44話:娼館街
「で、具体的に、これから僕とリリの間に、具体的に何が起こるというんですか」
ルーン皇女殿下に緋龍褒章をもらった僕は、彼女に詰め寄った。
「つまるところ、ルーク様はリリとユメリアが何者かなのか。彼女たちは一体何をしたいのか、という一連の流れを知りたいのでしょう?」
「えぇ」
「では、レスティケイブの地下ダンジョンの最深部に到達すれば、謎が氷解するでしょう。25層の転移魔法陣。あれに彼女たちの、それからノアの箱舟計画の答えが隠されています」
「それをここで殿下が教えてくれれば、問題は解決するのでは……」
「それはこれからのルーク様の活躍に応じて、随時情報公開という形で」
くすりと笑って、ルーン殿下は言った。
まぁ理屈は分かる。
僕が情報を聞くだけ聞いて、皇国への忠誠を破り捨てることがないように、話は小出しにしようということだろう。致し方がない。
もともとあの地下迷宮を攻略するつもりではあったが、早急に攻略を進めなくてはならない事情ができてしまった。
僕が聞きたかった話が済み、会話が終わると、ルーン皇女殿下はそのまま冒険者ギルドマスターのクロスさんと打ち合わせを始めた。
シリルカの街近辺の施策に関する話だったり、例のユメリアの時間遡行の件であったり。
僕は用が済んで晴れてお役御免となったので、そのまま話を盗み聞きするのはどうかと思い席を立つ。
「では、僕はこれで。ルーン殿下。また何かあれば、気軽に申し付けてください」
「いえ、こちらこそありがとうございました。これから皇国はルーク様に頼ることが多くなると思いますが、何卒よろしくお願い致します」
「僕でよければ」
そう断って、淡い微笑を浮かべる彼女を背に、席を立った。
宿屋の窓から外を見れば、街は黄昏時から漆黒の夜に移り変わったところだった。
このまま宿屋で夕食を頼んでもいいが、ルーン殿下の護衛が大勢見守っている中、殿下とクロス氏が打ち合わせをしている中で食べるのも緊張する。
またロドリゲスさんの屋台にでも顔をだすか……。
そう思っていたら、
「ルーク。飯でも食いに行くか」
ロイさんに声をかけられた。
彼からご飯を誘うなど、珍しいことだった。
「急にどうしたんですか。何か?」
「まぁいいから行くぞ」
彼に肩を叩かれ、僕たちは宿屋から出て夜の街へと繰り出した。
たいていの店は夜にはもう閉まっているので、必然的に行く店も、娼館街の近くの飯屋ということになる。
「行きつけの美味い飯屋は、ここを通るんだがいいだろ? この時間になると、娼館街の近くの飯屋しか空いてないんだ」
「別にいいですけど……。娼館自体には行きませんよ」
「当たり前だ。あそこは飯を食う場所じゃない。別のものを食べるんだ」
「では聖人君子のロイさんにお尋ねしましょう。娼館は何を食べる場なんですか」
「決まってるだろ。女だよ」
思わず失笑が漏れた。
呆れてものも言えないとはこの事だ。
ロイさんに連れられ、僕は娼婦たちが日夜、精神を賭して戦っている街路の中に足を踏み入れた。
娼館街はきらびやかだ。
漆黒の帳が降りる街に、ここだけが煌々と光が灯っている。
まるで幽玄の世界に舞う蝶のように、街灯のランプに照らされたドレス姿の娼婦たちが、艶やかに映えていた。
一瞬ぼけっと見ていたら、すかさず娼婦と思われるが近寄ってきて、言った。
「お兄さん。私と楽しんで行きませんか。忘れられない一晩にしてみせますよ」
紫色の蠱惑的なドレスから、真っ白な肌と弾力性のある胸がのぞいていた。
大きな胸だ。これを武器に、さぞ男たちを惑わしてきたのだろう。
彼女はすかさず僕の左腕を抱き、大きな乳を僕の左腕に触れるか触れないかの絶妙な距離を取った。
「あ……ええと……その……」
「シンシアと申します。ぜひ、シンディとお呼びください」
どぎまぎする僕に、彼女は優雅な笑みを浮かべた。
涼しげな目元で、それがいっそうのこと男に性的興奮をもらたすタイプの女性だった。
「お客様のお名前は?」
「ルーク……ですけど……」
彼女の表情が妖艶すぎて、直視することができない。
目線の使い方一つとっても、飛び抜けて色っぽかった。
娼館街は今まで遠くから見ていただけだったから分からなかったが、夜の女性はこんなに美しいものなのか。
「そちらのお兄さんもよろしければ、ぜひ。私ともうひとりのアシュリーという女の子で、一緒にご奉仕させていただきますよ」
「俺か? いや、俺は行きつけの飲み屋があるんでな。悪いが遠慮させていただこう」
ドキドキしてロクに思考が回らない僕に対して、ロイさんは平然と受け答えする。
「あら。それは残念ですわ。もしかして、アイリスの館の?」
「あぁ。よく知っているな」
「あそこは押しも押されぬ、この街一番の高級娼館ですもの。お客様にお似合いのところです。では、ルーク様。参りましょうか」
そう言って、シンディは僕の手を引いて娼館の中に連れ込もうとする。
いやいや、待て。
何が『では、ルーク様。参りましょうか』なんだ。
「申し訳ないんですけど、娼館に行く気はありません」
「利用料でしたら、ご相談させていただきますよ」
「そういうわけではなく……」
「私では不満ですか? 至らないところがあれば直します。精一杯、奉仕に務めさせていただきます」
捨てられる子犬のような、ひどく悲しそうな顔をして、シンシアは僕を見た。
心がひどく締め付けられる気がした。
彼女の仄かなしそうな表情に、思わず感情を持って行かれそうになる。
続く彼女の話が、
「実は私……、商家に生まれた女なのですが、先日の大侵攻で父が経営する隊商が大打撃を受け、返済の目処が立たない大きな借金を負わされたのです」
「え、でも大侵攻は街に入れずに討伐できたはずでは……」
「えぇ。街への侵入を防いだのは、紛れもない冒険者様の功績です。それは大変感謝しておりますわ。ですが、ウェルリア王国から大量の商材を積んで戻ってくるところだった父の馬車が、レスティケイブの出口付近で魔物の大軍に襲われたのです。もう少し早く、大侵攻に気づいて止められていれば、父も借金を負わされずに済んだことでしょう……」
「それは……」
「借金が払えなくなった父は、私を娼館の支配人に借金のカタとして売り飛ばしたのです。それだけで済めば良かったのですが、私は今夜お客様を捕まえられないと、性奴隷に売り飛ばされることになっていて……」
「…………」
どうも話が作り話っぽくなってきた。
「私が奴隷に売り飛ばされてしまうと、まだ10歳にもならぬ弟はどうやって生きていけばいいのでしょう? あと1人、今夜中にお客様を捕まえることができたなら、とりあえずの借金返済の目処が立つのですが……」
「それは大変ですね」
乾いた声の音色が出る。
「ルーク様だけが頼りなんです。私を助けてください」
「助けてあげたい、それはもちろんのことなんですけど、その前に一ついいですか? 没落したとされる商家の名前をお伺いしても。裏が取れたら援助してあげてもいいですよ」
僕がそう言うと、彼女は一瞬ギクッとした。
しかしすぐに表情を取り繕って。
「そのような事、ルーク様のお手を煩わせるまでもありません。大丈夫です。すべては私に任せていただければ、きっと上手く行きます。見たところ、冒険者様でいらっしゃるのでしょう? 私が日頃の疲れを癒やして差し上げますわ。さあ、お店に参りましょう」
「あ、ちょっと」
腕に胸が押し付けられる感触を抱きながら、僕はシンシアになし崩し的に連れられていこうとしたところ、ロイさんが僕らの進行方向に立ちふさがった。
「ストップ。そこまでだ、シンシア。俺の弟子を下衆な作り話で抱き込もうとしないでもらえるか」
やっぱり作り話だったか。
妙な部分で納得する僕の隣で、シンディが小さく舌打ちした。
僕の視線を受けると、彼女は目線を明後日の方角へ向けて、ぺろりと舌を出し微笑している。
「うふふ。さて、なんのことでしょうか。ルーク様、またご都合がつけば、ぜひお願い致しますわ」
そう言って、シンシアはドレスの裾を引いて去っていく。
最後まで優雅で上品な身のこなしだった。
残された僕は憤然とその場に突っ立って、ぽつりと漏らす。
「悪女め……」
「まぁ、夜の女は基本あんなものだ」
「……ごもっとも」
彼の言葉に、同意するしかなかった。
けれど、彼女たちの真剣でいて、優雅さを忘れない顔つきを見て、ふと思った。
僕ら冒険者が魔物としのぎを削っているのと同じように、彼女たちはここで男の欲望と戦っているのだ。
「大変な、職業なんでしょうね」
「あぁ。お前は娼婦を馬鹿にしているようだがな、あいつらは本当の奉仕人だぞ」
「いえ、馬鹿にしてはいませんよ。体と精神を削る、立派な職業だと思います。誰にでもできる仕事ではないでしょう」
僕の言葉に、ロイさんは静かに頷いた。
「日頃稼いでる金、まだ残っているんだろ?」
「あります」
「シンシアのところはともかく、一度、高級な娼館に行ってみればいい。肉体的なものだけでなく、精神も癒やされる」
「…………」
ウェルリア王国がある方角の空を見上げた。
星空に、ロロナ村からずっと幼馴染だった少女の顔を思い描く。
「リリは……僕が娼館に行ったと知れば、どう思いますかね」
「どうせ会わないんだから、バレるはずもないだろう」
「さすが。ユメリアと付き合っていただけはありますね」
「お褒めいただき光栄だ」
彼とそんなくだらない話をしながら、僕らは娼館街の奥へ歩いていった。




