5話:それでも幸せな日々で
リリが聖十字騎士団に入団すると決まってから、2ヶ月が過ぎた。
あれから生活が一新し、世界のすべてが変わったかのようだった。
リリは騎士叙勲され、最下級の貴族ではあるが男爵の地位を国王陛下から授かった。
これでリリも立派な貴族社会への仲間入りである。
様々な特権を有し、王宮に自由に出入りする権利を与えられ、たとえ平民を殺しても法に問われることはない。
リリは王都の貴族街にある豪邸に住まうことになり、僕はリリの従者兼、騎士団の事務処理員として騎士団に入団することを許されていた。
僕はわりとまったりと王宮の詰め所で書類の整理仕事なんかをさせてもらっていたが、リリの騎士団員としての任務は苛烈を極めた。
リリはまず、何がなんでも早急に騎士としての実力をつけなければならないため、朝一番に王城に登城して、先輩団員たちに稽古をつけてもらう。
かかり稽古といって、リリ1人で数人もの先輩騎士と戦うという、半ばいじめにも似た稽古だったが、リリは弱音を漏らさずよくついていった。
激しい稽古が終わると、今度は王都の街を巡回し問題が起きていたら解決する。
それから王都の外にでて哨戒任務にあたる。
レスティケイブから無限に湧き出てくる魔物が近くの街を襲わないよう討伐し、やっと家に帰ってこれたと思ったら夜半を過ぎている。
激務、と言えた。
王国で最も待遇の高い職なのだから、それも当然と言えるかもしれないが。
「はぁ……今日も疲れた……」
騎士団員としての任務を終え、豪邸に戻ってきたリリは居間に入るなり白銀の甲冑を脱ぎ捨て、麻の服だけの姿になって革張りのソファに横になった。
あー、だの、うー、だのうなっている。
ちなみに僕もリリの豪邸に一緒に住まわせてもらってる。
掃除や洗濯をしたり、リリの食事を作るのも僕の仕事だ。
「あー、もういやだよー。しんどいよー」
リリは外では弱音を吐かない代わりに、僕にだけは弱いところを見せてくれる。
それがほんの少し、特別な立場な気がして嬉しかった。
「リリは騎士団員様だもんね。大変だろうと思う」
僕はリリが床に乱雑に脱ぎ捨てた銀の鎧や小手などを拾い集め、テーブルに置くと油をひたした布で丁寧に拭いていく。
砂煙や傷で汚れた装備品を、丁寧に手入れするのだ。
特に鋼や合金の装備品は、こうして定期的に手入れしないとダメになるからだ。
戦闘中にリリに万が一があってはいけないため、僕は念入りに油を染み込ませた布で拭く。
「もうやだよー、ルーク。ロロナ村に帰りたい……」
「そんなにしんどいの?」
「最悪。訓練はきついし、王都の平民さんたちはあれこれ無茶言うし、魔物の討伐だって油断するわけにはいかないし。一時も休む暇がないって感じ」
深い溜息をつきながら、リリはベッドに仰向けになっておぼろげな瞳で天井を見つめる。
「はぁ……なんでこんなことしてるんだろ、私」
書類仕事や家政夫的な仕事もそうだけど、僕のやることで1番大事な仕事は、リリの愚痴を聞くことだ。
適度に彼女のガス抜きになってあげて、また明日元気に彼女を送り出すこと。
努めて優しい表情で、僕は頷いた。
「リリは優しいからね。みんなの期待に応えようとするんだろうね。だから疲れるんだよ」
「うん……。でも私、こんなの望んでなかった」
「望んでなかった?」
「騎士とか貴族とか豪邸なんてどうでもいい。ルークと一緒に冒険者になって、魔物を狩ったりギルドの仕事をこなしてお金を稼いで、ルークと毎日楽しく過ごしたかっただけなのに……、なんだか最近はルークともあまり話せないし」
「リリ、僕はここにいるじゃないか」
「そうだけど……」
ソファに仰向けになったまま、リリは頬を膨らませた。
「なんだか、近くて遠い人って気がする」
「それは僕のセリフなんだけどな」
僕が苦笑しながら言うと、リリは顔にはてなマークを浮かべた。
「え、なんで?」
「リリが今、王都の平民たちのあいだでなんて呼ばれているか知ってる?」
「知らない」
「ウェルリアの聖女って呼ばれているんだよ」
僕の言葉に、リリは「はぁ?」と首を傾げる。
「私が、聖女? ないないない、ありえない。私、聖女なんて柄じゃない」
「それでも平民たちの目には、リリはそう映るんだろうね。白銀の騎士甲冑にかっこ良く身を包んで、平民たちのトラブルは率先して解決し、王都の外をうろつく魔物を次々になぎ倒していく姿は」
「えー……。聖女ー……? 勝手に偶像作って祭り上げないで欲しいんだけど」
「それに美少女が王国最強の騎士団に入ったって、もっぱらの評判だし。むしろそっちが噂の出処かもね」
「私、可愛いの?」
そう聞いてくるリリの目は、ベッドに適当に寝転がっているように見えて、真剣な色を帯びていた。
僕の言葉を片時も聞き逃すことがないように、と。
僕は微笑するだけで、リリの質問をはぐらかした。
「みんなはそう思ってるんじゃないかな」
「……。本物の私を知ったら幻滅しそう」
「家では靴下も脱がずに、ソファで足を広げてはしたなく寝転がってるしね」
「ルーク。ちょっとこっちへ来なさい。大事なお話があります」
ソファの上で佇まいを直したリリ。
彼女の静かで微笑みをたたえた声が、怒りに震えていた。
「ちょっと今、甲冑の手入れに忙しい」
「そんなのいいからこっちに来なさいよ。そうだ、ルークも後方事務員だけど一応騎士団員だもんね。強くならなきゃいけないよね。私が稽古つけてあげるね、真剣で、全力で」
「ご遠慮させていただきます」
「ルーク!」
彼女の言葉に僕が明快に笑うと、リリも「ぷっ」と吹き出して笑い始めた。
幸せな日々だった。
すべてが満ち足りていた。
◇ ◆
僕の騎士団での仕事は書類整理、事務処理だ。
天職である低魔導師が戦闘ではロクに使えない職業のため、仕方がなく事務処理員をやっている。
仕方がなくとは言ってもウェルリア王国では識字率がそれほど高くないため、僕のような文字の読み書きができる平民男子はそれなりに重宝される。
剣と魔法で戦う部隊になぜ事務処理が必要なのか? と思うかもしれないが、聖十字騎士団はウェルリア王国での最重要戦力だから、部隊を動かすには色々と煩雑な手続きがいる。
たとえばどこかの地方が魔物に襲われていた場合、騎士団をそこへ遠征させて魔物を討伐させるには、遠征予定書と戦闘計画書、事後処理書を元老院に提出して認可をもらわなければならない。
そうしなければ騎士団が勝手に動いて戦うことになる。
これは騎士団の実権を握っておきたい元老院や国王陛下側からすれば、あまり好ましくない。
軍事と政治の分離、という言葉があるように、騎士団にあまり自由に動かせさせすぎると、今度はクーデターを起こす可能性だって出てくる。
だから騎士団の行動には提出書類とその認可という過程を経なければ、自由に動けないことになっている。
僕はこういった元老院に提出する報告書の作成が、主な仕事だ。
毎朝、王城内にある騎士団の詰め所に出勤して、事務員のお姉さんたちと一緒にひたすら書類を作成する。
とは言っても、政策のほとんどを実質的に運営している官僚ほどの事務処理能力は求められないため、みんな時折雑談や冗談を交わしながら、和気あいあいと仕事をこなしてるって感じだ。
僕も今任されているカストーナ地方の事後処理報告書の作成にだいぶ目処がついてきたため、一息休憩しようと王城内を散策することにした。
これは個人的な心情だけど、散歩はすべてに勝るストレス解消方法だった。
王宮内の通路には、荘厳な文様が掘られた円柱が立ち並ぶ。
天井は見上げるほど高く、いたるところに装飾品や芸術品が飾られていた。
「こんな豪華なところで働けるとは、夢にも思ってなかった……」
給料もそれなりにもらっているし。
独り言を漏らしながら散策する。
僕のような下級文官が自由に歩くことのできる王城1階は、せわしなくメイドや文官たちが行ったり来たりして、自らの仕事に励んでいる。
みんな忙しそうに仕事している。
僕も書類仕事の詰めをやらなければ。
散歩で気分転換することができたことだし、僕は騎士団の詰め所に戻ろうと踵を返す。
王城の大階段のすぐわきにある詰め所の前まで戻ると、騎士甲冑を着た見るからに軽薄そうなブロンドの長髪男が、女性騎士にしつこく絡んでいるところだった。
「やだ……やめてくださいって、ユースさん!」
「いいじゃねえか。なぁ、今度俺とデートしようぜ」
「いやですって!」
「あ? んなこと言っていいのかよ。俺と付き合えば、ロロナ村だかなんだか言う復興の資金援助もしてやるって言ってんだぞ」
「それは……ルークと一緒になんとかしますから、結構です……!」
男性にしつこく絡まれているその女性騎士はリリだった。
「ちょ、ちょっと! 何をやってるんですか!」
思わず僕は2人の間に割って入る。
腕を入れて、無理やりブロンド長髪男からリリを引き離した。
「あぁ、なんだてめぇ」
「ルーク!」
背中に隠したリリの声音が、救いの手を差し伸べられて喜悦に弾んでいた。
「リリが嫌がってるじゃないですか。いくら先輩騎士さんとは言え、女性を無理やりデートに誘うのはどうかと思いますけど」
「嫌がってるって、なんでお前が分かるんだよ。あぁ?」
「分かりますよ、そのぐらい。明らかに嫌がるような顔でしたもん」
僕の言葉に、ユースは顔を醜く歪ませた。
「そうか、てめぇがリリが飼ってるって噂のインポ野郎か。チッ……貴族でも騎士でもないこんな何の取り柄もないガキが、なんでそんなに可愛いのかね」
「少なくとも、無理やり女性を手籠めにしようとするユースさんよりは、魅力的な男性であることは自信が持てますね」
「私も、ユースさんよりルークのほうが百倍好きです」
背後からリリの援護攻撃が来た。
わずかに顔を向ければ、ユースに向かってあっかんべーをしていた。
「てめぇら……!」
王城の大階段近くでやりとりしていたから、通り掛かる人たちからの視線が、詰め所前で言い合う僕らに集まり始める。
「チッ……。お前ら……この俺に恥をかかせて、タダで済むと思うなよ」
さすがにユースもギャラリーがついては分が悪いと思ったのか、捨て台詞を吐き捨てて詰め所の中へと去っていった。
「リリ。大丈夫だった?」
「うん、助けてくれてありがとう、ルーク!」
嬉しさいっぱいで、リリは笑った。
「そんな事はいいんだ。それより、あの人はいつもこんな感じなの?」
「私が騎士団に入った直後ぐらいから、ちょいちょい言い寄られてたんだけど、最近ちょっとひどくなってきたかも」
「何もされてない?」
「今のところは。でも先輩騎士だし実力は向こうのが上だから、誰も知らないところで押し倒されたりしたら、勝てる自信あんまりない」
リリは苦虫を噛み潰したかのような表情で言った。
「僕がリリを守ってあげられるぐらい強かったら良かったんだけど……」
「あは、ありがとう。気持ちだけもらっておくね」
あいにく今は、僕よりリリの方が圧倒的に強い。
女の子1人すら守れない自分が情けなかった。
「本当に、気をつけてねリリ」
「うん、なるべく2人きりにならないようにする」
「それにしても……リリ、モテるんだね」
「あ、ルーク、もしかしてヤキモチ焼いてる?」
ニヤニヤ笑って、リリは言った。
「別に……そんなんじゃないけど。なんでそんなに嬉しそうなんだ」
「嬉しくない、嬉しくない♪」
語尾が弾んでいるんだが。
「……そうだよリリが心配なんだよ。悪いか」
「ありがとう、ルーク」
リリは見るからに幸せそうに、顔いっぱいで笑って言った。
ついさっきまであんな事をされていたのに、笑えるなんて。
つくづく女の子は切り替えが早い生き物なんだと僕は思った。