11.乾 東悟の天界生活(1)
時系列は遡り。
またも天界編。今回はいわゆる『飯テロ』というものを目指したのですが、どんなものやら。
「――――東悟さん。火の番、ありがとうございますー」
「おぅ。お疲れさん」
台所の勝手口から、からんからんと木のサンダルを鳴らしながらさくらが家に入ってきた。例の魚のアップリケが入ったエプロン姿で手にはザルを抱えており、その上には赤々と熟したトマトとよく育ったミョウガが乗っかっている。艶やかな表面に水が滴り瑞々しいそれらはさくら謹製天界産の朝獲り新鮮野菜だ。
「ホレ、みそ汁出来たぞ」
俺は掻き回していた鍋から小皿に少しだけ中身を掬って台所に上がってきたさくらに渡す。さくらはエプロンの裾で手を拭いてから受け取ると、盃事に臨む8○3屋さんのように両手で小皿を持ってくいっと俺の作ったみそ汁を舐めた。そしてすこしすると笑顔になって「結構なお点前で」と合格点をくれる。ふむ、と俺は頷いておたまを置いた。
「次は何をすればいい?」
「ええと……。じゃあ、このミョウガをみじん切りにしてください」
「このミョウガは何に使うんだ?」
さっそくザルからミョウガを取ってざくざくとみじん切りにする俺。その用途を聞くと「みそ汁のお椀にみじん切りのミョウガを入れて、そこに熱いおみそ汁を注ぐんです」と台所の床下収納の蓋を開けているさくらから答えが返ってくる。なるほど、そいつは素敵だ。俺はさっさとみじん切りを仕上げると用意してあった漆塗りのお椀にたっぷりとミョウガのみじん切りを入れた。
「あとはトマトとお漬け物を切るだけですから、出来たのを向こうに持っていっちゃってくれますか?」
「ん、了解」
糠にまみれたキュウリを手に持っているさくらから次の指令が飛ぶ。俺は上官の命を受け、すでに出来上がっているおかずをお盆に乗せていった。居間にそれを運ぶとちゃぶ台に並べ、次はお椀にみそ汁を注ぐ。熱々のみそ汁をミョウガの入ったお椀に入れると、味噌の香りとミョウガの瑞々しい独特の香りが湯気に乗って俺の鼻腔と食欲をくすぐった。片手にみそ汁の載った盆、もう一方に米を炊き終えた炊飯器を持って茶の間に運ぶ。後ろからはさく、さく、と糠漬けを切る軽快な音が聞こえてきた。何と言うか、正しく日本の朝である。その雰囲気に俺の腹も軽く鳴る。死んでも腹は減るものなのだ。
昭和風味の漂う純日本風な天界で俺が何をしているのかと言えば、さすがにタダ飯を貪るだけでは申し訳ないと、神様と一緒に朝食の準備中なのだった。
「――――いただきまーす」
「……神よ、今日一日の糧に祝福をお与えください、アーメン」
「ぷっ。ヤダ、止めてくださいよー」
「いただきます」
目の前の神様に十字式の感謝を捧げて食事が始まった。
ちゃぶ台には神様手自らのご神饌がずらりと並んでいる。押し麦のちょっと入った白いご飯、わかめと油揚げのみそ汁、取れたてトマトに神様お手製のキュウリの糠漬け、梅干し、味付け海苔、それに常備菜として作り置きしてあったひじきの煮物に五目豆。ほっこりするような日本の朝ご飯がそこにあった。
天界に米や味噌はもとよりひじきやわかめに油揚げまであるのかと思ったものだが、家庭菜園の食材以外はさくらの神通力で作り出したものなのだそうだ。さくらが自分の知っている食べ物を台所で念じると、各種食材が自動的に冷蔵庫なり米びつなりに補充されるというまさに天界仕様である。
俺にも出来るというので、試しどうぞとさくらに促されて冷蔵庫に触れたらビールと枝豆が補充された。オッサン丸出しである。そして冷凍室には何故か『○陽軒』のシウマイが入っていた。そう言えば職場でお土産に貰っていて、事故の日に家に帰ってから晩酌に食べようと思っていたのだ。
それを見つけたさくらが「懐 か し い !!」と200年ぶりに見る故郷の食べ物に大いに盛り上がっていた。ちなみにさくらの前にだけ、昨日の晩ご飯の時に彼女が自分の分を食べないで残しておいたシウマイが2個おかずとして加わっている。ここ最近のさくらのマイブームなのだった。
いただきますと合わせた手をほどくやいなや、俺はキュウリの糠漬けを放り込み、続けざまに白いご飯を掻き込む。
「……ああ。うまぁ」
得も言えない糠漬けの風味とご飯の甘みが口いっぱいに広がれば、俺から感嘆の声が零れた。その余韻が残ったままにみそ汁を口中に迎え入れると爽やかなミョウガの香りと共に米は腹に滑り降り、そしてみそ汁の塩気が残っているうちにまたご飯を頬張る。それは実に幸福な無限軌道で、俺は一心不乱に糠漬け→白米→みそ汁→白米→糠漬けというループを一心不乱に繰り返す。
しかしその幸福は無限では有り得なかった。箸が茶碗の底をかちゃかちゃと滑り、最後の米粒が口中に消えたのだ。
「…………」
「……お代わりいりますか?」
もぐもぐと幸せそうにシウマイを頬張っていたさくらが笑顔をそのままにして言う。俺の答えは分かっているとばかりに手を差し出してくる彼女に俺はそっと茶碗を渡した。最低限居候の礼儀は弁えているが遠慮はいささか抜け落ちている。
さくらは時代がかったゴツい外観の電気釜を開く。すると盛大に湯気が上り、炊きたてご飯の甘い香りが部屋に満ちた。彼女は木のしゃもじをその湯気の中に敢然と突っ込み、ぺったんぺったんとご飯を茶碗に盛りつける。そしてご飯が山盛りになった茶碗を「はい」と返してくれた。俺は力士のように手刀を切ってそれを受け取る。
受け取ると、俺は今度はひじきの煮物をご飯の上に乗せ、さらに焼き海苔を乗せてくるりと巻いた。海苔インひじき&ライスの完成である。それを俺は豪快に一口で頬張る。うまー。普通にうまー。
なんて事はない味付け海苔とひじきの煮物だが、もうとにかく普通に旨い。この『普通』こそが大切なのだ。日々の朝食にA5ランクの高級肉もミシュ○ン三つ星の技巧もいらない。舌が予想出来る普通のおいしさで男は満足出来るのである。
無言でご飯をばくばくと食べる俺。そしてみそ汁を啜ってふと視線を上げると、トマトをご飯の上に乗せながらさくらがニコニコとして俺を見ているのに気が付いた。俺はふと箸を止めて彼女を窺う。
「……どうした……?」
「なんでもないですよー」
言ってさくらはぶつ切りに切ったトマトを小さな口いっぱいに頬張った。「そうか」と俺は無言で梅干しを口に放り込む。酸っぱさに顔を顰めると、彼女はくすくすと小さく笑った。俺はやっぱり無言で白米を掻き込んだ。
鴨居の時計は朝の7時6分を差していた。神界の朝は早い。テレビではかつて某テレビ局の朝の定番番組だったズームでインする情報番組をやっている。さすが昭和。死んだと言うより、まだ俺が実家で両親と暮らしていた頃にタイムスリップしたかのようだ。
しかしそこは天界というもので、番組のメインパーソナリティは全米を横断する某超有名クイズ番組の初代司会者ではなく、なぜかさくらより少し年下のネコ耳を付けた小さな女の子が務めていたりする。キッ○ニアのしごと体験か何かか。そしてその内容は「連邦加盟国の○○王国で王位継承権第1位の男子がご出生」といったミーリアローカルのニュースで、さらに見ていると「ところが生まれた王子は双子で、国の乱れを恐れた現国王は密かに片方の王子の殺害を命じた」などという王家の一大スキャンダルを電波に乗せて垂れ流していた。
ちなみに俺が以前に「ナンデ? ネコミミナンデ!?」とさくらに聞くと彼女は獣人族の間で信仰されている『猫の聖女様』で、何故かこの仕事が気に入って自主的に天界唯一の神営放送である『THK(天界放送協会)』を設立したのだとか。神様って存外暇なのだろうか。
そんな不謹慎な感想を抱きながら、俺はそっと3杯目の茶碗をさくらに差し出した。天界の朝は平和であった。
「――――そう言えば、東悟さんって料理上手なんですね」
俺がたっぷり茶碗3杯、さくらが軽く2杯の朝食を終えた朝7時34分。
食後のほうじ茶を啜りながら、さくらがそんなことを言ってきた。ちゃぶ台の上の食器はほとんど空になっている。食った食ったとだらしなく足を崩していた俺は、「んー?」と湯飲みを手にとった。
「そうかね?」
そうですよ、とさくらが続ける。
「みそ汁も良いお味でしたし、包丁使いも堂に入ってましたよ?」
「……まあ、ひとり暮らしが長いからなあ」
学生時代は一時料理に凝ったこともあったし。俺がそう答えると、さくらは「?」と頭に小さな疑問符を浮かべ
「あれ……? 東悟さんて、確か結婚してたはずじゃ……」
と言ったところで慌てて口を噤んだ。穏やかな朝の茶の間に気まずげな空気が忍び寄る。
あー、義理の父親の代わりに死んだって教えたからな。俺が結婚していたことを言わなくたってさくらには簡単に察しが付くだろう。でもそれで「ひとり暮らしが長い」となれば、まああんまり楽しい話題になりそうにないことも誰でも分かる。気まずげに語尾を濁すさくらに、俺は苦笑して言った。
「ああ。死別って奴でな。もう10年以上になるか……。
実は墓参りって言うのも、俺のカミさんの十三回忌だったんだわ」
「……すいません……」
「だから、もうずいぶん前の話なんだ。謝られたって困るよ」
俺のカミングアウトにしゅんとなってしまった神様に、俺は一層笑いを深くして言ってやった。年季法要は数え年だから、実際にはもう12年近く前になる。さすがに話題に出たぐらいではもう心はざわつかないのだ。
過ぎてしまったことだからこそ言えるのだが、むしろ俺は独り身で良かったと思う。
もし家族が、護るべき俺の家族がいたのなら、俺はきっと今さくらと笑えていない。理不尽な死に対し、目の前の少女の胸ぐらを掴んで元に戻せと叫んでいただろう。例え何を犠牲にしても俺を戻せと言ったに違いない。それが義父の命であってもだ。そう思えば、俺は運命の巡り合わせに感謝しても良いぐらいだった。
不幸中の幸いというか、不幸と不幸を掛けたらプラマイゼロになったというか。ここにはさくらが辛そうにする理由は存在していなかった。
「――――今日のさくらの予定は?」
「……え? あ……今日は、定期会議と来期の天候操作の下準備ですけど……」
「じゃあ、今日も掃除と庭の畑の手入れは俺がやっておくからな」
「あ、すいません……」
「いやあ。なんだかんだと言ってもう1週間も居候してるからな? さすがに多少は働かないと」
死後にヒモになるのはちょっとなあ、とおどけて言うと、俺は食器を重ねて手に持って立ち上がった。ああわたしも、と立ち上がろうとするさくらを手で制す。
「家主はどーんと構えて茶でも飲んでな」
そう言ってがちゃがちゃと音をたて食器を運ぶ。
別に隠していた訳じゃないんだがついポロッと言ってしまった。俺はさくらに分からないようにため息を吐く。
共通する世代の、時事の話題では大いに語り合った俺たちだが、自分達の身の上話はほとんどしていなかった。死んだ人間に生前の思い出語りをせがむような事をさくらはしなかったし、何かしらの『訳』があって神様になったであろう彼女の過去も話題としてふさわしそうではなかったのだ。
だから今まではあまり自分のことを話す機会はなかったのだが、しかしつい口が滑ったところを見ると、俺はずいぶんここに馴染んでしまったのだろう。
俺はヒモの如く食器を洗いながら考えた。そして決めた。
―――――今日ちゃんと決めてさくらに伝えよう。
例の『特典』を決めるため、天界の佐藤家(さくらの本名だ)に居候して1週間。未だ受け取るべきズルは決まらず、すっかりさくらとの昭和漂うまったりとした生活に馴染んでしまった俺なのだった。
「――――ちゃんと決まるまで、いつまでだって居て良いんですからねー?」
「…………」
そんな決意を固めた俺に、居間から家主のそんな心温まる言葉が聞こえてくる。
何と言うか、あの子は男をダメにする才能があるんじゃなかろうか――――
特筆すべき事のない朝ご飯。でもそれがいいと、どこかの傾き者の人もいってます。旅館で出てくる明らかに「煮てるだろ!?」と言う突っ込み待機中な焼きジャケとか、旨くないけどなんか旨いという、味とか値段とか能書きとか、そんなものを越えて納得出来る魂の満足度みたいなものが食べ物には設定されていると思うのです。
でも作者の大好物は朝食バイキングに出てくるウィンナーの大人食い。情緒もへったくれもありません。
次回は幕間につき本日20時に連投いたします。よろしくご愛顧の程を。