26.乾 東悟と天界修行(4)
なんとか今週中に1章最終話を上げるというお約束を達成出来る模様。そう言えば、作者って大学の卒論も締め切り30分前に駆け込んで提出したよなあ。
とにもかくにも、第1章最大のボリュームでお送りするくどさ満点の第1章最終話、はじまります。
俺、こと乾 東悟は死んだ。死因は刃物による失血性ショック死。享年35歳。
……何か物凄いデジャブを感じる始まり方をしているような気がする。
俺は熊こと軍神ウルスディールとの修行開始より数秒後、『油断大敵』という有難いお言葉とともに刃物で心臓を刺されて死んだ。しかもあの軍神、刺してからしっかり抉りやがった。大概殺意高いのである。殺る気満々である。
で、何で死んだはずの俺が暢気に自分の死の状況を述べているのかというと。
なんとまあ、目が覚めると俺はリノリウム張りの冷たい床に寝そべって、真っ白な天井を眺めていたのである。
2度目の白い空間か? 死んだらあの世に呼び戻されるのは鉄板なのか。しかも俺は死んだ先でまた死んでの死に戻りである。いい加減にしろと怒られそうだ。そして
「――――目が覚めましたか……?」
「…………」
俺の傍らにいるのはまた女の人である。
目を開けると、青みがかった黒い髪を後ろで縛り、肩から前に垂らした年の頃は20代前半かという美女がひっくり返った俺を上から覗き込んでいる。
涼しげで切れ長の双眸は青白く染まった白目に黒の瞳の中心に燃えるような紅い虹彩が広がるという不思議な色のコントラストを持ち、肌理の細かな肌は上等な青磁の如き青に染まっている。
細くしなやかでスレンダーな身体には黒地に銀糸の入る軍服に似た衣服を身につけており、腰には複雑に紐状の金属が曲線的に絡み合った鍔の装飾も見事な細剣を手挟んでいた。そして理知的な印象のある広い額のこめかみのところには、黒曜石めいて輝き山羊のように捻じ曲がった2本の小さな角が生えていた。
何だろう、イメージ的には擬人化した悪魔と言うか、小悪魔的コスプレをした綺麗な女の子である。これで蝙蝠めいた羽根と尖った尻尾があれば完璧……って、うん。ちゃんとあった。明らかに飛行する機能は退化したと思われる小さな羽根が背中から少し顔を覗かせているし、黒い鏃型をした典型的な悪魔の尻尾の先端がゆらゆらと揺れているのが見える。これは一体何の夢だ。
「…………」
「イヌイ=トーゴさんですね? どこか身体におかしなところはありますか?」
「……ここは?」
「ここは天界ですよ」
「……天界」
ホントにまた死んで天界に飛ばされたのか。で、今度はさくらではなく蒼い肌をして軍服を着た悪魔風のお姉さんが現れた。もしかして、この人もまた神様だったりするのだろうか。あるいは今度こそ俺は地獄に堕ちて、悪魔さんにお出迎え頂いたのかもしれないが。
「ええと、あなたは神様ですか?」
「はい。わたしはミルダーナ=カローリア。お恥ずかしながら神の末席を汚しています」
「……わあー、また死んで変なところに来たよ……」
どうやらここは地獄ではないらしい。俺はまた死んで天界送りになって、またまた神様に出迎えられたようだった。
ミーリアで死ぬと魂ってどうなるのだろう。あるいはここがミーリアのあの世だったりするのだろうか。それにしても、死んで臨死体験して異世界の天界に連れて行かれて、そこでもまた死んでまた違うあの世に行くとかどんだけだ。永遠に終わらないのかコレ。
「ええと、ミルダーナ様?」
「ああ、私のことは敬称など付けずミルダーナとお呼び下さい」
「はあ。じゃあミルダーナさんで」
ミルダーナが尻尾を揺らしながらそう言って微笑んだ。するとどこか怜悧でクールビューティな印象のある彼女の麗容は、まるで雪が溶けるように『ほにゃっ』と可愛らしい物になった。寝起き、と言うか死に起きのボンヤリした頭でそんなことを考える俺。
ところでミルダーナと言う名前だが、俺の記憶が確かならどこかで聞き覚えのある名前だった。それと彼女の服装も何か頭に引っ掛かる。でもまさか「どこかでお会いしませんでしたか?」なんてナンパめいたことを聞く訳にも行かないし、さて、一体何だったか。
そんなことを考えていると
「――――トーゴさん?」
と無言になった俺を女神様が心配そうに窺っているのに気が付く。なるほど優しそうなその雰囲気は、悪魔風な風貌はともかくなんちゃって中学生よりよほど女神様めいて見えた。と、今はそんなことを考えている場合でもない。俺は軽く頭を振ってから、脳みその再起動を促すように彼女に声を掛けた。
「……ここはやっぱり天界なんです……、よね?」
「そうですが、もしかしてさっきのことを覚えてらっしゃいませんか?」
「いや、それは良く覚えていますけど……」
……やっぱり死んだか。
それにしてもまた「世界のシステムの手違いでしたー」、とか言わないだろうなこの人。俺は思いっきりため息を吐いて「また死んだのかー……」と呟いた。手に頭をやって、小さな手で柔らかな髪の毛を掻き回す。するとミルダーナさん、優しそうな女神様が小さく首を傾げて言った。
「……いえ? トーゴさんは死んでいませんよ?」
「へ?」
「天界は世界の機構から外れていますので、特殊な方法を用いない限りそこに存在する魂を殺すことは出来ないのですよ?」
「……? つまり? ……ええ?」
ということは、天界って
「ああ……。ここ、『天界』なのか……?」
俺はゆっくりと体を起こした。10歳児のままの、小さな餓鬼の身体で床に胡座を掻く。
そして辺りを見渡せば、そこは白い天井、白い壁、リノリウム張りの床はまるで小学校の廊下のようだった。見渡せばそこは下駄箱の並ぶ昇降口だ。玄関の向こうからは、人影の全くない無人の校庭が日を受けて白く輝いて見えた。
つまりここは、さくらの作った天界の小学校なのである。
俺は刺されて死んだはずだったが、ミルダーナの話では天界では人を殺すことは出来ないらしい。見ると盛大に血で染まったはずの胸は綺麗な物で服には綻びひとつなく、まるでさっきのことが夢だったかのようだ。
「……傷も、服も元に戻ってる……」
「天界だと、魂の存在は例え死んでもすぐに元に戻るんですよ」
と、言うことは。つまり俺は死んでいなかったのだ。
ここは2度目の死後の世界とかではなく、さっきまで居た、さくらのいる天界なのである。
「……でも、それじゃ」
気がついたら隣にいた、この肌の青い美人さんは誰なのか。
ここがミーリアの天界だと分かれば彼女の種族については心当たりがある。確かミーリアの6種族のうち、『夜鬼族』に青い肌の悪魔風の種族で『蒼鬼族』と言う人達がいたはずだ。ミルダーナはその特徴と一致している。だがそれはいいとして彼女は一体何者なのだろう。そこでふと、俺はあることに気が付いた。
彼女の着ている服、これとよく似た服を俺は見ているのだ。
ついさっきまで俺といた熊野郎。あの『軍神ウルスディール』が着ていた軍服と、下がズボンかタイトスカートかという差違を除けば、彼女のそれはほとんど同じデザインなのである。
彼女はあの軍神の関係者なのか……?
それに気が付いた俺は僅かに身体を強張らせて彼女を見た。ミルダーナは俺の表情の変化を感じ取ったのだろうか、すっと背筋を伸ばして俺をひたと見つめてくる。
「……トーゴさん」
「…………ごくっ」
その瞳はまっすぐに俺に向けられている。そこには軍神のような悪意は感じられないが、神様の凛然とした気配に溢れていた。俺はそれに絡め取られるようにして視線を外せないでいる。固唾を飲む。
そして彼女は、艶やかな蒼い唇をゆっくりと開き、俺に――――
「申し訳ありませんでした――――――――っ!!」
「!?――――はあ!?」
「ウチの宿六が大変失礼をいたしまして、本当にお詫びのしようもございませんっっ!
軍神ウルスディールの副官として、心よりお詫び申し上げます――――っ!!」
「はあ――――――――っっ!?」
後ろに飛びずさるようにして体を離し、そこから連続した動作で華麗に身体を倒地。そして、怜悧な才女然とした軍服の美女は、いっそ惚れ惚れするほど潔い土下座を俺にぶちかましたのである。そう、ジャパニーズD・O・G・E・Z・Aである。
ケジメ、セプクに並ぶ日本3大謝罪のひとつ、それは見事なジャンピング土下座であった。
呆然とする俺の前で、未だ土下座を解こうとしないミルダーナ。昇降口に悲痛な女性の謝罪の声が木霊する。
しかし軍服の謎は解けた。どうやら彼女はあの熊の副官で、どうも軍神が俺を殺したことについて謝罪するためにここにいたのである。死ぬと神様に謝られるのはデフォルトなのだろうか。普通神様が人ひとりの死にこんなに必死になる訳ないはずなのだが。
俺は謝り倒す女神様のうなじを眺めながらそんなことを考えた。つまり現実逃避をしているとも言う。窓から見える天界の空は相も変わらず青かった――――
※ ※ ※
宥め賺し、ようやく土下座を解いてくれたミルダーナから聞いたことのあらましはこうである。
先日来さくらの元に居候している移住待機者(つまり俺である)に、ミーリアの軍神ことウルスディールは端っから好印象を抱いてはいなかった。図々しく居続けを決め込み、ついにはどこがどうなったのか最高神自らが修行を付けると言い始め、結果その待機者はさらに長い期間天界にしがみつこうとしていると聞いた軍神は、俺に対する印象を徹底的に下方修正したそうだ。もともと異世界人に対して良い印象を持っていなかった彼にとって見ると、俺はさくらに張り付いた寄生虫のように見えたらしい。
「……そんなこと言われてもなあ」
「はい。トーゴさんが特典を拒否してミーリアにすぐにでも降りようとしたこと、それをサクラが引き留めて修行を付けることにしたことは天界の皆がすでに知っています。天界の多くの神は、あなたが自分から天界での長期滞在を望んだ訳ではないことは重々理解しています」
なのでこれは、ウチの木偶の坊の一方的な思いこみなのです。
と正○丸でも噛み潰したような顔で言うミルダーナ。
どうでもいいが副官なのに上官を木偶の坊扱いするのはどうなのか。謝罪の時の『宿六』と言い、とても副官が人様に聞かせて言い呼称ではないはずなのだが。
「そんな訳でウチの熊は一方的な悪感情をトーゴさんに抱いていたのですが、そこにサクラからトーゴさんの修行の件のお願いが入ってきまして……」
自分の上司に関してだけ徹底的に口が悪くなるミルダーナが続けて言う。
さくらの『お願い』にウルスディールは、「何で軍神である俺がどこの馬の骨とも付かない異世界人に稽古なぞ付けてやらねばならんのだ!?」とさくらがいなくなってから荒れに荒れたらしい。だが面と向かって言えないところが情け無いと言うべきか神様業界の上下関係の厳しさと言うべきなのか、不承不承にそのお願いを受けた軍神は、やってられるかとやさぐれてついには堪忍袋の緒が切れた。
悪い方に意を決した軍神は、俺にもう「修行なんかイヤだ」と言いたくなるような稽古を付けてやって俺を追い出そうと思い切ってしまったそうだ。そして彼は副官である彼女に命じ、さくらを誘き出して俺とさくらを引き離す事に成功した。そして軍神は俺と2人きりでの『修行』に持ち込んだのである。その後の経緯はさっき起きた通りである。
「――――ああ。名前に聞き覚えがあると思ったら、あの時の軍神様の電話相手だったんですか」
「本当に申し訳なく思います。あんな大馬鹿者でも上司は上司ですので……」
修行の直前、さくらに電話を入れて呼び出したのがまさに彼女なのだそうだ。そしてさくらは今も彼女が見繕った仕事であちこちを飛び回っているらしい。「サクラにも悪いことをしました……」と苦渋を滲ませているミルダーナ。ここでも宮仕えは大変だ。
そしてミルダーナは俺に「ああ、それとここではあの熊に敬語なんて使わなくてもいいですよ? 軍神(笑)とでも、馬鹿熊とでも何とでもお呼び下さいね?」と昏い笑顔で言ってきた。……日頃から何かと大変なことが多いのだろうか。天界も世知辛いのである。
「――――いくらあのダメ上司でも、せいぜい厳しい稽古を付けるくらいで済ますと思っていたのです。それはそれでトーゴさんにはご迷惑でしょうが、少なくともトーゴさんが強くなると言う目的には叶う訳ですし、いざとなったらわたしやサクラが絞り上げてやればいいと思っていたのですが……」
まさかあそこまで思い切るとはこちらでも思いもよらず、トーゴさんにはご不快な思いをさせてしまいました、と自分の見通しの甘さを悔やむミルダーナである。
「……アレが意気揚々と『ぶっ殺してきてやったぜ』なんて巫山戯たことを言って戻ってきた時は目の前が怒りで真っ青になりました。取りあえず土手っ腹にありったけの攻撃魔法をぶち込んではらわたを引きずり出してから、慌ててこちらにやってきたのです」
「……ああー」
「こんな事なら腰から下をもぎ取ってでもウチの宿六を止めるべきでした」なんて言う彼女に俺は乾いた笑いを返すしかない。
うん。まあ、殺されたことは忘れてはやらんが、俺を殺した報いはきっちり受けたみたいだ。俺は彼女の謝罪については受けてもいいかという気になった。決してミルダーナが怖い訳ではない。うん。怖くはない。人には寛容も必要なのだ。
そして話を戻すと、軍神のHPを8割方削って現場に駆けつけた彼女は、血溜まりの中で倒れている俺を発見して取りあえず校舎の中に運び込んだそうだ。胸の傷は時間ですぐに塞がって服も元通りになって現在に至る。
ちなみにどう言う仕組みかというと、今の俺は肉体を持たない『すっぴんの魂』状態なのだが、精神衛生上の問題で肉体を持っているのと変わらない生理現象を魂が再現するのだという。なので俺は天界でも腹が減るし眠気も起こり、そして刺されれば激痛と共に血を吹き出して死んだりもするのだ。でも特殊な方法を用いない限り世界の機構から外れた天界にいる魂は『生→死への循環』、つまり死ぬことがないので魂は時間ですぐ元に戻ると言う。
だから当然、今回のことについては軍神に俺を殺すつもりは無かったのだった。そう言えば短刀を心臓に突っ込まれたあと、ウルスディールが「今日は楽に殺してやる」云々と言っていた気がする。普通なら殺す相手に今日も明日もないだろう。つまり俺が死なないことが分かった上での発言だったのだ。
とは言え、死ぬ差違の痛みは現実のそれに遜色はなく、何の説明もなく殺される苦しみはそれこそ計り知れない。
そう言う意味では軍神のやったことは到底許されることではないのだと。俺がさんざん言ったので土下座はしないものの、ミルダーナは必死の形相で俺に頭を下げるのだった。
「――――返す返すご不快な思いをさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
アレには泣いたり笑ったり出来なくなるまできっちりお灸は据えておきますので、どうかこの私に免じて、あの馬鹿熊を許して頂けませんでしょうか……?」
「いや。まあ……、許す許さないと言うか……。
もちろんミルダーナさんの謝罪を受けること自体には何の異論はないんですが」
「本当ですか……!!」
「でも、当の軍神さんはまだ俺に含みを持っているんでしょう?」
俺はさくらと約束をして天界で修行している。自分のために早く強くなろうと思うしその努力もするつもりだが、ウルスディールはそれが気にくわないらしく今回ある種の嫌がらせをしてきた。その事については副官さんがきつくお灸を据えたようだが、今後またこう言った嫌がらせというか、俺に含みのある行動を軍神はしてくるのか。だとしたらいくら彼女が謝ってくれても申し訳ないが無意味だし、はっきり言って軍神の存在自体が俺にとっては邪魔である。
少なくとも、俺の修行を止められるのは俺本人とさくらの2人だけだ。外野にどう思われようが俺はもう修行を降りるつもりはない。それが人と約束を交わすと言うことだろう。
それに文句があるのなら、軍神を巻き込んだ張本人であるさくらにも言って貰いたいものだ。最高神に隠れてこそこそ俺に嫌がらせとか、それこそ教師に隠れてイジメをする小中学生のレベルである。軍神の名にかけて強くすると誓った挙げ句がこれだとすると、正直あのぬいぐるみ顔を神などと敬う気は1ミクロンも起きないのだった。
俺がそう言うと、謝罪を受けると言った俺の言葉にパッと顔を綻ばせた彼女は萎れるように項垂れた。まったく持ってごもっとも、と頭を下げるミルダーナ。
彼女はさくらを俺から引き離すのに一役買ったある種の共犯という側面はあるものの、上司の言いつけに逆らえなかったという点に情状酌量の余地があるし俺としても特別責めるような気は起きない。それなのに頭を下げられるのは非常に気分が悪かった。これもあの熊が悪いのだ。
しかし彼女は、頭を下げながらも「本当に頭の悪いお子さまのように馬鹿な馬鹿熊なのですが、本来あそこまで脳の悪いお方ではないのです」と、その馬鹿熊に対する擁護の言葉を必死に紡いだのだった。
「もちろん副官の名にかけて、1000年檻に閉じこめてでも2度とトーゴさんのお邪魔はさせないと誓いますが、あの方がトーゴさんに他意を持つのにはそれなりの理由もあるのです」
「……はあ。理由、ですか……?」
「先ほど、ウチの熊が『もともと異世界人に対して良い印象を持っていない』という話をしたと思うのですが、残念ながらトーゴさんやサクラのご同郷の、つまり地球出身の方々の素行がこのところたいそう悪いのです」
ミルダーナが言うに。
ここのところ数十年のあいだにミーリアにやってきた、俺と同じような『行き場を無くした魂』の連中がかなりやらかしてしまっているらしいのだ。
彼女曰くこのところやって来る異世界人は、死んでしまって異世界に転生出来ると聞くと大喜びして欲望剥き出しに特典を選び、嬉々としてミーリアに降り立っては要らない騒動を引き起こして地上を特に悪い方へ騒がすのだという。
「我々としても魂を世界の発展に利用している以上お互い様と言うべきなのでしょうが、ウルスディール様に言わせると
『死んだ途端に故郷や残した者達に対する未練もなく、「異世界キタコレ!!」などと奇声を発して欲に駆られた特典を選び、挙げ句にミーリアで好き勝手に混乱をまき散らすようなクズどもに、なぜ最高神が遜らなければならん』となるそうでして……」
それは確かに、言いたいことは分からなくはない。死ぬはずもなく殺された点は同情出来るだろうが、だからといって第2の人生で他人を巻き添えにしてまで好き勝手しても良いという事にはならないだろう。それは筋違いというものだ。ミルダーナも「言いたいことは分かるのですが」と困ったように眉を顰めている。
「……確かに、言いたいことは分かるのですが、ならばサクラだって異世界人ですし、今現在私たちはその異世界人を最高神として仰いでいるのです。だから全員をそうだと断ずるのは乱暴だと私は思っています。
しかし、あの方は東悟さんがこちらにいらっしゃった時に大して悲しみもせずに淡々と自分の境遇を受け入れられたと聞いて、『また自分の人生に未練も持てないような薄っぺらい奴が来たのか!』と……、すいません」
「はは、なるほどね……」
そりゃあなあ。理不尽な理由で殺されたとして、必死になって生き、大切な物や人を残して逝ったなら、誰だって泣きもするし怒りもするだろう。それが脇目も振らず『異世界キタコレ!』なんて喜ぶ奴は、軍神的には逆説的に生前何も大事な物を持てなかった薄っぺらい奴、と言うことになるのか。
もちろん人それぞれに生前の想いや死を受け入れた理由だってあるのだろうが、その後のミーリアでの行動がソイツらのロクでもなさを証明しているので、軍神の中ではさほど怒りもせず泣き言も言わなかった俺は『ロクでもない異世界人』のお仲間という訳なのだ。なるほどね。自分が大して立派な人間だとは思っていないからそれについては反論も出来ない。
「……それと、トーゴさんの2人ほど前の異世界人で、なかなか特典が決まらないと言って1週間ほど居座った者がいたのですが……」
「あ、それは話に聞いたことがあります」
目下最長滞在記録を更新しているのは俺なのだが、その前の滞在記録保持者の話だ。そう話を切りだしたミルダーナの柳眉が僅かに歪められる。一体なにがあったのか。ミルダーナの蒼い端正な顔に浮かぶのは、微かなそして隠しようもない侮蔑であった。
「その者は、あろう事かサクラに邪な気持ちを抱いたらしいのです。なのでサクラの気を引こうと、『特典が決まらない』などと嘘を吐いてあの家に居座り、あまつさえなかなか自分に靡かないと見るや特典に『催眠術』なんて物を選んでその場でサクラに使おうとまでしたのです」
「はあ!? それ、さくら大丈夫だったんですか……!?」
「仮にも最高神がそんな物には引っ掛かりませんので何も起きはしませんでしたが、さすがにサクラはショックだったらしくしばらくは塞ぎ込んでしまいました」
「それは……」
「どうも同じ境遇の異世界人という理由で親身になるサクラの様子を、その異世界人は『自分に気がある』と稚拙な勘違いしたようなのです。そう勘違いした挙げ句になかなか彼女と『そう言うこと』が出来ないことに業を煮やして催眠術で操ろうというのですから、それが恋心だったと弁解をされても聞く耳を持てません。その時ばかりはウルスディール様の異世界人嫌いに同調しそうになりました」
「本当に、ウチの国の馬鹿がご迷惑を掛けました……」
思わず同郷の連中の不始末に頭が下がる俺である。
まさか『ロクでもない人間』と言うのが転生の隠された条件だったりするのだろうか。俺もそのうちに含まれていたりするのだろうかと思うと自分に自信が持てなくなりそうだ。それに軍神の心境が理解出来てしまいそうでイヤだが、そんなことがあれば長期に滞在する悪い虫に敏感にもなろうという物だった。
ちなみにその不心得者は、当然のように「恋心が勢い余って」などという空々しい弁解などばっさり切って捨てられて有罪判決。ウルスディールをはじめとした天界の面々に陰惨な方法で100回以上殺された挙げ句、窓のない部屋に押し込められて強面の神様連中に囲まれながらサイコロ振って特典を無理矢理選ばされ、最後は素っ裸で地上に投げ捨てられたらしい。それについては軍神は実にいい仕事をしていると思う。見た目中学生に粉掛けて終いには催眠術とか、殺されなかっただけ有難いと知れというのだ。
「もちろんトーゴさんがそんな者達と一緒だと言う気はないのですが、その不届き者をはじめここのところの数人は本当にその、……酷かったので。
ウルスディール様もきっと、余計に意固地になってしまわれているのでしょう……」
「まあ、軍神が俺を目の敵にする理由は良く理解出来ましたが」
じゃあ俺がそいつらとどこが違うのか、と言われれば俺にそれを証明することは出来ない訳で。
「ミルダーナさんは、何で俺のことをそう思わないんですか?」
俺は思わず、そんなことを彼女に訊いていた。俺に異世界人の過去の悪行をぺらぺら喋ると言うことは、俺をその一員とは数えていない、と言うことにならないか。あるいは俺に対して「こうはなるなよ?」と牽制しているのかも知れないが。
実際俺は、上っ面だけ見れば過去におイタをした異世界人とまったく一緒なのである。『大した未練もなく異世界行きを受け入れ、長期滞在をする地球人』。ほら、条件にふたつも当てはまる。しかしミルダーナは俺の言葉にふんわりと微笑んだ。
「――――あなたはそう言うのとは違いますよ」
そう言いきった。何故、と問えば彼女は僅かに視線を下げて言う。
「私は軍神の元でこの天界の治安維持を司っています。なので職務上、天界を訪れる全ての魂の経歴を調べる義務と権限を有しているのです。つまり私は、あなたの過去を知っているのですよ」
ミルダーナの言葉が無人の昇降口に乾いて響いた。俺はそれに無言になる。彼女はうつむき加減のまま、続けて言葉を紡いだ。
「……ですので私はあなたのことを知っています。
少なくとも私はあなたが『生前に大切な者を残せなかった人間』でないことを知っています。だから、あなたは今まで私が言ったような異世界人ではありません。
あなたは、あんな人達とは絶対に違いますよ――――」
そう言うと、ミルダーナは「すいません」とまた頭を下げた。
神が人の経歴を覗き見たことを謝ることはないだろうに。さくらもそうだったが彼女もいい加減腰の低い神様だった。そんな様子に俺は低く笑う。その笑みは乾いて見えているかも知れない。10歳の子どもが浮かべるにしては、きっと虚ろな笑いだったろう。
それにしてもミルダーナは知っているのか。俺が向こうに、一体なにを残してきたのかを。そりゃあ神様なのである。いくらでも調べようはあるのだろう。
「……それって、さくらは知っているんですか……?」
俺が笑いながらも慎重にそう聞くと、ミルダーナはいいえ、と首を左右に振った。
「治安上必要がない限り、私は例え最高神にでも個人の過去を漏らしたりはしません。サクラはもちろん、ウルスディール様をはじめ天界の神であなたの過去を知っているのは私ひとりだけですし、あなたの許可がない限りそれを明かすことはありません」
「……ああ、そうですか……」
俺はほっと息を吐いた。「ありがとうございます」とミルダーナに頭を下げる。頭を下げあう神様(悪魔風)と子どもの図だ。
しかし良かった。俺の奥さんのことと言い、特にさくらにはあまり俺の過去を知られたくはなかった。あのお人好しの神様には、俺はいつだって俺のことを舐めきったような、洒落臭い口を利いていて欲しいのだ。オッサンは中学生の同情なんて1ミクロンも欲しくないのである。
その一方で。この目の前の女神様はおそらく俺が泣き言を言わなかった理由、義父の身代わりに死んだとか、そう言った諸々を全て知っているのだろう。
それにしたって俺程度の境遇なんてきっと神様にしたら珍しくなんて無いだろうに。
彼女が俺に向ける瞳には自分の上官の不手際を申し訳なく思う気持ちを差っ引いても、初対面の人間に向けるには少し多すぎる厚意の成分が含まれていた。
つまり俺は、ばっちりミルダーナから同情を引いてしまったらしいのだった。
「――――ですから、ウチの馬鹿上司のした馬鹿の罪滅ぼしもありますが、私も是非トーゴさんの修行のお手伝いをさせていただきたいのです」
あの軍神は信用していただかなくて結構ですから、私のことを信じては頂けませんでしょうか、と。
なので女神ミルダーナは、慈愛に満ちた表情を向けて、俺にそう持ちかけてきたのだった――――
天界でくまに殺された昼下がり。俺はそのくまの副官を名乗る女神様に謝られ、修行の協力を持ちかけられた。
特に断る理由も見つからず、俺は彼女の提案を受け入れることにする。
するとミルダーナは本当にありがとうございますとしきりに頭を下げてきた。副官の矜持として、軍神の名を掛けた修行をあんなもので終わらせる訳にはいきませんでした、と俺が受け入れてくれたことに心底安堵したように息を吐いている。
何と言うか、あの軍神には過ぎた副官じゃなかろうか。
馬鹿だの駄目だのさんざん口では言いながら、軍神の名誉だけは自分の手で守ろうというのである。殺された恨みもあって俺の軍神に対する評価は限りなく低いが、相対的に目の前の綺麗な女性の評価は鰻登りになる俺である。そりゃあ熊より女の子の方が好印象に決まってる。怜悧な美貌を誇るミルダーナは、話してみると冷たいところのまるでない柔らかな印象の、とても可愛いらしい女の人なのだった。
ところでそのミルダーナの言うことに、一方的に虐殺されたあの修行もまったく意味がない訳ではないらしい。
「軍神の威圧を浴びて剣を受ける。これだけでも通常の10倍は濃密な修行になるので全くの無駄、と言うことはないのです」とのこと。
瞬きする間に殺されたけど、彼女曰くアレも一応修行になるのだとか。
軍神の名を掛けた以上、全く効果がないことはしない、と彼女が表情を引き締めながら自分の上司を再び擁護した。ただ軍神の名に恥じない効果があるのかと言えば何も返す言葉はなく、帰ったらミルダーナは軍神の身体に直接その名前の意味を問いつめる予定だそうだ。その身体に軍神の名を一字一句剣で刻み込むことで。殺されても死なないって言うのは怖いことなのである。
「ですから私が及ばずながら、駄目な上官の代わりに武術の修行のお手伝いをさせていただきたいと思います」
精一杯務めさせていただきますので、よろしくお願いいたしますね。とミルダーナ改めミルダーナ先生が宣った。
そうして俺の武術の師匠が決まった訳だが、考えてみれば最初からさくらは彼女にお願いすれば良かったんじゃなかろうか。嫌いな俺に会わずに軍神はハッピー、俺も死なずにすんだしそうすれば彼女も俺に頭を下げなくても良かったのだ。そう言うとミルダーナは、「あの方はサクラに嫌われたくない一心で異世界人を嫌っていることをサクラ相手には隠してますから」と苦笑していた。
「サクラもトーゴさんに最高の修行を付けようと勢い込んでましたからね。となれば何と言ってもウルスディール様がミーリアで最高の軍事教官であることは間違いない訳でして」
「あー、気を遣って貰ったのな……」
こう言っちゃアレだけどさくらの厚意が死ぬほど痛い。まあ実際死んだし。もちろんさくらはこんな結果になるなんて、まさに知らぬが最高神と言うものだったのだろう。だが今回、軍神はまず間違いなくさくらに知られると非常によろしくないことをしたのではないか?
「でも、さくらに嫌われたくないと言う割に、軍神さんは俺のことをあっさり殺しましたよね……? もし俺がさくらに今日のことを言いつけたら、あの方はどうするつもりなんでしょう?」
「まあ、そのあたりがあの方の考え足らずなところというか、馬鹿というか……」
上官を思いっくそ馬鹿呼ばわりしつつミルダーナは嘆息する。それがですね、と続けた言葉にはあからさまに呆れが混じった。
「それが、普段は隠そうとしているくせにいざトーゴさん本人を見たら頭に来て『思わず』殺しちゃったらしいんですよ。
本人は『サクラはきっと俺の気持ちを分かってくれる』なんて言って変に強がってましたけど、今頃きっと内心では嫌われるんじゃないかってビクビクしているんですよ。
もし今回のことがサクラの耳に入れば、多分10年ぐらいは口利いて貰えないんじゃないでしょうかね?」
自業自得ですよ、とミルダーナ。
いくら死なないと言ったって『思わず』で一々殺されてたら身が持たない。多少は軍神にもストレスを感じて貰いたいところだった。それにしても、あのくまのイメージがどんどん軍神から離れて行ってないか。今語られている軍神は、神と言うよりむしろ
「あの方は天界じゃサクラと一番付き合いも長いし深いですからね。
今は上司と部下みたいな関係ですけど、あの方の気分的にはいつまでも心配な娘のようなものなのですよ。だから愛娘が自分じゃなく異世界人を気に掛けているのがつまらないし、悪い虫が付くって警戒するんです」
「……年頃の娘を持ったお父さんか……」
で、娘に粉を掛けた男だと勘違いして俺に食って掛かって、掛かったは良いけどバレたら娘に嫌われると今は汲々としている訳である。つくづくお父さんじみているのだった。どうしようもない軍神なんです、としみじみとミルダーナは言う。そして彼女は、その口調のまま俺にこう言った。
「――――ですので、と言うのもおかしい話なのですが、出来れば今日のことをサクラに言わないで頂けないでしょうか……?
お腹立ちはごもっともですが、ダメ親父の娘可愛さの暴走と思って、ご容赦いただきたいのです。もちろん2度とトーゴさんに近づかないように教育しますから、何とか堪えて頂けませんでしょうか。
以前ウルスディール様がサクラと喧嘩した時は、口では強がっていましたがあのでかい図体が塩漬けの野菜のようにしおしおになってため息吐くやらまわりに八つ当たりするやら、もう見るに耐えないことになったのです。
自業自得で馬鹿上官が落ち込むのは一向に構わないのですが、それに巻き込まれるウチの職員達を哀れと思し召して、トーゴさんには是非ともご配慮を賜りたく……」
「あー……、なるほどー」
それを聞いて思わず苦笑が漏れた。もしかして彼女が謝りに来た本当の理由はこのあたりにあるのかも知れない。ゆっくり頭を垂れて俺にそう言ったミルダーナを眺めながら、俺はそう考えた。
上司の精神的健康と自分を含めた部下の精神的平衡を保つためにここに来て、俺に頭を下げたのだろうか。あるいはなんだかんだと言って激情に駆られて下手を打った軍神をさくらの勘気から守るのが目的なのかも知れなかった。その交換条件としてミルダーナは俺に修行の便宜を図ってくれるのだろう。まさに副官の鑑である。
「分かりました。今日のことは、さくらには内緒にしましょう。そのかわり……」
「ええ。トーゴさんの修行に、最大限の便宜を図らせていただきます」
「よろしくミルダーナ先生」
「はい。しっかり個人授業して差し上げますね♪」
そして俺とミルダーナはそう言って笑いあった。
軍神のことを許せるかと言えばいずれ仕返ししてやろうと心に決めているが、今後ミルダーナのサポートを受けられるというのなら今のうちは目を瞑ってもいいと思った。人間コネは大事である。軍神のような、天界に俺のことを厭う神が他にもいる可能性はゼロではなく、であるなら取りあえず現状俺に好意的な神様と誼を通じる意味はきっとあるはずだった。
それに何であれ、俺にはやはり告げ口は性に合わないのだ。どうせ仕返しするのなら、自分の手でやる方が俺には合っている。
そしてそのために報復対象の身内を仲間に出来たことは大いに心強い。おそらくミルダーナも俺のささやかな仕返しにはきっと協力してくれるに違いない。今までの会話で俺はそれを確信していた。
そして彼女も彼女で、上手いこと上官の失点をフォロー出来たと内心ではほくそ笑んでいるのかも知れなかった。おそらく彼女はただ優しく人が良いだけの女の子では無いのだ。まあ神様なんだから当然なのだった。
小さな手でミルダーナの細やかな繊手と握手を交わしながら、俺はそんなことを思った。
ここに天界における『乾=ミルダーナ枢軸』が完成した瞬間である。
※ ※ ※
「――――そう言えば俺が死ぬ間際、軍神さんが何か言っていたような気がしたんですけど……」
ミルダーナさん知ってます? と俺は彼女に尋ねた。尋ねながら視線はまっすぐ前を向き、足裁きを確かめながら俺は右手に持ったカトラスを袈裟に振り下ろしている。
「……ああ。そういえば私にも言っていましたね。『来週も稽古を付けると言っておいた。逃げ出さないでやって来るかどうか見物だ』とかそんな馬鹿なことを。
サクラに知られたら自分が逃げ出す羽目になるでしょうにあの馬鹿は……そこ、足裁きより体重の移動に注意して、そう。それでいいですよ……♪」
ミルダーナは俺の肩や腰に手を添えながら俺の質問に答えてくれた。俺とミルダーナが協力関係を結んだその後、さっそく武術の訓練を開始した俺たちであった。
その内容は定番中の定番である剣の素振りだ。部活動そして突然死と紆余曲折を経て、ようやくまともな武術の修行に辿り着いた。思えばここまで長かった。感無量である。
そして素振りと言ってもむやみやたらに振り回すのではなく、軍神の副官であるミルダーナ先生の指導を受けつつ、ちゃんとした剣の術理を意識しての本格的な素振りである。
20代前半の美人さんであるミルダーナだが、戦神系の神様の一柱なだけあって物凄く強かった。素振りを始める前に「見本です」と言いつつ振るったレイピア捌きはただ凄まじいの一言に尽き、あまりの素早さから空中に銀の軌跡が描かれると、それが消えずに宙に残像として残って見えるかのようだった。俺はその腕前に心底感服し、彼女の言う通りに足裁きに伴う体重や重心の移動、刃がぶれずにまっすぐに通るように注意しつつ一心に剣を振るったのだった。
「はい、いいですよ。その調子で続けましょう……」
時折彼女は俺の間違いを指摘し、上手く言った時には褒める。
そしてここが悪いと言って構えを矯正する時にはその身体を密着させ、まさに手取り足取り俺に教えてくれた。
その度に俺の鼻腔に爽やかな柑橘系に似た彼女の匂いが薫る。若い女性の身体が密着すると、その柔らかさに身体が自然に反応して俺の頬は運動による体温上昇以上に熱くなった。胸やヒップの肉付きは薄く、スレンダーと言うべき体型だったがミルダーナは十二分に魅力的な女性だった。服越しに感じる彼女の熱に、餓鬼の身体が一人前に男っぽい反応をしようとする。頭脳はオッサンのくせに色香に惑わされるとは情け無い。俺はそんな身体を叱咤するように必死になってカトラスを振り回すのだった。そしてそんな中、俺は気を逸らすように話し掛けたのである。
「……一応、軍神さんとしても訓練のつもり、だったんですか、アレ」
素振りを続けながら会話も俺は続ける。
「天界では魂は殺しても死なない訳ですから、真剣を使っての立ち会い稽古が一番効率的なのは事実なんですが」
「1秒で、稽古が、終わっちゃいましたけどね」
「実戦慣れすることは確かですが、週に1回殺されるだけの修行なんてそれじゃいくらなんだって酷すぎますよ」
「それは確かに、勘弁して貰いたいですね……」
「まあ、ウチの盆暗が何を言おうが、トーゴさんの修行は私が責任を持って進めさせていただきますので心配しないでくださいね? ああ、今の振りはとても良かったですよー?」
もう巫山戯た暴挙にも及ばせませんし邪魔もさせませんよ、と太鼓判を押すミルダーナ。そう言って頂けるのは有難いことであるが、この人とあの軍神との力関係ってどうなってるんだろうか。上司と副官? あるいは熊と調教師だろうか。
「……ふっ! ……ふっ!」
どうであれ、俺は1日でも早くさくらが納得するだけの強さを身に付けるためにここにいる。いろいろあったがそのために俺は今、剣を振っているのだ。
まだ餓鬼の棒振りのレベルなのだろうが、ミルダーナ先生の添削を受けた素振りは何となく『それっぽい』感じで、刃がぶれずに振れた時の綺麗に風を切る音は耳に心地よく、少しずつその音の鳴る回数が増えていけばささやかな達成感が胸に満ちた。もっともっと修行して強くなり、少なくとも熊に秒殺されない程度には強くなりたいものである。
「……んん?」
そして。そんなことを考えながら素振りを繰り返していると、俺の脳裏にふとひとつの着想が生まれた。
ミルダーナ曰く、軍神との立ち会いは最高の稽古であるらしい。であるのならば、軍神に秒殺されなければどうなるのだろうか。
あの軍神との立ち会いは、通常の立ち会い稽古の10倍は濃密な稽古なのだとも言っていた。まあ俺の場合はまさに秒殺されたので効果の程はイマイチだった訳だが、もしちゃんと立ち会えていたら、殺されずに粘れていたらその場合通常の10倍、今の素振りより効率的な修行になると言うことではないか。
俺は1年で餓鬼の身体から元のオッサンに戻ってやるとさくらに啖呵を切った。では通常の修行で10年を1年に縮めることが出来るのか。それは否だろう。まさか自分に人の10倍才能があるなんて脳天気なことは考えられない。俺が有言実行するためにはやる気だけでなく、それ以上の努力を必要とするはずだった。
「…………」
俺は無言でカトラスで教わった型をなぞるように振りながら考える。
今のままではまた軍神と立ち会えば瞬殺は必死だ。ではミルダーナという先生を得た今後はどうか。ミルダーナに基礎を叩き込んで貰い、ガンガン鍛えて軍神の立ち会い稽古に挑むのだ。少しでも殺されるまでの時間を延ばせれば、それは俺にとって得ることの多い修行になるのでは無かろうか。
「……? トーゴさん? どうかしましたか?」
俺は気が付けば素振りする手を止めていた。剣を前に突きだしたまま、自分の考えを頭の中で纏めていく。急に動くのを止めた俺にミルダーナが怪訝そうに声を掛けた。
そうだな……。その方がいい。そうした方が、きっとミルダーナにとっても目的に叶うはずだ。
「……ミルダーナさん。さっきの軍神さんの話なんですが、ちょっとご相談したいことがあります」
「え? ……なんでしょう?」
「あのですね――――」
小さく首を傾げるミルダーナに、俺は自分の『決意』を話した。
大げさかも知れないが、決意と言ってもいいはずだ。なにせこれは、決死の覚悟で挑むことなのだから――――
「東悟さ――――ん!! ただいま戻りました――――っ!!
……て、ミルさん? 何でミルさんがここに居るんですか……?」
けたたましい声とともに、さくらが小学校に戻ってきたのは向こうの山陰に日も落ちそうな夕暮れ時、昼から数時間以上経ってからだった。結局ミルダーナに呼ばれた後、今度は違う神様から次々と仕事が舞い込み気が付けばこんな時間になっていたのだとか。
その間俺はミルダーナと一緒に素振りから簡単な型を使った打ち合い稽古を繰り返し、さくらが来た時には精根尽き果てて地面にへばっていた。
俺の傍らには汗ひとつ掻いていないミルダーナがいてタオルを使って俺に風を送ってくれている。そしてさくらは、軍神に稽古を任せたはずのここに何故か自分を呼びだしたはずのミルダーナがいることに驚いたようだった。
何度も言うがさくらを呼び出して仕事を押しつけたのは軍神の命を受けたミルダーナである。そして彼女はさくらがすぐには戻らないように第2第3の手を打って置いたのだ。しかし押しつけたとは言ってもちゃんとした仕事を見繕って前倒しにしただけで最高神に無駄骨を折らせた訳ではない。せめてもの罪滅ぼしをかねてさくらが明日オフになるように手を回してもいるミルダーナだった。実に有能な副官なのである。
驚くさくらに俺は軽く手を挙げる。そして横目にちらりとミルダーナを見た。見ると彼女も俺の方に僅かに視線を動かしている。黒と赤の不思議な色彩の目には『了解』の意がありありと浮かんでいた。
「実はウチの上司に頼まれまして、剣の基礎訓練の方を見させていただいているのです」
「へ……? クマさんに頼まれて……?」
案の定不思議そうな顔をするさくら。それに俺は畳み掛けるように言葉を発した。
「いやな? あの後軍神さんと打ち込み稽古したんだけどな? しばらくやってから『基礎がなってないからウチの副官に鍛えて貰え』って話になって」
すると「そうなんですよ」と、コール&レスポンスの見事なタイミングでミルダーナの相づちが入る。さくらに口を挟ませる暇を与えない。俺たちのコンビネーションは最高潮に達していた。
「あの方は基本細かいことは苦手なので、適材適所と言うことで私がトーゴさんに素振りや型と言った基礎的な訓練を教えていたのです」
「これからは基本ミルダーナさんが武術の基礎を教えて、時々軍神さんが打ち込み稽古を付けるってことに決まったんだよ。な?」
「ええ。まったく持ってその通り」
「そんな訳で、ミルダーナさんにお世話になっていたのさ」
「これからも精一杯務めさせていただきたいと思います」
「いやあ、こちらこそよろしく!」
「いいえ! どういたしまして!」
「あはははは――――っ」
「おほほほほ――――っ」
そこまで2人で一息に言い切った。俺と彼女は2人空笑いを交わす。
するとさくらは立て板に水を流すような2人の剣幕に「はあ、そうなんですか……?」と分かったんだか分からないんだかよく分からない生返事を返した。そして
「まあ……、稽古についてはクマさんにお願いしましたし、クマさんがそう言って、東悟さんとミルさんがそれでいいなら何の問題もないですけど……」
とよく分からないままさくらはそれを了承した。俺とミルダーナはそんな最高神の様子にまたアイコンタクト。よし、予定通りに押し切った。どうやら上手くいきそうである。
俺たちは2人で打ち合わせた通りに軍神じゃなくミルダーナが稽古を付けている理由を説明し、そして今後も基礎の稽古はミルダーナが面倒見てくれると言うことをさくらに承諾させたのだ。
もちろん当のウルスディールは俺をぶっ殺してからミルダーナにはらわたブチ撒けられていた訳でこんな事を知る由もない。あの軍神はおそらく俺が恐れ入って二度と目の前に現れることはないと、復活した腹をさすりながら思っているかも知れないがそうは問屋は降ろさないのだ。
俺はミルダーナに俺の決意を話し、それへの協力を要請した。その見返りは軍神の明らかにさくらの逆鱗に触れるであろう『俺の殺害』という暴挙を彼女に絶対に明かさないこと。
そのために俺たちは2人でそれらしい話をでっち上げ軍神がここにいない理由をねつ造し、今後もミルダーナが俺に協力すると言うシナリオを創り上げた。それは今さくらに披露した通りである。
俺の決意とはもちろん『ウルスディールとの再戦』である。
軍神との稽古が普通の稽古の10倍効果的ならば、『死ぬほど』痛いという理由だけで逃げるなど有り得ない。ミルダーナに基礎を教わり力を付け、俺は再度軍神との立ち会い稽古に挑むのだ。
そして少しでも長く生き残り、ついには軍神に一太刀浴びせてやる。
やられっぱなしでいると思うなよ、という話である。軍神が異世界人を嫌う気持ちは理解出来るが、だからといって殺されたままで済ますほど俺はお淑やかじゃないのだ。さくらに言いつける? 俺を舐めるなと言ってやる。死ぬほど辛い稽古だろうが上等だ。
俺は何故か、自分でも不思議なほどあの熊神に対して敵愾心を燃やしているのだった。
(……どうやら、さくらには上手く誤魔化せそうですね)
(ええ。ウチの馬鹿熊にもご配慮をいただいて、本当にありがとうございます……)
小声で言葉を交わす俺とミルダーナ。
俺の決意を聞くと彼女はひどく愉快そうに笑った後、すぐに協力を快諾してくれた。
「2人であの熊に一泡吹かせてやりましょう!」と固く手を握ったものである。それから再開された稽古はさらに熱の篭もったものになり、それに比例するように彼女の俺に対する密着具合も高くなったが俺はその事に特に感慨を抱かなくなっていた。
頭の中が少年漫画めいたやる気で占められていたのだろう。やはり精神が肉体の年齢に引っ張られているのかも知れない。そして俺とミルダーナの関係は、同じ目的を持った同士としていや増すに高まっていたのだった。
(共通の秘密と目的を持った同士、仲良くしましょうね?)
(ええ。これからもよろしくお願いするよ。……ミル)
にやり、と少し黒い成分を含んだ笑みを交換する俺とミルダーナ改めミル。仲のいい神様仲間は彼女のことをそう呼ぶそうで、俺もその一員へ加わる名誉についさっき浴していたのである。俺に親しみを込めて視線を投げるミルは、怜悧な美貌や冷たい印象のある蒼い肌にも係わらず、親しみのある可愛らしさがあった。すると、笑い合い小声を交わし合う俺たちにさくらが
「……なんか、ずいぶん仲がよくなったんですねえ」
と目をぱちくりさせて不思議そうに俺たちを見ていた。それに俺たちは、2人揃えたように笑って答えたのであった。
修行1日目。
いろいろなことがあった1日はこうして幕を降ろした。
俺は明日からさくらの作った基礎メニューとミルとの基礎戦闘訓練を行い、来週に控えた軍神との決戦に備えることになる。
おそらく軍神にどんな形であれ一泡吹かせられた時、俺の実力はミーリアに通用するものになっているだろうと、俺にはそんな予感があった。
見てろよ軍神、今度は瞬き一瞬で殺されてやったりなんてしないからな。
剣を握りすぎて握力の感覚のない拳をぎゅっと握りしめ、夕焼けの迫るグラウンドで俺はそう固く誓ったのだった。
…………これが俺の修行初日の顛末であるが、後になって思えばこれが俺の修行の方向性を決定付けたのだろう。
本来ミーリアで生き残れる程度の力しか欲していなかったはずが、軍神に対する妙に強い対抗心により、いつの間にか俺の主眼が『軍神越え』なんて言うとんでもない高い頂にすり替わっていたのだ。それにより俺のモチベーションは朝から見れば別人のように高まっており、その事はさくらを大いに喜ばせたものだった。
もしかして。それを見越してさくらは俺に軍神のオッサンをぶつけた訳ではあるまいな。
最高神の心は知らず、俺の天界修行はまだまだ続く――――――――
乾 東悟の修行の成果
● 修 行: 1日
● 取 得 特 典:『若返り(25年分/25P)』
● 特 典:残り 75P
●身に付けた物:初期剣術 Lv.1(ちびっ子剣道教室相当)
軍神への敵愾心
→第2章へ続く!!
と言う訳で第1部完! いや、少年漫画的な意味じゃありませんよ? 第2部へと続きます。
ただし書き溜めがさっぱり底を付きましたので、第2部再開までは多少時間を頂くかと思います。これまでのように毎日更新とは行かないかも知れません。ご了承いただきまして今後とも変わらぬご愛顧の程をよろしくお願いいたします。
なお、作者はお絵かきしてミーリアの世界地図なんて物を作っているので第2章が始まる前に閑話としてそれをご覧に入れるかも知れません。
では、またのご来場を心よりお待ち申し上げております。