19話:風習
僕とロイさんはレスティケイブの探索を切り上げ、またシリルカの町へと帰って来ていた。
「俺は先に宿を取っておく。宿代は俺が持つから、お前は好きに成長の儀をするなり装備を買うなりしていいぞ」
「ありがとうございます」
ロイさんの好意に甘えて、僕は頭を下げた。
「じゃ、こないだ泊まった宿でまた夜に」
「はい」
町の中でロイさんと別れ、僕も自由に行動することにした。
いつもどおりシリルカの街の大通りにはたくさんの人が行き交いしていて、活気に満ちている。
色々とやりたいことはあるけれど、何から手をつけようか。
頭の中でプランを立てた。
まず魔石を売って金を作る。
金がなければ身動きが取れない。
それから次は腹も減っていることだし、美味しいご飯を食べよう。
定期的に暖かくて美味いご飯を食べないと、精神が荒んでしまう。
次に聖教会に行って中級魔法やトラップ探知の魔法をとる。
これは最重要課題だろう。
ここを疎かにすると、永遠に1階層レベルで足踏みすることになる。
最後に、装備品をもう少し改善する。
身体能力や耐久面に不安があるから、そこを補強できるような装備を、徐々に揃えていこう。
よし、このプランで行こう。
まずは魔石を売るために冒険者ギルドへと足を向ける。
あ、待てよ。
こないだ冒険者ギルドで魔石を売って下級魔石の相場が銅貨3枚だったから、今度は別のギルドに持ち込んでみることにするか。
冒険者ギルドでの話を聞く限り、他のギルドにもメリットがありそうだし。
だとすると、商業ギルドか、工房ギルドか。
なんとなく買い取り値が高そうな商業ギルドに行くことを決めた。
商業ギルドの位置を近くの人に聞くと、『金貨袋から宝石があふれている』紋章が、商人ギルドらしい。
街の大通りを歩き、人混みをすり抜けながら僕は商業ギルドへと赴いた。
木の押し扉を開いて中に入るやいなや、
「商業ギルドへいらっしゃいませー!」
「いらっしゃいませー!」
「いらっしゃいませー!」
と、従業員総出で元気よく挨拶された。
中には他の来客と交渉中だった従業員もいたが、商談中でもこちらを見て挨拶をしてくれた。
同じように喧騒に包まれていた冒険者ギルドと違うのは、こちらは従業員がハキハキシャキシャキしている。
組織の風土の違いだろうか。
僕がそう思っていると、従業員が顔中に笑顔を浮かべて近づいてきた。
「こんにちは! 商業ギルドへようこそ! どのような御用でしょう」
「これはどうも。魔石を売りたいんですが」
「売却希望ですね。こちらへどうぞー!」
木のカウンターに通される。
冒険者ギルドの時と同じように、僕はバックパックから魔石を取り出しテーブルの上に置いた。
冒険者ギルドで売った時より売却量が多いため、職員の人は少し驚いていたようだった。
「では拝見させていただきます。私が鑑定しているあいだに何かお飲み物でも用意いたしますが、何かご希望の飲み物はございますか」
「あ……じゃあ、オレンジジュースでもいただけますか」
「かしこまりました」
僕がそう言うと、従業員の青年はくすりと笑って、後ろの方で事務仕事をしている女性に「こちらのお客様にオレンジジュースを」と言っていた。
やがてグラスに入ったオレンジジュースが僕の前に置かれた。
レスティケイブには飲料水用の革袋に詰めた水を持って行っているが、やはりそれだけでは満足行く水分が摂れない。
僕は戦闘の疲労もあって、オレンジジュースを一気に飲み干した。
「いい飲みっぷりですね」
「美味しかったので、つい」
職員の言葉に、恥じ入る思いだった。
「いいことです。もう一杯用意させましょうか」
「あ、いえ……。ジュース飲みにここに来たわけではないので、お金も払ってないし、申し訳ないなって」
搾りたてのオレンジジュースはそれなりに値が張るものだし。
「左様でございますか」
くすりと笑って、職員の青年は鑑定作業に戻る。
1つずつ魔石を手にとって調べ、おそらくスキルを使って見ているのだろう。
色んな角度から魔石を眺めていた。
今回の戦利品は、2階層で倒した魔物から1つ入手できた中級魔石がある。
これがどれだけの値をつけることができるのか。
できればそれなりの値で売却したい、と胸がドキドキする。
黙って従業員が鑑定を終わらせるのを待っていた。
しばらくして鑑定が終わり、職員の青年が羊皮紙にペンでさらさらと文字を書いていく。
書き終わると僕の方へその羊皮紙を差し出し、こう言った。
「これが今回の買取額一覧でございます。ご確認ください」
僕は差し出された羊皮紙を見た。
買い取り商品 単価
火の下級魔石×3 銅貨4枚
水の下級魔石×4 〃
風の下級魔石×4 銅貨3枚
土の下級魔石×2 銅貨5枚
火の中級魔石×1 銀貨1枚
計 銀貨3枚 銅貨10枚
お。
冒険者ギルドで売った時より、多少相場が高いぞ?
そんな僕の思惑を表情から読み取ったのか、職員の青年はにっこりと笑みを浮かべた。
「いかがでございましたか。ご希望に添えなければ、もう少し色をつけることも可能ですが」
「そんな――」
ことをしていただかなくともこれで大丈夫です!
と言いかけて口をつぐむ。
そうだ、ここは交渉の国、エジンバラ皇国。
定価で物を売買することを礼儀だとするウェルリア王国とは違うのだ。
「そ、そうですね……、僕も命をかけてレスティケイブに潜ってこの魔石を稼いできたので、もう少しそこら辺を考慮に入れていただけると助かります」
「ほう……レスティケイブに潜っていらっしゃるのですか。かなりお強い方なのですね」
職員の振りに、僕は苦笑して首を振る。
「僕は大したことありません。パーティーを組んでくださっている方がとても強いんです」
「そうですか……。しかしそれにしても、わざわざ魔物の巣窟で戦おうとする豪気な方がいらっしゃるとは。そういう方が初期の段階で魔物を討伐してくれるからこそ、私たち非力な市民は安心して眠れるわけです」
褒められて、僕は赤面する。
「ではその温情分というわけでもないですが、多少色をつけて取引手数料込みで、銀貨4枚ではいかがでしょう」
「はい! 十分です!」
銅貨10枚分、得することになって、僕は思わず飛びついてしまった。
「ありがとうございます」
職員の青年はカウンターの下から銀貨4枚を取り出し、木のテーブルの上へと並べた。
僕は買い取り契約書にサインし、硬貨を受け取る。
「ではお納め下さい」
「確かに」
銀貨4枚を金貨袋へと入れる。
「また、ぜひうちをご利用下さいませ。魔石の買い取りであれば、どこよりも高値をつけられる自信がございます」
「そうですね。……ちなみにの話なんですが、なぜ冒険者ギルドより売却単価が高いのですか?」
僕はおそるおそる尋ねた。
「冒険者ギルドは冒険者への支援・育成を手広くやっているギルドですからね。業務範囲が広ければ広いほど、色々な経費がかかるわけです。その分、素材や魔石の買取額も低くなる。
対してうちのような純粋な商人が集まるギルドだと、冒険者への支援・育成業務を一切しておりません。それゆえ、かかる経費も少なくて済みます。その分、商売で儲けを出しやすく、ギルドとしての利益も多いのです。だから、魔石や素材を売ってくださる方へは、買い取り額も高くなるというわけでございます」
「へえー。面白いシステムですね」
「一概にうちが良いとは言えませんけれどね。冒険者ギルド様は、あちらはあちらで初心者冒険者様の面倒見がいいですし、数々の凄腕冒険者を育てている実績がありますので。あとは優秀なパーティーメンバーを探したりクエストを受けたいなら、冒険者ギルドに入ることが必須ですし」
「でも、魔石を売って利益を上げようとするだけなら、商業ギルドで売ったほうがいいですよね」
「ルーク様のような凄腕冒険者様であれば、ぜひともうちで稼いでいただきたいですね」
職員の青年は、悪い笑みを浮かべた。
それから僕は、食事を食べるために屋台をいくつか見て回った。
こないだ銅貨5枚で黒胡椒の炒飯を食べた屋台の前に来ると、店主のおじさんが声をかけてきた。
「おう坊主! 今日のメニューは肉団子の甘酢かけだぜ。食ってけよ!」
「んー、いくらですかね」
こないだぼったくられた経験があるので、少し慎重になる。
「1皿銅貨4枚でどうだ?」
「銅貨2枚で」
僕がそう言うと、店主のおじさんは「ほう……」と目を細めた。
「言うようになったな。だが、2枚じゃあうちが潰れちまうよ。銅貨3枚だ」
「分かりました。肉団子自体は銅貨3枚でもいいですが、こないだ黒胡椒の炒飯を銅貨5枚で食べさせてもらったので、その分を差し引いて、銅貨2枚ですね」
おじさんはわずかの間あっけにとられていたが、やがて豪快に笑った。
「はははは! 気に入った! 銅貨2枚で食ってけ!」
「ありがとうございます!」
僕は屋台の席に座る。
屋台で大鍋を振るいながら、おじさんはにやりと笑ってこう言った。
「坊主も、エジンバラの人間になってきたな」
たったそれだけの言葉が、妙に嬉しかった。
「ルークです。冒険者をしています」
「ほう……若いのに立派だねえ。どこかで魔物を狩っているのか?」
「はい。レスティケイブに潜って、魔物を倒して魔石を取り、日銭を稼いでいます」
「そりゃすげえ! あんなところで狩れる冒険者は、そうそういねえぞ」
「僕自身はそんなでもないんですけど」
苦笑しながら言った。
誰がどうみたって、僕はロイさんにおんぶにだっこだ。
「俺は美味い飯を作って応援してやることしかできねえが、頑張れよ。腹が減ったらうちへ来い。ルークならツケ払いでもいい」
「ありがとうございます」
そんな心あたたまる会話をして、僕はこの時かすかに気づいた。
そうか、交渉は自分の金銭的利益のためだけにやるものではないんだ。
ともすれば金と物の取引だけで終わってしまう冷徹な商行為に、交渉を挟むことで人間的な触れ合いを忘れないためのものだったんだ。
交渉を通して徐々に店主や客の人となりを知って行って、雑談を交わしたり、常連になったり、商売以外のところでもお互いに助けあったりするための、処世的技術。
それが、エジンバラの交渉という風習なのだろう。
僕はこの国を、好きになれそうだった。
その日の肉団子の甘酢かけは、とても美味しかった。




