが正解だろう。
いっそ僕はこのまま罪人として一生を終えても構わないが、リリに迷惑がかかるのだけは避けたい。
僕がいなくなれば、リリはきっと嘆き悲しんでくれる。
ロロナ村という故郷を失った上に、僕という身近な人間まで失ったら、リリの心が病まない保証はない。
それだけが心残りだった。
リリ……どうか無事で……。