43話:皇女殿下
冒険者ギルドで受付嬢のアシュリーと密談し、それからギルドマスターのクロスさんと合流して、僕らがいつも取っている宿屋へ向かうことになった。
宿屋では皇女殿下様が僕を待っているとのことだ。
冒険者ギルドから外に出ると、太陽は大きく角度を落としていた。
水平線の向こうに沈んでいく西日が、レンガ作りの街を淡く照らしている。
街路樹がオレンジ色に染まる街並みに陰りをつくる中、僕らは歩を進めた。
「僕に用があるルーン皇女殿下って、どんな方なんですか?」
「皇帝陛下に似て、聡明な方だと噂だぞ。皇帝には私生児を含めて多くの子供がいらっしゃるはずだが、特に目をかけているのがルーン皇女殿下らしい」
クロスさんが応えた。
「へぇ……。そんな人を待たせているだなんて、なんだか恐れ多いですね」
「まぁしょうがない。冒険者はもともと数日かけて依頼のために街を離れて動くものだし、ルークはレスティケイブに潜っていたのだから、2~3日待つぐらいあの皇女様も覚悟の上で来ているだろう」
彼の言葉を受けて、アシュリーをちらと見た。
「アシュリーは皇女様が未来視ができると言っていたけれど、それはどのぐらい正確な能力なの?」
「詳しいことは私にも。ただ、皇国が今のような力をつけることができたのが、皇女である彼女の功績が大きいと言われています」
「未来視、か……」
そんな会話をしながら歩き、僕らは皇女殿下が待っている宿屋に到着した。
入り口の扉の横に屈強な兵士2人が陣取っており、見張りに立っていた。
僕らを厳しい顔で見ると、声をかけてくる。
「冒険者のルーク様でございますね」
「えぇ」
「中にお入りください。皇女殿下がお待ちです」
こくりと頷き、彼らの脇を通ってドアを開けた。
宿屋の中は、いつも利用しているとは思えないぐらい緊張感に包まれていた。
食堂部分のテーブルの1つの中心が、ドーナツのようにぽっかり空いていて、その周りに人垣ができている。
その中で、黒髪の天才剣士と、銀髪の女性が楽しそうに談笑していた。
ロイさんだった。
皇女殿下とも知り合いなのか。
入り口の扉を完全に開ききると、からんからんと言うベルが鳴って、全員の目線が僕らを捉える。
「あぁ、ルーン。ルークが帰って来たようだぞ」
「まぁ。ようやくご対面ですか。お待ちしていたかいがありました」
華が咲いたかと思うほど可憐な笑みを見せて、銀髪の女性が僕を見た。
席を立ち、つかつかと歩み寄ってくると、彼女はスカートの裾をつまんで、左足をわずかに引いて、淑女の挨拶をした。
「ルーク様、お初お目にかかります、ルーン・フォン・エジンバラと申します」
「あ……どうもご丁寧に。ルークです。ええと、ルーン皇女殿下……様?」
皇女様と話したことがないため、少し挙動不審に成る。
彼女は銀髪を揺らして頷いた。
「私のことは、お気軽に『ルーン』とでもお呼びください。ロイ様にもそう呼んでいただいております」
「そんなわけにもいかないでしょう」
ちら、と食堂のテーブルに目を向けると、ロイさんが何食わぬ顔で紅茶をすすっていた。
「いいんじゃないのか。本人が許可しているのだから」
彼は何食わぬ顔で言った。
本当にいいのか。
彼女自身が許可したとは言え、皇女殿下とあろうものを呼び捨てにして。
「ひとまず、お疲れのことでしょう。ぜひ、座って歓談しましょう。ロイ様にも、ルーク様のことをお聞きしていたのですよ」
「では、お言葉に甘えて」
そう言って、テーブルに彼女と向かい合って座る。
僕の隣にはロイさんがいて、冒険者ギルドのアシュリーとクロス氏は僕の背後に控えている。
そのテーブルに十数歩分の距離を空けて、皇女殿下の護衛と思われる近衛兵士たちが取り囲んでいた。
銀色の鎧に包む近衛兵士たちが並ぶ姿は、壮観な光景だった。
さらにその人の壁の向こうに、一般の利用客が野次馬根性を出して見守っている。
僕やリリもそうだが、ウェルリア王国の人口の大半を占める白色人種と違って、エジンバラ皇国には少し褐色がかった肌を持つ人種が多い。
現皇帝のレティスもそうらしいが、目の前に座るルーン殿下も銀髪に褐色の肌をしていた。
白色人種でもプラチナブロンドは美しいが、ルーン殿下の褐色の肌に淡い色素の髪が、よく映えている。
美しい女性だな、と思った。
「さて、単刀直入に申し上げましょう。ルーク様には先の大侵攻の討伐で大変な働きをしていただき、シリルカの街および皇国中心部に魔物の侵入を防がれた功績をあげられました。
皇国の幹部と会議をいたしまして、その功績に報いるだけの褒章を与えようと、皇帝陛下が判断されました。
この時代、エジンバラに最も貢献された人物に送られる、緋龍褒章を授与します」
その単語を彼女が発すると、クロス氏とアシュリーが後ろで息を呑む気配があった。
そんなに大切なものなのだろうか。
「待ってください。僕はすでに冒険者ギルドから報酬を受け取っています。これ以上、金銭や何かをもらうわけには……」
「もらえるものは、もらっておけばいいだろう。緋龍褒章と言えば、この皇国では上級貴族と同等の権勢があるんだぞ。そこらの地方領主が媚を売って歓待する待遇だ。喉から手が出るほど欲しい人物はいくらでもいる。なに、いらなくなったら捨てればいいだけだろう」
隣からどこ吹く風で、つまらなそうに紅茶をすするロイさんが言った。
おいおい、そんな適当なことでいいのか。
「あのですね、ロイさん……」
「道端に捨てられるのも困りますが、ロイ様のおっしゃるとおりです。私たちが差し上げると言うのですから、もらっておいて損はないと思いますよ」
そう言って、ルーン殿下はエメラルドの宝石で作られた、ブローチを差し出してきた。
中央に輝く緋色の宝石が、龍の姿を模して作られており、たしかに高価そうなブローチだと感じる。
「……このブローチを与える代わりに、僕に何かをさせようと言うわけですか殿下」
僕が言うと、彼女はふんわりと微笑んだ。
「ルーク様。私はルーク様に何かを命じるためにこの街に来たわけではありません。
そう。これは私とルーク様がお友達になる儀式と考えていただければ幸いです。
この褒章をルーク様が受け取ってくれなければ、私は皇都に帰ると厳しい叱責を受けることになるので……」
悲しそうな顔をつくる、ルーン殿下。
そう言われたって、額面どおりに受け取れるはずもない。
「まぁ……一介の冒険者である僕に、こんな豪華な褒章を与えてくれる皇女殿下と皇国の気持ちは嬉しいですけど」
僕は口をもごもごさせて、歯切れの悪い反応をする。
「僕に何を期待しているのか分かりませんが、ルーン殿下に応えられる力はないと思いますが」
「これまでどおり変わらずに、皇国の発展に尽力していただければ、それで」
如才ない受け答えだなと思った。
仮にエジンバラ皇国がどこか他の国と戦争になったとして、このブローチを与えたのだから『皇国の発展のために戦争に参加しろ』と言われれば、おそらく断ることはできないだろう。
国家的な後ろ盾がある権力を持つということは、国家に忠誠を誓うということだ。
僕個人だけの問題なら、どうとでもできるけれど。
おそらく、こういう褒章を受け取って国家の命令を断ることを、周りが許してくれない。
「要するにアレですか……。これから僕がエジンバラを裏切ることがないように、僕の首に手綱をつないでおこう、と。そういうわけですね」
「いえいえ。そのような事は決して」
うふふふ、とルーン殿下は上品に笑うが、そういう意図で間違いはないはずだった。
僕は図らずとも、一度ウェルリアを裏切る形になっている。
こんな褒美を与えて自分をつなぎ留めておく理由がエジンバラ皇国にあるのかは疑問だが。
龍の形を模したブローチを指でなぞりながら、思案する。
緋龍褒章を受け取れば、否応がなく皇国の上部に取り込まれてしまう。
逆に受け取らなかったら?
ウェルリアの時のように、また国に嵌められて追い出されることになってしまうのか。
あの一件で、国家の重鎮や王族に人脈があるのは強い、とハッキリ悟った。
ならばエジンバラ皇国が後ろ盾になって、権力を与えてくれると言うのなら、それは存分に利用させてもらえばいいのか?
実力をつけ、人脈を築き、誰にも侵されない確固とした自分を作る。
緋龍褒章を受け取り、皇国に取り込まれて考えられる最悪のケースは、今のウェルリア王国にいるリリと戦うことになることだ。
ウェルリアの上層部には恨みしかないからあの国が潰れようが構わないが、リリとだけは戦いたくない。
「…………。これを受け取るにあたって、1つ、条件があるのですが」
「はい。なんなりと」
「もしウェルリア王国と戦争になった時、こちらが優勢であるならですが、1人こちらに引き入れたい人物がいます」
「ウェルリア王国騎士団の、聖女リリですか」
「そこまで調べてあるんですね」
驚く気持ちばかりであった。
「えぇ。生来のご友人だとお伺いしております」
「リリをエジンバラに引き入れることは、可能でしょうか」
僕がそう言うと、ルーン殿下はすっと目を細めて、こう言った。
「ルーク様、予言しましょう。あの女に関わると、あなたはこれからとてもつらい思いをする。
聖女リリには深入りしないほうがいいですよ。きっと傷つくことになる」
まばたきを繰り返して、言葉を返すのがやっとだった。
「……深入りするも何も、僕はもうとっくの昔にリリに嫌われていると思う。
だから僕が関わらない形で、戦争になったら彼女を王国から助け出したいんです」
「嫌われている? そうでしょうか、そうではないと思いますよ」
ルーンは儚げに笑って、こう言った。
「いずれにせよ、聖女リリの事はもう忘れたほうがいいでしょう。
彼女と再び相まみえると、必ず後悔することになります」
「……。僕とリリはこれからどうなるんですか」
「詳しいことは存じ上げません。が、あなたたち2人が遠い未来で、破滅に向かう姿を見ました」
例の未来視の能力か。
未来から来たリリとユメリアが、ノアの箱舟計画のためにホロウグラフを探しているのはもう分かっている。
なら、なんのためにあの計画があるんだ?
あの計画を完遂させるために必要なホロウグラフは、この時代のどこにあるんだ?
これから僕とリリは、どんな未来を突き進むのか?
それが知りたい。
「君は……何をどこまで知っているんだ……?」
絞り出すように言った。
「緋龍褒章を受け取り、国家に忠誠を誓い、私と友人になっていただけるのでしたら、私が知っている事を教えて差し上げてもいいですよ」
瞬きを忘れて、銀髪の少女を見つめていた。
もし彼女の予言通り、僕とリリが破滅に向かう未来を見ているのなら、それを回避するために動いたほうがいい。
「殿下が見た未来視は、絶対的なものですか?」
「いえ。私が以前に見たエジンバラ皇国に関する近い未来の出来事でも、すでに違ってきていることが多くあります。皇帝陛下のお父様や臣下の方々が、エジンバラにとって良くない未来を回避するために尽力され、未来を変えることに成功した例でしょう」
ふーむ……。
この皇女とは、親しくしておいて損はなさそうだ。
いざとなれば、すべてを振り切るだけの強さを身につければいいだけだ。
「分かりました。緋龍褒章を受け取りましょう。殿下の未来視について興味がありますし、ぜひとも『お友達』になってください」
「嬉しいですわ、ルーク様」
ルーン殿下は明快に笑った。