2話:みなの想いを背負って
その朝。
僕とリリは長老のアルマに呼ばれ、彼女の家へと赴いた。
「長老。お呼びでしょうか?」
「あぁ来たか、ルーク、リリ。そこへ座りなさい」
「はい」
「失礼します」
長老の家に入った僕たちは、アルマにそう促され藁を敷いた居間へと上がった。
「一体何事ですか、こんな朝早く私たちをお呼びになって……」
リリが何かやらかしたのではないかと、不安そうな声音で尋ねた。
「あぁ、別に叱ろうとか言うわけじゃない。そう構えなさんな」
そう言われると、僕もリリもほっと肩の荷がおりた。
「しかしそうでなければ、どうしてこんな時間に」
「2人は数えで15歳になった、違いないね?」
「はぁ。たしかに僕もリリも15になりましたが」
僕の返答に、長老はうむ、と頷いた。
「村の重鎮連中で話し合った結果、2人には祝福の儀を受けさせてやれることになった」
「「祝福の儀を!?」」
祝福の儀は、王都や大きな都市なんかで15歳以上20歳未満の子供だけが受けられる、魔法的儀式だ。
祝福の儀を受けた子供は、様々なスキルや魔法が使える天職を神様から授かることができる。
これを受けるのと受けないのでは今後の人生がまるで違う。
しかし貴族か大商人の家に生まれた子でなければ受けることは難しいと言われている。
それは儀式を行ってくれる聖教会に多額の寄付金を渡さなければならないためだ。
それを差し引いても魔法やスキルが使えるということは、この世界ではとてつもないメリットだった。
「一体どういう話の流れで僕たちに祝福の儀を……」
「なに。最近は豊作でね。金が余るぐらいだったのだよ」
それが嘘であることは、僕にもリリにも明白だった。
この村は貧しく、先がない。
僕たちに祝福の儀を受けさせてくれる余裕なんてないはずだ。
そんな嘘をついてまで祝福の儀を受けさせてくれるのは何故だろう、と僕は頭の片隅で考える。
隣のリリが凍った表情で言った。
「長老……私たちには祝福の儀はあまりにももったいなくございます。どうかお考えなおしを」
「お黙りよ、リリ」
威圧感をともなった長老の言葉に、リリがびくりと身体を震わせた。
「私とお前は血が繋がってないにしろ、私は村の人間はみな子供だと考えている。お前もルークも、私の可愛い孫なのだよ」
「長老……。でも、それならなおさらのこと、私たちだけが美味しい思いをするわけには」
いろりを挟んで向かい合った長老が、そっと身体を近づけてリリの頬をなでた。
「リリ、ルーク。お前たちは優しい子だ。その性格はきっと、近い将来必ず人を幸せにする。だからこそ、王都へ行くんだ。これは長老命令だよ。王都へ行って、祝福の儀を受けるのだ」
「長老……」
リリはアルマのその言葉に、何かを感じ取ったようだった。
うつむき、身体を震わせて、無言で頷いた。
長老は僕の方を向いて続けた。
「ルーク、お前は慎重で真面目な子だ。真面目で優しいがゆえに、目の前の困っている人すべてに手を差し伸べようとする」
「そんな……いえ、はい」
「だが、それは時として悪手になる。本当に大事なこと、守るべき大切なものはなんなのか、よく考えて答えを出しておくんだよ」
「分かりました」
長老は僕の言葉に満足そうに頷くと、次にリリを向いて言った。
「リリは賢い女の子だ。私が言うまでもなく、何をなすべきかよく分かっているだろう。ルークと2人で力を合わせ、どんな困難にも逃げることなく立ち向かっていきなさい。2人なら、きっと乗り越えていける」
リリはハッとした顔で面をあげると、しばらく無言のまま涙をにじませた。
「はい……はい……必ず……」
長老は僕たちを胸に抱いて、優しくこう言った。
「ルーク、リリ。お前たちのことをいつも我が子のように思ってきた。お前たちは聡明な子だ。いつかきっと、人様のお役に立てるような子になる。いいね? 王都へ行って祝福の儀を受け、一廉の人間になりなさい。それが村のみんなの願いだ」
僕は長老の言うことの意味が良く分かっていなかったが、リリは何度も頷いていた。
彼女の眼から流れる雫が、床の干し草を濡らした。
そのまま長老に話の流れを押し切られて、僕とリリはすぐにでも王都へと出発することになった。
個人馬車なんて高級なものは使えないから、近くの大きな町まで歩いて出て、そこから乗り合い馬車で王都を目指すということになる。
「それにしても長老たちも話が早いよね。今日の朝言われたかと思ったら昼前には出発しろだなんて……」
リリが不満半分、祝福の儀への期待半分で口をとがらせる。
僕たちはすぐに荷物をまとめさせられ、村を出て乗合馬車が出ている町を目指すために街道を歩いていた。
村を出る時の長老やおじさん、おばさんたちのやけに親切な態度。
子供たちの涙ぐんだ顔。
繰り返し繰り返し言われた、「俺たちのこと、忘れるんじゃないぞ」という言葉。
まるであれは、永遠に会えない別れの挨拶をしているみたいで。
「何か嫌な感じがする」
「何かって、なに?」
耳ざとくリリが聞き返してきた。
「それが分からないから何か、なんだよ」
「なにそれ。……でも、いずれ分かると思うよ」
「リリは分かってるの?」
「女の勘でね」
「それはあなどれないなぁ」
「でしょ?」
僕とリリは見つめ合ってくすくす笑う。
「それにしても祝福の儀かー。どんな天職がもらえるんだろね?」
リリが前を向いたまま言った。
「リリはあれじゃない? ラビットやボアを狩るのが上手いから、女狂戦士とか」
「どうやら死にたいのかな、ルークくんは」
満面の笑みだったが、逆にその笑顔が怖かった。
「冗談だって……」
「次言ったら、怒るからね」
「ごめんなさい、無神経でした」
「よろしい」
僕が謝るとリリは満足した風で、鼻歌を歌いながら先を歩く。
けれど、リリは幸せそうな顔のどこかに、隠し切れない悲哀がにじんでいた。
◇ ◆
しばらく街道を歩いて、近くのわりと大きな町までたどり着いた。
サンティコの町だ。
ここから王都ウェルリアにつながる乗り合い馬車が出ている。
乗り合い馬車の代金は、2人で銀貨10枚。
だいたい6~7人ほど乗せるから、馬車主は銀貨30枚近くは稼げることになる。
もちろん人間だけが乗ることなんてありえない。
たいてい商人の積み荷がわんさか乗っているスキマに、僕たちのような貧乏旅行者が乗ることになる。
だから乗り合い馬車は、やり方次第では結構儲かるという話を聞く。
それはもちろん、高価な馬や馬車を用意する初期投資が必要なのだろうけど。
「リリ。乗り合い馬車が出るまで少し時間があるから、どこかでご飯食べていく?」
太陽の角度と1刻ごとになる鐘の音から逆算して、乗り合い馬車までまだ時間に余裕があることを計算する。
「あー、そうだね。そうしよっか」
「うん。何が食べたい?」
「なんでもいいよ。そんなお金に余裕あるわけじゃないんでしょ?」
「それもそうだ。屋台の串焼きでいっか」
「うん」
笑顔で頷くリリを連れて、僕たちは屋台に近づいた。
鼻孔をくすぐる、いい香りがする。
コショウとソースをふんだんに使った、スパイス味の鶏の串焼きだった。
「うわー、美味しそう」
「すいません、おじさん。鶏肉の串焼き2つください」
「おっ、まいど。兄ちゃん、可愛い彼女連れてるねー!」
「いや、ただの幼なじみで」
「そうなのかい?」
僕がそう言うと、リリは不満気な顔をしていた。
「ほい。1つ銅貨3枚。嬢ちゃんは可愛いからサービスで銅貨2枚にしとくよ!」
「わぁ、ありがとう、カッコいいお兄さん!」
「はははっ。口が上手いね、嬢ちゃん。俺ぁもう30過ぎてるんだけどな」
「カッコいい男はいつになっても魅力的なものですよ」
「よし、特別サービスだ。銅貨1枚でもってけや!」
「ありがとー、お兄さん大好き!」
これが女の媚びというものか。
リリと露店のおじさんのやり取りを半ば呆れるような気持ちで見守っていた。
リリは大変お買い得な買い物をして、ホクホク顔で串焼きをもらう。
少し歩いた先に木製のベンチがあったため、そこに腰掛けて僕たちは串焼きを食べることにした。
「よくあんな見え透いたお世辞が言えるね、リリ」
ちなみに屋台のおじさんは頭が禿げ上がっていた。
「だって言っても誰も困らないじゃない」
「困る人も……いるかもしれないよ……」
思わず口ごもる。
それを見たリリの顔いっぱいに、にやぁ~~という笑いが広がった。
「ね、ね。具体的には? 具体的には誰が困るの? 言ってみて、ほら。はいどうぞ」
「…………ロロナ村のアシュレイとか」
アシュレイはリリに婚約の告白をして断られた男子の一人だ。
「あ、逃げた。ルークの意気地なし」
「別に……」
僕は憮然とした表情で串焼きをがっついた。
ほどよい香辛料の匂いが口いっぱいに広がって、美味しかった。
「これが銅貨3枚は安いなぁ」
「私は銅貨1枚だったけど」
「はいはい」
こんな感じで、僕とリリは平穏な時間を過ごしていった。
◇ ◆
その悲報を聞いたのは、乗り合い馬車が出発してから2日ほどは過ぎた頃合いだった。
乗り合い馬車は魔物の襲撃に襲われることもなく、毎日王都へ向かって進んでいる。
2日目の陽も落ちて、街道の途中に設営されている修道院で宿を借りた時、他の旅行者の会話を耳に挟んだのだ。
「どうやら、カストーナ地方の村はほぼ全滅らしい」
「あぁ、レスティケイブからの大侵攻があったんだろう?」
「これは王都の聖十字騎士団も動かないわけにはいかんな」
「しかし魔物は倒しても倒してもケイブから沸くからな。一体いつになったらこの世から魔物を駆逐することができるのか」
その会話をなにげなしに聞いた僕は、思わず彼らに詰め寄っていた。
「カストーナ地方!? カストーナ地方の村がどうかしたんですか!?」
カストーナ地方は僕らのロロナ村がある地方の名前だった。
「な、なんだよ兄ちゃん。カストーナ地方に身内でもいるのか?」
「僕らの出身の村が、カストーナ地方にあるんです!」
僕がそういうと、旅行者たちはきまりの悪い顔をした。
「あー……そりゃ、ご愁傷様なこった。レスティケイブからの大侵攻によって、あの辺の村はほぼ全滅って噂だぜ」
「そ……そんな……馬鹿な……」
愕然とした。
足元がグラグラして、まともに立っていることすら難しかった。
もしかして、長老たちは大侵攻があると分かっていて僕らを……?
すぐさま修道院の女子寮に入泊しているリリに会いに行く。
女子寮の監督官に呼び出してもらって、リリにこの事を伝えると、彼女は毅然とした表情で頷いた。
「私……なんとなく分かってた。私たちに王都行きを伝える時の長老。何かヘンだったもん」
「じゃあリリは……分かってて王都行きを……?」
「うん。ごめんね、ルークには黙ってて」
「なんで!? なんで言ってくれなかったんだ!? 僕たちが残ってれば、何かできたかもしれない!」
「……たぶん、長老たちはそれを分かってて私たちに王都行きを命じたんじゃない? 私たちが残っても村が滅亡する時間がほんのわずか伸びるだけでしょ」
「それでもみんなと一緒に戦えたじゃないか!」
「じゃあっ! 戦って死んで、どうするってのよ!」
リリの悲痛な叫びが、僕の心を刺した。
「そんなの何も残らないじゃない! みんなみんな、分かってて私たちを王都に行かせてくれたんでしょ!? まだ15歳の私たちなら、祝福の儀を受けれるからって! だから、長老は『一廉の人間になりなさい』って、私たちに最後の期待を残してくれたんでしょ!? 私たちを送り出してくれたみんなの想い、分かりなさいよ、ルーク!」
リリの白い掌が、僕の頬を叩いた。
ぱちん、という乾いた音がして、痛みとかそういうのよりもまず、リリが僕を叩いたことがショックだった。
それだけ、今の僕は馬鹿だったってことだ……。
「ご、ごめん……頭に血がのぼってて……」
「ううん……私も、いきなりぶったりしてごめんね……」
しばらく無言のまま、僕は修道院女子寮の入り口前で、リリと突っ立っていた。
「私も、まだ割り切れたわけじゃないから。今日はごめんね。もう寝るね」
「…………分かった、お休み、リリ」
「おやすみ」
僕はしばらく、呆然としたまま突っ立っていた。
ロロナ村が……壊滅した……。
だったら僕たちは、いったいどこに帰れば良いのだろう?
絶望が思考を支配する。