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乾 東悟の行きて帰らざる物語  作者: 高原ポーク
第1章   乾 東悟、死んで神様と出会い異世界ミーリアに降り立つの段
27/31

24.乾 東悟と天界修行(2)

 天界修行編第2弾。そして作者渾身の弁当テロ。





 ――――とにもかくにも修行が始まった。



 何をさせられるのかと思ったが、まず俺は天界に作られたさくらの母校の周りを走らされた。最初の修行とは、なんと、あの、ランニングである。部活動か。



 まあどんなスポーツだって身体が基本だし、基礎をおろそかにする人間に熟練はない。ランニングはまさに体力作りの基礎である。確かにこれは俺が望む『地に足の着いた』地道な努力に違いはなかった。

 しかし物凄い肩すかし感だけは否めない。だって、身を守る技術の修行って言われるともっとこう、いろいろ違うことを想像するじゃないか。素振りとか、そう言う『いかにも』な奴を。





「基礎体力はある程度までは個人の素質とか関係なく誰でも身に付けられる重要な『強さ』ですよー」


 そんなことを考えていると、俺のとなりを一緒に走るさくらがそう言った。それに俺は返す言葉がない。まったく持って神様の言う通りである。

 そう言うさくらは滑らかな伸びのあるフォームで息ひとつ乱すことなく俺に併走している。元ミニバス部員であるという彼女だが、そうやって走る姿はかなり様になっていた。

 それに俺は負けて堪るかとスピードを上げ、ぐいぐいと1馬身ぐらいさくらの前に出てやった。我ながら餓鬼っぽい負けん気発揮である。肉体年齢に精神年齢が引きずられているのか、それとも俺がもともと成長のない餓鬼なのか。俺がニッと歯を剥きながら横目に窺うとさくらは涼しげな顔で俺を見ていた。これは俺に対する挑戦と見た。



「うおおおお――――っ!!」


 ここ10年感じたことのない疾走感を感じながら、俺はアスファルトの地面を力強く蹴った――――





「うおおおお……、げぼっ!」

「……いきなり奇声を上げて全力疾走とかするからですよ……」


 それからおよそ1時間弱。

 そこには校門前でものの見事にぶっ倒れている俺がいる。何が挑戦と見た、だ。まんまと挑発に乗ってこのザマである。倒れ込んだアスファルトは埃臭く、仰ぎ見た天界の空は俺をあざ笑うが如くにスカッと晴れ渡っていた。









 ランニングは学校2周半、約4~5㎞ほど走って終わった。走り終わると正直疲労困憊である。若い頃はこれぐらいは余裕で走れたはずだと思ったが、考えてみれば10歳児の体力なんてこんな程度のものだった。若さに過信は禁物なのだ。



 そして苦笑しながら俺にスポーツドリンクのボトルを渡してくれたさくらは汗ひとつ掻いてはいない。それどころか息に乱れすらなく、ランニング中は鼻歌で『Run○er』を歌う余裕すら見せつけられたのである。粉の素を使って薄く作ったと思われるスポーツドリンクを飲みながら俺が悔しがると、「わたしが『ズル(チート)』持ちだって話したじゃないですか」とさくらは苦く笑う。


 実は彼女、本気で走れば100㎞を4~5時間で走破することが出来るのだとか。マラソンの世界記録が2時間前後だから、1時間で20㎞以上を走るとするとまさに超五輪級、某24時間テレビの芸能人競歩大会を番組開始から日付が変わる前に終わらせられる脚力の持ち主なのだった。そんなの鍛えたって勝てるか。



「これから毎日、朝夕2回ランニングして貰いますからね♪」

「…………おう」



 修行は始まったばかりだ。体力増強を『特典(チート)』に頼らない俺とすれば、ただたた愚直に走り続けるしかないのである。……悔しくなんてない。絶対だ。





 その後、疲労困憊を訴えた身体はすぐに調子を取り戻した。オッサン驚きの回復力。以前の俺なら翌々日まで筋肉痛が潜伏するレベルの疲労が速攻回復である。バテるのは早いが回復も早いのは若さの特権だろうか。

 俺の呼吸が落ち着くと、さっそくさくらから次の指示がきた。お次のメニューはまた柔軟体操だそうだ。だから。どこの運動部のアップだこれは。



 グラウンド脇の芝生のような物の生えた一画に移動し、さくらの言うがままに身体の動かして筋を伸ばし関節を解す。彼女は丁寧にじっくりそれを行うように厳命し、俺はひとつひとつの動作を言われるがままに正確に、じっくりと時間を掛けて繰り返した。



「子どものうちは負荷の掛かるようなタイプの運動はあまり良くないですからね。今は若さからの柔軟性をさらに伸ばす方向で行くと良いんですって」


 そう論ずるさくらのもと行われた柔軟体操は、ランニング前にやった準備運動とは較べものにならないほど本格的なストレッチでだった。

 筋を無理に伸ばさないようにじっくりじっくりと力を掛ける。時折さくらと2人一組になって、背中合わせになって背中を伸ばしたり、ぐいぐいと押して貰ったり。結構身体を密着させているが「年頃の娘さんがはしたない!」とか突っ込む余裕もない。伸ばす部位を意識して真剣に行われるストレッチは俺が思った以上に疲れる運動なのだった。

 一度引いた汗がまた噴き出して、顎からぽたぽたと幾筋も垂れる。基本ゆっくりとした動作の連続なので息も絶え絶えとはならなかったが、たっぷり2時間を掛けた柔軟が終わるとランニング以上に俺は汗みずくになっていた。運動部のアップ(笑)とか、柔軟を舐めていたと言わざるを得ない。


 しかしその成果は確かにあった。

 身体中に疲労はあるがそれ以上に、まんべんなく血の通った身体に心地よい熱が駆けめぐっているようにも感じる。きっと今、俺の身体は十分以上に解れているのだ。



「よし。じゃあ次は何をする……?」

「やる気があって大変よろしいですねー」


 しっかり暖機された身体に逸るが如くそう言う俺に、さくらはとても楽しそうに微笑んだ。





 そのあと俺は、さくらに言われるままに校庭の隅にあった幅15㎝ほどの木の橋、つまり平均台の上でいくつかの運動をさせられた。例えば両手を左右に突きだした体勢のままその腕の上にリレー用のバトンを乗せて平均台をゆっくりと渡ったり、その上で身体を上手く反転させたりと言った運動だ。

 さくら曰く「バランス感覚はあればあっただけどんなことにも応用が利くので若いうちに鍛えるが吉」とのこと。これも簡単なようで真面目にやると案外難しい上に、今度は身体はもちろん精神的にも疲れる運動なのである。これにもたっぷり1時間は掛けた。


 そう言えば、なんか似たようなことを昔のカンフー映画の修行シーンでやっていなかっただろうか。若き日の某ジャ○キーやジェ○ト・リーが修行用BGMをバックに汗水垂らして。そう考えれば前のふたつよりは何か武術的な修行をしてる感がある。外見にはきっと餓鬼が平均台の上で遊んでいるように見えるのだろうが。さくらから受け取ったタオルを、汗でじっとりと濡らしながら俺はそんなことを考えた。





「――――じゃあ、今やったランニング、柔軟、バランス、この3つの運動は基本毎日してくださいね? メニューと詳しい運動のやり方はこの紙に書いてありますから」


 と、俺に今までやった運動のメニューを書いた紙を渡しながらさくら。


「……りょ、了解……」



 そして俺は、その紙を受け取るとすぐに木陰にべたんとへたり込んでいた。


 彼女の言うがままにバランスのメニューをこなすと、俺はまた疲労困憊してしまったのだった。若さゆえの回復力にも限界はある。若くったってずっと体を動かせば乳酸は溜まるのだ。それにちびっこくなった俺の身体には、もうほとんどエネルギーが残っていないように感じられた。


 校舎に掛けられた大時計が12時を差し、物音のしない天界の小学校にチャイムが響く。

 説明を受けながらゆっくりやったとは言え、俺は朝から丸半日運動していたのだった。疲れるのも無理はなく、俺の腹がエネルギー不足に不平を零すのも無理はなかった。



「じゃあ、ちょうどキリがいいのでお昼にしましょうか」


 すると。俺の腹の虫が聞こえた訳でもないだろうに、さくらはそう言って手を合わせる。今日はお弁当ですよー、とピクニック気分のさくらである。彼女は元気に走って校舎の中に置いてある弁当を取りに行く。

 俺とまったく同じ運動をして見せていたのに、彼女の足取りには軽やかで疲れなど微塵も見られなかった。それがチートの恩恵であることは聞いたし分かってはいる。だから負けて当たり前だし悔しくなんて……やっぱり悔しい。


 中身は違えど見た目中学生の女の子に負けるとかむやみやたらに悔しい。男尊女卑ではないのだが、男にとって身体能力のコンプレックスは地味に堪えるのであった。





「……はやく、基礎体力を身に付けよう……」


 毎日の修行メニューだと言われた今までの運動をしたあと、最低限今のようにへたり込まない程度には鍛えなければ、と。俺はそう気持ちを新たにした。そしてグウグウ鳴る腹をさすりながら立ち上がり、さくらのあとを歩いていった――――






 ※  ※  ※






 さくらの用意した弁当を俺たちは校舎の昇降口、屋根があって日陰になっているところで広げた。


 彼女が持ってきたのは2段の重箱で、中には2人分のおにぎりとおかずが詰められている。赤青白黄色の特徴的なストライプ模様をした古式ゆかしいレジャーシートの上に黒塗りの重箱とお茶の水筒が並ぶ。もう気分は本当にピクニックだ。場所やさくらの格好からするとむしろ運動会の昼ご飯と言った方がしっくり来るかも知れない。


 空腹に機嫌を損ねてグウグウ唸る腹をさすってさくらに合流し、彼女に言われるままに水飲み場で手を洗ってきた俺がシートの上に座ると、さっそくさくらは水筒の蓋に注いだ番茶を渡してくれた。俺は懸賞を受け取るお相撲さんのように手刀を切ってそれを貰う。そして2人揃ったところで、俺たちは手を合わせて「いただきます」をした。



「……地味に手が込んでるなあ……」

「えへへ……。わかります?」


 「いただきます」のあと、さくらが回してきた重箱には小振りな俵型のおにぎりがぎっしりと詰まっていた。おにぎりの形は家庭ごとに千差万別だ。ちなみに乾家は無骨なボール型で死んだ俺のカミさんが作ったのはコンビニのそれのような見事な三角形だった。佐藤家はきっと俵型だったのだろう。俺はその小さなおにぎりを重箱からひとつ摘んだ。そして小振りなお稲荷さんサイズのそれにかぶりつく。これは……昆布の佃煮だな。



「……うん。旨い」


 普通の昆布の佃煮おにぎりだが、頬張るとプチプチ歯に触る胡麻の感触と風味が心地よい。ご飯に煎り胡麻を混ぜ込んで一手間を掛けているのだ。地味だが手が込んでいる。

 見れば重箱には胡麻の混じったおにぎりの他に、一目で種類の違いの分かる程度に『一手間掛けた』おにぎりが何種類も入っていた。俺が「地味に手が込んでいる」と言った所以(ゆえん)である。この派手さはないがとにかく丁寧な仕事こそ、さくらの手料理の真骨頂だった。古き良き日本の家庭料理のアトモスフィアなのである。


 俺はほとんど2口で昆布のおにぎりを平らげた。するとさくらは、指に突いた米粒を舐め取る俺を見て嬉しそうに目を細めていた。



「たくさんあるからいっぱい食べてくださいね?」


 おかずの入った重箱から皿におかずを取り分けながらさくらが言う。俺もそれにはまったく異論がなかった。片手でおかずの載った皿を受け取りながら、俺はお行儀悪くもう片方の手で別のおにぎりを摘むのだった。





 今日の弁当は極めてオーソドックスな、つまり王道とも言うべき弁当である。おにぎりのほかのおかずは定番中の定番である鶏の唐揚げと卵焼き。つまり大定番だった。

 そのほかは刳り抜いたトマトを器にしたポテトサラダ(昨日のトンカツの付け合わせだ)にきんぴらゴボウ、それに糠漬けのキュウリである。唐揚げはちゃんとタレで揉み込んであって柔らかジューシー、卵焼きは佐藤家の流儀でほんのり甘くダシの風味が薫る。


 唐揚げを囓ると醤油ダレが良く染み、下品にならない程度に利かせたニンニクと黒コショウの風味が俺をライスの桃源郷へと誘う。それに誘われるままにおにぎりを頬張れば、次のおにぎりはゆかりご飯に梅カツオ(梅肉に鰹節を練り込んだもの)を仕込んだ梅おにぎりだった。梅干しの酸味を鰹節のうまみがまろやかに包み込みしその風味が食欲を増進する。つまりほっこりと旨いのだ。おにぎりは計5種類。それぞれが小さく出来ているのは全部の味を楽しんで欲しいというさくらのにくい心遣いだ。


 続けてもうひとつおにぎりを食べると、今度の中身はミョウガを刻んで混ぜ込んだ味噌を具にしたミョウガ味噌おにぎり。俺がこのクセのある夏野菜のことを大好きなことをさくらは当然のように知っているのである。しかも味噌は焼き味噌にして香ばしさを加えるという芸の細かさ。神おもてなしである。いつもと同じように俺は無言で弁当をひたすらにがっついた。ポテサラときんぴらを箸休めにしつつ次のおにぎりに食指を動かす。次は見た目に一番楽しいオマエに決めた。


 俺は重箱からヒョイっと摘んでかぶりつく。それは海苔ではなく野沢菜の漬け物の葉っぱでおにぎりを巻いた()()()おにぎりである。無論工夫はそればかりではなく、中のご飯には香り高い刻みショウガがそっと忍ばせてある。とことん芸が細かいのだ。海苔とは違うしゃきっとした菜っぱの歯触りが面白く、塩加減も丁度いい塩梅だ。隠し味のショウガの風味に食欲もますます進む。


 そして最後は……おお、これは昨日のトンカツの切れっ端か? ご飯の中にソースで軽く煮たトンカツが一切れお隠れになってらっしゃった。これは嬉しいサプライズである。ソースの染みたトンカツの衣とまわりのご飯が男子の味覚中枢を直撃し、舌の上にトンカツの脂身の甘さが踊る。そしてこっそりソースに忍ばせた練り辛子の風味が絶妙のアクセントになっていた。実に旨し。箸が止まらない。

 糠漬けで脂っこくなった口の中をさっぱりさせるとついにおかずが底を尽きる。俺はそうっとさくらを見た。そうっと見るのが居候の流儀だ。まあ遠慮はしてないが。



「……おかずのお代わり、いりますか?」


 俺は無言で、ニコニコするさくらに空になったおかずの皿を差し出した。









 食事が進み、俺の腹もだいぶ()()()なってきた。充填率6割と言ったところか。


 さくらがずいぶん気合いを入れたのか、今日の弁当は明らかに2人前以上の量があった。おにぎりはともかく、おかず、特にから揚げと卵焼きは何度かお代わりしたにもかかわらずまだ半分以上残っている。それを指摘するとさくらは「残っても問題ないので、好きなだけ食べてくださいね」と笑っていた。笑いながら、彼女は持ち込んだトートバックからナプキンにくるまれた荷物を取り出している。俺はそれを目敏く見つけて彼女に聞いた。



「……それは?」

「これですか?」


 さくらがナプキンを外すと、中から現れたのは茶色の丸い物体だった。それはラップに包まれたパンである。直径30㎝ほどの巨大な饅頭のようなフォルムの、それはいわゆる『田舎のパンパン・ド・カンパーニュ』と呼ばれるハードタイプのずっしりとした丸いパンだ。

 そしてパンには横に3列ほど切り込みが入っており、その隙間にそれぞれたくさんのレタスに晒した玉ネギ、トマトと言った野菜と表面が飴色になるまで炙り焼きにされた鶏肉の薄切り、それにスライスチーズがぎっしりと詰め込まれている。つまりそれは



「サンドイッチですね」


 大きな『田舎パン』をまるまる1個使った巨大サンドイッチなのだった。うん。一目見てそれは分かった。それは分かったんだけど。


「いやいやいやいや」


 それがこのタイミングで出てくるか。俺はもう腹6分目。今更そんなパーティメニューみたいなサンドイッチを出されても腹に入らないぞ。普段の食事はこんな大食い大会みたいな量じゃないのに、今日に限ってローマの宴会じみたご馳走の量はどうしたことか。吐いてまた食べるのか。そりゃ食べられないだろ、と俺が手を振るとさくらは



「ああ、これは私たちのお弁当じゃないんです」


 と俺と同じように手を左右に振った。



「実はですね、これから人が来るんですよ」

「……ヒト?」

「まあ人、というかわたしの同僚の神様なんですけどね」

「ああ、そうなのか」


 どうやら、取り出された巨大サンドイッチはその、『お客人』のお弁当と言うことらしい。そしてそのお客人はさくらと同じ神様なのか。ミーリアが多神教なのは聞いていたので、さくら以外の神様も存在していることは知っていたが実際会うのは初めてだ。なにせ俺はこの1週間、さくらの日本家屋の警備が主な仕事だったのだがさくら以外の人物はついぞ訪れたことがなかったのだ。



「ミーリアの人達って、お米は食べられるけど海苔とかが好きじゃなくておにぎりが苦手なんですよね」

「あー、欧米人と一緒な」


 欧米人は海苔が苦手な人が案外多く、例えば創作寿司の定番であるカリフォルニアロールが海苔を内側に隠すように巻くのは見た目の他に海苔が直接歯に当たらないようにする意味もあるそうだ。そしてミーリア人もその例に漏れないらしい。なるほど、それでおにぎりの他にサンドイッチを用意していて、しかもおかずが2人前以上あったのか。

 人が来るなら先に教えてくれておいても良かったのにと思ったが、そう言うと「相手の予定がよく分からなくて、もしかしたら今日来てくれないかも知れなかったので」俺には言わなかった、と答えが返ってきた。それでも一応お昼を用意して連絡を待っていたら、ついさっきお昼のうちには合流出来ると連絡があったのだそうだ。



「で、どうしてその人、と言うか神様はここに来るんだ?」


 サンドイッチについては理解した俺は、今度は卵焼きを箸で突きながらそう聞いた。俺にとっては初めてのさくら以外の神性との遭遇である。何の用事なのか単純な好奇心はあった。俺が訊くと、それはもちろん東悟さんのためですよ、とさくらは至極当然のように言う。



「? ……俺のため、とは?」

「正確には東悟さんの修行のためですね」


 彼女とは別に、その神様にも俺の修行の面倒を見て貰うことになっているのだとさくらは言った。それも聞いていなかった俺はまた疑問符を飛ばす。とは言え昨日の今日で決まった天界修行、修行方針も朝方決まった訳で、当の俺はほとんどその全貌を知らされていないのだが。



「全部をさくらが教えてくれるんじゃないんだな」

「少なくとも護身術的なものでわたしがお教え出来るのは、生前の部活の知識と地球の知り合いの神様から教わった基礎トレーニングだけなんですよ。

 ホラ、わたしの武術って結局身体と一緒で『チート』の一部ですから」

「どう言うことだ?」

「だからですね……」


 つまり、さくらもそれなりに武術は使えるのだが、それは身体に無理矢理チートとして刻み込まれたもので、自分でもその原理や術理を理解して使っている訳じゃなく、本当に『何となく』使えている物に過ぎないのだという。なので自分自身が自分の技術についてよく分かっておらず、それを人に理路整然と教えることがまったく出来ないそうなのだ。



「だから、ズル無しで本当に強いウチの『軍神』さんに、東悟さんのお師匠さんをお願いしたんですよ」

「うわ、『軍神』さまって……」


 さらっとそんなことを言ったさくらに、俺は頬を引きつらせた。軍神とか、日本で言うと毘沙門天とか南無八幡大菩薩とかそう言うクラスの神様だよな? あとはさくらの神友乃○大将とかもだけど。しかしそんな恐れ多いお方にご足労願っていいものなのか。するとさくらはそんなの問題ないですよ、と胸を叩いて太鼓判を押した。



「最高神がワンツーマンでトレーニングしてるんですよ? ウチの部下には四の五は言わせません」

「パワハラ格好悪い!」

「業務の一環です」


 いや、確かに最高神(さくら)自らトレーニングして貰ってる訳で、恐れ多いというならそれが一番恐れ多いはずなんだが。今更掴み合って子供じみた喧嘩までした相手の何に恐れ入ればいいのかという問題があるのだ。しかも業務の一環とか言い切ったぞこの神様。じゃあお前は業務の一環で俺の股間を蹴ったのか。



「『軍神』さんはわたしの昔からの仲間なんですよ。生前は元帥にまでなった軍人さんで、槍で城門を吹き飛ばしたので『破城槌』なんて凄い渾名を持ってるんです」


 あと斬られても斬られても後ろに退かないから『不死身』とかも言われてましたねー、と懐かしそうに目を細めてさくらは言う。さすがファンタジー。槍で城門吹っ飛ばしたとか斬っても死なないとか、生前の逸話が常軌を逸しておられる。そんなお方が神様になったら一体どうなってしまうのだろう。脳裏にヘラクレスめいた筋骨隆々たる巨漢が馬鹿デカイ丸太ん棒をブン回して城壁を叩き壊してる姿が浮かんだ。うん。子どもの身体でそんなお方の修行を受けるとか


「うおお、ちょっと緊張してきた」

「……いやいや、東悟さん? 最高神の顔は『ぺっしゃー』出来るくせに何でわたしの部下に緊張してるんですか……?」

「そんなの自分の胸に聞いて見ろ」

「即答された!?」


 開始早々子どもにされたり、基本であることは承知してても始まったのが部活動めいたトレーニングだったこともあったのだが、ここに来てようやく『護身術の修行』が始まるという緊張感が俺の胸に迫ってきた。しかも講師はその道の大頂点、『軍神様』その人だという。俺は身体に活を入れるように皿の唐揚げを食べようとして――――





「お? これは美味そうだな」


「ああ!?」


 後ろから伸ばされた手によってその唐揚げを横からかっ(さら)われた。

 それにあられもない叫び声をあげた俺。素早く後ろを振り向いた俺の瞳には、食い物の恨みというどぎつい色が塗り込められていたと思う。案外食い意地が汚いのである俺は。とは言え弁当の唐揚げの強奪とか、小学校なら学級裁判と言う名のつるし上げが起こるレベルの重犯罪だぞ。俺は後ろにいるはずの不心得者を睨め付けて見て、――――固まった。





「むぐ。……おお、サクラの料理は相変わらず美味いな」

「――――クマさん? ちゃんとクマさんの分は用意してあったんですから、東悟さんの分を取らないでください」

「スマンスマン」

「…………(ぽかーん)」


 心情的には「何しとんのじゃワレ!?」と言う科白を脳内で再生しつつ振り返った俺(見た目的にはきっと目つきの悪い餓鬼がアウトロー気取りで粋がったように見えているかも知れない)は、振り向いたままものの見事に固まった。


 固まったまま目の前の出来事を観察していると、足音も気配もなく、急に俺の後ろに現れた身長2m越えの大男が俺のから揚げを咀嚼しながらにこやかにさくらへ話し掛けている。一方のさくらも『クマさん』と気安い口調でその大男を呼び、たしなめる口調も気安いものだった。俺がフリーズしている理由。それはもちろん、突然音もなく背後に現れた大男にその原因があった。



「お仕事は片付きました?」

「片付いたっちゃあ片付いた、かな? あとの細々したことは副官に任せてすっ飛んで(転移して)きた」

「だからって急に転移で現れないでくださいよ。東悟さんがビックリしてるじゃないですか」

「ああ? まあ良いじゃねえかそんな細けえこたあよ」

「もう……。

 あ、東悟さん。この人が東悟さんに修行を付けてくれる『軍神さん』こと、ウルスディール=クマンさんですよ」


「ああー……。『クマ』ンさん、ね……」


 まさに名は体を表していた。クマさんこと『軍神』ウルスディール=クマン氏は、まさにヘラクレスが如き筋骨隆々、叙事詩の英雄譚から抜け出したような偉丈夫だった。しかしその図太い猪首の上に乗っているのは風貌魁偉な武張った男の頭ではなく、毛むくじゃらの獣の頭。それはつまり熊の頭なのである。だってここはミーリアの天界だもの。ファンタジー上等だった。


 まあ考えてみると熊頭人身の軍神とか、それはそれで十分アリなような気もする。ネイティブアメリカンの崇拝する祖霊(トーテム)とかにいそうじゃないかそう言うの。家事手伝いが趣味の中学生より神様としての違和感は酷くない。

 しかし、目の前の軍神様は俺の想像の斜め上を勇躍していた。その頭の醸す雰囲気は某奥州の犬軍団が挑み掛かった赤○ブトの如き力強くどう猛なそれではなかった。軍神の顔は、どこかユーモラスなぬいぐるみめいた『くま』顔なのである。

 いくつもの刀創が白い筋になって縦横に走っている様はまさに武人然とした佇まいだったが、そこにはまったく威圧感はない。その『くま』顔が剣呑な全てをぶち壊す。むしろ日本にこう言うキャラクターがいなかっただろうか。そして案の定そのぬいぐるみ顔から紡がれたのは、年輪を感じさせる低く渋い男の声なのだ。俺はつまり、あまりのギャップに思考を停止させたのである。



「で、クマさん。こちらがこのところわたしがお世話させていただいている乾 東悟さんです。

 さっき念話で言ったように、ミーリアで通用する武術を身に付けさせてあげたいので、よろしくお願いしますね」

「……ああ。コイツが例の」


 さくらが軍神に俺を紹介する。彼は唐揚げを飲み込んだ口からぬいぐるみにはそぐわないどう猛そうな牙を覗かせる。そしてニイッと男っぽい笑みを浮かべて俺を見た。

 すると目の前のシュールな『くま』に硬直していた俺の身体が別の理由で強張った。ぬいぐるみめいた彼の顔の中で、その一見つぶらな瞳だけは凄まじい威圧感を秘めた『男』の目をしていたのである。


 昔、ひょんな縁を得て超一流ゼネコンの創始者という超VIPを遠くから見たことがあるが、その人の目も遠目に光って見えるような強烈な存在感と迫力があったことを思い出す。

 今俺に向けられているのはその時の比ではない力を秘めた双眸だった。硝子球めいて濡れて光るその瞳は、深い知性と、どう猛な獣性を同時に宿す()()()なのだった。


 思わず生唾を飲む。そして俺はぎくしゃくとして、本当に年端の行かない子どものような名乗りをしていた。



「あ……、私が、乾 東悟です。よ、よろしくお願いします……」

「おう」


 すると軍神様は鷹揚に頷いて俺から視線を外した。それだけで俺の身体から力が抜ける。背中にどっと汗が吹いた。唐揚げ返せなんて、もう冗談でも口にできる気がしない。

 俺の分もあるんだろう? と言って軍神様はさくらのとなりに胡座を掻いてどかっと腰を下ろす。するとさくらがさっそく番茶を手渡して「もちろん」と笑顔で請け負った。「じゃあ、()()()の修行はメシを食ったあとだな」と彼は言って番茶を美味そうに啜った。



「……俺はウルスディール=クマン。ここじゃあ一応『軍神』なんて呼ばれてる。さくらに頼まれて一応お前の面倒を見ることになったが、まあ、よろしく頼むわ」

「は。よ、よろしくお願いします」

「……なんか、東悟さんが借りてきたネコみたいでカワイイ……」

「そこ、うるさい」

「最高神にはつれない態度!?」

「お前が『気が詰まるから普通で良い』って言ったんだろうが」


 最高神(さくら)を『さくら』と呼ぶように言われた時に一緒に言われたことだ。まあ、それがなくてもいずれはこんな感じになっていたんじゃないかと言う気もする。



「……聞いてはいたが、ずいぶんと気安くなったもんだな」

「もう、すっかり年下扱いなんですよ?」


 年下、のあたりへ妙に力を入れながらさくらが言う。俺はさくらの戯言は聞き流して軍神様に向かい「彼女のご厚情に図々しく甘えさせて貰ってます」と答えた。気分は完全にお偉いさんとの会話モードだ。俺の十数年来培った社会人センサーが「シツレイはするな」と盛大に反応するのである。するとさくらはそんな俺の様子を見て、不満げに頬を膨らませた。



「……だから、その扱いの違いは何なんですか?」


 何をくだらないことを聞いているのか。


「だって軍神様に失礼だろうが」

「わたし最高神ですから!」

「え?」

「何たる失敬!?」

「本当に仲がいいことだ」


 あっと言う間に漫才じみた脱線をはじめる俺とさくら。すると軍神様がそう仰って鼻を鳴らした。歯を剥くようにして笑っている。

 ああ、いけない。軍神様に失礼だった。俺が「すいません軍神様」と謝ると、彼は片手を挙げて「いや」とその謝罪を受けた。そして


「トーゴ、と言ったか。俺のことはウルスディールで良いぞ。なにせ最高神のサクラが呼び捨てなのだ。俺にだけ(へりくだ)って話されては道理に合わん」

「……では、ウルスディールさま、と」

「ふん。まあいいか……。

 おい。サクラ。俺のメシはまだか?」

「あ、ハイ。ただいま!」


 言われて例の巨大サンドイッチを軍神様、ウルスディールに手渡すさくら。最高神渾身の下働きである。いそいそと手渡されたそれを大きな口でがぶりと噛み付いて堅めのパンを食いちぎるウルスディール。さすが熊だけあって凄い顎の力で食らいついていく。勢いよく咀嚼しごくりと飲み込むと「オイ、トーゴ」と彼は俺を呼んで言った。



「ミーリアで身を守れる程度に強くしてくれってことらしいから、まあ()()()の方法で鍛えてやるよ」

「はい。よろしくお願いします」

「――――お願いされたぜ」


 俺が頭を下げて言うと、ウルスディールはまたも歯を見せながら笑って頷いた。そしてやはり、その軍神の目は何度見ても威圧感の半端ない、まるでこちらを射竦めるような強烈な光に溢れていた。



 こうして、俺とさくら以外との神様の邂逅は無事に幕を閉じたのだが、やっぱり神様というのは威圧感や存在感が伊達ではないのだと思う。俺はウルスディールの視線がまた外れたことに安堵しながら、その軍神の隣でかいがいしくおかずを取ってあげている最高神にはとても聞かせられないような感想を抱くのだった。





 午後は講師にミーリアの『軍神』ウルスディール先生を迎え、本格的に護身術の修行が始まるという。エネルギーを補給した10歳の俺の身体は、気が付けばまた疲労も取れいつでも動き回れそうなほどに回復していたのだった。





 軍神様登場。イメージとしては向こう傷の走ったチョイ悪系のテディベア。テディベアと言っても、決して「アーッ!」な方向性はありません。ちなみに子孫の巡回騎士は某フローラルな柔軟剤のアイツです。

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