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通り一番のメインであるツリーの近くのベンチに腰掛けて、これまでのことを思い返すと、惨めさが更にこみ上げてきた。
それを必死でこらえてツリーを見上げる。
ほんとは二人で見たかった。
綺麗ねとかいって、彩の方が綺麗だよとかって会話をしたかった。想像して、絶対颯くん言わないって思ったけど、妄想でぐらいそんな未来想像したかったんだもん。
「颯くんの馬鹿」
つぶやいて、はぁって手袋をした指先に息を吐いて暖める。指の間からこぼれた息が白い煙になってもやもやと上がってゆく。
「……あ」
目の前を白い影が横切った。吐息の白さとは違う白。暗い夜の空を白くまだらに染める影。
空を見上げた。
イルミネーションに照らされながら、ちらちら、ちらちらと、小さな白い影が落ちてくる。ふんわり、ふんわりと、空を舞いながら落ちてくる。
「ホワイトクリスマスだ……」
つぶやくと、また涙がにじんだ。
この冬初めて見る、空を彩る水玉模様。それがクリスマスの夜に起こるなんて、いつもなら奇跡だと浮かれて喜んだだろう。
でも、あこがれのホワイトクリスマスなのに、その時一緒にいたかった颯くんはいない。
目の前を白く染めて、地面に落ちてそしてあっという間に溶けてぬらしてゆく。そして濡れた地面を踏みにじるたくさんの足が行き交うのが見える。
嫌な気持ちで汚れすさんだ自分の心みたい。もっともっと降って、白く綺麗に隠れたら、綺麗って思えるかな。
はぁ、吐息を吐いて、それから思いっきり息を吸う。胸一杯に吸い込んだ冷たい空気は、私の体を芯から冷やす。ぶるりと体が震えた。
体が冷える。今夜は、これからどうしよう。
お母さんには、今夜は唯ちゃんのところでクリスマスパーティーして泊まるって言ってある。私は本気で颯くんに勝負かける気だった。家に押しかけて襲うぐらいの気持ちでいた。でも、まさか勝負かける前にあんな場面見るなんて思わなかった。へたに振られるよりも、ずっとずっときつかった。
ほんとに唯ちゃんに頼っちゃおっかな。
でも唯ちゃんも彼氏と約束があるはずだ。押しかけるとかそんなアホなことは出来ない。あの二人なら許してくれそうだけど、それとこれとは別だ。
じゃあ……ネカフェか。こっから一キロぐらい先だ。面倒だけど、そんなところか。
席あいてたら良いな。
ああ、でも動きたくない。寒い。このまま埋もれてしまいたい。
座ったまま腰を折って膝の上に肘のせて、手の上にあごのせて身を小さくして、はぁって息を吐く。
動かなきゃ、動かなきゃ。寒いよう……。
そう思いながらどのくらいが経っただろう。人通りもまばらになった。
不意に、目の前で一つの足が止まった。
「……彩」
低い声がした。
顔を上げると、ひどく怒った顔をした颯くんがいる。
なんで?
「おまえ、何でこんなとこにいるの? 馬鹿なの?」
すごくいらだっているのがわかる声だ。
ぼんやりとその顔を見上げた。やっぱり何度見ても颯くんだ。
「何で電話つながんないわけ?」
見上げる先で低い声で私を責める颯くんは肩で息をしている。まるで運動した後みたいに。
「なに黙ってんだよ。おまえ、マジふざけてんのか、コラ」
ああ? と、柄の悪い口調で颯くんががなり立てる。こっちの言葉なんて聞く気すらなさそうな様子だ。
「俺がどんなに心配したかわかってんの?」
「……心配する必要なんかないもん。子供じゃないんだから」
ぼそりとつぶやく。颯くんはいつも私を子供扱いする。
「はぁ? 子供じゃないから心配してんだろうが! 馬鹿かおまえ」
いらだった口調の颯くんにどうしようもない反発心がこみ上げてきた。
「そんなこと颯くんに言われる筋合いない! 私の事なんて気にせず好きな人と楽しめばよかったじゃない!」
叫ぶと、颯くんの顔がすっごく嫌そうにゆがんだ。
「何言ってんの? 誰のために必死で仕事終わらせたと思ってんだよ。空けとけって言ったのおまえだろ? なのに、電話したらつながらないとか、馬鹿にしてんのか?」
あの女の人には、あんなはにかんだ笑顔見せてたくせに。そう思うと、むっとする。
「まるで私のために終わらせたみたいな言い方しないでよ! 私のためじゃないくせに! 断るとわかってる電話になんか出るわけないでしょ、颯くんのバーカ!」
「はぁ? なんだそりゃ。なに勝手に見当違いな想像して拗ねてんだよ。おまえが勝手に今日ってうるさいからがんばったに決まってんだろーが」
「適当なこと言わないでよ。他の人といたくせに。私のせいにしないで。なに? それとも振られて腹いせに私の相手でもしてんの? バッカじゃない?」
「仕事だっつーの! だからさっきから何わけのわかんねーこと言ってんの? おまえ日本語わかんないの? 馬鹿なの?」
仕方のない奴みたいなあきれた顔して、私の頭をぐりぐりとなでる。髪がぐちゃぐちゃになっちゃうじゃない。
……颯くんのためにかわいくした髪が……。
でも、私がかわいくしていたって、颯くんは気にしないんだ。哀しくて胸が痛い。
「……女の人と出てきた癖に!」
私がなじるように小さく叫ぶと、颯くんは眉間にしわを入れてこちらをのぞき込んできた。
「はぁ? 見てたの? 何で声かけてこねーの? 俺、会社出た後電話したらおまえ出ねぇからおまえんちまで行ったんだけど? 友達んちに泊まりに行ったとか言われて、俺と過ごすアリバイじゃなかったのねぇとかおばさんにからかわれた上に完全に振られた男みたいな扱い受けたんだけど? その話聞いて、何か電話とれなくなったんじゃないかって心配になって、思い当たるところ片っ端から走り回ってすっげー捜したんだけど? 俺との約束ばらすわけにもいかねーから、一人で捜すしかないだろ? それをなに? おまえ俺が会社出てきてた所見てたの? 俺のやったこと全部無駄足? ふざけんなよ」
怒ってる。完全に怒ってる。淡々と威圧するような颯くんの言葉を聞きながら、ゴクンと息をのむ。時々通り過ぎていく人たちが、ちらっと視線を向けながら去って行くのが、ちょっと痛い。
ごめんなさいって謝りたくなった。たぶん、颯くんはほんとに心配してくれてたんだと思う。でも、思い出すのは、あの女の人に照れた笑みを浮かべた顔だ。私のことを心配してくれてても、それは、私のことを想ってくれているって事じゃない。
胸が苦しい。うれしいのに、哀しい。心配してくれてた颯くんが、憎たらしい。
「……でも、女の人と一緒だったもん!」
「だからそれはただの会社の先輩だし。そりゃ一緒に仕事してたんだから終わりもかぶることもあるさ」
「親しそうだった!」
「直接指導してくれてる人だからそれなりに親しいけどな。それ以上でも以下でもない。世話になってる会社の先輩だ」
「ただの先輩に、あんな顔するわけないでしょ!」
「……どんな顔?」
颯くんがむっとしてにらんでくる。少しだけほほが赤く見えた。
「話しかけられてすごくうれしそうに笑ってたくせに。私の前じゃしないような、照れ笑いとかしちゃってさ!」
「……っ、なっ、それ、はっ」
颯くんが言葉に詰まった。
泣きたくなる。自分で言った言葉で、自分が傷ついているんだから世話ない。でも、口が止まらない。颯くんをなじりながら自分をえぐる言葉が次々に出てくる。
「颯くん私にはそんな顔したことないもん! どうせ私なんか対象外だもんね! もういいでしょ! 私の事なんてほっといたら良いよ! 今まで迷惑かけてごめんなさいでした! もう颯くんの所なんて行かないし、声もかけないし、電話もメールもしないよ! でもってちゃんと他の人好きになるもん! 颯くんはあの人と仲良くすればいいよ! デレデレしてたらいいよ! 私はどうせ関係ないんだから!」
思いつくことをやけになったみたいに叫び続けた。自分何言ってんだろうとか思いながら切なくなって、颯くんの顔なんか見たくなくて、腹が立って、でも本当の本当は行って欲しくなくて、否定して欲しくて、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
言い切ってはぁ、と一息つくと、沈黙が落ちてきた。
人通りは少ないけど、イルミネーションいっぱいでメインのツリー前だ。通りに人はまばらと言ってもそれなりにいる。ちらちら人がこっちを見ているのがわかる。
さっきからやむことなくチラチラと落ちてくる白い影の隙間から、人の行き交いと立ち止まる足、好奇心をたたえた視線が見える。
でも、もう自分のことに頭がいっぱいで、恥ずかしいよりもいらいらする。
「……彩。ちょっとこい」
聞いたことがないような、颯くんの低い声がした。怒りを抑えているようにも聞こえるし、事務的にも聞こえる。その顔は無表情で何を考えているのかわからない。
「いや」
少し震えて小さく拒絶を示すと、手首を握られた。
「来い」
文句を言う隙なんて与えてくれず、引っ張られてイルミネーションの通りをずんずん歩いて行く。逆らえなかった。颯くんの無表情の横顔も、力の入った体も、振り払うことを許してくれそうにない手も、全部が私の反論を拒んでいる。私はそれがなんだか怖くて、何も言えなくなった。