24話:聖女の一日
おはようございます! リリです。
私の一日は早い。
夜明け前にベッドから起きだし、簡単に身だしなみを整える。
寝ている時に癖のついた髪に少しの水をつけて木櫛を通し、まっすぐに直す。
どれだけ急いでいても、せめて洗顔と髪ぐらいはちゃんとしなければ。
最後に残った、私の女の子としてのプライドです。
それが終わると1階の居間の降り、最近雇った使用人さんが作ってくれる朝ごはんを食べる。
台所から優しいスープの匂いがたちこめていた。
あぁ、匂いをかぐだけで美味しそう。
「セシリー、いつも朝早くからありがとう」
「あ、お嬢様。おはようございます」
ちょっと前まではルークが朝ごはんを作っていてくれたけど、今はこの広いだけの豪邸私以外誰もいない。
だからあまりの寂しさと、騎士団の仕事と家事の両立が辛くて、女の子のメイドさん・セシリーを雇ったわけだ。
「今日のメニューはなに?」
「ライ麦パンに、野菜のスープ、レタスとチーズのサラダです」
「美味しそう。セシリー料理上手だもんね」
「いえ、そんな……」
はにかむセシリーが可愛いです。
セシリーが作ってくれた朝ごはんを食べ終えると、私は騎士甲冑を着込んだ。
白銀の鎧に身を包み、騎士刀を腰にぶらさげると、準備完了。
「じゃ、今日も行ってくるね」
「はい。お気をつけて、お嬢様」
「ありがと」
見送ってくれるセシリーにお礼を言って、家を出た。
明け方の王都を歩くと、ちらほらと人を見かける。
朝一で牛乳やフルーツを貴族の邸宅に配達している人、早朝から仕込みのある肉屋のおじさん、日中何もすることがないから朝早く起きてウォーキングしている貴族のご婦人方。
そんな人々がいる街を歩いていると、声をかけられた。
「おはよう、リリちゃん!」
「あ、パン屋のおばちゃん。おはようございます」
「こないだはありがとねぇ。うちの亭主が商業都市から行商で帰ってくる途中、魔物に襲われたところを護衛してくれたんだってね?」
「いえ。市民を守るのも、騎士団の務めですから」
先日、私たち騎士団が王都の外で魔物の討伐任務を行っていた際、行商人の一行が魔物に襲われていたから、それを団長の静止命令振り切って個人的に助けた件をいまだにおばちゃんに感謝されているのでした。
行商人を襲っていた魔物はかなり強く、団長は騎士団員全体の安全を考えて、あえて行商人を見捨てる判断をしたのだけど。
でも私は放っておけなくて、独断専行して行商人たちを守ったのだった。
もちろん命令違反した私はこっぴどく叱られたし、援護してくれた他の団員を死の危険に追いやった責任は重い。
それでも、助けてくれてありがとう、と言ってくれる言葉が、暖かくて嬉しかった。
「リリちゃんはいい子だねぇ。騎士団や王国上層部がみんなリリちゃんみたいな子だったらね……」
「はは。私だって、まだまだダメダメの新米騎士ですよ」
でも、パン屋のおばちゃんの笑顔を見るだけで、『あぁ、頑張ってよかったな』と。
そう思えるのでした。
「周りに何を言われようが、あたしは亭主を助けてくれたあんたの事応援してるよ。頑張ってね!」
「はい!」
パン屋のおばちゃんに挨拶し終え、そのまま王都の外目指して歩いて行く。
城外につながる城門にたどりつくと、衛兵さんが敬礼をしてくれた。
「リリさま。おはようございます! 今日も自主鍛錬ですか?」
「おはよう。うん、そう。ちょっと城門通らせてもらうね」
「もちろんです。お気をつけて!」
「ありがとう」
城門をくぐると、そこには広大な草原が広がっていた。
太陽が水平線の遥か向こうから登ってくるのを眺めながら、私は屈伸運動を始める。
しばらく準備運動をやっていると、大あくびをしながら私のそばにやってくる子がいた。
「ふぁー……。リリも毎朝よくやるよねぇー」
同じ白銀の騎士甲冑に身を包んだ同僚の女の子・ベアトリーチェだ。
ベアトリーチェは北方の国の出身らしく、この国の発音では珍しい略称でビーチェと呼ぶ。
「ビーチェ。おはよう」
「おはよー。はー……、リリが騎士団に復帰して、早朝自主鍛錬をやりだすっていうから付き合ってあげてるけどさー、あたし2週目にしてもうつらいわ……」
ベアトリーチェは私とほぼ同期の女の子で、私が自宅に引きこもる前も騎士団に復帰した後も、かわらず優しく接してくれる子なのだった。
「眠たかったら、寝てていいよビーチェ。訓練は私一人でもやれるとこまでやるから」
「んー、それもそれでなぁー。なんか置いて行かれる気がするし、ヤダ」
眠気眼をこすりながら不満を口にするベアトリーチェに、私は苦笑する。
「同期だもんね、私とビーチェ。差をつけられたくないよね」
「そそ。同じ女の子で、騎士団所属で、同期ってのは、貴重なものなのですよ」
事実、騎士団に所属している15歳あたりの女の子っていうのは、ものすごく貴重なものなのだ。
騎士団全体は40名ほどで構成されていて、そのほとんどが20歳以上の男性。
職業のスキル補正などである程度の筋力差・体力差は補えるとは言っても、ただでさえ男性優位の職なのに、未成年の女の子の騎士となれば、絶滅危惧種に近いのだ。
だから同期で同い年で同性のビーチェとは、自然と仲良くなるものです。
「じゃ、やろっか」
「うぃー……」
心の底からだるそうな声で、ビーチェがうなずく。
私は騎士団に復帰してから、早朝に行われる団員合同訓練とはまた別に、新しく自主訓練を自分に課しているのだった。
何はともあれ、まず自分には絶対的に力が足りない。
魔物と戦う力もそうだし、権力とかそういう大きなものから大切なものを守るための力が足りない。
だからせめてもの、戦闘力をつけようと思って自主訓練に励む。
こうして、朝早く起きて騎士甲冑フル装備で王都の周りを走りこみ、ビーチェと模擬戦を行い、城壁を手と足だけで登るような訓練を行い始めたのだった。
付き合ってくれるビーチェに感謝しながら、私は太陽の初光が照らす草原をひたすら走る。
「そういえばさー、リリ」
「ん?」
お互いランニングしながら会話しても息が切れない程度には、鍛え上げているつもりだった。
「エジンバラ皇国のあの噂聞いた?」
「噂って、なんの噂?」
「エジンバラのレスティケイブに1番近い街・シリルカの街……つまり、ウェルリア王国との国境付近の街のことなんだけど」
「うん」
はっ、はっ、と規則正しく呼吸を刻みながら、走る私は頷く。
「その街に、2人組の男で毎日レスティケイブに潜ってる冒険者がいるんだってさ」
「へー」
特に興味もなく、相槌を打つ。
「へーってあんた……」
「いや、だって実際それしか言いようがないし。すごいな、レスティケイブで狩れるんだな、とは思うけど」
「そう。そこが問題なのですよ、リリさん」
「問題ってなにがですか、ビーチェさん」
お互い奇妙な敬語を使いながら、私は首をかしげる。
ランニングのさなか、ビーチェは私の顔に指を突きつけてきた。
「普通の冒険者が、レスティケイブで狩れると思う? 地上に出てくる魔物は群れをなして人を襲うしろ、レスティケイブほどガチガチの構成じゃないんだよ。わざわざ魔物が隊列組んで襲ってくるレスティケイブで狩るメリットがあると思う?」
「思わない」
「じゃあ、その2人組って一体なんなんだろうって思わない?」
「思わな……思う!」
私の返答に、ビーチェは満足がいったように何度も頷く。
「だよね。そうだよね。そこで優秀な名探偵ビーチェさまが、個人的なツテをたどって、情報をかき集めてみたわけですよ」
「ビーチェってそういう噂とか人の裏話探るの、ほんと好きだよね」
「そこぉ! 性格悪いって言わない!」
「言ってない、言ってない」
苦笑しながら首を振って否定する。
「まったく……リリにとって超朗報をあげようとしてるのに……」
「で、なんなの。その謎の2人組の正体って」
「聞いておどろけ。1人はかつて王国で最強騎士って呼ばれていた、あの伝説のロイ・エメラルドだ」
「あの伝説の、って言われても私は伝聞でしか知らないけど」
「うんまぁ、あたしもなんだけど……。まぁそっちはともかく」
「うん」
私は相槌を打って、話の続きを待つ。
「その伝説の元騎士が育ててる相棒ってのが、どうやら新米の魔導師みたいなんだよ」
「ふーん……」
この言葉を聞いたあたりから、私の心にちょっとはやる気持ちが芽生え始めた。
新米の、魔導師?
「黒髪であたしたちと同じぐらいの男の子で、常に敬語で誰に対しても目線が低く礼儀正しくて、おまけにうわさ話ではウェルリア王国から来たって話の子。ね。ピンと来ない?」
「まさか」
まさか、まさか。
驚きは、三度漏れた。
「そう。剣神ロイが飼ってる今の相棒の名前は、ルーク。魔導師のルークって言うんだよ、リリ」
私は、驚愕の思いで足を止めた。
震える吐息を吐き出し、ベアトリーチェの端正な顔をまっすぐに見つめる。
彼女は「どや」と言わんばかりに、私を微笑み返していた。
「ビーチェ……!」
「あたしも、たまには役に立つでしょ?」
ビーチェのおちゃめなウインクが、私には女神の微笑みにすら思えた。
落雷に打たれたかのように呆然とした私の頭が、停止状態だった頭脳が、息を吹き返す。
黒髪の、敬語で、ウェルリアからエジンバラに来た男子。
名前は……ルーク。
生きて、いたんだ……。
ほろり、と雫が頬を伝った。
気がついた時には、彼女を力いっぱい抱きしめていた。
「ビーチェ、ビーチェ、ビーチェっ!」
「いたいいたい、ちょっと痛いってリリ」
甲冑ごしなのも構わず、私は全力でベアトリーチェを抱きしめる。
「ビーチェ、ありがとう!」
「あはは……どういたしまして。最初は個人的な興味から調べたんだけどね。役に立ってよかったよ」
「生きてたんだ! 本当にルークが生きてるんだ!」
「まぁ、そういうことだね」
喜悦が全身を支配する。
嬉しくて嬉しくて、流れる涙がどうにも止まらなかった。
「信じられない……そんな事があるなんて……! あぁ、良かった……良かったルーク……!」
もう一度会えたら、絶対言おうと思っていたことがあったんだ。
ありがとう、大好きだよ。
と、彼に全身で愛情を伝えたかった。
もう二度と気持ちを伝えないまま、大切な人を失うのは避けたかった。
「うん。で、どうすんの、リリ」
「ど、どうするって?」
予想外の質問に、私はたじろいだ。
「あたしは、リリがウェルリアで培った全部を投げ出しても、彼の元に駆けつける意義はあると思うけど」
「え……どういう意味……?」
ベアトリーチェの言葉は、すっと理解することは難しかった。
「だからさ、好きな男なんでしょ? リリのためを思って我が身を投げ出してくれた、大好きで大好きでどうしようもない彼なんでしょ? 騎士団とか貴族とか、この王国で守るべきものすべてをうっちゃっても、ルークくんのところに押しかける理由は十分にあると思うけど」
「そ、れは……」
できることなら、そうしたかった。
この王国にある私の大事なものすべてをかき集めたとしても、彼の存在にはとうてい届かない。
でも。
脳裏によみがえる、さきほどのパン屋のおばちゃんの感謝の言葉。
リリちゃん、ありがとうね。
たったそれだけの言葉が、とても嬉しくて。
この王国にいてもいいんだなって思わせてくれる。
パン屋のおばちゃんだけじゃない。
道中を護衛してあげている行商人さんたちや、魔物から王都民を日夜守っている衛兵さんたち、王都の外にある農村で魔物の被害と戦いながらも必死に生産物を作ってくれている農民さんたち。
そのみんなの期待を、聖十字騎士団のリリという存在は背負っているのだ。
だから、直感する。
あぁ、たぶんルークだったら、彼ら彼女らの期待を放り出して、女一人のところには駆けつけたりしないだろう、と。
「できない……」
「え?」
「できない。私にも、王国で守るべきものがあるから。私はここで、やらなきゃいけないことがある」
私がそう言うと、ベアトリーチェは目を見開いた。
この国でやるべき事をきちんとやり終えて。
哀しい思いをしている人を救い終えたら、その時は彼の元に駆けつけようと思う。
きっと、ルークなら笑って出迎えてくれるはずだった。
私の信じた道を、彼なら理解してくれると思う。
「いいの? 国が違えば、いつかは戦争にだってなるかもしれない。もう二度と自由に会えないかもしれないんだよ」
「それでも、それでも私は、彼がくれた今の立場を放り出すなんて、期待してくれてる王国の人たちを裏切ることなんて、できない」
「そっか。そいつぁ豪気なことだけど、それは修羅の道だぜ、お嬢さん」
「私にはビーチェがいるから平気だよ」
私とベアトリーチェはしばらくの間、お互いを見つめて笑いあった。




