56話:ヒメリの人生相談
ヒメリの足が怪我するという一幕がありながらも、僕らは皇都へと続く道をひたすらに行く。
シリルカの街を出て数日経ったところで、日が傾き始めたために今日は野宿することにした。
小川のある場所で馬に水を飲ませ、荷台にみんなで毛布をかぶって寝るのだ。
「本当は修道院に泊めてもらうのが一番なんだけどねぇ……」
「僕もウェルリア王都まで旅した時は、修道院に泊めてもらいましたね」
行商の奥さんがそう言いながら焚き火を起こしている。
野宿のときは僕とロイさんが交代で見張りをすると申し出ているので、行商の夫婦は飛び上がるように喜んでくれた。
聖教会の修道院のような施設は旅人を善意で泊めてくれる場所だが、いつも修道院の近くで夜を迎えれるとは限らない。
それに修道院に泊めてもらうには、寄付が必要だ。
「ま、それでも今回はあんたたちがいるから、野盗に襲われて積み荷が駄目になる心配はないし、よほど安心した旅になったよ。皇都まであと少しだからね」
行商人の妻がケラケラと明快に笑う。
シリルカの街から皇都まで、専用の馬車を使ってだいたい4日。
荷馬車は徒歩とそれほど速度が変わらないので、6日ほどの旅程となった。
一団の旅も、そろそろ終わりに近づいてきている。
僕が焚き火にあたっている最中は、彼女の夫とヒメリが食事の用意をしていた。
僕とロイさんは日中魔物を撃退する仕事があったからこういう雑事は免除されていたが、ヒメリは日中何もしてない。
というわけで、ヒメリが野宿や食事の手伝いを行っていた。
……のだが。
「ヒメリ。そっちの肉を少しスープに入れて塩味をつけるから、小さく切ってくれ」
「はい」
野外で簡単に調理でき携行も簡単なものとなれば、塩漬け肉と固くなったパンとスープが定番である。
ヒメリが調理板に肉を載せ、ナイフで切り分けようとすると、
「あっ」
ヒメリの短い悲鳴とともに、調理板から肉が滑り落ちる。
べしゃり、と肉が地面に落ちた。
「あ、あぁぁ~……。お肉が……。すっ、すみませんっ! 不注意で!」
「ははは……、いや、気にすることはないが。あぁ、これはもう駄目だねぇ」
行商人の夫の方は乾いた笑いをあげながら、泥で汚れた塩漬け肉をつまみあげた。
「うう……本当にすみません……」
ヒメリは泣きそうな顔で謝っている。
僕はさっきから横目でヒメリたちの様子を伺っていたが、彼女はこれまでの旅でも何回か同じような細かいミスをやらかしている。
もうみんな、ヒメリはドジっ子だというのが、共通認識だった。
それが分かっているから、おじさんも苦笑を浮かばせていた。
その様子を見て、行商人の妻のほうが盛大なため息をつく。
「はぁー……あんた、本当にドン臭い子だねぇ。食料は大事にしないと駄目じゃないか。そんなんじゃ立派な職人にはなれないって言ってるだろ?」
「すみません……」
ヒメリが心底申し訳なさそうに、頭を下げる。
「もういいよ。あたしが代わりにやるからルークと一緒に焚き火にあたっていな」
「はい……」
別におばさんもそこまで怒っているわけじゃないんだろうけど。
しょんぼり落ち込んだ様子で、ヒメリが僕の隣に腰を下ろした。
ロイさんはまるでヒメリに興味がない様子で、剣の手入れを行っていた。
決して行商人の夫婦もきつい言葉で叱ろうとしたわけではないのだが、ヒメリは沈鬱とした表情をしている。
ちら、と彼女の様子を伺うと、目に見える形で落ち込んでいる。
「……さっきまたやらかしたの、見てましたよね。ルークさんもあたしのこと、鈍間な女だって思いますよね」
「いや……それはまぁ、なんというか……」
僕の乾いた笑いに、ヒメリは頭を垂れる。
これまでの旅の中でも、ヒメリは汲んできた水をぶちまけるとか、野営地に忘れ物をするとか、色々とミスをしている。
「あたし、いつもこうなんです……。工房ギルドでもしょちゅうミスするし。作製した魔道具に不具合があるぐらいならまだいいんですけど、素材の発注を間違えて大量に仕入れちゃったり。それでも皆は『いいよ、いいよ』って笑って許してくれますけど……」
ぐす、とヒメリは涙ぐんだ。
彼女の独白を、僕は静かな表情で聞いていた。
「そんなだから、皆……特に女の子からは、嫌われますよね。『ヒメリは何をやらせてもダメな子。男に媚びて生きてる』って、陰口叩かれるんです。あたしだって、頑張って生きてるのに。はぁ……やんなっちゃう……」
少女の深い溜息は、夜の帳が下り始めた薄暗い大気に、霧散していった。
気にする必要はないよ、とは無神経には言えなかった。
僕だって、彼女なりに抱えているものがあるんだな、と分かっているから。
「あたし、本当は冒険者になりたかったんです」
「そうだったのか。どうして?」
「あたしが生まれた街って港町なんですけど、以前魔物に大群に襲われた時があったんです」
「あぁ、大侵攻」
こくりとうなずいて、ヒメリが続けた。
「その魔物の群れを食い止めて、街を守ってくれたのが、冒険者の皆さんだったので」
「じゃあなんで、冒険者ギルドに入らなかったの?」
「才能が、なかったから、ですかね」
諦めたように笑うヒメリに、隣で静かに剣を油でにじませた布で拭いていたロイさんが、ピクリと反応した。
「才能、ねぇ……。そんなもの、僕にだってなかった気がするけど」
「でも、ルークさんは迷宮に潜って戦っているし、シリルカの街に襲った魔物の群れも、ルークさんが指揮して撃退したんですよね」
「うーん、まぁそうなるのかなぁ……。ロイさんに会って育ててもらった幸運もだいぶあるけど」
「羨ましいです。あたしもルークさんみたいになりたかった」
ぽつりと漏らすヒメリの声音は、届かない星に手を伸ばしているようだった。
「さっきから小娘の話を黙って聞いていたんだが」
と、そこで剣を布で磨いているロイさんが、言葉を発した。
僕とヒメリの視線が、彼を捉える。
「お前は、ルークに人並外れた才能がある。だからルークは冒険者として成功したと思っているのか?」
「それはそうなんじゃないんですか……? だって、ルークさんみたいな才能がなければ、あたしみたいな馬鹿がいくら努力したって無駄じゃないですか」
「小娘。お前は才能の正体を、なんだと思っている」
ロイさんの心を射抜くかのような言葉に、ヒメリは身体をこわばらせた。
「えっと……凡人が努力しても敵わないセンス、でしょうか……?」
「違う」
ロイさんは、静かに首を振って語り始める。
「才能とはそんなに簡単に、天から降ってきて先天的に得るようなものじゃない」
「じゃあ、なんなんですか」
ヒメリが少しむっとした表情で問い返す。
「その人物が小さい頃から世間や社会に認めてもらえず、辛い想いをなんとかしようともがき苦しんで、自分を肯定するために得た能力のことを才能と呼ぶ」
「……え?」
意味が分からなかったのか、ヒメリはあっけに取られている。
ロイさんは続けた。
「俺だって、昔から剣が上手かったわけじゃない。子供の頃はいじめられっ子だった」
「え、そうなんですか?」
僕は驚きに目を見張り、彼は苦笑しながら頷いた。
「それは意外な話でした……」
「ガキの頃の俺は、腕っ節が弱いわりに生意気で傲慢な性格だったから、よく王都のガキ大将にシメられては泣かされてたよ。好きだった女の子の前で、ケンカで負けて惨めな姿を晒した時、決意したね。
――だれにも負けないぐらい、強くなってやる、と。
俺はその時から、剣の道に没頭した」
僕もヒメリも、剣神と呼ばれるまでになった男の過去話に、聞き入っていた。
「剣もやってみたら案外面白くて、ひたすら毎日素振りを続けていたな。次第に街のガキ大将たちと喧嘩しても、いい勝負をするようになった。その頃には、剣が俺にとって唯一無二のものになり、剣に触れている時間は心の傷を忘れていられるようになっていた」
そして彼は、己の人生を振り返るように、こう言った。
「人は、己の孤独を埋めるために何かに没頭し、心の傷を癒やす。
才能とは、その作業の過程でのみ得られる能力のことだ。
ルークだって、ヒメリには派手な魔法を操る天才魔導師に思えるかもしれないが、こいつもこいつでウェルリア王国から追放され、好きな女に軽蔑されて苦しみもがいてきた経験があるから、今は一端の冒険者になれたんだ」
ヒメリが目を見開いて、僕を見た。
「……そうなんですか、ルークさん?」
「そんなこともあったね。これは僕の知り合いの女性の言葉でもあるんだけど、才能とは、孤独に耐えられる力らしい。孤独を受け入れられる人が、自我を成立させるために、才能という力に目覚めるのだそうな」
「……あたしには、難しいですよ」
苦悩するヒメリに、ロイさんは冷たく響く声音で言った。
「多くの人間は、有名になりたいとか、人から羨ましがられたいとか、皆に『すごいね』と褒めてもらいたいから、冒険者のような華のある仕事を求める。
他人の賞賛や羨望の上に、自分の幸福が成り立つと思っている。
だが、それは大きな間違いだ。
他者志向的な幸福観は、どこかで破綻をきたす。
他人の評価ほどうつろいやすくて、アテにならないものはないからな」
「そうですね。僕だって、迷宮に入っているあいだは『誰かに褒めてもらおう』と思って戦ってるわけじゃないですし」
「当然だな。そんなことを思って戦えば、すぐに死ぬ」
僕とロイさんの会話を聞いて、ヒメリは頭を抱えた。
「つまり……才能がないと嘆くだけ無駄ってことですか」
「身も蓋もなく言えばな」
ロイさんが思わず苦笑をもらして、ヒメリに言った。
「才能や他人からの評価なんてあやふやものにすがらず、とりあえず目の前のやるべき事をこなしていけという話だ。ウェルリア王国は一日にしてならず。今できる事を必死でやりぬく。その積み重ねの先にしか、才能が目覚める方法はない」
「なら今のあたしは、工房ギルドの仕事『デミウス鉱山で鉱石を採取する』ことを、一番の目標にすればいいんですね」
「そういうことだろうな」
ヒメリがロイさんに向かって素直な様子で頷くのを、僕が優しい表情で見つめる。
好きとかそういうのではなく。
どことなく、応援したくなるような子だった。