オレンジ
周囲を見回す。倒れた男が三人。後の女性二人はいつの間にかいなくなっていた。どこかの段階で逃げ出したのだろう。賢明な判断だ。
倒れた男達は全員、大した怪我ではなかった。僕自身、ユズリのように優れた肉体を持っている訳ではない。全力で殴ったところで重傷を負わせるほどではなかったようだ。
いっちゃんの判断で彼らのことはしばし放置しておくことに決定した。当面の問題がもう一つあったからだ。
僕らは砂浜に倒れたもう一人、いや、一体の傍に立つ。
「もう、壊れてるのか?」
雪菜が平坦な声で訊いた。いっちゃんは屈み込んでアンドロイドの身体を点検する。
「………壊れては、いないみたい。ただ……う~ん、やっぱりおかしいな~。電源が落ちてる」
「電源が?」
「うん。エイクズがある限り最低限の電力供給は可能なはずだし、それに、この子は軍用だから空気中の電磁波を電力に変換することも出来るんだよね~。かといって動力部が破壊されている訳でもないし~。自律的に電源をオフにしたとしか考えられないな~」
いっちゃんの言葉に僕は不信感を抱く。
「自律的にって、それじゃまるっきり自殺じゃないか」
「そうだね~。オフにされた電源は外部からでないと起動出来ないから、状況的に考えてそういう解釈も出来るかな。正確には自壊だけど」
雪菜が呆れたように鼻を鳴らす。
「おいおい。初めて人工知能を搭載したアンドロイドの選んだ行動が自殺だった、ってことか? そりゃなかなか笑えないな」
「う~ん。どうかな~。何度も言うけど、このアンドロイドの人工知能はまだ研究段階で、人間に近いとは言えないの。何の合理性もなく自壊するなんて考えられないんだけどな~」
「いっちゃん。その不完全な人工知能ってのは具体的にどう不完全なんだ? 不完全な人間というのが良くわからないのだけど」
「えっとね。シユルちゃんは自分がどうして今の自分になったかわかる?」
「今の自分?」
「そう。産まれたときはただ生理的反応に従って生きていたのに、今のシユルちゃんは泣きたくても泣かない時があるし、殴りたくても殴らない………こともない?」
「悪かったよ。反省してる」
「そっか。そういうことにしとくね~。それで、なぜそんな矛盾したことをシユルちゃんはするんだと思う?」
「それは………、経験を積んだから、じゃないのか? 人前で泣くのはだらしないとか、そういう認識を得たからだろう」
「そう。人はあらゆる物事を体験し、成功したり、失敗したりする。それらから様々な事を学んで、今のシユルちゃんが存在するんだよね。だから、経験が人を人足らしめ、経験の違いが人と人の違いを生み出すの」
「つまり、知能とは経験なのか?」
「一概にそうとは言えないけど、経験を積み、そこから学習をし、さらに以前よりも優れた解答を導き出せるようになる。それが知能だと私たちは考えたの」
「なるほど」
「このアンドロイドはね、感覚器官がほぼ人間と同じように造られているんだよ。景色を捉え、音を聴き、匂いを嗅ぐ。怪我をすれば痛みを感じるし、そっと触れられればくすぐったいと感じる。アイラちゃんだってそうでしょ? そういうプログラムを組めば、人と同じように世界を知覚し、学び、知能を得られると結論付けた」
「でも、成功はしなかった?」
「ううん。成功はしたよ。だって、このアンドロイドは、彼女は、成長したもの。間違えを犯したとしても、同じような状況にもう一度陥れば、以前の経験を活かして新たな判断を下すことが出来た。あたしたちが知能と呼ぶものは身に着けていたの」
知能はあるが、人間からは遠い。つまりそれは、
「心がなかった、とか?」
「ずばりその通り。あたしたちは彼女の経験値を手っ取り早く上昇させるため、疑似脳にとある記憶データを植え付けた。もちろん、知覚情報も込みで。でもね、彼女は優秀になることは出来ても、それに喜びを感じることは出来なかった。彼女は美しいものを見れば「美しい」と言い、おいしいものを食べれば「おいしい」と言った。けど、それは記憶の中の自分がそう言うだろうと推察しただけで、実際に彼女が感じたことではなかったの。体験に質感がない。生きているという実感が彼女にはなかったみたい」
「生きている、実感……」
「そう。結局彼女は機械の枠を超えることが出来なかった。それは人と人の関わりの間で重大な欠陥をもたらすの。正確に言うと、彼女を見た人間は一様に『気味が悪い』と感じた。人間の姿をした何かが、言葉を話しているという明らかな異質感。恐怖すら感じたそうだよ」
人は、人に酷似した別物に対して、極度な不快感を感じるという。
「結局、機械が人になるにはまだ何かが足りないの。それは本能とも呼べるし、あるいは魂とでも言うのかもしれない。何にせよ、アイラちゃんやアリアちゃん、エムくんにはあって、彼女には無かったもの。それが不完全な人工知能、不完全な人間の正体だよ」
「足りないものが何なのか、知る術なんてあるのか?」
いっちゃんは一瞬、複雑な表情で自分の身体を見下ろした。
「抽象的だけど、ある程度予想はついているの。このアンドロイドには無くて、アイラちゃん達にあるもの。それは、なんだと思う?」
「う~ん。暴言とか?」
「死ね」
バシンッ、と小さな手に額を叩かれる。
「生まれる前の経験だよ。受精卵の中で人の形を成すまでの経験が、機械にはない。シユルちゃん達は人工授精だから違うけど、普通なら母体の中で経験するであろう何かが、人間には必要不可欠なの」
「生まれる前の経験? そんなの覚えてないけど」
「記憶には無いかもしれないね。でも、その経験は脳の中に間違いなく保管されているはずなの。人は母体の中で何度も生と死を体験し、森羅万象の知識を得ると言われているよね。その膨大な情報が本能や魂の起源であると、あたしたちは考えた」
「へ、へぇ。なんかスケールの大きな話だな。人間ってそんなにすごかったのか」
「もちろんだよ~。人間だけじゃなく、生物というのは未だに謎だらけなの。母体の中で、生まれる前から死の経験をしている可能性があるんだから、それを機械で再現しようなんてとっても困難なことだよね。あたしたちの苦労、少しはわかってくれた~?」
「う~ん」
苦労はわかっても、そこまでして機械の人間を造り出す必要などあるのだろうか。そう思い、いっちゃんに質問しようとしたが、やっぱりやめた。話が長くなりそうだったので。
怠そうにいっちゃんの話を聞いていた雪菜が口を挟む。
「で、結局こいつが死んだ理由はなんだ? まさか、心を持つために死の経験を得ようとした、なんて話じゃないだろうな」
彼女は何気なく言っただけのようだが、その言葉に対して幼い研究者は大きく目を見開く。
「まさか………!?」
いっちゃんは急いでアンドロイドの身体を再度、点検する。
「っ………、やられた……」
彼女にしては珍しい、苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。
「何?」
「軍用のアンドロイドには情報漏洩を防ぐために、破壊される直前、完全なデータ消去が可能になるの。この子はそれをやった」
「それってつまり………」
「誰にも知られず、誰にも見送られず、この子は消えたの。彼女が逃亡してからの数週間を知る術は、もうない」
「じゃ、じゃあ、このアンドロイドは二度と、動かないのか?」
「修理をすれば動く。でも――――――」
「それは、もう別物かもしれない。そういうことか?」
雪菜が口を出す。いっちゃんは動揺したように目をあちこちへと躍らせた。
「それは、わからない。この子のデータは完全に消えた。それは、死と呼んでも良いのかもしれない。でも、研究所に残った逃亡前のデータを再インストールすれば、同じアンドロイドが出来あがる………」
「ってツラでもないぜ、惟良。このアンドロイドはただの機械じゃない。心を得るために研究所から逃げ出し、自殺を選んだ、たった一つの魂だ。複製なんて、できねぇよ」
全員が、一様に倒れたアンドロイドを見つめた。屈んで、その顔に触れてみる。冷たい。でもそれは、機械の冷たさではなく、命の灯が消えた冷たさに思えた。引き摺られていたせいか、顔の人工皮膚は半分が削がれ、無機質な金属が覗いている。その凄惨な姿とはちぐはぐに、彼女の頬は少し緩んでいる。穏やかな死に顔だった。
ん~! と雪菜が大きく背伸びをして、
「何はともあれ、依頼は完了だな。成功したのかどうかはともかく、帰ろうぜ。ダラダラしてると日が沈んじまう。シユル、そいつ車まで運べよ」
目でアンドロイドを指して言った。
「えっ、僕だけで? 手伝ってよ」
「はぁ? お前、このわたしに何をしたか、忘れた訳じゃないだろうな」
「うっ。わかったよ」
倒れたアンドロイドの腕を取って、肩に担ぐ。
「雪菜。右手がまだほとんど動かないんだけど、どうにかならない? これ」
「ああ、忘れてた。仕方ないな。……アリア」
雪菜の傍に控えていた黒猫が軽やか足取りで駆け、僕に向かって跳んだ。
「わわっ」
慌てて避けようとするが、アンドロイドを抱えていたこともあり、身動きが取れない。そんな僕の右腕に、黒猫は噛みついた。そして、バチッと音がしたかと思うと、
「あだぁああだだだだだだだだだだだだだ………!」
全身を襲う激痛。すげぇ電気流れてる。
「仕返しだ。とっときな」
ぷしゅ~、と煙を上げながら、立ち去っていく三人を見送る。ユズリにまで見捨てられるとは、少し怒らせ過ぎたようだ。
「ちくしょう。重い」
「自業自得です。これを糧に、次から軽率な行動は控えてください」
「はいはい」
アイラの苦言を聞き流しながら、僕はよぼよぼとアンドロイドを運ぶ。ふと、なんとなく後ろを振り返ると、穏やかな波音に包まれて夕日が水面を照らしていた。陽光の遊び場となった海は、まるで別世界のように綺麗だった。
『なぁ、アイラ。こいつがこの海を見たら、何て言うかな』
『それは、「美しい」と言うんじゃないですか?』
『………そうだな』
海から目を逸らし、僕らはもう一度歩き始める。と、不意に、
「ガ……ギ……ギ……グ、ギ、ギ」
肩に担いだ機械から音が漏れ出した。
「お、おい、アイラ。なんか、動いてるんだけど……」
「……これは驚きです。先ほどの雪菜の電撃で電力が一時的に復帰したのかもしれません」
「そ、そうなのか。で? これ、どうなるんだ?」
「どうにもなりませんよ。何のデータも入っていないコンピュータが起動しただけです。電力がなくなれば、すぐ元に戻るでしょう」
「でも、こいつ――――――」
何か言いたそうだ。という言葉を発しようとした瞬間、アンドロイドと目が合う。イエローの、まるで獣のような瞳。不思議とどこかで見たことがあるような、そんな感覚。
「し……ゆる」
「「!!!」」
僕とアイラは目を見開いた。目の前の彼女は間違いなく、僕の名を呼んだのだ。
「まもって、くれて……、ありがとう」
彼女は欠けた顔で、華麗に笑った。
「おっきく、なったね」
そう言って夕日に染まった僕の頬を撫でたアンドロイドは、数刻前の僕のように、後ろを振り返る。
そこには緩やかに波音を奏でるオレンジの海。
「とっても、綺麗ね」
彼女はそう言った。どんな表情をしているのかは見えなかった。けど、想像は容易かった。
その声が、機械のような無機質さとは、遥かに遠いものだったから。
プツッと電池が切れるように、いや、実際そうなのだろう、彼女は元の鉄の塊に戻った。
「なんだよ、今の……」
困惑してアドロイドを見てみるが、そこにあるのは機械の重みだけだ。
「わ、わかりません。ですが、先ほどの言葉、まるで感情が………」
アイラはそこで言葉を呑みこんだ。このアンドロイドに心は無い。ついさっき、いっちゃんに言われた台詞が頭を過ったのだろう。
それを思い出した僕は前を歩くいっちゃんを見る。目があった。幼い少女とは思えない瞳だった。何かを悟りきったような、大人の目。彼女は申し訳なさそうに、その目を伏せた。
「知っていたのか?」
誰にともなくそう呟く。いっちゃんはここで起きた全てを理解しているように思えた。
「君たちは、何をしようとしているんだ………」
薄暗い影を含んだ赤い光が、不気味な波音を落としていった。
前半の説明、長過ぎですね・・・。文章力が足りず、読み難くなってしまいました。
次話から三章に入ります。回想シーンです。
全然何も覚えてねぇよ、って感じになるかもしれませんが、今まで引っ張ってきたものをガッツリ回収できればと思います。