23.乾 東悟と天界修行(1)
第1章もあと僅か。天界修行編です。
「――――さあ東悟さん!! 絶好の修行日和ですよ――――――――っ!!」
そう高らかに宣言するさくらの声が、天界の青い空に吸い込まれていった。
「うーっす……」
と力無い返事を返す俺。それにさくらは「元気が足りな――――いっ!!」と俺のやる気のなさを責めてくる。その様はまるでコンサートの客を呷るアイドルの如しだ。正直ウザイ事この上ない。
喧々諤々の言い争いの果てに、何故か神様の住まう天界で修行をはじめることになった俺、乾 東悟である。運命の夜から一晩明け、朝も早よから早く早くと急かすさくらに手を引かれ外に連れ出された俺だった。さっそく修行待ったなしである。
どこかの戦闘民族なら胸熱の展開なのだろうが、残念俺は戦後生まれの日本人だった。強い奴に会いに行ったりオラワクワクスッゾオラー! と言うようなマッシブでアグレッシブなメンタリティは1ジンバブエドルたりとも持ち合わせていないのである。目の前で独りでにテンションを上げる最高神に、俺は『どうしてこうなった』という思いを捨てきれずにいるのだった。
「と言うことで、今日から東悟さんをミーリアでも十分に生き残れるように強化していく訳なんですが――――」
日本の景気のように低迷する俺の気持ちをよそに、さくらは上機嫌で話をざくざくと進めている。
俺たちが今いるのはさくらの家である日本家屋ではない。「運動しやすいところに行きましょう」とさくらに連れられてやって来たのはどこかの小学校のグラウンドだった。やはりというか彼女が生前通っていた小学校を天界に再現したものだそうだ。
学校の廻りには稲穂揺らめく田園風景が広がり、視界の遙か向こうにはうっすらと霞む緑の山々が見える。相変わらず天界とかそう言ったアトモスフィアにまったく欠ける景色だったが、学校の近くを通る幹線道路に車の影はひとつもなく、雲ひとつない青空に渡る鳥の影もない。静寂に包まれる無人の校舎は、天界かどうかは別にして寂寥として現実感に乏しかった。
そんな小学校の校庭に俺とさくらは突っ立っていた。
さくらは朝礼台の上に立ち、「立てよ国民!!」とか演説を打ちそうな身振りで俺に語りかけている。
彼女の出で立ちは白いコットンの運動服にえんじ色のハーフパンツ、白に赤の2本ラインの入ったソックスにラッ○ーベル的な運動靴という、完全無欠の学校指定運動着スタイルだった。
ちなみに平成前後のご時世でも、大きなお友達の大好きな『ブルマ』はすでに絶滅危惧種に近かったのである。『ぶっちゃけエロくね?』と日本の学舎から姿を消したブルマーだが、女性の活動的な行動を推進しようとブルマの普及を提唱したブルーマー女史は今のブルマの立ち位置にどんな感想を抱くのだろうか。まあどうでもいい話ではある。
そして俺もさくらに作ってもらったアディ○スの黒のジャージにネズミ色のスウェットパーカーを着たジョギングスタイルである。休日のオッサンの部屋着とも言う。
そして俺の額にはじんわりと汗が浮いていた。ついさっきさらっとラジオ体操と軽い柔軟をやってみたのだが、そんな些細な運動にも軽く息が上がってしまったのだ。ここ数年の仕事はデスクワークと重機の運転手だったからなあ。座り仕事に身体がずいぶん鈍っているのである。
「――――東悟さんは自分の努力に依らない力は必要ないと仰りました。ですから、私は東悟さんが自分の努力によってミーリアで生き抜ける力を身に付けられるようにお手伝いします!
まず手始めに、東悟さんには体力、そしてそれを使う何かしらの武術を習っていただきたいと思います。
ミーリアは生き馬の目を抜く厳しい世界です。まずは自分の身を自分で守れるだけの力は必須です! 絶対です!!」
壇上で力説するさくら。額には鉢巻きめいたものまで締め、見た目からして気合いが入っている。その見た目は体育祭の中学生としか言いようがないが。そして俺は彼女の言葉にむっつりとして頷いた。
「……まあ、そのあたりは昨日さんざん話したから、一応覚悟も納得もしているが……」
ただ、自分が何かに抗えず流されているようで釈然としないだけである。
しかし、俺のそんな歯切れの悪い言葉にお構いなく、さくらは「ええ! そうですね!!」と大きく頷いて見せた。だから一体何なんだこのやる気。そしてそんな気合いのままにさくらが言葉を連ねて言う。
「それでですね? 私は考えたんです!
東悟さん自身の努力によって力を得るために、いかに効率よく『特典』を使ってそれをフォローするかって」
昨日寝ないで考えたんですよ? とさくらがニコニコとして言った。というか、このハイテンションって単なる徹夜明けの限界突破状態なのではなかろうか。
ちゃんと寝ろ、と俺の偽らざる気持ちを吐露したら「私も暇じゃないので、時間を捻り出すには寝る時間削るしかないじゃないですか」なんてどこか夢見るような遠い目をして返された。絶対早く寝た方がいい。
しかし俺の心からの忠告をよそに、さくらはどんどん話を進めてゆく。
「――――あらかじめ確認しますけど、東悟さんは『自分が苦労なしに手に入れる力』がイヤなのであって、『特典』自体を拒否されてる訳じゃないんですよね?」
「……まあ、それはそうだが……」
「それが『修行を円滑に進めるための特典』なら、『特典』を受け入れて貰えますか?」
「……結果として、俺の分を越えないなら、そりゃあ文句は言えないが」
「ですよねえ――――!!」
俺の答えに満面の笑みで手と手を合わせるさくら。さくらの感情の乱高下に俺の腰が思わず引ける。彼女が無理矢理『ズル』を植え付けることはしないだろうと言う信頼はあるが、嫌な予感はじくじくと胸中に滲んでいた。それ以外の手段は何を使ってもいいんだろ、見たいなやけっぱち感が今のさくらからはビシビシと伝わってくるのだ。一体俺は何をされるのか。俺は慌ててさくらに言い募った。
「ちょ、ちょっと待て! 一体なにをしようとしてるのか、それを先に説明しろ!」
「ええ? そんなの簡単なことですよ?」
「だったら言え!!」
だからー、と。もったいぶってからさくらは言った。
「――――東悟さんて、もう体力的に立派なおじさんじゃないですかー」
「…………否定、はしないが……」
余計なお世話だ。どうせ準備運動でお手軽に息が上がるオッサンボディだよ。
「ですから、今から真っ当に東悟さんの体力増強と武術の訓練をはじめるのは非効率的なんじゃないかと思うんです」
「まあ確かに、言いたいことは分かる……」
が、それもどうしようもないことである。
俺は35のオッサンだ。それ故に肉体のピークはとうに下降線の一途を辿っている。ほっとけと言いたいところだがこれは事実だった。身体が鈍ってきている自覚はあるし、人間35にもなればなかなか身体の成長は望めないだろう。1流どころのスポーツ選手だって競技にもよるが引退の2文字がちらつく年齢なのだ。況や素人をやなのだ。
そんな俺にゼロの状態からミーリアで必要な身体能力を自然に身に付けさせると言うことは、想像するだになかなかの難事なのだろう。理解は出来る。
「……そりゃ、餓鬼の頃に較べたら勘も鈍いし身体も上手くは動かないだろうけど……」
でも、それはどうしようもないだろうに。俺は多少の情けなさを含んだ声でさくらに言った。
そう。いまさらどうしようもないのだ。俺がオッサンなのも、最近すぐ息が上がるのも時の流れの必然である。時間は土方で鍛えた1人の男をただのオッサンに変えるのだ。当の神様が言っただろう? 時計の針は元には戻らないのである。
しかし、それを言った当の本人は「ちっちっち」と、少しムカツク仕草で指を振ってそれを言下に否定してきた。
「だからー、それがどうしようもなくないのが『神の奇跡』と言うものなんですよ東悟さん!?」
「……いや、俺は『今の自分の身に余るもの』は要らないんだぞ……?」
特典で体力を上げたりとか、その手のズルはイヤだって最初から言っているだろうに。心底胡散臭そうにさくらを見ると、彼女は「あらヤダ奥さん」とでも言うように手を振っていた。
「イヤだなー! わかってますよう! 私は別に『今』の東悟さんの身体を特典で強化しようとか言ってるんじゃないんですよう!?」
「じゃあ、どうしようって言うんだ……」
ですからね? とさくらはすっごい楽しそうに言った。その要領を得ない機嫌の良さが俺の嫌な予感をますます盛り立てる。と言うかもう胸の中には嫌な予感しかない。それが分かる程度には彼女との付き合いも深まっている。特に昨夜、俺はそれを学んでいる。何か突拍子もないことを言い出すような気がした。
「東悟さんは今はオジサンで体力がないかも知れないけど、昔はもちろんそうじゃなかった訳でしょう?」
「……そりゃ当然だが」
そして、そんな俺の危惧を無視するように、さくらは両手を広げて高らかに宣言した。
「ですからぁ、その『神の奇跡』、つまり『移住特典』を使って東悟さん身体の時計だけを、逆戻しにしちゃえばいいんですよっ!!」
「…………はあ?」
無人の校庭にさくらの脳天気な声が木霊する。
……俺の身体の時間『だけ』戻す? 正直訳が分からない。
いいですか? とさくらが滔々と説明をはじめる。それを俺は口を挟む空気ではなく、キツネに摘まれたようにボケッとして聞いていた。
でもきっとロクな事じゃない。
それは予感などと言うものではなく、外れることのない未来予知のように俺には思えた――――
乾東悟はオッサンである。
何と言うか、某バッタと人の改造人間の物語冒頭みたいだが間違いない。
そして俺の身体能力もオッサン並みだ。肉体労働のある職場だから全くの事務職よりは体力があるのだろうが所詮十人並みである。日々体を鍛えているような人とは較べるまでもなく、おそらくは平均値よりやや高いという程度であろう。
しかも体力は寄る年波には勝てずに下り坂を迎え、新しいことを覚えられるほどの柔軟性も失われている。そこまでは前述の通りだ。今の俺に通信空手めいた付け焼き刃を焼き付けたとして、どこまでミーリアに通用するか。
さくらは改めて俺を修行すると宣言しその方法を模索していて愕然としたのだそうだ。オッサンでは物にならない、と。ほっとけ。
しかし修行したけど弱いままでした、では最高神の沽券に係わる。それを考えている内に、さくらは布団の中で一睡もせず朝を迎えていたそうだ。正直スマンかったと思わなくもない。決して頼んでもいないが。
しかしさくらはカーテンの隙間から覗く朝日に目を眇めながら、ふと閃いたのだという。まさに神の啓示でしたと、その時のことを神様は振り返る。マッチポンプである。
さくらは思い付いた。『特典』を使って俺を直接強化は出来ない。しかし俺が修行をしやすくするために『特典』を使うならどうか。それならあくまで特典は『修行環境の整備』に使われるのみであり、『分不相応な力を努力せずに得る』と言う俺のNGワードに引っ掛からないのではないか、と。
その着想を得てからは早かった。さくらはさっそく布団から抜け出し過去の特典例を調べ、丁度良さそうな移住特典を発見したのだ。
「これなら『ズル』とは言わないし、この特典を使った上で訓練すれば効率は凄く向上して、しかもそれは『特典』によらない100%東悟さんの努力の結果でしょう?」
「……よくもまあ、こんな事を考えついたもんだ……」
俺は幻痛に痛むこめかみを押さえて言った。小さな手が、揉みほぐすようにそこをこじる。ため息とともに漏れたうめきは、まるで子どものように高い声質だった。俺は自分の声にまたため息が出た。それは声がおかしいからではない。その声は確かに自分の声だった。しかし、それはひどく懐かしい声でもあったのだ。
「移住特典『若返り』。1Pにつき1年、対象者の肉体を若返らせることが出来る特典です!
これを使って25年、25P分東悟さんを『身体だけ』巻き戻して10歳の男の子にしました。東悟さんが昔武術を習っていなかったのなら、今から子ども時代に戻って武術を習えばいいんじゃないか、と頭にピーンと来たんですよね。
10歳と言えば、ミーリアでは騎士見習いの子どもが騎士の従卒をはじめる年ですし、育ち盛り成長し盛りですよ!」
題して『東悟さんが昔何も習ってなかったのなら、今から子供に戻って習わせればいいじゃない』作戦です!!
とさくらがそう息を巻く。それに俺は幾度か分からないため息を吐いた。
「あれ? ……何かお気に召しません……?」
「これをお気に召したらそれはそれで問題だろ……」
きょとんとするさくらに俺は疲れの滲んだ言葉を返す。
男として、これは少々きつい。ああー、と。何度見ても呻き声が漏れた。俺の目の前にはさくらが作った姿見が浮いていた。そこに映っているのは紛れもなく俺自身の姿だ。位置的にそれ以外には有り得ないのである。しかし、そこに映る姿は数分前の俺にとってはどう考えても有り得ない物なのだった。
そこには1人の子どもがいた。
年は丁度10歳程度。やせぎすな体つきに小さな手。体に合わせてサイズだけ縮んだスウェットパーカーの袖から覗く手首は折れそうなほど細く、肌もどちらかというとなまっちろい。そう言えば、昔は俺は本の虫だったなあ。
鏡に映っているのは、目つきの悪い150㎝無い程度の身長の子ども。10歳の頃の俺の姿なのである。
俺はつまり、『特典』によってぴかぴかの10歳児に若返りを果たしたのだ。
35歳で死んで、天界に連れてこられて、そして10歳児に若返る。まったく訳が分からない。分からなくてもこれが、俺の身に今降り掛かっている事実なのだった。
「……クソ餓鬼だなぁ……」
俺は鏡の中の自分を睨み付けた。ガラの悪い目つきをした、実に生意気そうな子どもだった。愛嬌もクソもない。こんなのが電車の中で騒いでいたら俺は迷わず怒鳴りつけている。我ながら可愛げのない餓鬼である。
「ええー。こんなにかわいいのに」
しかし、さくらはそんな俺の感想とは別の意見があるようだった。目が悪いんじゃないか?
「…………かわいい言うな」
と、俺はまた嘆息。何が悲しくて35のオッサンが中学生(外見のみ)に可愛い言われにゃあならんのか。さっきからさくらはこの調子である。勘弁して欲しい。
説明を受け、取りあえずお試しだけでもとさくらに泣き付かれ、もし俺が戻せって言ったらすぐ戻すように約束して俺はその『特典』を受け入れた。
しかし特典を使ってすぐ、さくらは「きゃーっ!! かわいいーっ!!」とか言って俺に抱きついてきたのである。
とっさのことで抵抗も出来ないまま丁度さくらの胸の位置にある頭を腕で引き寄せられ、僅かに膨らむさくらの胸に目一杯押しつけられる。暗転する視界。頬に感じる青くささやかながらも柔らかな感触。洗濯物の清潔な匂いと、そしてミルクのような甘い女の子特有の香りの混じったなんとも言い難い匂いが鼻腔を侵す。しかもぬいぐるみのように抱きしめられ、体格差から俺の方から引きはがせない罠。思わず数秒間フリーズしてその感触を堪能してしまった。そして年甲斐もなく赤くなってしまった。つまり一生の不覚である。
いくら見た目小学生でも中身は35のオッサンなんだぞ。必死になって『抱きつき禁止令』を発布した俺である。神様とは言え女の子がはしたないのだ。さくらは「えー?」と嫌そうな顔をしたがこれは絶対である。じゃなきゃこの話は無しだと言うと、さくらは不承不承といったように頷いたが今でも時折指をくわえて俺の方を見ている。本当に勘弁して欲しい。そもそも中身がオッサンであることを知っているだろう張本人。恥を知るといいと思う。それとも200歳の神様とすれば35のオッサン風情はよちよち歩きの赤ん坊と変わらないとでも言うのだろうか。それはそれで嫌である。以上オッサン心の叫びである。
さくらの提案とは。
それはつまり、『俺を若返らせてより効率的に俺を強くする』と言うことだった。
彼女の意図せんとしたところは分かる。まず特典は俺が10歳児に若返ることだけに使われており、それは明らかな『ズル』とは言えない。なにせ若返ろうが俺は俺なのだから。
そして10歳の俺が35歳の俺よりも物覚えがいいのは間違いないのも確かなことだ。少なくともオッサンが30の手習いとばかりに棒ッ切れを振り回したりするよりも、子どもの頃から武術なり何なりを練習する方がよほど身を守る術は身に付くはずだ。そしてあくまで修行するのは『若返った』俺に過ぎず、そこには『ズル』の入り込む余地はない。身に付いた技術なりは正しく俺の身の丈にあったものになるだろう。
俺の禁則事項に抵触せずに『特典』を使い、以降の訓練がより効率的になる。良くもまあこんな事を考えたものである。しかし
「……大の大人が、こんなに小さくなっちまってまあ……」
理屈に合っているから許容出来るかと言えば、そう言うことではないだろう。俺は思わずしゃがみ込んでしまった。やたらと自分が情け無い。何と言うか、自分が今までやって来たことや成長してきた物が綺麗さっぱりすっ飛んでいったような気分だ。
俺は自分の指を見た。俺は10年来の土木作業で比較的ごつい指をしていた。今でこそ直接円匙を振るうような仕事は少なくなったが、俺の指は節くれ立って至る所の小さな傷のある、某風の谷の姫様が言うところの『働き者の綺麗な』指なのだ。しかし、今の俺の指は
「小さ……! 小っさ……!!」
もう、ひたすらに小さいのである。仕事の年輪を刻んだ、多少誇らしくもあった俺の指はまるで子供のそれのように小さく傷ひとつ無いつるつるぷよぷよなそれに変わっているのだ。これは喪失感なのだろうか。
「…………♥」
「……さくら。頭撫でるのも禁止」
「ええ!? ズルい!?」
ズルいってなんだ。わきわきと手を動かして物欲しそうにしゃがんだ俺の頭を見下ろすさくらである。まさか俺を玩具にするために子どもにした訳じゃあるまいな。
しかし話を聞く限り、俺が若返ることは天界での修行にメリットしかもたらしていない。特典拒否でさくらに我を通した以上、『男としてなんか納得出来ない』なんて言うふわふわした理由でこの提案を拒否することが出来なかった。まあ武術なり何なり、護身術を覚えるまでの辛抱だ。俺はそう割り切ることにする。「早く修行を終えて、すぐに元の身体に戻して貰うからな」と俺はそっぽを向いてそう言った。すると、彼女は僅かに首を傾げて
「……え? すぐに元に戻るって、なに言ってるんですか?」
なんて言って、さくらが何故か『コイツなに言ってるんだ』みたいな顔をした。それに『コイツなに言ってるんだ』みたいな顔を返す俺。『コイツなに言ってるんだ』みたいな顔で視線を交わす子供が2人。
そんな微妙な応酬の中、先に口を開いたのは俺だった。
「いや。だから、ちゃちゃっと護身術を習って、元の身体に戻るって言ってるんだが……」
「ちゃちゃっ、と……?」
「そう。ちゃちゃっと、こう……」
「いやいや。それは無理ですって」
「え?」
「え?」
いやいやいやいや、とさくらが手を左右に振った。
「……東悟さん。修行って、どんな物想像してます?」
「どんなって、護身術だろ……?」
素振りしたり、型習ったりとか、乱取りしたりとか。そういうのだろう?
で、数週間も訓練すればいいんじゃないのか。と、俺は所見を述べる。するとさくらは
「はあーっ」
と地の底から湧くような盛大なため息を吐いた。そして
「だから!! ミーリアを舐めると死ぬって何度も言ってますよね?」
本当にしようがないなあといった風な呆れを隠さずに言った。
「……いいですか? そもそも、なんで東悟さんを10歳にしたと思っています?」
「……んん? いや、だから餓鬼の方が物覚えがいいから、だろ……?」
「それは若返らせた理由です。じゃあ『10歳にした』理由はなんだと思いますか?」
その言葉に俺は腕を組む。子どもがすると実に締まらないのである。それは思考から閉め出し俺は考えた。
……若い方が物覚えがいいという理由だけなら、例えば15歳ぐらいでもいいのかもしれない。でもしかし俺は10歳になってしまっている。そこに何か意味があるのか。あるとすれば、それは……
「……俺を笑い物にするためか?」
「それもあります」
「あんのかよ!!」
しかも即答である。俺も思わず光の速さで突っ込んだ。しかし俺のツッコミは意にも介さず、さくらは「いいですか?」と一本指を立てて言った。
「かわいい東悟さんを愛でるのは当然だったのですが、東悟さんを10歳にしたのは、そもそも『それくらい若くから始めないとモノにならない』からですよ……?」
「……話の前半にはいろいろ言いたいことがあるがそれはいいとして、『モノにならない』って、そりゃどう言うことだ?
オッサンには厳しいかも知れないが、子どもだったら覚えが良くて修行に有利なんだろう?」
俺の言葉に分かりやすく嘆息してみせるさくら。
「根本的に認識が甘いんですよ東悟さん。たかだか数週間程度のお稽古で、弱肉強食を生き残れると思うんですか? それが通用するならミーリアで野獣に殺される人なんていませんよ」
「え?」
「だから、子どもの頃から何年も修行しなくちゃ、強くなんてなれる訳ないじゃないですか。ざっと考えても、10歳から最低10年は一生懸命修行して、ようやく一人前ですよ」
「はあ!? 10年――――!!?」
子ども特有のかん高い叫び声が起こる。10年だと!?
「……それって、『精神と時の部屋』的に、外の世界では数週間、みたいな……」
ほら。天界だし。神様だし?
「なんですかそれは。正真正銘、みっちり10年ですよ」
しかしさくらには通用しなかった。あれ? あのネタって平成だったっけか?
そして狼狽える俺に、さくらはさらに容赦なく爆弾を投下してきた。
「……というか、それだって最低ラインですからね。
魔術も勉強するとしたら、いまから東悟さんの前の年齢に戻るまで修行したっていいぐらいですよ」
「まてまてまてまて――――っ!!」
聞き捨てのならない言葉を聞いた。冗談じゃない! 今だって居候が心苦しいって言うのに、これから10年? しかも下手すりゃ25年?
いくらなんでも無茶苦茶である。俺の今の状態はいわば次の生活をはじめる前の待機状態だ。ハロー○ークで25年間失業保険を貰う奴がどこにいる。例えお役所がいいと言ったって、ああ良かったとヒモに甘んじられるものじゃない。
「却下!! 今すぐ却下す――――」
「――――じゃあ、『ズル』使って時間短縮します?」
「うぐっ!!」
「それとも、オジサンのまま中途半端に修行して弱いままミーリアに降りますか? わたしと『ミーリアで生き残れるだけの力を付ける』って約束したのに」
「うぐぐぐ……」
言われて俺は言葉に詰まる。
天界修行は了承した。危険だと言われれば自分で自衛の手段を身に付けること自体には異論はない。しかしそれを身に付けるのに10年。そんなのはまったく想定外だ。じゃあ手っ取り早く身に付けたいと言うことは……、そうか。そんなに簡単に強くなるって、それこそが『ズル』なのだ。さくらの言う通り、自分の身を守るだけの技量を『身に付ける』には、膨大な時間が掛かると言うことなのだろう。でも、それにしたって
「いくらなんでも10年は長すぎるだろ!? そんなに迷惑掛けられないぞ!!」
「迷惑だと思うなら、頑張って早く身に付ければいいんですよ」
俺の叫びに、さくらがしれっとそう答えた。
「い、いや……、そうは言うけどな……?」
「もともと、わたしはちゃんとした特典が決まるまでいつまでもいてくれて構わない、って言ってるんですし、東悟さんのことが迷惑だなんて一言も言ったことありませんよね?」
「む……」
「むしろ変な事を言って着の身着のままで放流されたがる人の方がよほど迷惑です」、とジト目で言う。それについては返す言葉を俺は持たない。何も言えないのではなく、言うつもりが無いのだ。その様子にさくらは少しムッとするが、気を取り直して彼女は続けた。
「……わたしは東悟さんが強くなるために出来る限りの手助けをしますけど、東悟さんがそれを心苦しく思うなら東悟さんは一生懸命修行して、1日でも早く私が『これならミーリアに行っても大丈夫』って思うぐらい強くなってくれればいいんじゃないですか?」
そもそも数週間で強くなろうって方がよほど『身の程知らず』じゃないですか、とイヤミっぽい流し目付きでやはり痛いところを突いてくるさくら。それについては本当に返す言葉がない。
「大人の男の人が子どもに戻るのはイヤかも知れませんけど、少なくとも大人の東悟さんがミーリアで通用する力を身に付けるよりは早く修行は進むはずですよ?
まあ、この方法よりいい方法が東悟さんにあるなら構いませんよ? やっぱりこのままミーリアに行かせろ、みたいのは抜きにして、東悟さんの言う『身の丈にあった力』を地道に身に付ける方法があれば、ですけど」
「…………」
ぐうの音も出ないとはこのことか。そりゃそうである。本当の命の危険に、カルチャースクールのお稽古みたいな武術がなんの役に立つ。真に役に立つ護身術という物は、年単位の修行をしてようやく『ものになる』のだろう。よく考えれば分かり切っていたことだった。さくらの言う通り、俺が根本的に甘かったのだ。
俺がさくらの提案に乗り、天界で分相応に身を守れる力を得ると決めた以上、さくらの言うことは間違ってはいない。騎士の子どもは10歳から見習いとして修行をはじめるとさくらは言った。つまり逆説的にそれぐらいから訓練しなければ騎士として、戦闘に携わる職業軍人として役に立たないと言うことだ。今の俺は修行をはじめる年齢として、若すぎると言うことはないのである。
「……1年だ」
「へ?」
「1年で、強くなってやる」
「……東悟さん?」
――――やってやろうじゃないか。
『どうしてこうなった』感は果てしなく、流れ流され変なところに来てしまった感もとことん拭えないが、そこまで言われたらやるしかない。
上等だ。1日でも早くさくらを認めさせてやる。そしてそれには10年なんて必要はない。1年でもう天界から出ていってくれと言わせてやるのだ。
「1年で、さくらがぐうの音も出ないような結果を叩き付けてやるからな!!」
一度やると決めたからには、流されていようがなんだろうが最善を尽くすのみである。それに中学生にやり込められてばかりではそれこそ沽券に係わる。『男の意地』なんてシロモノは所詮見栄とやせ我慢の上位変化に過ぎないが、そんなものこそがオッサンをその気にさせる原動力のひとつなのだ。俺は彼女を指差して「覚悟しとけよ!!」と高らかに宣言した。
「うんうん♪ 楽しみにしてますからねー♥」
すると俺の言葉にさくらが微笑む。その目は何と言うか微笑ましいものを、そう、まるで小さい子どもを見るお姉さんの目であった。……ああ。今の俺って、見た目子どもが背伸びしてるようにしか見えないもの。くそう。早く大人になりたい。そのためには修行だ。早く一人前になって、大人に戻して貰うのだ。上手く焚きつけられているような気もするが、俺は思いを新たにそう決めた。
「よーし!! まずは何をするんだ!? なんだってやるぞ!!」
テンションを上げて俺も叫んだ。「その意気ですよ!!」とさくらも一緒に叫ぶ。うん。やっぱり上手く乗せられたんだろうな。所詮俺なんてチョロいものだったのだ。
頭を撫でようと手を伸ばすさくらと制空権を争いながら、少し早まったやも知れぬ、と俺はそうも思うのだった。
天界修行初日。俺は修行の一環として、何故か10歳児になった。
そして当初の予定期間は大幅に延長され、俺の修行期間は最長25年と宣言されたのである。さくらによる『乾 東悟強化計画』まだ始まったばかり。その全貌は神ならぬ人の身である俺には窺い知ることはできないのだった――――
※乾 東悟の修行の成果
● 修 行: 1日
● 取 得 特 典:『若返り(25年分/25P)』
● 特 典 P :残り 75P
●身に付けた物:――――子どもっぽい負けん気。プライスレス。