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夜会、そして彼の過去


煌々と焚かれる灯りに煌めくシャンデリア。

やわらかな黄金色に染められたホールに集う人々は皆、思い思いに着飾り、まるで宝石のよう。

耳に心地よい、けれど自己主張を抑えた弦楽器が流麗な調べを奏でる中、人々は歓談し、あるいは共に手を取りホールの中央で踊り始める。

「すごい、な」

壁際に佇むは一人の少女。

ほころぶ寸前の白百合を思わせるその姿は、将来開花すればどれほど感嘆の溜息を周囲から誘うのだろう?

そう思わせる美しい少女を今宵彩るのは、絹糸の光沢も眩しいエメラルド色のドレス。

胸元に同色の布で(かたど)られたバラを飾り、背部の編み上げリボンでウエストに絶妙な絞りを与えている。そしてそこから裾へと流れるラインはパニエが作り出す絶妙なプリンセスライン。

少女らしい初々しさと、少しの大人っぽさが融和したこの優美なドレスは、もちろん衣装マニアのルチアが仕立てさせたものだった。

そしてドレスにアクセントを加えるバッグはシャンパンホワイトのローズバッグ。こちらも花芯にビジューがはめ込まれ、品のよい輝きを放っている。

完全無欠の淑女(レディ)

けれどどれだけ着飾ろうとも、生まれて初めて参加するパーティーは、その洗練された華やかさと美しさでリーネンを圧倒した。

「……は」

小さなため息と共に遠く隔たれた彼を見遣る。

数多の淑女に囲まれたその人は今日の主役。

本日二十二歳の誕生日を迎えたヨシュア・カデラートがそこにいた。

小さくとも一国の元首ともなれば、パーティーにもある程度の華美さは必須となる。

それが分かっていてもなお、今日のパーティーは臆するほどに華やかな印象を少女に与えていた。

費用をかけ過ぎているわけじゃない。料理や飾り付けが過剰なわけでもない。

それでも『華美』だと判断するのは、ここぞとばかりに着飾った妙齢の女性たちのせいだろう。

とにかくその数が多いのだ。他の年代の男女に比べて突出していると言っても過言じゃない。しかもその大半がヨシュアの周囲にいるものだから、彼の姿を追う度にリーネンの視神経は過剰なまでのキラキラに苛まれた。

「ヨシュアが、見えない……」

チカチカする視界にかぶりを振って、目頭を軽く揉むリーネン。

あのまばゆい一群はまるで揺れ動くシャンデリアのようで、とてもじゃないが長時間の直視に耐えない。

「……渡したい物が、あるんだけどな」

パーティーが始まってから、かれこれ三時間。

延々と変わらない光景だが、時間の経過と共に令嬢たちから立ち上る気配が、剣呑じみていくのは気のせいだろうか?

ギラギラと、それこそ捕食者のような気配をまき散らしているような、どこか背筋の寒くなる空気がヨシュアを包囲している……ような気がする。

『あんなの』の中心にいて、彼は無事なのかしら?

そう思い、リーネンは小さく吐息を漏らした。

「あらあら、その様子じゃヨシュアに近づけないみたいね」

見上げた先にはルチアの姿。その隣には夫のマハルの姿もある。

見知った顔に会えてほっと肩の力を抜きながら、リーネンはこくりと頷いた。

「ヨシュアの周り、ずっと女の人がいっぱいなの。だから近寄れない」

幾分気落ちしたような声で呟く少女に、マハルは手持ちのグラスを差し出した。

「まあ、そろそろヨシュア様の限界が来ますよ。そうしたら彼は逃げ出しますから、そこを狙えばいい」

「? 逃げ出す?」

マハルの差すところは分からなかったが、この熱気溢れる会場。たしかに喉は渇いている。

だからマハルに礼を述べると、少女はもらったグラスに口をつけた。

「わぁ……!」

澄んだ琥珀色のそれは蜜リンゴを絞り、上澄みだけを集めた果汁だった。

一口含めばすっきりとした甘さと芳醇な香りが口内に広がる。その爽やかな甘さが渇きに餓えていた喉を潤し、すべり落ちていくから。

「ありがとうマハル。これ美味しい!」

リーネンはさっきまでの沈鬱な表情を消し去り、うっとりと目を細めて微笑んだ。

「……君やヨシュア様がリーネン様の餌付けにハマる理由が、理解できた気がする」

自分が手ずから与えたもので、こんな無防備な笑顔を返されるのなら。

そんな感覚をマハルは抱いたようだ。

「うふふ、あなたもこの楽しみが理解できたようで嬉しいわ」

そう返してからルチアは数多の令嬢に囲まれ、ロクに姿も見えない弟を見遣った。

「あらまあ。今日はまた一段と(たか)られていること。チェーリア姉様の防御もてんで効果なしねえ」

姉妹で唯一の独身であるチェーリアは、こういう場でのヨシュアのパートナーを務める。今日も公式の開催なので弟の隣にいたはずなのだが、その存在は完全に令嬢たちに無視され隅に追いやられている有り様だ。

「仕方ないことだ。ヨシュア様も、もう二十二歳。とっくに結婚していてもおかしくないのに、未だ独身だ。そんなあの方をハイエナ共が放っておくわけないだろう」

「ハイエナってなに?」

知らない単語に口を挟めば、チェスティ夫妻は片や面白そうに、片や沈痛な表情で少女を見た。

「あわよくばヨシュアに気に入られて、国主の妻になろうと画策する令嬢たちのことよ」

「じゃあ、あの人たちヨシュアのお嫁さん候補、なの?」

「あら惜しいわ、リーネン。『お嫁さん候補』の前に『自称』をつけないと」

とはいえ、どの娘たちも家柄、教養共に申し分ない令嬢たちなのだが。

へえ、と感心しながら令嬢の群れを見つめるリーネン。その頭上でルチアは夫と顔を見合すと、小さなため息をついた。

「まあ、もっとも? どれほど好物件だとしても、肝心のあの子が女嫌いじゃねぇ」

「……その原因を作った発端がどの口で言うか。そもそもヨシュア様の女性恐怖症は、間違いなく君とアマーリア様のせいだろうに」

遠い昔、彼がまだ少年の域を脱していなかった頃のこと。カデラート家の長女と三女は画策した。まだ(うぶ)で男女のいろはも知らぬ弟を立派な『男』にしようと。

それは将来この国を背負って立つために必要な学習の一つではあったが、自分たちが教えることの出来ない分野である。その為彼女らが考えた方法は『百聞は一見にしかず』―つまり娼館を三日三晩借り上げ、その中に弟を放り込む―という荒技だった。

そして監禁、もとい泊まり込みのレッスンが終了した暁には、立派な女嫌いが出来あがると言う皮肉な結果が残った。

面白くもない過去の失敗を皮肉られたルチアは、愛嬌たっぷりの実に魅惑的な笑顔で夫の苦言を迎撃する。

「あらー、心外ね。あの子が潔癖症すぎたのも原因なのよ?」

「その素地を見抜けなかった時点で、君の計画のずさんさが知れるな」

「むぅ! 過去のことを今さら論うなんて建設的じゃないわ」

「だいたいアマーリア姉様だって一枚噛んでるのに」と文句を垂れる妻を白眼視する。

過去のトラウマから抜け出せない時点で、それはまだ『過去』じゃないだろうに。

「ヨシュア様もそろそろ洒落にならない年だし、いい加減妻帯して頂きたいのだが」

一旦区切った言葉の間にルチアを見下ろす。

「何か『建設的』な治療法はないものか?」

夫の厭味に妻はまるでチェシャ猫のように、ニヤリと笑って肩を竦めた。

「無理よ、ムリ。だってあの子自分を異性として見る女性限定でダメなんだもの。あれは根が深いわね。あ、ホラ。そろそろ限界なんじゃない? 助けてあげないともうじき吐くわよ、あの子」

まるで他人事のような冷静な観察に、マハルはひどく沈鬱な表情で溜息を吐くと。

「君のような姉を持ったことが彼の最大の女難だな」

上司であるヨシュアを救出するために、令嬢の群れへと足先を向けた。

「……ヨシュアは、女の人がキライなの?」

マハルが去った後で一言。リーネンは疑問に思っていたことを口に出す。

この年嵩の女性はヨシュア同様、少女の疑問には丁寧に答えてくれる人だったから。

ヨシュアとその姉妹にだけは、聞くことを躊躇わなくなったリーネンだった。

そして今日もルチアは疑問を抱える少女に目線を合わせてから答えを口にする。

「嫌いというより猛烈に苦手なのよね。自分が食べられちゃいそうで怖いんじゃないかしら? 特にああいうギラギラした手合いは押しが強いから」

「食べられる? ヨシュア、死んじゃうの?」

わずかに青ざめた表情はヨシュアを案じてのもの。その純粋さが、そして弟への懐き具合が可愛くてルチアの口唇は弧を描いた。

「大丈夫、死にはしないから。ただ心はちょっとばかり……まあ、再起不能にはなるかしらね」

「再起不能……」

「そうね、男のプライドとか面子とか、そういった類の全壊は免れないだろうし。だからね、リーネン」

きらり、とルチアの双眸が光る。巧妙に隠されたそれは、猛禽類のそれ。

「あなたが弟を守ってくれないかしら?」

今まさに現在進行形で狙われている弟が向けられているものと同種の光だったが、人慣れしていない少女には、その思惑は分からない。

「守るの? わたしが?」

「ええ、リーネンがずっとずうっとヨシュアの傍にいてくれたら、きっとあの女豹たち、じゃなくて、令嬢たちも諦めると思うのよね、あの子のこと」

「……」

少女は考え込む。今の自分は大した力を揮えない。だからヨシュアを守れるとは思えないのだが。

「あ、『翠姫』の力とかそんな事は考えてないから安心して。ただ傍にいてくれればいいのよ。ずっとあの子に寄り添ってくれるだけでいいの」

「それだけで、守れるの?」

それなら自分にもできる。普段からお世話になっている彼の事を、守りたい気持ちは確かにあるのだから。

半信半疑すら出来ないほどの無垢さと純粋さ。それがルチアにはひどく眩しくて、時折渇えるような感情を湧き起こす。

手に入れたい。傍に置きたい。そして出来るなら、この無垢さで弟を癒し、あの子の心を守って欲しい。

姉としてはまっとうな、けれど少女の立場を顧みない点では傲慢な願いが胸を突くから。

ルチアは薄く笑んだ。

「そうなの、それだけで出来ちゃうのよ」

『それだけ』が政治的にどれほど難しいことかを熟知した上で。表情には微塵も出さずに。

そして少女は表情を明るくする。

「なら、わたしがヨシュアのこと守る」

「ええ、お願いね」

女は祈る。この希有な少女が国に帰ることなく、ずっとここに在ることを。

この国を一人で支えようとする弟の善き伴侶に、彼女がならんことを。

ルチアが切なる願いに瞳を伏していた時、リーネンが「あ」と小さな声をあげた。

見れば視線の先、青い顔をしたヨシュアがマハルの手を借りて令嬢たちの囲みから突破するところだった。

そのまま彼は迷うことなく庭園へと続くテラス窓を押し開けて出て行く。

よろよろと、覚束ない足取りで。

「ほら、リーネンいってらっしゃいな。今なら誰の邪魔も入らずにアレを渡せるわよ」

「あ、うん!」

ヨシュアを守るためにも傍に行かなければ!

そんな使命感に駆られた少女は、気合を表すように握りこぶしをひとつ。

ヨシュアの後を追って外に出た。


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