54話:原風景
荷馬車での旅は、穏やかな陽光に恵まれて、至極のどかな道中だった。
砂利と石灰が撒かれただけの街道は、なだらかな丘陵の遥か向こうまでつづいている。
草木がそよ風に揺らされるのを、荷台の上からぼんやりと眺めていた。
起伏を繰り返して道の先へと続く丘を、馬がゆっくりと進み、荷馬車がガタゴトと揺られていく。
ゆっくり、ゆっくりと、景色が少しずつ移り変わっていった。
「のどかですね」
「こうしていると、世界には私たち以外の誰もいないと思うだろう」
「まったくで」
僕は荷馬車の御者台に、行商の主人と並んで座ってぼけーっと前を見ていた。
緩やかに進む馬車から見える景色は、大した変化があるわけじゃない。
丘陵の角度や、視界に入る草木、花という些末な部分が変わるだけだ。
遥か彼方に見える山岳の連なりは、ちょっとやそっとのことでは動じない、壮大な自然を表現していた。
荷馬車にずっと乗っていると、振動が激しくてお尻が痛くなる。
決して乗り心地がいいとは言えなかったが、御者台で暖かいお日様の光を浴びれば、いい気持になれた。
後ろを振り返ると、荷台でロイさんが寝転がり、奥さんとヒメリが座り込んでなにやら会話していた。
「今日はいい天気だね。旅日和だ」
「この行商では皇都で物を売るんですよね?」
僕が尋ねると、主人は首肯した。
「そうだね。シリルカ地方の綿織物や野菜、特産物なんかを向こうで売って、利潤を確保する。そしてその資金を使って、また帰りがけに皇都でしか手に入れられないようなもの、銀細工や精密な魔導具を仕入れ、シリルカ地方に帰ってきて売る。行商はこの繰り返しだ」
「旅を続ける生活は、色々な楽しみがあっていいですね」
「そうかな。つらいことも多いよ」
苦笑する主人に、少し驚く思いだった。
「まだこの季節は穏やかな気候だからマシだけど、冬は冷たい雨や風があるし、時には雪も積もるし。
それに、今は君たちが同行してくれるから、野盗や魔物に襲われて荷がダメになるという心配はないけど、理不尽な暴力に襲われる心配もあるしね。
やっぱり、一つの街に定住して店を構えるというのが、我々の業界では憧れになるね」
「たしかにそれは辛そうですね……」
雪の中を荷馬車で進むのは、地獄だな。
防寒具を買おうにも、高くつくだろうし。
「だからきみが懇意にしているシャーレは、我々商人の世界では実力派として見られている。男社会の商人の世界で、あの若さで女だてらに店を構えているというのは、並みではない。あの気だるげな上っ面に騙されないように。親しくしておいて損はないね」
「まぁ、シャーレさんとはそんな、打算づくで付き合っているわけでもないですけど」
苦笑いを浮かべ、僕はそう答えた。
「ルークくんは、なぜ冒険者になろうと思ったんだい?」
「生きるため、ですかね」
「へぇ。冒険者は実力があれば金が稼げるものな」
「まぁそうですね」
ゆっくりと動く原風景の舞台を背景にして、適当な雑談をかわす。
荷馬車を襲う野盗でも現れるかと思ったのだが、主人やロイさんいわく『森林や山岳路付近が狙われ目だな。丘陵地帯で襲う野盗はあまりいない』と言うので、のほほんと揺られている。
「いいね、冒険者。私も昔はなりたかったよ」
「やめたほうがいいですね。キツいし、汚いし、命の危険はあるし。外から見るほど、楽な職業じゃないです」
「そこは仕事だね。我々の世界でもそうだが、どんな職業でも大変なところがある」
主人の言葉にうなずいた。
僕も子供の頃は、ウェルリア騎士団に憧れたりもしたけれど。
でも、遠い世界の話だと思っていた。
ロロナ村の頃は、祝福の儀を受けて魔法が使えるようになるなんて思わなかった。
今、ウェルリアの騎士団……リリと戦えと言われたら、あの天才に少しは届く強さが、自分の中にあるのだろうか?
「ルークくんは剣神ロイと常に行動をともにしていることで有名だけど、好きな女なんかはいないのかい?」
「好きな女性ですか」
ちょっとびっくりして、彼の方を振り向いた。
ちょうどリリのことを考えていたから、ぎょっとしたんだ。
主人は相変わらず、陽光に目を細めて、馬の手綱を握っていた。
白髪交じりの中年の男性の髪が、光を吸い込んでいる。
「いることにはいますが、今は遠く離れてしまいましたね」
「会いに行こう、とは思わないのか」
「……どうなんだろう。今までは目の前の事で精いっぱいでしたから。考える余裕はなかったですね」
「そうか」
主人が淡い笑みを浮かべた。
それはまるで、親が子供を諭すかのような、優しい笑顔だった。
「なんですか。ニヤニヤして」
「いや。ただ羨ましいなと思っただけだよ」
「羨ましい?」
僕が目を丸くする。
「私らはもう先が知れてるからね。子供もできなかったし、仕事の世界でも大成できなかった。あとはもう、死ぬまで大過なく行商を続けていければそれでいいか、という感じだ。妻をめとったし、いろんな人生の楽しみも味わってきたから、別に自らの人生に絶望しているわけでもないが、未来や才能にあふれるきみのような人物を見ていれば、もう一度若返って人生をやり直したい羨ましい気持ちもでてくる」
「ふむ……そんなものですか」
「そんなものだよ」
彼の言葉には、わずかな哀愁が感じられた。
自分にそこまで才能があったなどとは思わないけど、幸運に恵まれてここにいるのは事実だ。
「ルーク」
その時、荷台で寝っ転がっていたロイさんが、僕らのところまでやってきた。
「どうしました」
「そろそろ丘陵地帯の街道が終わって森林の道に入るだろうから、戦闘準備しておくぞ」
「森林……ということは、野盗あるいは魔物の出現が?」
「可能性が高い。仕事の時間だ」
遊びは終わりだった。
押し付けられた仕事とは言え、無料で荷馬車に乗せてもらってるんだ。
護衛の仕事はきちんとこなさなければ。
バックパックから魔導ローブを取り出し、黒のジャケットと空色のパンツの上から羽織る。
主人の彼に向けて、言った。
「では、僕は御者台から降りて、周囲を警戒しますね」
「頼りにしているからね」
「できる限りのことはします」
御者の主人にうなずき、僕は荷馬車を降り、杖の探知をアクティブ化した。
それからなだらかな丘陵地帯が終わりを見せて、森林の道へと入っていった。
荷馬車の左をロイさんが守り、僕が右を護衛している形で、太陽の光が遮られる薄暗い森の道を行く。
ギイギイ、と。
正体不明の動物か魔物が鳴く声が、響く。
しばらく森のでこぼこした道を歩いていると、杖の探知にひっかかった。
「敵襲! 左右から反応ありです」
「ようやくおでましか」
僕が杖を構え、ロイさんが青白く光る剣を抜く。
出てきたのは、ゴブリンとオークの群れと言う、迷宮では第1階層レベルの魔物だった。
「余裕だな。右側のオークは任せるぞ」
「了解。実戦で少し試したいことがあるので、挑戦してもいいですか」
「なにをだ」
お互いに荷馬車を挟んで背を向けた形で、魔物の襲撃に備えながら言葉をかわした。
「『リンクアタック』という魔法を覚えました。それは、ロイさんの物理攻撃に追加で魔法ダメージを与える魔法です。その実戦導入を」
「好きにしろ」
「了解!」
そういうわけで、『小範囲探知』をオフ。反応型魔法の『リンクアタック』をオン。
光の球体のようなものが、ロイさんの剣にまとわりついた。
「これがルークの新魔法か……」
「物理攻撃にリンクする魔法らしいですが、作動確認はこれが初めてです。なので、具体的にどういう感じで追加ダメージが出るかはまだ分からないです」
「雑魚相手だし、導入にはちょうどいいだろう」
「ですね」
荷馬車を挟んで背を向ける形で、魔物を迎え撃つ。
森の小径からこちら側に襲い掛かってきたオークは、合計で4体だった。
数は多少いるが、この程度の魔物なら瞬殺レベルだ。
荷台からこちらをハラハラした様子で見守る主人に大見得を切ったので、出し惜しみはしないことにしよう。
オーバーキルにもほどがあるかもしれないが、雷系統聖級魔法『スリヴァーシュトローム』を使うことにした。
地面に魔法の力が共鳴した沼地が出来て、そこから複数の雷蛇が出現する。
あっと言うよりも早くその雷蛇は、僕に襲い掛かってくるオークの群れを一気に呑み込んだ。
微範囲魔法としても使える、雷で作られた複数のヘビが、肉厚な魔物を一息に噛み砕く。
鈍い悲鳴をあげながら、オークの群れは一瞬にして消滅し、魔石へと変わっていった。
「お、おぉー……!」
荷馬車の上から戦闘を見守っていたヒメリが、息を呑む声音がした。
普段は女の子に戦闘を見てもらう機会がないから、ちょっとこういうのは嬉しかった。
オークの群れを瞬殺したので、ロイさんの方を振り向く。
リンクアタックはどのような感じで作動しているのか。
ちょうどロイさんがゴブリンの1体を斬り伏せていたところだった。
彼が切り裂いたゴブリンの傷口に、魔法の大きめの弾丸が追加で叩き込まれる。
魔法の弾丸を食らったゴブリンは後ろに吹っ飛びながら、消滅していった。
なるほど。
『リンクアタック』とは、物理攻撃の後に、後退硬直の効果のある弾丸を打ち込む魔法か。
「ルーク、この魔法、使えるぞ!」
「いい感じみたいですね」
「あぁ。剣を振るったあとのわずかな技後硬直を埋めてくれる。これはいい」
まるで新しいおもちゃを与えられた子供のように、彼は剣を楽しそうに振るった。
正確無比なロイさんの剣技に、その後のわずかな隙を打ち消すかのような魔法弾丸の追加攻撃。
『リンクアタック』で魔物に後退硬直を起こさせ術技後の隙を無くすことによって、ロイさんはステップバックを駆使したりせずとも、半永久的に攻め続けることができる。
これは迷宮の第5階層以降でも、十分戦力になってくれる手応えがあった。
リンクアタックの実戦導入は好調に終わる。
新戦力とロイさんの前にゴブリンが相手になるはずもなく、彼は一瞬でゴブリンの群れを殲滅した。
戦闘が終わり魔石を拾っていたら、荷馬車の女将には「いやぁ、あんたらホント強いねぇ!」と褒められ、主人にも「これなら皇都までの旅は安心して任せられるよ」と太鼓判を押された。
どうやら拾った魔石は、自分たちで売っていいようだ。
魔石をバックパックに詰め、荷台の側に戻り、また護衛を続ける。
森林の旅路はそうして至極順調に進んでいった。
森の中は街道以上にでこぼこしていたり、木の太い根っこが道に張り出しているので、荷馬車は余計に揺れている。
「いたたた……」
ヒメリが荷台の激しい振動ゆえか、痛そうにお尻をさすっていた。
「ヒメリ、降りてきたらどうだ? 歩いたほうが楽かもしれない」
「そうします。よいしょ……」
ヒメリが荷台の横をまたいで、こちら側に飛び降りてきた。
「僕の側を離れないでくれ。魔物や野盗が出てきたら、絶対に後ろから前に出ないように」
「はい!」
しばらくのあいだ荷馬車と並走しながら、魔物や野盗を撃退して、森林の道を踏破していった。




