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I・R・A  作者: こじも
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 ガシャリと、何かが崩れ落ちる音がした。後ろを振り向くと、そこには顔面を穿たれ、銀色を覗かせた人形が倒れていた。


「これは、アンドロイド……?」

「ちっ、もう見つかったか。鼻の利くやつらだ」


 ユウは僕の首筋から黒い刀を離して、そう言った。


『しかし、ユウ。少し早すぎませんか? 居場所を移したばかりですよ?』


 僕を庇おうと、刀にしがみついていたアイラから、イレイの思念波が伝わった。


「そうは言っても、見つけられたのは事実だ。早いとこ、ここも離れないとな」


 こちらを放ったらかしにして話を進めるユウとイレイに僕は言葉を挟む。


「なんだよ、これ。君達は、一体なにをやってるんだ?」

「何って、見りゃわかんだろ。戦ってんだ。やつらとな」

「やつらって……」

「知らないとは言わせないぞ。俺の目的はお前に言ったはずだ。あの島から出るとき、あの研究所でな」


 夕暮れの室内、赤く染まったユウの顔を思い出す。そうだ。確かに彼は言った。決意を込めた瞳で、静かに、


『やつらに復讐する。ついて来い』


 そう、僕に告げたのだ。


「まさか、お前に断られるとは思っていなかったけどな。いつだって俺の金魚のフンだったお前が、な」


 歪な笑みを浮かべてユウは僕を睨んだ。


「そんなこと、リコは望まない。僕は、そう思ったんだ」

「はっ! お前は死者の声が聞けるのか? お前はただ逃げているだけだ。自分の心から目を逸らし、機械的に日常を送る。目を覚まして、研究所に行き、検査台に身体を乗せ、目を閉じる。それがお前の望んだことか? リコの望んだお前の姿か? 自分を殺して生きているお前に、どうして俺の意思を否定することが出来る!」


 新たなアンドロイドが二体、左右からユウを挟む。それを彼は瞬きの間に切り伏せる。致命傷ではない。アンドロイドはコアのある胸部を潰さなければ動きは止められない。だが、切られたアンドロイドはまるで毒でも喰らったかのように動かない。


「俺は自由に生きる。今日をどうするか、明日をどうやって過ごすのか、全部俺の意思だ。もう昔の俺とは違う。俺には力がある!」


 廃墟の陰から十体以上のアンドロイドが現れる。目が赤く発光している。あれは危険信号だ。何者かに外部からシステムに干渉を受け、規定外の行動を強制されたとき、周囲に警告を発するのだ。


「人を傷つける力なんて、僕は………」

「甘ったれるな! そんな、そんなだから、お前は駄目なんだよ。俺達に力があれば、あのときリコは何もしなくて良かった。融合率が20%もないくせに、あんな無理をすることはなかったんだ! こんな、こんなアンドロイド一体でも倒す力さえあれば!」


 ユウの動きは目で追うことすら困難だった。セーフティの外れたアンドロイドを相手に圧倒している。これが島の研究所で見たユウの共感覚(シナスタジア)だった。あの日、ユウはこの力で研究所の警備を突破し、いとも容易くその檻を抜け出したのだ。

 不意に、ユウが僕の目前に現れ、


「どけ!」


 腹部を蹴りつけた。


「ぐっ……」


 吹き飛ばされた僕は地面に倒れる。腹を押えながら顔を上げると、先ほど僕のいた地面にはアンドロイドの右腕が刺さっていた。その右腕をユウは事も無く切り落とす。


「ガッ、ガッ、」


 何かがショートしたようにアンドロイドは動きを止める。ユウは僕の襟首を掴んで持ち上げる。


「自分を見ろ、シユル! 確かに俺のやっていることは間違っているのかもしれない。俺がやつらを倒しても、リコは帰ってこないし、やつらが改心するわけでもない。得するやつなんて誰もいないかもしれない。でもな! 俺は自分で答えを出した! 研究所なんて関係ない、誰の意思でもなく、誰の命令でもなく、俺は俺の未来を俺自身で決める! それが俺の答えだ!」


 ユウの腕の力が緩み、僕は地面に膝をつく。

 彼の表情が少しほどけ、どこか遠い目でこちらを見つめる。


「俺は誰でもない、お前の答えが、ずっと聞きたかった」

「でも、僕にそんなものは………。僕は、君とは違う。ユウみたいに強くはなれないよ。だって、だって………」


 目の端に、墓石が見えた。その瞬間、ある景色が頭を過る。


 木目の椅子に座った男。

 吐き気のするような感触の残る両手。

 涙を流して僕を見る少年。

 白衣を着た、女性。


「僕には、何もない………」


 ユウのような強い意志も、決意も、願望すら、存在しない。空っぽの、身体。


「あるさ」


 ユウが、僕の頭に手を置いてそう言った。


「逃げずに、考えろ。お前は俺に着いて来なかった。お前の心が、そうさせたんだ」


 ぐしゃりと、髪を崩してユウは手を離す。


「見つけ出せ。俺は待ってる」


 刀を妖精の姿に変えたユウは僕に背を向け、歩いて行った。


「ったく。いつまでたっても世話の焼ける弟だぜ」

「ふふ。ユウのそんな嬉しそうな顔は久しぶりですね」

「うっせ。余計なこと言うな。……あっ、そうだ。シユル、これをやるよ。俺はもう一つ持ってるからな」


 ユウはこちらに、白いブレスレットを投げた。


「超小型エイクズ精製装置だ。変なおっさんにもらった。本土ではそれがないと、アイラを武器化することも出来ないだろ。必要になるかもしれない。持ってろ」


 僕がそれを拾うと、彼はまた背を向けて歩き出した。


「偶には、研究所を抜け出して墓参りに来いよ」


 ユウは乱れた墓石の花を直しながらそう言って、旧ライトジーン本社から立ち去って行った。





「岩重市の完成はもう間近だ。半年もあれば入島できる。それでは不満かい?」


 通話先の男はそう言った。モニターに顔は映っていない。しかし、その男

が苦笑いを浮かべているだろうことを、リコは予想した。


「それでは遅すぎるかもしれないの。彼らの動きが活発になっているわ。本社のアンドロイドが数体、さらに研究員まで一人さらわれたわ。幸い、実行

犯は捕まってすぐに解放されたけど、こんなこと前代未聞よ。今まで人間には一切手を出してこなかったのに」

「その情報ならこちらも聞いている。被害に会っているのはライトジーン社だけではないからな。だが、そうそう頻繁に起こる訳でもないだろう。やつらの手に渡ったアンドロイドだって、セーフティが付いている限り使用することは出来ないさ」

「あら、セーフティなんて飾りよ。わたしなら一時間で解除できるわ」

「君と他の人間を一緒にするなよ。君は天才の頂点に君臨する王だ。君の生まれが二十年早かったなら、エイクズ理論を構築するのは私ではなく君だったろう。しかも、より完璧な形でな」

「そうかもね」

「くく。否定しないのがまた君らしい」

「問題はそんなことじゃないのよ。何かがおかしいの。最近、研究所内のシステム異常が増えている。モニターが一瞬固まったり、使っていない部屋のライトが点いたり消えたり、作業ロボットの動きが数秒遅れたり、ありえないわ。まるで誰かが何かの実験をしているみたい」

「単純に劣化しているだけじゃないのかね?」

「異常のあったシステムはわたしが点検したのよ。この意味、わかってもらえる?」

「ふむん。とすると、何者かが意図的に内部干渉を起こしている、と?」

「間違いないわ。しかも、それが出来るのは研究所内部のIDを持っている人間だけよ」

「………内部に彼らと繋がっている者がいる」

「可能性は高いわ。研究者が反機械団体と手を組んでいるなんて矛盾しているけど、それが逆に隠れ蓑になっている。島の完成を急いで。せめて子どもたちだけでも、何かが起こる前にそちらに移動させたいの。研究所で一番初めに狙われるのは、人工知能を埋め込み、遺伝子改造を施されたあの子達よ」

「機械と同化した人間、か。確かに、彼らの憎しみが最も純化される相手だな。しかし、入島をこれ以上早めるのは無理だ。君のおかげで完成は当初の予定より二倍近く早まったが、入島許可は政府の管轄だ。日にちはもう決定されている。これ以上早めることはできん」

「そこをどうにか――――――」


 不意に、ノックの音が響いてリコは言葉を止める。


「やるだけはやってみる。だが、あまり期待はするな」


 通話はそこで切れた。リコは小さく溜息を吐いて立ち上がる。


「どうぞ」


 扉から現れたのは依鈴だった。


「リコ。会議の時間だ。今日はさすがに出ろ。―――、誰と話していた?」

「おじさんです。エイクズの人体影響について、散々講釈を垂れ流してあげました。まったく、どちらが開発者かわからなくなりそうですね」

「そうか。会議は十分後だ。部屋で待っている」


 扉が閉まり、依鈴の姿が見えなくなると、リコはもう一度椅子に深く腰を落ち着けた。


「母さん。わたし、怖い」


 そう呟いた彼女の声はしかし、扉の向こうに届くことはなかった。




「明日、ウォールボックスの実験を行います」


 依鈴の言葉にリコは息を呑んだ。長方形の卓を囲んだ会議室内が一瞬、静寂に包まれる。


「被検体は実験体002と003、ユウ、シユルとします」

「無理です! あの子達にはまだ難易度が高すぎます!」


 リコは椅子から立ち上がってそう進言する。


「おや? しかし、リコ研究員があの『箱』をクリアしたのはあの子達と同じ年頃だったはずですが?」


 依鈴の隣に腰掛けた研究員が皮肉な笑みを浮かべてそう告げた。


「あの時とは、子ども達の教育方針が異なります! まだあの子達にあの箱をクリアできるだけの知識はありません!」


 リコが超難度の箱をクリアできたのは半分以上、依鈴のおかげだった。依鈴が箱のクリアに必要な知識を数カ月も前から詰め込んでくれていたのだ。リコ自身も、必死になってその知識を吸収した。それしか、彼女に生きる術はなかった。病弱な身体。走っただけで体中が悲鳴を上げるリコにとって、取柄は思考する脳しかなかった。箱の成否は研究者としての道を歩めるかどうかを判定する試験でもあったのだ。

 しかし、ユウやシユルは違う。潜在能力自体はリコと同等、身体機能ならば遥か上をいくであろう子ども達だが、まだ地面から顔を出したばかりの新芽に過ぎなかった。


「ほう。さすがに天才の頂点と名高いリコ様の仰ることは違いますなぁ。遺伝子改造を受けた実験体でも、自分より優れた者などいるはずがない、と?」


 先ほどと同じ男が言った。中年で、釣り上がった目をした、さして特徴のない男。名を佐久島(さくじま)庄司(しょうじ)という。数カ月前、反機械団体にさらわれた人間だった。研究所に帰ってきた後も、以前と変わらず、飄々と仕事をこなしている。

 リコは何かと佐久島に絡まれることが多かった。彼女を見る彼の目は憎しみと嫉妬、さらにねっとりとした情欲がへばりついていた。


「そういう意味ではありません。あの子達にはもちろん、わたしを超える可能性がいくらでもあります。ただ、能力には遅咲きと早咲きがあるのではないでしょうか。わたしはまだ、ユウとシユルが箱をクリアできるレベルに達しているとは判断できません」


 佐久島の安い挑発に乗るほど、リコは無能ではなかった。しかし、


「リコ。これはすでに統括責任者の私が判断を下し、決定したことです。異論は認めません」


 依鈴の言葉がリコの意見を一蹴した。

 そして、彼女の発した次の言葉にリコの心中は激しく揺さぶられた。


「あれは十分、箱のレベルに達しています。よしんばクリア出来なかったとしても、あれの回復力なら死ぬことはないでしょう」


 あまりにも無慈悲な一言は、今まで一度も、リコが依鈴に対して感じることのなかった感情を湧き上がらせた。


「……死ななければ、何をしても良いのですか?」


 燃えるように熱くなった思いを隠すことなく、叩きつけるように彼女は言葉を吐いた。


「あの子達の未来を何だと思っているのです! あなた方がやりたいのはただのマッドサイエンティストの真似ごとじゃないですか!」


 ガンッ、と佐久島がそのコブシを机に叩きつけた。


「口を慎みたまえ、リコ研究員。お前の言葉は我々に対する侮辱だ」

「だったら何だと言うのです。侮辱罪で告訴しますか? どうぞご勝手に。でも、それならあの子達を嬲り殺すあなた方はなんですか? 罪にはならないのですか? まだ年端もいかない少年を好き勝手して―――」

「リコ―――」

「殺人未遂で訴え―――」

「リコ、黙りなさい!!!」


 会議室内に響き渡る依鈴の怒声で彼女は我に返る。

 周囲を見回すと、すべての研究員がリコを見ていた。その目は、重く、冷たい。まるで犯罪者を見るような目つきだった。

 彼女はそこでやっと、自らの失態に気付く。

 リコの言った言葉は、研究所内において禁句だった。ここで働く人間は、多かれ少なかれ、人体実験を行っている時点で罪を持った人々だった。それはリコですら、例外ではない。大企業の威光に守られ、国の黙認を知り、見て見ぬ振りをしていただけなのだ。

 リコは今、ここにいる研究員のすべてを敵に回した。

 誰もが目を逸らして蓋をしてきた箱を、目の前でぶちまけてしまった。

 彼女の言葉は、研究員たちの心を嬲り、凌辱した。

 いずれは言わなければならない言葉だったかもしれない。しかし、それは今ではなかった。感情的になり、その場の勢いで発して良い一言ではなかったのだ。

 リコは、周囲の視線が自らを全否定するものなのだと、悟った。


「リコ、あなたにはここにいる資格がない。出ていきなさい」

「でも―――」

「出ていきなさい!」


 依鈴に一喝され、彼女は言葉を呑み込むしかなかった。深い自責の念を抱きながら、リコは下唇を強く噛む。ゆっくりと、研究員たちに背を向けたその時、誰かが、まるで自分に言いきかせるようなささやき声で、呟いた。


「機械に我々が何をしようと、罪にはならない」


 その言葉で、リコは驚愕と共に、振り向いた。研究員たちは揃って、彼女から目を逸らした。


「まさか………嘘でしょ………?」


 そう漏らしたリコの言葉を、佐久島の歪んだ笑みが打ち消した。

 研究員たちは、皆知っている。

 彼の笑みはそう告げていた。

 ユウとシユルの性別が、リコの想定と違っていたことを。

 それはつまり、ある一つの可能性を浮かび上がらせる。

 融合率99%。それは人工知能と人の境界線がほぼ無であることを示す。

 そう。その二つが入れ替わっていたとしても不思議ではない。

 イレイが人で、アイラが人で、ユウとシユルが………、

 人工知能という、機械。

 彼らはそれを、自分の罪悪感を消すという理由だけのために、受け入れようとしているのだ。それは、真理を探究する研究者にあってはならないこと。

 しかし、リコにとってそんなことはどうでも良かった。彼女の瞳から一粒の滴を落としたのは、このことを知っているのはただ一人であったはずだという、事実。

 依鈴は決してリコから目を逸らさなかった。

 その瞳はリコの思いをすべて受け止めていた。受け止めて、なお、彼女はリコを否定していた。

 依鈴がリコを裏切ったのは、明白だった。


「母さん………、なぜ………?」


 スイッチが切れたかのように彼女の身体は崩れ、意識は深い闇の中へと落ちていった。


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