砂浜にて
見知った懐かしい顔に出会ったのは、スペシャルカフェのおいしい店、カフェ・ド・ファクティスを出た矢先だった。
「おっ? シユル?」
そんな風に声を掛けられて、首を動かす。
「依鈴?」
そこに立っていたのは一人の女性。歳は五十前後といった所だろうか。目の端に刻まれた皺が経験の違いを思わせる。
ブラウンの巻き毛に、ヘーゼル色の瞳。堀の深い顔立ちは東洋人とは一味違う。他国の生まれらしい。様々なモノを見て来たのだろう、その目には厳格さに加え、落ち着きを感じさせる重みのようなものがあった。
「やっぱり、シユル! あらまぁ、大きくなったねぇ!」
頬を柔らかく緩ませた彼女は僕の肩を小さく叩いた。
「そ、そりゃどうも。依鈴は少し、老けたかな」
シンプルなシャツとジーンズ姿の女性はケタケタと笑い声を上げた。
「相変わらずあんたは歯に衣着せないね。これでも同世代の人間には若く見
られてるんだが。どうだい? 元気にしてたかい? まぁ、先日の実験を見た感じだと、聞くまでもないか」
「なんだ。依鈴も見てたのか。本社に転勤したんじゃなかったのか?」
「そりゃ見るさね! 担当研究員としてあんたを息子同然に育てたんだ。晴れ舞台を見逃すわけにはいかないよ。本社で面倒な審査抜きにここに入れる人間も少ないしねぇ」
依鈴は元岩重神経研の研究員だった。ニ年前までは実験体001の第一世代と、実験体002、003の第二世代と呼ばれる人工知能全てを担当する統括研究員だった。
002はユウ、003は僕だ。ちなみにイレイとアイラの頭文字、「I」も、依鈴の頭文字から取られている。正式名称の頭文字は担当研究員を識別するための記号だった。僕達の世話はすべて担当研究員が担う事になっている。
依鈴は本部転勤になってこの街を離れたが、僕達の年齢がある程度まで達していたこともあり、一人暮らしを許されたのだ。
しかし、彼女からすれば、誤算だったようだが。
「ユウは、まだ見つかってないのか。はぁ。こんなことならやっぱりお前達も一緒に本社へ連れて行くべきだったよ」
「それはお断りだよ。本社には二度と帰りたくない」
僕とユウは元々本社生まれの人間だった。七年前、この街の完成と共に引っ越したのだ。
「何を言っている。お前達は我が社の技術の結晶。本社の研究員からすれば英雄だぞ」
「英雄? 一体何の? 僕らが英雄なんじゃない。僕らを見たあなた達が英雄気分に浸れるだけじゃないか」
僕を見る訳じゃない。彼らは自分達の技術の結晶を見ているだけなのだか
ら。
「やれやれ。斜に構えて物事を見る癖も健在のようじゃないか。なぁ、アイラ」
「はい。いつまでたってもシユルは卑屈な男なのです。故に、モテません」
「アイラ。それは関係ないだろ」
「アッハハ! アイラも相変わらずだね! ……時に、その後ろにいる娘、もしかして雪菜かい?」
僕の斜め後ろを目で指して、依鈴は問う。
「どうも。ごぶさたしています」
ぶっきらぼうに雪菜は答えた。彼女は研究者と名の付く人間には基本的に冷たい。
「お前も随分とおおきくなったねぇ。見違えるようだ。昨日の実験では驚いたよ。お前は元々プログラミングの才能が人並み外れていたが、まさかあれ程の武器を瞬時に造り上げるとは」
「あんなの、簡単だ」
雪菜はまんざらでもなさそうに目を背けた。依鈴は僕らの扱いが上手い。
「ん? というか、もしかして私はお邪魔か? デート中だったかね?」
「は?」
この婆さん、耄碌したのか?
「こんなやつと? あり得ない」
雪菜が胡乱な眼で僕を見て言う。
「ほほう、そうか。確かに先は些か遠そうだがな」
やけにニヤけた依鈴の表情が少し不気味だった。本能的に僕は話題を切り
替える。
「それで? 依鈴はこんなところで何してるんだ? まさか昨日のイベントのために帰って来た訳じゃないだろう」
「ん? いやいや、メインはもちろんお前達の雄姿を見るためさね。今は昔馴染みとの会合が済んだとこ。明日には本社に戻らんといかんがね」
「そうですか。では、研究所には?」
と、アイラ。
「ああ、そうそう。研究所にはこれから顔を出そうと思っていた所だよ。惟良に伝える事が………といっても、こうなった以上、お前達に直接伝えた方が早いか」
「? 僕達に?」
「そうさ。お前達に関する話だからね。先日の実験は本社でもリアルタイム中継されていてね。それを見たお偉いさんから直々の依頼が来てるんだ」
依頼? そういえば、いっちゃんがそんな事を言っていたな。でも、
「依頼って、わざわざ僕らみたいな子どもにやらせなくても、もっと確実な方法があるんじゃないのか?」
重要な件なら尚更だ。人を雇うのに金をケチるほど、ライトジーン社は困窮していないはずだ。今や世界トップのバイオテクノロジーを誇る企業なのだから。
「今回はお前達が適任なのさ。なにせ、本社が雇った連中は尽くこの依頼に失敗しているからね。中には重傷を負った者もいる」
「ふんっ。危険な依頼だからあたし達が適任ってことか? それはとっても合理的な発想だね」
皮肉たっぷりに雪菜が発言する。
「それについてはすまないと思っている。だが、ただ危険なだけの仕事なら私だって断っているさ。お前達にも利益はある」
「と、いうと?」
僕は特に期待もせずに尋ねる。
「この依頼を成功させれば、お前達に一週間の慰安旅行の許可を与えよう。行き先はどこでも可能だ。もちろん、この街の外でもな」
依鈴の言葉に一番強く反応したのは僕では無く、雪菜だった。
「こ、この街の外に、出ても良いのか?」
「ああ、そうさ。ユウの件もあるから監視は付くが、基本的に一週間、自由に過ごしてもらって構わない。行き先の制限も特に無い。外国でも何でも好きな所に連れて行ってやるさ」
不敵な笑みを浮かべた依鈴に対し、僕は呆れた声を上げる。
「それだけか? 僕にとっては別に良い条件でも何でもないな」
「ほう? シユル、お前はこの街から出たいと思ったことは無いのか?」
「そりゃ、あるよ。毎日検査で好き勝手身体をいじくり回されるのにはうんざりだ。でも、たった一週間外に出たからって何になる? 何も変わらない。それだと依鈴と一緒に本社へ連れて行かれるのと同じじゃないか」
すると、僕の意見に対して予想外の所から反論が来た。
「それは違うと思います。この旅行は監視が付く以外は完全に自由。そうでしょう? 本社の隔離区域に閉じ込められて過ごすのとは訳が違います。ありのままの外界を知るには良い機会でしょう。本当に自由ならば、ですが」
「それは私が保証するよ、アイラ。監視と言っても単純に私が同行するだけだ。さして問題じゃないだろう? それに、本社としてもお前達をいつまでも箱の中に閉じ込めて置く気はないのさ。本社が望むのは人工知能の社会参入。我が社の遺伝子技術は世界トップだが、最早その技術も限界まで来ている。他企業が追いつくのも時間の問題だ。今、求められているのはその技術の応用。すなわち、人工知能を社会に認めさせ、売りだすことだ」
「売り出す、ね」
いっちゃんの言っていた自立というのはこのことだったのか。
「シユル。聞こえは悪いかもしれないが、これが事実さね。私はお前達に綺麗事を並べる気は無いよ。もう十分大人だ。特に、あんたは清濁呑み込む度量もある。望みがあるのならば、自分の思考を押しつけているだけでは叶わないさ。相手の都合を理解し、その内に自らの利益を割り込ませないといけないよ」
物は良いよう、だな。清濁呑み込む度量? 違うね。僕は汚れた物に蓋をしているだけだ。それを綺麗にする力も、勇気も無いから。
少しでも気を抜くと、この年季の入った婆さんの言葉に言いくるめられてしまいそうだった。
「わかってるよ。で? そもそも、その依頼っていうのは何なんだ? 何にせよ、それを聞かない事には何も出来ない」
「おっと。そうだったね。どうも、お前やユウと話をしていると脱線してしまう。こんな老いぼれとまともに会話してくれる若者は少ないからね」
「老いぼれって歳でもないだろ」
「おっ? 珍しく耳触りの良い言葉を言うじゃないか。まぁ、依頼ってのは単純なものさね。難しい計算や法則は不要だ。ただ、探し物を見つけて、持って帰ってくれれば良い」
「探し物?」
「そう。一月前に脱走したのさ。史上初、軍用に造られた人工知能搭載のアンドロイドがな」
「人工知能搭載の、アンドロイド?」
「うむ。ここにいるアイラや、アリアに比べれば陳腐な代物だがね」
要は先輩が後輩を指導するってことさ。多少は厳しく接してくれても構わんよ。
そう言って、依鈴はケタケタと笑った。
依鈴と出会った次の日、僕らは車に乗って街の端、海に向かって進路をとっていた。座標を入力された車は自動操縦で海岸線を目指している。昔は車に乗るための許可証が必要だったという話だが、現在は全自動なので、ID登録されている者は誰でも乗れるようになっている。エイクズからの自動電力供給があるので、給油や充電など、面倒な寄り道も一切ない。
「いっちゃん。その逃げ出したアンドロイドはなぜこんなところにいるんだ?」
車の窓から外を見回しながら問う。人っ子一人いない道。中心部ではとんと見かけることのない緑の森。元々人口の少ないこの街では、中心部を離れると途端に田舎町へと変化するのだった。
「う~ん。理由はまだわかってないらしいよ~。というかそれを調べるための依頼でもある訳だし。この辺なら身を隠しやすいと考えたのか、それとも他の目的があるのか、捕まえてみないとわからないね~」
「ふんっ、理由なんてどうだって良いだろ。さっさと捕まえて、外の世界を久々に見に行こうぜ」
雪菜はまんまと餌に釣られたようで、今回の依頼に対しては少々テンション高めだ。
『シユル。この依頼、本当に受けるつもりですか?』
心なし不安げな声を上げたアイラが脳内で囁く。
『ん? 何か問題でもあるのか?』
旅のお供に持ってきた棒状の菓子を齧り、僕は言う。後部座席から身を乗り出したユズリが羨ましそうに僕の頭にかぶりついていたので、仕方なく一袋分のお菓子を口の中に放り込んでやった。遠足に来た子どものようにはしゃぎながら、彼女はそれを咀嚼した。
『いえ。具体的に何かあるわけではありませんが、気になっていることがあります』
『なんだよ。他の人に聞かれるとまずいことなのか?』
アイラが緊急時以外で脳内通信を行うことはあまりない。実際に言葉を交わすおしゃべりが好きなのだ。
『それは、まだわかりません。ただ、嫌な予感がするのです』
『嫌な予感?』
『はい。逃げ出したアンドロイドは人工知能搭載型だと、依鈴先生は言っていました。しかし、良く考えてみてください。ライトジーン社は未だ、人を介在させない人工知能の製造には成功していないはずなのです。無から人と同様の知能を構築することが出来なかった。だからこそ、私たちのように人と機械を融合させることで、擬似的な人工知能を誕生させた。逆転の発想で、完成した人工知能からその原理を得ようとしたのです』
『へぇ。そうなんだ。知らなかった』
『………このおバカさん』
『つまり、アンドロイドに人工知能が搭載されているのはおかしい、ってことだろ? でも、アイラに比べれば不完全だと言っていたじゃないか。僕らを研究することで何か新しい発見があったとしても不思議じゃない。君の言うとおりそれが目的なんだからさ』
『それはそうですが、何か引っ掛かるのです。私の印象ではアンドロイドに人工知能を搭載出来るほど、研究は進んでいないと思っていたのですが』
『君、まさか研究所のシステムをハックしたんじゃないだろうね?』
『………てへへっ』
『笑ってんじゃないよ! バレたらどうするんだ!?』
『そんなヘマはしません。シユルは私を信頼してくれているのでしょう?』
『うっ。こういうときに持ち出してくるか。いいよ、わかった。僕に黙っていたことは許そう。でも、もう二度とそんなことはするなよ。ハッキングに成功するならまだ良い。けど、研究所のセキュリティはかなり高度だ。防衛システムに引っ掛かって君の意識がデリートされれば、笑い事じゃ済まない』
『大丈夫ですよ。もう、あそこのシステムは熟知――――――』
『関係ない。アイラ、約束してくれ。君にもしもの事があれば、僕は君を絶対に許さない』
『………わかりましたよ。まったく、こうるさい男ですね。そんなだからモテないのです』
『それも関係ないだろ』
どちらかというと、いつもこうるさいのはアイラの方だ。
「あ~、な~」
不意に、頭部をペシペシと叩かれて、上を向く。見ると、頬に食べかすを張っつけたユズリが新たなお菓子を求めて目を光らせていた。
「はいはい。まだあるよ。こうなるだろうと思ってね」
バッグからスナック菓子を取り出してユズリに手渡す。
「あっ、あたしも欲しいかも~」
隣の席に座ったいっちゃんが許可も取らずに僕のバッグを漁りだした。そしてさらに、
「おい。あたしの分はどれだ?」
雪菜までそんなことを言い出す。
「えっ。君もいるの?」
「なんだよ。文句あるか」
「いや、別にないけど」
雪菜がスナック菓子を食べている所など見たことがない。いつもは簡素な栄養食ばかりなのに。渡した菓子をバリバリと貪る雪菜はどこか遠い目をしていた。まるで何かを、思い出しているような。
「なんだよ、顔になんか付いてるか?」
こちらを睨む彼女に内心ビクビクしながら、
「いや、別になんでもないよ」
そう答えた。
食べかすを気にして頬を擦る彼女は、猫みたいで、どこか愛着が湧いた。とは言えない。
「シユル。鼻の下伸びてます」
アイラがそんなことを言った。
「は? そんなことないよ」
「伸びてると言ったら伸びてるのです! ふんっ、この間からちょっとちやほやされただけでつけ上がって、あなたは童貞の鑑ですね!」
「な、なんだよアイラ。機嫌悪いな」
「悪くないです! あなたが悪いのです!」
「いや、意味わからないよ。どうしたんだ?」
「うるさいのです! 話しかけないでください!」
言って、アイラは休眠モードに入ってしまった。動作を止めた妖精が僕の肩に落ちる。
「なんなんだよ。一体……」
僕らを乗せた車はのんびりと走り続けた。
海が近付くと、にわかに周囲が活気づいてきた。夏真っ盛りのこの時期、行楽にはうってつけのようだ。といってもそれほど多くの人がいるわけではない。この街は周囲を海に囲まれた孤島の中に造られている。海に行きたければ東西南北どこに行っても辿り着けるのだ。
では、なぜこんな輸送の不便な所に街が造られたのかというと、エイクズが外に漏れないようにするためだ。街中に散布されたエイクズは海の檻に囲まれて、他の陸地に到達することはない。そしてそれは、僕らにとっての檻でもあった。
研究所から逃げ出したとしても、この島から逃げることは出来ない。入島時のように厳密では無いが、出るときにも何かしらの審査はある。許可証の無い者が航空機、もしくは船に乗って島を出ることなど不可能だ。
それをやってのけた人間が一人、いる訳だが。
「や~、快晴だね~」
駐車場から降りたいっちゃんは空を仰ぎながらそう言った。手には厚さ数ミリのガラス状携帯コンピュータが握られ、逃走したアンドロイドの位置が小さく光っている。人工知能搭載のアンドロイドの体内には発信機が付けられてあったそうだ。準備の良い事である。
「うぃ~!」
狭い車内から飛び出したユズリも大きく背伸びをする。ボンネットを開けると、黄褐色の金属片が詰まっていた。ユズリが手を動かすと、金属片の形が歪み、二メートル超の巨人が現れる。エムスだ。身体が大きすぎるのでこうしないと運べなかった。
と、こちらに小走りしてくる人間が一人。
「ね~! 早く海にいこ~!」
十一歳の女の子はそんなことを言った。
「海って……。いっちゃん、僕らは別に遊びに来た訳じゃないんだから」
「え~!? 泳がないの!? せっかくここまで来たのに!」
どうやら彼女にとって大切なのは、逃げ出したアンドロイドの捕獲より、大海原で羽を伸ばすことらしかった。
僕の手をグイグイ引っ張りながらいっちゃんは「海~! 海~!」と叫んでいる。
それに加えて、
「い~う~!」
ユズリがあろうことか僕の背中にジャンプタックルを仕掛けて来た。そのまま、よろめく僕の身体におぶさる。
「お~!」
頭の上で叫ぶユズリが指差した先には大海原が。
「いや、だから行かないって言ってるだろ……」
はぁ。と一つ溜息を吐いてユズリを地面に下ろす。
「う~」
彼女は不満そうに指を咥えてこちらを見上げた。
「ダメだ。僕らに遊んでいる暇はない」
甘やかしは禁物である。
「え~! せっかくここまで来たのに~! 一日、二日でアンドロイドはいなくならないよ~。発信器だって付いてるんだし、ちょっとぐらい~!」
本来、僕らを諌める立場であるはずの引率研究員が最もはしゃいでいるという事態が問題だ。
「いっちゃん。依鈴に言われただろ? 可能な限り迅速に依頼は遂行するようにって」
「でも~、でもでも~、あそびたい~~~!」
問答無用で押しの一手である。すると、
「別に、良いんじゃないか? アンドロイドはわたしとシユルの二人で捕獲すれば良い。惟良とユズリが遊んでる間に終わらせてやるよ」
雪菜が自信満々にそう語った。
「相手は戦闘用アンドロイドだぞ。そんな簡単には――――――」
「なら尚更だ。そんな所に惟良みたいな子どもは連れて行けないだろ」
「それは、そうだけど………」
あれこれ反論を考えてみたが、思いつく言葉は無かった。むしろ、雪菜の言っている事が全面的に正しい。
「わかった。雪菜の言う通りだ。いっちゃんとユズリが海にいる間に僕らはアンドロイドに会って来るよ。いっちゃん、受信機貸してもらえる?」
アンドロイドの位置を示した受信機が無ければ、捕まえられない。ここからは車では無く、徒歩で行く予定だった。そちらの方が相手に見つかる可能性が低いと判断したのだ。
しかし、携帯コンピュータを持った女の子は、そいつを胸に抱えて僕の手から遠ざけた。
「? いっちゃん?」
「二人は? 一緒に遊ばないの?」
彼女の瞳は少し寂しげに揺れていた。だらしなく語尾を伸ばす癖も無くなっている。
「ああ………。まぁ、そうなるかな」
彼女の心情を大方把握しながらも僕はそう答えた。
沈黙が海の波に運ばれてやって来た。
女の子の伏せられた目が口の何倍も多くを語る。と、不意に、
「あい!」
ユズリが僕の腕を掴んだ。
「どうやら主は海よりも依頼の方を選んだようですな」
エムスがユズリの行動を説明した。
「あっ、ユズリんだけずるい! あたしもそっちにする!」
一転して、いっちゃんが僕のもう一方の腕を掴む。
それを見た雪菜が、
「羨ましい。両手に花だな」
ニヤけてそんなことを言った。
「はぁ? 両手にガキだろ。コロコロ意見変えやがって」
「わたしもお前も、依鈴先生から見ればガキだ。クルマん中でそうやってアイラに釘を刺されたんじゃないのか? あまり姫に嫉妬させるなよ」
雪菜の言葉に僕は驚く。こいつ、シレッと良く見ているな。アイラがこの依頼に対して不信感を抱いていることに気付いてる。街の外に出る権利を得る事だけに執着しているように見えたが、なかなかどうして鋭いやつだ。………というか、
「嫉妬ってなんだよ。あいつがそんなのする訳ないだろ」
今度は何故か雪菜が驚いたように目を見開いた。
「やれやれ。双子でこんなに違うんだな」
彼女は口を歪めて苦笑した。
「むっ。うるさいな。僕はどうせあいつには勝てないよ」
「あっそ。かもな」
無愛想に返答した少女は最後に、負けちゃいないけどな、と付け足してくれたような気がした。聞き間違いかもしれないけれど。
逃亡したアンドロイドは一キロほど先の自然洞窟の中に身を隠しているようだった。崖の中腹にあるその洞窟は上下どちらからも侵入が難しく、隠れるには絶好の場所だろう。しかし、エイクズからの電力供給があるとはいえ、このような過酷な環境で機械仕掛けの人形が良く生活出来たものだ。海風に当たれば当然、身体は錆びていく。故障した部位を修理するにもエイクズだけでは部品が足りないはずだ。
「いっちゃん。アンドロイドがここに身を隠し始めたのはいつ頃?」
海辺の道を歩きながら尋ねる。
「え~と、一週間前ぐらいかな。結構頻繁に洞窟から抜け出して、周辺を散策しているみたいだけど」
「へぇ」
追われている身とは思えないな。食料供給も不要な身体なのだ。僕なら洞窟内でジッとしていることを選ぶが。……いや、身体を保つための部品は必要か。そう考えると頷ける。
それから十数分、口数も少なく僕らは歩いた。いざ、戦闘用のアンドロイドと対面することを考えると、やはりどこか不安や緊張があったのかもしれない。
「あっ、動いた」
不意に、いっちゃんがそう呟いた。受信機の光点がゆっくりと移動している。
「………こっちに近づいて来てるな。気付かれたか?」
画面を覗き込んだ雪菜が補足する。
「隠れよう」
僕の提案に雪菜といっちゃんが頷き、ユズリが眠たそうにあくびをした。
相手が僕たちの存在を認識したのかどうかはわからないが、いっちゃんを連れたままでは戦えない。彼女だけでもアンドロイドの目の届かない所へ遠ざけておきたかった。
アンドロイドは浜辺を歩いているようだった。僕らはその進路上から離れた岩陰に隠れる。対象が移動する浜辺とは道路一つを挟んで数十メートルの距離があった。
今のところ、アンドロイドが進路を逸れて、僕らの方に向かってくる気配はない。光点が近づくにつれ、受信機から目を離し、実際の浜辺に向けて目を凝らした。
もうすぐ肉眼で、相手の姿を確認できる。
張りつめた空気の中、雪菜がアリアを狙撃銃へと変換し、スコープに目を当てた。
数秒後、目に映ったのは数人の男女だった。
水着を着ている。一見、若者の集団が海水浴に来ているように思えるのだが、
「いっちゃん。もしかして、逃げ出したアンドロイドって一体じゃないの?」
予想外の光景にそんな言葉を漏らす。
「い、いや~? 一体のはずなんだけどな~。おかしいな~」
彼女は受信機と実物を交互に見ながら自信なさげに言った。いっちゃんの言葉が真実であるなら、アンドロイドは人間と行動を共にしていることになる。しかも、
「楽しそうだな」
男三人、女二人で浜辺を歩く集団はえらく楽しげにおしゃべりをしていた。一目でアンドロイドと人間を見分けることは出来ない。
「そんな。ありえないよ。このアンドロイドはまだ人の中に溶け込めるほど高性能じゃないもん」
「でも、現にああして――――――」
「いや、シユル。惟良の言ってることは正しいみたいだ。良く見てみろよ」
スコープを覗いた雪菜がそう言った。心なしか彼女の声が震えている。それは何かに怒っているようにも、恐怖しているようにも聞こえた。
不思議に思い、彼女の言葉通り目を凝らす。すると、男三人が何かを掴んで浜辺を引き摺っているのがわかった。しかし、それ以上は逆光で見辛い。
『シナスタジア、使いますか?』
『アイラ。起きてたのか?』
『あなたの心拍数がこれほど上昇すれば嫌でも起こされます』
『ああ、そっか、ごめん。やってくれるかい? 視覚と、あと聴覚も頼むよ』
『了解しました』
一瞬の目眩の後、世界の色彩が変化する。まるで目玉を取り換えたかのような感覚。さすがに、音が色付いて視えることは無いが、砂粒の形すら把握できるほどに鮮明な景色だった。そして、
(おい、こいつもうぶっ壊れてんじゃねぇ? 全然動かないんだけど)
『聴覚に指向性を付加しました。『カクテルパーティ効果』です。集中した場所の音が優先して聞き取れるはずです』
僕はアイラの言葉に小さく頷く。
(アハハ! のぶ、ひどぉい) 女1
(でもさぁ、こんなことして大丈夫なの? 結構この機械高価そうだけど) 女2
(はぁ? 大丈夫に決まってんだろ。おれらは不法投棄されたアンドロイドを始末してやってんだ。感謝されて良いぐらいだぜ) 男1
(始末ってお前、どうせまたすぐ捨てるんだろ? もったいねぇ。持って帰れば雑用なんて全部そいつがやってくれんのに) 男2
(いやいや。こいつ、絶対どっかの変態が所有してたラブドールだって。生々しい顔しやがって、気持ちワリィ。そんなモン持って帰れるかよ。マスター登録されてるから無理やり命令もきかせられねぇしな) 男1
(だな。大体、そいつらが土木関連の雑用を俺達から奪いやがったから、こんな街まで来ることになったんだ。補助金目当てでさ。ちょっとぐらい復讐したって罰は当たんねぇぜ) 男3
(そうそう。これは人間の権利を守るための正当な行為だぜ。オラオラ、俺たちに引っ張ってもらってないで少しは自分で歩けよこの鉄屑が) 男1
ああ、なるほどね。そういうことか。
「アンドロイド狩り、か」
誰にともなくそう呟く。それに対して、雪菜が返答する。
「そういうことだな。わたし達が追っていた獲物はすでに捕えられていた訳だ」
「えっ? なになに~? あたしにもみせて~」
スコープに割り込んでくるいっちゃんを雪菜は押しのけた。
「あっ、も~」
膨れている彼女に、雪菜は問いかける。
「惟良。あいつのセーフティは? 解除してあるのか?」
自立稼働の機械には必ず、人間に危害を加えないようにセーフティが付いている。
「セーフティ? 付いてないよ~? そんなもの。軍用だもん。命令服従の機能は付いてるけど、マスターを決定する前に起動させちゃったから意味ないみたい」
「ふんっ。軍用なら何でもありかよ。 けど、それだとなぜ反撃しないんだ?」
雪菜の問いは僕に向けられたものだったが、正直言って何も聞いちゃいなかった。
「おい、シユル。聞いてる――――――」
途中で言葉を止めた雪菜の目に何が映ったのかはわからない。ただ、気持ちの良いものではなかっただろう。そこにあったのは僕の顔なのだから。
「雪菜。君らはそこで待っていてくれ。ちょっと行って来る」
僕は立ち上がって隠れていた岩を飛び越える。
「おい! どうするつもりだ!」
追い縋った雪菜に肩を掴まれる。
「僕にだって許せないものは、ある」
なぁ、そうだろう? アイラ。
「雪菜! シユルを止めてください! 危険です!」
アイラ。そりゃないだろう。相手が機械だからって、何でもして良いと思っているやつらには、制裁を与えるべきだ。
「シユル、止まれ。戦闘用アンドロイドがあんなやつらに負ける訳が無いんだ。もう少し様子を――――――」
「黙れよ」
関係ないんだよ。そんなことは。
「………止まれ。今のお前はまともなやつの目じゃない」
雪菜の狙撃銃が変化して二丁の拳銃に変わる。
「ガウスガンだ。威力は低いが、弾丸にパラライズを仕込んだ。動けば撃つ」
それと同時、
「し~う~」
万力で締め付けられたかのような圧力を右脚に感じる。見ると、ユズリが両腕で足を掴んでいた。彼女なりに嫌な空気を感じ取ったのかもしれない。
でも、余計な痛みは、遮断する。
「お前、シグナルロックを……。アイラ!」
「私ではありません。シユルが独力でやっているのです」
「バカな。どうやって………」
右下を睨みつける。
「離せ」
「あぅ……」
その一言でユズリはうろたえた。その間に右脚を引き抜く。
「残念だよ、シユル。動くなと言ったはずだ」
雪菜が引き金を引く寸前、
「『スモークジャック』」
時の流れが遅くなる。俗に言う走馬灯。何もかもが緩慢に感じられる。
走馬灯は死神の仕業などでは無い。死ぬ直前に見る幻想などでは無い。むしろ逆だ。身の危険を感じたときに生じる最大の防衛本能。生への執着。脳が活性化しているのだ。いや、正確には活性化させた、だが。シナスタジアの応用だ。
雪菜が銃口を逸らしたのがわかった。優しいやつだ。そのままこめかみに打ち込んでいても死にはしないだろうに、彼女は右肩を狙っているようだった。
銃声が鳴り響く。
通常へと戻った時の中で、銃弾は僕の右腕を掠めていった。
「なっ!」
目を見開く雪菜の腹に膝蹴りを一発。
「か……っは……!」
彼女は地面へ蹲る。銃弾の掠った右腕が動かなかった。完全に麻痺している。銃弾に仕込まれた電流が神経に何らかの影響を及ぼしているようだ。
「悪いな。けど、僕の邪魔をした君も悪い」
そう言って雪菜を置き去りにする。
「シユル! 何をする気なのですか!?」
「別に。少しやつらに思い知らせてやるだけだ」
「少し、という顔ではありません!」
アイラの言葉は無視した。口を開くのはおろか、思考することすら億劫だった。脳の奥底から湧き上がる何かが、そうさせていた。
言葉を捨て、理性を放棄し、心臓を焼き尽くすような熱に浮かされて進む。
いつの間にか僕は、浜辺に立っていた。
海を見つめる。風が強いせいか、波音が少し凶暴だった。
下を見る。女性の形をした物体が横たわっていた。微動だにしない。着ている服は破れ、傷を負った肌からは無機質な銀色が覗いていた。髪を掴まれて引きずられていたらしい、そいつの毛髪は半分以上が抜け、そこかしこに散らばっていた。
記憶の檻の中で何かが弾ける。
誰かがこちらに向かって声を発した。そいつが僕の肩を掴む。
コブシが、顔面を捉えていた。
殴り終わるまで、自分が何をしたのかすら理解していなかった。ただ、僕の肩を掴んでいた男が宙を舞って砂の上に落ちる光景だけがあった。
強く波打った海水が、頬に水滴を散らす。後ろに控えていた男が喚きながら腕を振り回す。その手を受け止めようとした右手は麻痺して動かない。殴られる。頬に痛みはなかった。ただ、張り裂けるような感情が体中を痛めつけていた。
それを振り払うかのように、跳ぶ。
宙で一回転し、繰り出した蹴りは、吸い込まれるように男の横顔を穿った。
僕よりも一回り大きなそいつは、ゆっくりと地に落ちた。残るは三人。
一番近くにいた女に向かって僕は歩く。彼女はその場に尻をつき、僕を見上げた。
その顔面を踏みつけてやろうと、足を上げる。
『いい加減になさい!!!』
脳を揺らすほど大きな思念波が流れ込んできた。と、同時、小さな妖精が僕の視界を塞ぐ。
『シユル! あなたは無抵抗の人間に暴力を振るうのですか!? 今のあなたはアンドロイド狩りをしていた彼らと何も変わりません!』
『アイラ………』
妖精の瞳は潤み、懇願するように揺れていた。
『こんなの、シユルじゃない………』
そう言って、彼女は唇を震わせる。
僕はそっと、アイラの身体に触れる。柔らかい。興奮しているのか、肌が少し熱い。
それは、機械の温もりではなかった。アイラという一つの生命が造り出した、かけがいのない思い。世界の果てまで歩いても、これと同じものは一つとしてない。大切な、宝物。
それがなぜ、どうして、『やつら』には理解出来ないのか。
バシッ。
と、妖精に触れていた手が弾かれる。そして、アイラの身体を鷲掴みにする無骨な指。
「おい、ガキ! そこ動くな! このマシンを壊されたくなかったら大人しくしろ!」
見ると、三人目の男が険しい形相でこちらを睨んでいた。
「痛っ………、離しなさい!」
アイラが苦しそうに身を捩じらせる。
「黙れ! アンドロイドが偉そうな口を利くな!」
「あっ――――――」
さらに強く握り込まれた彼女は苦悶の声を上げた。
それを見た僕の視界が、ぐらりと揺れた。
濁流のように押し寄せる既視感。幼き日々の、記憶。
木目の椅子に座った男が言った。
『目障りだ。あいつの頭上に浮いてる機械、破壊しろ』
や、やめろ!
『中途半端にやってもすぐに再生する。すり潰せ』
やめろ! やめてくれ! シユル、頼む! やめてくれ!
「あ………ぁ………」
シユル!
………グシャリと、背筋の凍るような感触が手に残った。
「やめ………や………いやだ」
全身が震えている。恐怖、怒り、嫌悪、悲しみ、罪悪感、羞恥心、憎しみ。全ての負の感情が塊になって全身を燃やし、凍りつかせる。
「違うっ! 僕は、僕は………!」
頭を抱えて泣き叫ぶ。
「お、おい。お前、何やってんだよ」
声がして、そちらを見る。救いを、迷路の出口を求めるかのように。
しかし、そこにあったのは、手の中でもがく小さな身体。
「はっ………ぁ………あ――――――」
砂浜に膝を付き、
絹を裂くような叫喚を上げた。
身体に打ち当る海風に掻き消されることを望むように、身を蝕んでいく何かを吐き出す。
自分の声とは思えないような悲鳴が、内臓が爆発しているかのような荒々しい感情が、肺から、喉から、目から、耳から、鼻から、全身の何もかもから、とめどなく噴き出していく。
左手の爪が額を切り裂き、赤い血が砂の上に落ちる。
「はっ、はっ、はっ、はっ――――――」
息を全て吐き出した身体が空気を求めて小刻みに呼吸する。
「何だよ………何なんだよ、お前!」
男が興奮して喚く。僕はアイラを掴んだその腕に、噛みついた。
「なっ! がぁああああああああああ!」
悲鳴を上げてアイラを離す男。暴れる男の顔面を殴りつけて地面に倒す。
馬乗りになった僕はまた腕を振り上げる。振り下ろす。上げる、下ろす、上げる、下ろす、上げる、下ろす、上げる、下ろす―――――――――。
心の底で誰かが叫んでいた。いや、もしかするとアイラだったのかもしれない。彼女は僕の分身なのだから。
これは、ただの八つ当たりだ。
その言葉を、僕は踏み潰した。
「シユル!!!」
血だらけのコブシを無意識に止める。こめかみに触れる冷たい感触。
「今度は脅しじゃない。それ以上やるなら、お前を撃つ」
狙撃銃を構えた雪菜はそう言った。銃口が震えている。それは死の重みを持った、穴。
僕は腕を下ろした。馬乗りになっていた男はとっくに気絶していた。あちこちから血が垂れている。
皆、僕を取り囲むように立っていた。ハンマーを持ったユズリと、護身用のパラライズシールを握ったいっちゃん。そして、僕を抑えようとしたのか、小さな体で胸にしがみつくアイラ。
僕は立ち上がり、後ろに数歩、下がる。ユズリが警戒して、ハンマーを振り上げる。
まるで、逃げ出した囚人だ。そう思ってやっと、頭が冷えていくのを感じた。
「僕は――――――」
何を、という言葉は出なかった。全て覚えている。僕が何を思い、何をして、今ここにいるのか、その全てを把握していた。
その様子を見た雪菜が、
「やっと正気に戻ったか」
心の底からほっとした表情で狙撃銃を下ろした。
「シユルちゃん。いくらなんでもこれは、許されることじゃないよ」
横に立っていたいっちゃんが眉間に皺を寄せてそう告げる。
「帰ったら、それ相応の罰を与えます。企業の体面上、街警備には報告出来ないけど、だからといって安心はしないでね」
彼女の眼は子どもとは思えないほど鋭かった。根っからのサディストの彼女だが、教育を重んじない人間ではない。企業に不利益をもたらす、問題を起こすような人材は必要ないからだろう。
「わかってる。すまない」
枯れた声で、僕はそう答えた。
「し~う~?」
腕を軽くつつかれて、僕はユズリを見る。すると、彼女はびくりと身体を揺らして指を引っ込めた。それはまるで怯えた子犬のようだった。
「……ごめんな、ユズリ。怒鳴ったりして。もう怒ってないよ」
そう言うと、彼女は恐る恐る僕の腕を掴んだ。上目づかいでこちらを窺う瞳にぎこちなく笑顔を返す。そうしてようやく安心したのか、ユズリはパッと花のような微笑みを返してくれた。
正面に向き直ると、ふわふわと妖精が浮遊していた。顔はぐしゃぐしゃで、彼女は涙を止めようと必死に目をこすっていた。
『ごめん………』
アイラが何を思い泣いたのか、泣いてくれたのか、痛いほどにわかっていた。
『ごめんな』
でも、口から出るのは、そんな陳腐な言葉だけだった。
『バカもの』
小さく、アイラはそう返した。
『うん………』
静かに、彼女は僕に近づき、額に顔を押しあててすすり泣いた。
なかなか進まなくて、すみません・・・。後半、盛り上げられていれば、幸いです。