49話:憂う
私が騎士団の部隊長であるアリン公の下へ赴くと、彼は村の子供たちに囲まれていた。
腕にぶらさがられたり、髭を引っ張られたりと、完全に子供たちのおもちゃである。
「アリン公」
「おぉ、リリか。無事に哨戒から帰ってきたかね」
壮年の部隊長が私を目に留めると、彼は相好をほころばせた。
好々爺、という印象がピタリと当てはまる。
「はい。近くの村で、少年がオークに襲われていて、負傷したようなのです。アリン公の魔法で治療してもらえないでしょうか?」
「構わんよ。ほら、お前たち。ごっこ遊びはもう終わりだ。スープのおかわりでも食べておいでなさい」
彼が群がっている子どもたちにそう言うと、少年少女たちは「はーい!」と元気に応えながら、茶碗を持ってユーリくんの下へ駆けていった。
「負傷している彼をこちらに」
私はアリン公の膝下に少年をそっと置くと、彼は怪我の具合を診察した。
額を触診したり、瞳孔を開き光を当てて対光反射があるかどうかを確認している。
「……ふむ。一時的に衝撃で気を失っているだけだろう」
「治りそうですか?」
「大丈夫だと思うよ」
念のために、アリン公は身体の治癒能力を魔法の力で促進させる、水系統のハイヒールをかけた。
癒やしの光が瞬いて、少年の顔が安らぐものになる。
「ひとまず、ベッドに寝かせ、安静にすることだ。他に怪我をしている子は?」
「彼だけです」
「そうか。では私たちもスープのご相伴に預かりに行こうではないか」
「あ……、はい」
私とベアトリーチェが帰るのを、アリン公は食べずに待っていてくれたのか。
優しい上長だった。
ハイヒールをかけた少年を家まで送り届けると、私とビーチェ、ユーリくん、アリン公は村の中央で一番最後の食事を始めた。
ユーリくんは「お前らにやるスープは残っていないぜ」とか言っていたけれど、ちゃんと残しておいてくれていたらしい。
まったく、素直ではないんだから。
鉄鍋に残されていたスープは、野菜や豚肉の切れ端はすっかり村の住人に食べ尽くされていて、ただの汁だったけれど、飲めば身体が暖かくなる。
私たちは茶碗のスープをすすりながら、村の現状を見渡した。
村のこどもたちは久しぶりの温かいスープが嬉しかったのか、元気にはしゃぎ回っている。
が、しかし。農奴として働き領主に多額の税を支払う大人たちの顔には、言いようの知れない深い疲労がにじんでいるのが見えた。
近年のウェルリア王国には伝染病が蔓延している。
それは衛生環境の悪い下層民を直撃し、彼らはのしかかる重い税もあいまって、生きていくことすらままならない。
私がロロナ村にいた頃は、村のみんなが助け合って寄り添うように生きていたが、よその村がそうであるとは限らない。
この村だけでなく、多くの村が、貧困によって人々の心を閉鎖的にさせていた。
その様子を見て、アリン公はぽつりとつぶやいた。
「……危険な状況だね」
「この村が……いや、ウェルリア王国が、ですか?」
私が疑問で返すと、アレン公はこくりと頷いた。
「あぁ。農奴や村民たちはすでに、自分と家族が生きていくための労働で精一杯になっている。
地域の住民と心の触れ合いをする余裕もなければ、他の人間と助け合って生きる余力もない。
目の前の仕事をこなすだけで精一杯で、皆生きていくのに必死なのだ。
そのような状況下では、『自分さえ良ければそれでいい』というお題目の下、人を襲ったり金銭を強奪する野盗のような人物も多くなってくる。
それは、古くからあった共同体の崩壊を意味している」
「共同体が崩壊すれば、どうなるのです?」
「人々が社会に関わるすべをなくし、他者と交流する機会を失っていき、やがて社会に関心を持たなくなる」
「…………」
私は黙って彼の話に耳を傾けることにした。
「地域社会に無関心で生きる人々は、他者との心の触れ合いによるつながりがないため、ぬぐいきれない寂しさをもたらす。人は、その寂しさに耐えきれなくなると、共同幻想にすがるようになる。そうなると、とても恐ろしいことが起こる」
「難しい言葉がまた出てきましたね。すみません、共同幻想とはなんでしょう?」
アリン公は、私の疑問に微笑んで言った。
「大衆にとって辛い日常を打破してくれる、カリスマ性のある独裁的指導者を求めるようになることだ。
そうして大衆が共同幻想を抱き、独裁者が擁立されれば、
一般市民は極端な愛国論、クーデターなどの過激な思想を持つ思想、
――全体主義に移行していくおそれがある」
「だからこそ、農奴たちに余裕が必要だと?」
「あぁ。一般市民が笑って明日を生きられるような、そんな日々が必要なのだ。
それを、王族や貴族の上の方は理解していない。ただ搾取することしか考えていない」
「…………」
「封建制という社会制度は、すでに破綻をきたし始めている。
そうすれば、歴史は次の段階へ移行する」
そう語る壮年の男性の横顔を、私は静かに見つめていた。
アレン公の寂しげな表情には、ウェルリア王国という国家を、心から憂う想いが浮かんでいる。
「リリ」
「はい」
「この国はすでに、沈みゆく大船のようなものだ。
これからの時代、どのようなことがあっても、強く生きるのだぞ」
「…………、御意」
心に誓いを結んだ。




