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I・R・A  作者: こじも
8/16

第三章  I ― 001 ― RA

「お前たち! 本土に行きたいか!!!」

「「お~!!!」」


 雪菜とユズリは威勢よく返答した。


「いってらっさい」


 ヒラヒラと、手を振って僕は見送る。


「おいおい、シユル。あんたは本当に行かないつもりなのかい? せっかくのチャンスを無下にする若者なんて歓迎できるもんじゃないね」


 岩重研究所、笹峰惟良の研究室のソファにふんぞり返った依鈴は大仰な身振りでそう言った。


「行かないも何も、僕はいっちゃんに謹慎処分にされたんだ。しばらくは研究所に閉じ込められたままだよ」

「何を言う。アンドロイドを捕獲したのは事実じゃないか。お前には本土に行く権利が与えられる」

「捕獲したって言っても、あいつはもうボロボロだったじゃないか」

「本社お抱えの手練れを何人も病院送りにしたアンドロイドだ。あれぐらいの破壊は予想済みさね。記憶データが残っていなかったのは残念だが、市民の目に我が社の失態が映る前に回収できたのはすばらしい。それに、記憶データなど体さえ残っていれば簡単に差し替えできる」


 差し替え………か。一瞬、アイラと目を合わせる。彼女も同じことを考えているのだろう。確かに、新たな記憶データを入力することなど容易い。

 けど、それで『彼女』が帰ってくるとは思えなかった。


「これは私とお前の契約だ。お前は依頼を果たした。ならば、私はお前に本土への切符を手渡す義務がある」

「ダメです!」


 得意げに語っていた依鈴に鋭い声が割り込む。この研究室の本来の住人だった。


「依鈴先生がなんと言おうと、シユルちゃんの外出を許可することは出来ません。今回は軽傷で済みましたが、彼が一般人に傷を負わせてしまった事実に違いはありません」

「ほう」


 依鈴はいっちゃんの反論を予期していたかのようにニヤリと口元を歪める。


「惟良。ならばお前に訊こう。我が社におけるお前の立場はなんだ?」

「研究員です」

「そうだ。もう一つ、私の立場はなんだ?」

「………神経科学、統括研究主任です」

「その通り。私は、お前の……?」

「上司です」


 悔しげに唇を噛むいっちゃん。彼女が言い負けるとは珍しい。これが権力か。


「でも! シユルちゃんの罪が消えるわけではありません! 先生にどんな権限があろうと、彼には罰を与えなくてはならないはずです! 確かに、シユルちゃんには本土に行く権利があります。でも、それ以上に罰を受ける義務があるのです!」

「ふむん、確かに。お前の言うことも最もだ。しかし、」


 依鈴は皺の多い手でいっちゃんの頭をグシャグシャと撫でる。


「罰を謹慎にする必要はないはずだ。シユルには精々向こうで働いてもらうさ」


 一転して、依鈴の声は優しく、まるでわがままを言う娘を諌めているようだった。唇を尖らせるいっちゃんを見て、その頬は少し綻んでいるように見えた。

 と、不意に、雪菜が口を挟む。


「決まったか? なら早く行こうぜ」


 外に出るのが待ち切れないのか、彼女は小刻みに足を揺らしていた。


「よし! 本土に行くのは雪菜、ユズリ、そしてシユルで決定だな!」


 依鈴の宣言に対して、僕とアイラは同時に溜息を吐く。


『僕たちの意見は一切考慮されないんだな』

『そのようですね』


 がっくりと肩を落としながら。まぁ、いいかと、椅子から立ち上がった。




 それから数時間、僕は本土に立っていた。傍にいるのはアイラだけだった。雪菜もユズリも、監視役の依鈴すらいない。

 人通りのないコンクリートの広場。

 墓が一つ、立っていた。石碑を置いただけの、簡素な墓。

 ここに来たのは久しぶりだ。七年ぶりくらいだろうか。

 僕の物ではない花が、供えられている。ひまわりだった。握っていた野花をその隣に置いた。名前は知らない、紫色の花だった。


「なぁ、シユル。久しぶりの墓参りなんだ。もっとマシな花を持って来いよ」


 墓の向こう側に立っていた男がそう言った。

 顔を上げて、そいつの姿を捉える。まるで鏡を見ているような気分だった。違うのは、笑い方ぐらいだろうか。自信満々の勝ち気な笑みは、僕には出来ない。


「これで良いんだよ。リコはこの花が好きだった」


 そう言うと、彼はムッとして顔を顰めた。


「違うね。リコが好きだったのはひまわりだ。俺は知ってる」

「そんなこと―――」

「ひまわりだ!」


 いい歳して駄々をこねる男。


「わかったよ。リコはひまわりが一番好きだった。二番目に好きだったのがこの紫の花だ」

「うむ。その通りだ」


 やれやれ、と溜息を吐くと、クスクスと笑う声があった。


「シユルは少し大人になりましたね。ユウは相変わらず子どもですが」


 おかしそうに、ユウの傍にいた妖精(・・)が笑った。アイラよりもその体は少しだけ大きい。ユウの顔とほぼ同じくらいの大きさだった。


「シユルだって子どもですよ。成長したのは物事をネガティブに考える卑屈な魂だけです」


 魅力の無い男ですよ、とアイラは首を振って言った。


「君だって同じようなものだと思うけどね」

「なにおう?」


 闘るか? と言いながらアイラは空気にジャブを喰らわした。それを見て、一回り大きな妖精がまたクスクスと笑う。


「ふふ。そういうところは相変わらずですね。リコが昔、あなた達を理想的な人間と人工知能の関係、と称したのは正しかったのかもしれません」

「なんだよ。ユウとイレイだって僕らとあまり変わらないじゃないか」


 そう言うと、イレイは感情を閉じ込めた笑顔で、


「私は、ただの無能な機械に過ぎませんよ」


 と答えた。それを聞いたユウの表情にも変化は無かった。少し、不自然だった。どこか、僕の知っている二人では無いような気がした。しかし、研究所から逃げ出してからの二人について訊く気にはなれなかった。僕のようにぬくぬくとだらしなく暮らしてきたようには見えない。二人の言葉を聞くのが、怖かった。

 無意識の内に、話題を変える。


「ところで、他の三人をどこへやったんだ? 本土に着いたまでは一緒にいたはずなんだけど」


 対して、ユウは得意げに顔を歪める。


「依鈴達のことか? 向こうの倉庫で少し眠ってもらっている。お前ら、全員隙だらけだぜ? シユル、お前にはもっと期待していたんだが………、昔とさして変わらないな」


 ゾクリと、背筋が震えた。ユウの目には少年を思わせる無邪気さなどなく、どす黒い輝きだけがあった。


「ここは本土だぜ? 島とは違って反機械派の連中がごまんといる。俺たちが観光気分でいられるとこじゃないんだよ」


 彼の言っていることは十分承知していた。ここは、機械に仕事を奪われた者や、遺伝子改造に極度の嫌悪感を持つ者、その他大勢の人間が僕らのような人間を忌避している場所だ。島には先日のアンドロイド狩りのような不届き者が存在するといっても、基本的に科学万歳の思考が大半を占めている。

 そう、知っていたはずなのだが。ユウの言葉は僕が考えるよりも遥かに深く、重い質量を持っていた。


「ユウ、君は………」

「シユル。忘れるなよ―――」


 彼は、ユウは、ゆっくりと僕に近づき、イレイを武器化する。それは刀身を漆黒に染めた日本刀だった。


「リコが死んだのは、あいつを殺したのは、あまりにも弱すぎた俺達なんだ」


 刀身がスッと首筋を舐め、妙に冷たい汗と共に、赤黒い液体がシャツの中に落ちた。





 第一実験体、春日井リコは今年で二十歳になる。

 理想的と言っても良い、抜群のプロポーション。均整のとれた美麗な顔立ち。その背には鮮やかな赤髪が優雅になびく。それだけでも人目を惹くのは必然だったが、もう一つ、彼女には最大の特徴があった。

 月色の瞳。ウルフズアイとも呼ばれる珍しい瞳は、ある者には羨望を、ある者には畏怖を、そして、あるいは嫌悪を与えた。


「リコ! 探したぞ。どこに行っていたんだい?」


 セーターにジーンズ姿という、場に不釣り合いな服を着た女性がリコを呼び止めた。


「依鈴先生。―――少し、散歩に出ていただけですよ。冷たい風は思考する脳に心地良い」

「そうかい。まぁ、お前さんが会議を抜け出したからって文句を言うやつは居やしないんだ。何でも構わないがね」

「あはっ。最初の頃は皆、ムキになって突っかかって来てくれたのに、面白味がないですね」

「そう言うな。お前さんの研究成果を見れば誰だって控えめにもなる。私だって例外ではないがね」

「何を仰るのです。私の身体も、才能も、すべて依鈴先生が造り出したものではないですか。真に称賛されるべきは先生です」

「遺伝子改造は人の運命を決めるものではないよ。リコ、それはあんたが自分で切り開いた道さね。テクノロジーによるものでも、まして私のおかげでもない」

「いいえ。依鈴先生のおかげです。先生がいなければ、私はここに存在しなかった―――」


 研究所から漏れた光が、リコの顔を照らす。

 まるで、湖に浮かぶ月のように、彼女の瞳は柔らかく灯っていた。


「遺伝子改造に感謝しているのではありません。依鈴先生がわたしを産んでくれたから、わたしはこの世に存在できる。頬に当たる風が気持ち良いと感じられるのは先生のおかげなんです」


 春日井依鈴は目を見開いてリコを見た。かつて味わったことのない思いが胸に訪れる。人生を研究に捧げ続けた人間には、彼女の言葉を予想することなど出来なかった。


「やれやれ。今更私を持ち上げても何も出んぞ。実験室の使用権は会議をさぼったお前さんが一番最後だ」

「あはっ。それは困っちゃうかも。でも、いいよ。誰か男の先生に使わせてもらうから」


 そう言って、無邪気に笑うリコ。それを見て、依鈴は溜息を吐く。


「とんだ男ったらしになったもんだ、ウチの娘は。あまりいじめるなよ。ここの男共は女に慣れていないやつが多い」

「そう? 皆優しいと思うけど」


 自覚のない美貌を振り回すリコは内気な男共にとって、中毒性のある毒薬にも等しい。そんな男達を容易く手の平で転がす彼女は、いまやいっぱしの女だった。

 依鈴は頼もしさを感じるその心の中に、一抹の寂寥が紛れ込んでいることに気付いていた。


(いつの間にか、大きくなったものだ)


 頬に皺を寄せた女性は、去った日のことを思い返す。


(初めて胸に抱いたときは、こんな小さな子が明日に辿り着けるのかと不安ばかりだったのに)


 依鈴は元々、子の成せない身体であった。しかし、最新鋭の機械の中で、それでも到達できない生命の価値に、最高の遺伝子、最強の生命力で対抗したのだ。

 リコが生まれたとき、依鈴は手に抱いた赤ん坊よりも大声で泣いていた。

 生まれた子は病弱だった。不完全な依鈴の母体では栄養供給が十分で無かったらしい。色素は薄く、やがて生えてきた髪は赤く、目は獣のように黄色かった。

 母体の中で生命力を使い果たしてしまったのではないかと、依鈴は不安で仕方がなかった。

彼女にとってリコは最初で最後の宝物だった。


「そろそろ戻ろっか、母さん」


 今日の仕事は終わりだとばかりに、リコは口調を変える。


「そうだね。ユウとシユルの身体データも更新しないといけない」

「あんまりいじめちゃだめよ?」

「あんたに言われたかないね」


 ケタケタと笑って走っていくリコの後ろを依鈴は歩く。


(心配なんてしてる内に、追い越されちまったのかね)


 楽しげに去って行く背中を、依鈴は苦笑いしながら見送った。



「さて、ここで二択問題です。飲めば全身激痛に苛まれるけど後遺症は残らない薬と、とっても幸せな夢が見れて楽しい気分になるけど少し経つと全身麻痺が起こる薬、どっちが飲みたい?」


 木目の椅子に腰掛けたリコの問いに対して二人の少年は無反応だった。両方とも十歳前後といった所だろうか。


「どっちでもいいからさっさとしろよ」


 勝ち気な方の少年がそういって小さな手を差し出した。


「あら? ユウ、あなたは選択の自由すら放棄するというの?」

「どっちでも一緒だろ。薬はもう慣れた。選択する自由があるなら選択しない自由だってあるはずだ」

「あはっ、確かにその通りね。賢い! でも、もっと苦悩してくんなきゃつまんない! シユルは? どうする?」


 俯いて、オドオドと手遊びをしていた少年が顔を上げる。


「僕は、おいしい方の薬が、いいかな?」

「あははっ! まさに真理ね! どちらも価値の無い選択ならすぐに切り捨てる。優秀な者の鉄則よ。二人とも成長したね。でも、わたしとしては、もっと苦渋に染まる表情が見たかったんだけどなぁ」


 リコの言葉を聞いて、少年の頭上を浮遊していた妖精が、その背に身を潜め、


「う~。リコは今日も鬼畜ですぅ」


 ビクビクしながらそう囁く。


「そうだね、アイラ」


 一方でもう一人の妖精は、


「ユウはそんな薬ごときで動じたりしないのです」


 堂々とそう言い放った。


「そうだ。イレイの言う通り、何でも来い!」


 胸を張る少年の口にリコは丸い物体を押し込む。


「じゃあ、ユウはこっちね。はい」


 無理やりそいつを口に放り込まれたユウは顔面を蒼白にして口を押えた。


「シユルはこれ」


 もう一人の少年は丸い物体を緊張の面持ちで見つめた後、グイッと口に押し込んだ。


「………甘い?」


 丸い物体を口で転がしたシユルはそう言った。その言葉を聞いて、地面でのたうち回っていたユウも動きを止める。


「あはっ! どう? おいしいでしょ、わたしが作った飴玉。唾液の染み込み具合に応じて味が変わるの」


 目を剥く少年達の姿を見て、リコはケタケタと笑い転げた。


「騙したな、リコ!」

「あはっ、ユウが怒った! かわい~。そうそう、そんな顔が見たかったんだ~」

「リコ! ユウをバカにすると許さないのですよ!」

「あら、イレイも食べる?」

「い、いりません!」


 少し食べたそうにチラチラと差し出された飴玉を見つめるイレイ。それを見たアイラが隣の少年に問う。


「それ、おいしいのですぅ?」

「うん、おいしいよ」


 ぱぁ、とアイラの顔が明るくなる。


「イレイがいらないなら、アイラがもらうですぅ!」


 リコが持っていた飴玉をかっさらおうとするアイラ。しかし、リコはサッとその手を引っ込める。


「アイラちゃんはこっち。こんなに大きいの、口に入らないでしょ?」

「あぅ。そうでした。―――いただきますぅ」


 カプセルほどの飴玉を嬉しそうにアイラは舐める。その姿をイレイが羨ましそうに眺めていた。


「リコ、イレイの飴玉、寄越せよ」


 ユウがそう言った。


「あら? あらあら? それはまたどうしてかしら?」

「い、いいから早く!」


 腕を高く上げたリコの手からユウは飴玉を奪おうとするが、遠く身長が及ばない。そんな彼女の白衣の袖に、もう一人の少年の手が掛かる。


「イレイも食べたそうな顔してるよ。ユウは、イレイにも食べさせてあげたいんじゃないかな?」

「おまっ、シユル! 余計なこと――――――」

「おっほ~う? そうなの? そうなのかな、ユウ? それとも違うのかな?」

「あ、う、………そ、そう………ど、どっちでもいいだろ、そんなの!」


 少年はリコが肩肘を付いていた机に脚を掛け、跳ぶ。身軽な、サルのような動きで、彼は見事にリコから飴玉を奪い取った。


「へへ、いただき!」

「わお、お見事。すごいね、ユウ。びっくりしちゃった。それで? その飴玉をどうするのかしら?」


 少年はジロリとリコを一瞥し、隣にいたイレイに飴玉を差し出す。


「ほら。おれはこんなのいらないから、やるよ」

「よ、よろしいのですか?」

「ああ」


 少年は僅かにその頬を染めて俯いた。その姿を見たリコはギュッと少年を抱きしめる。


「な、なにすんだよ!」

「かわい~! かわいすぎるよ~! ユウ、あんた、かわいすぎ!」

「うるせぇ、離せ! おれはかわいくなんかねぇ!」


 ジタバタと暴れる少年をしかし、リコは離さない。それどころかさらに力強く抱きしめた。

 と、不意に、またも白衣の裾が掴まれる感触を彼女は感じる。見ると、もう一人の少年が物欲しそうにこちらを見上げていた。


「あ、あの………リコ………」


 彼の言葉はそこで止まる。ユウに比べてシユルはとても素直な少年だったが、そこは男の子。その先を告げるにはかなりの勇気が必要だった。

 それを察したリコは胸の奥をキツく締め付けられる。目の前の少年たちがあまりにも愛おしかった。少年二人と、さらに妖精も含めて、皆思い切り抱きしめる。


「皆、大好き! こんなかわいい子ばっかりいる職場なんて、わたし幸せ!」

 リコの言葉に対し、一人の少年は恥ずかしげに顔を顰め、もう一人は控え目な笑顔を返した。


「よし、皆! 今日はわたしの検査はお休み! 外で遊んでらっしゃい」


 少年たちは同様に驚きの表情を浮かべる。


「いいの?」

「もちろん! 夕飯までには帰ってくるのよ」

「うん!」


 いつもの数倍、元気になった四人は楽しげに駆け出して行った。それを見送ったリコはそっと白衣のポケットに手を入れる。


「う~ん。どうしよ、これ」


 そこにはプラスチックに包まれたカプセルが二つ。本来、少年たちに飲ませるはずだった薬だ。種類は一緒だった。だが、人体に大きな影響を与える可能性も同じだった。


「お前はあいつらに甘すぎる」


 ふと、研究室の扉が開いて依鈴が現れた。


「あら。いたんですか? 先生が盗み聞きするなんて、珍しいこともあるんですね」

「やけに楽しげだったじゃないか。邪魔するのも悪いと思っただけさね」

「あはっ。邪魔なんて、先生も一緒に楽しめば良かったじゃないですか」

「……遠慮しとくさ。実験体に情が移ると、何も出来なくなる。今のお前さんのようにな」

「それはどうかしら。わたしはこんなくだらない実験に、あの子たちが関わる義務はないと感じただけです」

「深く考えるな。我々はやるべきことをやる。それだけだ」

「仕事だから、ですか? それは大人の理屈です。研究者のくせにそんな理屈で思考を停止させるなんて、わたしには考えられません」

「ちゃんと考えている。その薬を飲ませたとしても、実験体に大した影響はない」

「数日間、痛みで起き上がることも出来ず、身体機能に重大な欠陥を残すかもしれない。そんな薬を、大した影響がない、で片づけるのですか?」


 リコの鋭く研がれた月色の瞳を、依鈴は直視することが出来なかった。


「問題ないはずだ。あの実験体はその何倍も強力な薬物に耐えている。エイクズがあれば、『あれ』の回復力は想像を絶する。それがリコ、お前さんが齢十歳にして遺伝子改造を施し、人工知能を埋め込んだ実験体の真価だ。あれ以来、お前が新世代生成施設を退いてから、融合率90%を超える実験体は生まれていない。だからこそ、すべての負担があの二人に押し付けられているのだ」


 不安定な心に理論武装を施した依鈴は、そこで初めてリコの目をまっすぐに見つめる。


「新たな実験体を造れ、リコ。そうすればあれの負担は減るのだ」

「お断りします。わたしがあの時、次の世代を二人に絞った理由を依鈴先生はご存じですか?」


 リコの眼光が強まる。まるで獲物を求める捕食者のような、瞳。依鈴は心の鎧の中に必死に身を隠す。


「二人なら、わたし達の手であの子達を守ってあげられると、そう信じたからです。わたしがこの研究室の椅子に座っていられるのは、実験体であるわたしを先生が守ってくれたからです。弱く、何の力もなかったわたしに知識を与え、生きる力を先生からもらったからです。依鈴先生がいなかったらと思うと、今でも恐ろしくて体の震えが止まりません。五体満足でこの場にいられるのは奇跡だって、わたしは知っています。だから、そんな先生と一緒なら、次世代の子達を、未来の奇跡を守れるはずだと、そう信じたのです」


 リコは言葉を荒らげない。ただ静かに、だが何よりも重い言葉を、依鈴の心に()しかける。彼女は強い。依鈴はそれを理解していた。苦心して育ててきた少女は、いつの間にか自分の背中を超え、遥か先を見るようになっていた。


 だが、だからこそ、依鈴は恐怖した。


 成長した娘が自分と同じ道を歩もうとしていることに。それは茨の道だった。リコなら、この子なら、それでもやってのけるかもしれない。依鈴は目前の娘が自分を凌駕していることに気付いていた。しかし、彼女には最大の障害がある。それはリコ自身、実験体であるという事実だ。その事実は、敵を何倍にも多く、大きくする。依鈴は身をもってそれを体験していた。依鈴は、たった一人の娘を失うことがあまりに、怖かった。

 リコは年を経るごとに強くなっていく。しかし、

 依鈴は老いるごとに弱くなっていた。


「リコ。あれを守ることなど考えるな。同じ実験体でも、あれはお前とは違う」

「先生………」

「私が知らないと思っているのか? 十年前、お前さんがあれを造ったとき、本当は女の子として生まれてくる手筈だったであろう?」

「!」

「だが、生まれてきたのは男だった。それも融合率99%を超えるな。必死に隠してきたようだが、私の目は誤魔化せんよ」

「それは、でも、まだそうと決まったわけでは――――――」

「この話はもう終いだ。こんなところでする話ではないだろう。いいか、リコ。もう一度言う。あれを守ることなど考えるな」


 依鈴は止めの一言を打ち込む。


「機械を守っていては、研究など進むはずもない」


 リコは驚愕に震えた。誰でもない、依鈴の口からだけは、その言葉を聞きたくなかった。

 扉を開き、去って行く背中に必死で言葉を投げる。


「待って! 母さん!」

「今は仕事中だ。その言葉で私を呼ぶな」


 振り返ることもなく、依鈴は去って行った。

 静まり返る室内。リコは伸ばした手を、ゆっくりと下に落とした。

 不意に、窓の外から笑い声が聞こえた。少年の豪快な笑い声だった。どうやらユウとシユルはチャンバラごっこをしていたらしい。リコは彼らを上から見下ろす。シユルが尻餅をついて、ユウが木刀を突き付けている。イレイが自慢げに胸を張り、アイラがオタオタとシユルの周りを浮遊していた。

 リコはそっと、窓に指を這わせる。


「あはっ。かわい~」


 そう言った彼女はその手を強く、握りしめた。


 三章は勢いで書いてます。変なところがあったら仰っていただければありがたいです。

 ここからやっと物語がどんどん進んでいく感じです。

 もっと上手く書きたい。そう思う毎日です。


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