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友達、そして握手

露天商の並ぶ通りを抜け、しばらく港湾道を歩けば、そこは海が深く湾入した地形になっていた。鳥の翼を広げたような形をした岬の先には灯台が立ち、石を積んで作られた岸壁や貨物の荷捌きや保存、輸送を行う建物が林立している。

そして船は、岸壁に係留されていた。

白い船体に高いマストが三本立ち並び、今は羽根を休める鳥のように帆を畳んでいる。

それはまるで、海に浮かぶ巨大な白鳥のようだった。

気品ある優美な船体に、思わずリーネンの口からもれたのは感嘆のため息。

「なんて、美しい船」

「おほめにあずかり光栄です。これが我が国自慢の交易船でしてね、船名を『カナフ』と言います。足の速さが自慢なんですよ」

そう説明しながら、ヨシュアはリーネンの手を取ると、護岸と船の間にかけた橋を渡る。

「だいたい三カ月ほどですかね。東の大陸と我が国の間を往復するのに必要な時間は」

ゆらゆらと波間に揺れる橋は歩きにくかったが、ヨシュアがしっかりと手を繋いでいてくれたおかげで、少女は難なく船内へと渡れた。暗い船倉を抜けて階段を上がる。とかく狭い通路を通れば、そこは開放感あふれる甲板だった。

「わぁ!」

甲板に出たリーネンは感嘆の声を漏らした。

地上から見ても充分な高さに思えたが、やはり乗りこむと視界の広さが際立つ。

高い船体は見晴らしがよく、少女は様々なものを目にした。

左側には先ほど通って来た大通りが遠くに見え、右手には果てのない大海原が広がる。

陽光を受けて輝く波間は、どんな宝石よりも美しくきらめき、少女を惹きつけた。

「ここはすごく、きれい」

目を閉じても瞼裏に残る光の残像。そして耳を打つ潮騒のしらべ。

溢れるほどの活力を湛えた海に、心が弾む。

「それに」

弾んだ声のまま少女が夢見るような足取りで船縁へと進む。

「とても気持ちのいい場所ね」

目を細め、陽光を、空を抱くように伸ばされた腕。

何かを求めるような少女の仕草に、呼応したのは。

「……えっ」

信じられない光景に、思わず間の抜けた声を出したのは勘弁して欲しい。

なにせ瞬きほどの合間に、少女の周りには無数の水滴が出現したのだから。

それは次々と海面から生まれ、まるで逆さまに降る雨のように甲板へと浮遊する。

陽光を受けキラキラと輝く水の粒は、まるで舞うように少女の周りを漂った。

「ほう、これは美しい」

感嘆の声は半歩後ろに立つチェーリアから。その声に振り返った少女は、ふわりと微笑むとタクトを振うように水滴を操った。

「リーネン、これは君が?」

幻想的な光景に見惚れ、しばし言葉を失っていたヨシュアがようやく問いかけると、リーネンは素直に「うん」と答える。

「こんなに力ある水の元素は久しぶりだから、嬉しくて」

「水の元素に力の差なんてあるんですか?」

この世界には地水火風の精霊がいること、それに彼らが統べるモノの名称が『元素』だという知識くらいはある。けれどその元素に力の差があるなんて初耳だ。

そんな心情が顔に出ていたのか、少女は少しだけ口角を上げながら、歌うように話し出した。

「どんな元素にも場所によって土地によって力の差はあるわ。力のある土地、勢いのある火、強い風、それと同じ。水にもあるの」

「それは、どんな力なんですか?」

純粋な好奇心に突き動かされて青年は問う。

少女を(かたど)った、けれど人ならざる存在に、教えを乞うために。

「水はね」

リーネンは招く。周囲の雫たちに方向性を持たせて。

「『命を育む力』。守り、癒し、成長を促す。そういった力を生き物に与える役割を担うのよ」

空に向けた少女の手のひらに、ふわりと着地するこぶし大の水球。シャボンのように滴が弾む。パチンと音を立てて割れたそれは、更に小さな雫となって彼女の周囲で輝いた。

「すごい、ですね。こんな不思議な光景見たことがありませんよ」

感嘆の溜息が口をつけば、次姉もまた驚嘆をこめて呟いた。

「確かに人間には真似出来ないな、これは」

「ああ、でも奇術師なら可能か?」と独りごちるチェーリアはとりあえず無視して、リーネンに向き直る。

「リーネン、大変美しいものを見せて頂いた後でこんなことを言うのは心苦しいのですが、貴女の正体を隠すためにも、この国にいる間はその力を使わないで頂けますか?」

「水、喚んじゃダメ?」

不安げに見上げてくる姿はいとけなく、ヨシュアの罪悪感を喚起するのに充分すぎるほど。が、しかしここでなし崩しに負けてはいけないと、青年の内から叱咤の声が上がる。

「残念ですがいくら容姿を変えても、あなたが人ならざる力を揮ってしまうと、秘密が破たんしてしまいますので」

青年の言葉にしゅんと肩を落としたリーネン。そんな彼女の心境に合わせて、自由に空を舞っていた水たちも、瞬時に重力に捕らわれてしまった。

海水は、音を立てて海へと還った。

「ああ、そんなに落ち込まないで。なんなら近いうちに俺が所有する離島までお連れしますから。そこなら人目もないので、心ゆくまで水と戯れても大丈夫ですよ」

微苦笑と共に窘める男は、少女の頭に手を乗せた。

けれどリーネンの表情は冴えないまま。

「それではダメですか?」

「だって……」

言い淀む少女の脳裏に巡るもの。それは遠い昔、精霊だった頃のこと。

「わたしはこのキドゥーシュ大陸で生まれた精霊だから……たぶん、ここから外には出られないと思うの」

その答えにヨシュアはきょとんと目を瞬かせる。

「今は人間なのに?」

「……え?」

「始まりがどうであれ、今は人間であるあなたに、精霊の理は有効なんですか?」

「…………」

彼は本気で言っているのだろう。とても冗談を言っている顔には見えない。

そう分かっていても、リーネンは信じられないヨシュアの言葉に、返す言葉をしばし失った。

「あの、リーネン?」

まじまじと凝視されることをいぶかしみ、ヨシュアが声を上げる。

「……わたし、精霊の力を使えるわ」

「……? ええ、そうですね。先ほどの水の舞は見事でした」

「そんなわたしを、それでもあなたは『人間』と呼ぶの?」

声が少し、震えたかもしれない。胸の奥からこみあげる熱が、声に滲んでしまったから。

どこか切実な表情を晒す少女に、青年はほんの少し困ったような笑みを向けると静かに口を開いた。

「もし俺の考えが不敬にあたるなら謝ります。でも俺には君が一人の少女にしか見えない」

そう前置いて、ヨシュアはリーネンの前で膝を折った。

「ナハル国での君は崇め奉られる存在だと知ってはいます。でも俺から見れば、君は少しばかり人と違う力を持っているだけの女の子なんですよ」

真正面から見つめる瞳は石榴色。

親愛と友好を宿すその双眸はやさしくリーネンを見つめる。

「翠姫として生まれたせいで、君は色んなことを制限されて生きてきた。だけど今は違う。国を出たからこそ、リーネンには自由に生きてほしいんです。様々なことを体験し、学び、感じてほしい」

「……なぜ?」

少女の問いに、青年は彼女の手を取った。

「君は何も知らないから。人としての幸せも、喜びも、何もかも。せっかくこの世に生まれてきたのに、生きていることを実感していない君が心配だと言ったら、おせっかいですかね?」

そう言って笑うヨシュアに、思わずリーネンは首を横に振る。

「おせっかい、じゃない。……ヨシュアの気持ちは、うれしい」

そう、口にして改めて実感した。

嬉しいのだ、自分は。兄以外の人間が自分を気にかけてくれることが。親身になってくれることが。

温かな感情を向けられることに慣れていない少女は、それを与えられて初めて自身が渇えていたことを知る。

だから少女は青年の手を握り返す。与えられるぬくもりを心地よく思うが故に。

そしてヨシュアもまた素直なリーネンの反応を好ましく思い、少女の手をゆったりと包み込むように握り直した。

ひな鳥のようなこの娘に、親愛の念を抱きながら。

「じゃあ、君が幸せになれるよう、俺に出来る事は協力します。だからこの手で掴めるだけの幸せを掴み取れるよう、リーネンも頑張って下さいね」

親のような、教師のようなその口調に思わずリーネンが微笑めば、鏡に映したようにヨシュアもまた微笑んだ。

「ヨシュアは」

立ち上がった彼をじっと見上げて、

「すごく、不思議な人ね」

「そうですか?」

リーネンの評価にヨシュアは不思議そうな顔をする。

「わたしを崇拝しない人が、兄以外にいるとは思わなかった」

「ああ、やはり崇拝した方がいいですか?」

ヨシュアの問いかけに、少女は苦笑いを浮かべて否定する。

「ううん。ほんとはね、崇拝されるのは好きじゃないの」

「さみしいから」と洩れた本音が痛々しいから。

「では、俺はあなたの友人になりましょう」

「……ゆうじん?」

馴染みのない言葉に、リーネンはしばし考え込んだ。

ユウジン。……友人?

(ああ、そういえば本で読んだかもしれない)

単語の意味は分かった。けれど実際にどうすればいいか分からなかった少女は、言葉を探して黙りこんだ。

「ダメですか?」

唐突過ぎて申し出を拒否されたか、と思ったが。

「友人になるって、意味がよく分からない。何をすればいいの? 契約?」

素朴な少女の疑問に、今度はヨシュアが苦笑した。

「いえ、契約のような拘束力はないですよ。お互いの心持ちひとつで続く関係ですから」

そう告げたあと、青年は控えめに手を差し出した。

「辛い時には助け合い、喜びは分かち合い、寂しい時には傍に寄りそう。そんな一歩踏み込んだ付き合いを、よければ俺としてみませんか?」

「君が嫌でなければ」と締められた言葉をどう思ったのか、少女は応えない。差し伸べられた手を見つめたまま。

遠くちかく押し寄せる潮騒とカモメの鳴き声を耳にしながら、ヨシュアはじっと待った。

彼女が悩む時間すら、微笑ましく思いつつ。

そして、

「……イヤじゃ、ない」

そう口にして、ヨシュアの手にそっと小さな手を添える。

「でも、よく分からないから、色々と教えて?」

「ええ、もちろん喜んで」

きゅっと包み込まれる掌の温かさ。どこか胸に沁み入るそのぬくもりに、少女はほわりと微笑んだ。

「ありがとう、ヨシュア。これからよろしくね」


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