51話:ヒメリ
リンゴーン、ゴーン、リンゴーン……と。
聖教会の鐘の音色が、シリルカの街に響き渡る。
水銀時計や砂時計はあるものの、長い時間を精密に計ることのできる時計がいまだに一般的に広まっていないので、こうして聖教会や修道会が鐘を鳴らして町民に時刻を知らせているのだ。
太陽が地平線の向こうから登り始める時を1日の開始として、そこから1刻ずつ経つたびに、鐘を鳴らす決まりとなっている。
このおかげで市民は生活の時間を区切ることが可能となり、町民全員が時の流れにしたがって効率的に働くことができる。
ちょうど今は5の刻の夕課の鐘だった。
夕日が沈んでいく中、僕は冒険者ギルドで受けた依頼の顔通しということで、工房ギルドに訪れていた。
ちなみにロイさんは「お前が話を進めておいてくれ。委細任せる」と適当なことを言いながら、飲み屋の看板の向こうに消えていった。
仕方がない……あれはもうああいう生き物なのだ……。
と心に言葉を浮かべながら、僕は工房ギルドの扉を開けて入る。
「ようっ、よく来てくれたな!」
工房ギルドに入るなり、サイモン氏が破顔して手を上げて迎えてくれた。
「どうも、お世話になってます。……結構、お客さんがいますね」
工房ギルドの内部をきょろきょろと見渡してみれば、いぜんの寂れきったギルドの面影はもうそこにない。
埃一つない、ピカピカに磨き上げられた床やテーブル。
ギルド内の客はいまだにまばらだったものの、職員たちは元気な態度で応対を行っていた。
「お前さんのおかげでな。有名な冒険者がうちの杖を使ってくれてるってんで、徐々に口コミで客が来てるんだわ」
「人が入るようになって、なによりです。ところで冒険者ギルドで受けた依頼の件ですが」
「あぁ、それな。――おーい、ヒメリ!」
「はーい!」
サイモンさんは工房ギルドの奥、鍛冶場の方に向かって大きく叫ぶと、少女の声が返ってきた。
「やってる作業は後回しでいいから、ちょっとこっち来てくれや!」
「分かりましたあ!」
ヒメリと呼ばれた少女が、やがて鍛冶場からひょこりと顔を出す。
赤茶色の髪を両サイドで二つ結びにして、上下が一体となったぶかぶかの作業着を着ている。
どことなく、小動物を思わせる子だった。
「なんでしょう、支部長?」
ヒメリが小首をかしげれば、サイドでまとめた緋色の髪が揺れた。
サイモン氏はどうやらシリルカの街の工房ギルド支部長だったらしい。
「ヒメリ。例のデミウス鉱山への護衛の案件。冒険者ギルドに出してただろ」
「はい、そうですね。……あぁ。それじゃ、こちらの方が依頼を受けてくださるんですか?」
ヒメリ嬢は両手を鍛冶仕事で汚れた作業着の前で重ね合わせて、僕を見た。
ガラス玉のような、はしばみ色の瞳だった。
僕が信頼できる人間かどうか、彼女は『じっ』と値踏みするように見つめてくる。
「そうだ。紹介する。こいつが冒険者のルークだ」
「あぁ、あの有名な!」
彼女がぽん、と手をたたき合わせる。
思わず苦笑して、言った。
「有名かどうかは分からないけど。初めまして、ヒメリさん。ルークです。以後お見知りおきを」
ぺこりと頭を下げて、ヒメリ嬢に向かって一礼した。
「ひ、ヒメリさんだなんて! 恐れ多いですよ。あたしなんて職人見習いで、ギルドの下っ端なんですから、あたしの事はヒメリでいいですよう」
「じゃあ僕のこともルークと気軽に呼んでくれ。よろしく、ヒメリ」
「こちらこそ。よろしくお願いいたします」
にこりと笑って、手を差し出すと、ヒメリははにかんで握り返してきてくれた。
顔合わせが終わり、サイモン氏が依頼の詳細を語りだした。
「冒険者ギルドでも聞いてるだろうが、うちの武器作製に特殊な鉱石が必要で、それが不足していてな。その鉱石が皇都付近のデミウス鉱山じゃないと採掘できない素材なんだわ」
「そして、デミウス鉱山は現在、魔物が跋扈するようになって、その護衛に冒険者を雇う、という話でしたよね」
僕が補足すると、サイモンさんはこくりと頷く。
「街道の旅費や皇都での滞在費、デミウス鉱山の探索にかかる費用なんかは、一応うちが全部持つことになってるんだが……その、あまり好待遇をしてやったり、いい宿には泊めてやれないんだ。うちもまだまだ資金繰りが危うくてな」
恥ずかしそうに、彼は頭をかいた。
「別に構いませんよ。報酬として、こちらでまた魔道具をオーダーメイドしてくれれば、それで」
「そう言ってくれると助かる。ちなみに聞いておくが、何を作るつもりなんだ?」
少し息を溜めて、言った。
「本当は杖やローブを新調したいんですが、レスティケイブの地下迷宮5階層に通じる階段が、土石で塞がれているんです。それを爆破できる魔道具を作ってもらうことが最優先ですかね」
「あぁ。そういう話なら依頼報酬じゃなくて、ヒメリが習作で作った爆破効果のある『エクスプロージョンストーン』があるだろう。あれをルークにくれてやったらどうだ、ヒメリ?」
ちら、とサイモンさんはヒメリを見た。
「あ、はい。あたしが作った魔道具で良ければ、差し上げますけど……」
「本当かい。それは助かるな!」
冒険者ギルドでの調査によれば、この子は爆破系の魔道具を作る能力に高かったはずだ。
「でも、あれはあたしが本当の駆け出しの時に作った魔道具なので、動作の安全性は保証できませんよ。迷宮の土石を爆破するってなると、威力計算や範囲設定を細かくしなきゃいけないと思いますし」
「それはたしかに。崩落の危険性があるから、ふっ飛ばせばいいってもんじゃないんだよね」
僕は難しい顔で頭を抱えこんだ。
「んなもん、ヒメリがもう1ヶ動作が確かな爆破系の魔道具を作ってやって、ルークにやればいいだろ。こいつには恩があるんだ。なんとか作ってやってくれ、ヒメリ」
「はぁ……。もちろん、作成者があたしでいいならそれは構いませんけど……」
となると、依頼報酬のオーダーメイドは杖にすることができる。
それはありがたい話だった。
「そうしていただけるなら、ありがたいですね。正直、サイモンさんが作るオーダーメイドの武器は優秀なので」
「じゃ、この話を正式に受けてくれるってことでいいんだな?」
「えぇ。きっちりと彼女を守って、デミウス鉱山で採掘してきます」
サイモン氏の言葉に、僕は力強く頷いてみせた。
「やぁ、ありがたい! ぜひとも頼んだぞ。ヒメリは職人見習いで仕事の腕はまだまだだが、鉱石の目利きはできるし、それに優しくて気がよく利く子だ。きっと重宝すると思う」
それは彼女のしとやかな佇まいからも、窺い知れることだった。
「それじゃ、準備を整えて、明後日にはシリルカの街を出発しようか。ヒメリ」
「御意っ」
こうして、工房ギルドの依頼を正式に受けることが決まった。