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I・R・A  作者: こじも
3/16

イベント

 一週間後、いっちゃんの言っていたイベントが開催される日、僕らを迎え入れたのはすんごい巨大な建物だった。上下左右、どこを見ても先端が遠すぎて、悪くない筈の目を擦ってみても掠れて見えた。


「いやはや。何度見てもここはデカイね」


 建物の外形は至極単純な長方形。しかし、人間というものは何事にも工夫を施さずにはいられないようで、要所に特殊な造形が盛り込まれていた。壁は落ち着いた濃青色で統一されているが、なぜか巨大な刀で切り刻まれたかのように歪なミラーガラスが取り付けられている。その窓には周囲の建物や空が写り込み、一瞬、長方形の建物が様々な形に分裂しているようにも見えた。変に色気づいたこの建物の名称は『サファイア』というらしい。


「そうですね。所々、まるで浮いているように見えます」


 遥か頭上を見上げると、青空がガラスに取り込まれ、濃青色の塊が空中を彷徨っているような感じがした。


「でもさぁ、ここって単なるアミューズメントドームだろ? 実験場なんてあったっけ? なぁ、雪菜?」


 隣で無愛想にそっぽを向いていたクラスメイトに声を掛ける。


「そんなの、あたしが知るわけないだろ」


 ばっさり切り捨てられた。冷たいやつである。というか女の子は大抵、僕に対して冷ややかな気がする。やっぱり僕に癒しをくれるのは純粋な心を持ったユズリだけ――――――。


「……って、また寝てんのか」


 エムスの頭に抱きつくようにして寝息を立てる彼女に溜息を一つ。薄い黄色のワンピースなんて着ているけど、これから戦闘をすることが分かっているのだろうか。……わかってないんだろうなぁ。

 と、不意に、


「なんで、わたしがこんなやつらと組まなきゃいけないんだ……」


 小声でものすごく黒い発言が聞こえた。

 横目で様子を窺うと、眉間に皺を寄せた雪菜がブツブツと不満を零しているようだった。


 ………僕、こいつ苦手なんだよね。


 首を横に振り、諦めにも似た思いで肩を落とす。

 今日の雪菜は紫色のシャツに短パンという簡素な出で立ちだった。髪型はいつもポニーテールにしていて、意志の籠った勝気な瞳に良く似合っている。外見に気を使っている様子など微塵も見られない一方で、彼女は通り過ぎた男を九割方振り向かせられるだろう、抜群の容姿を手にしていた。ユズリのように幼さを介在させない、成長した美というものを彼女は有している。まぁ、要するに美人なのだ。恵まれているのか、それとも恵まされているのか、それは微妙な所だけど。

 外見が原因かどうかはわからないが、彼女は少々プライドが高めだ。それとは対照的に、クラスで底辺の成績、怠惰でやる気のなさを前面に押し出している人間、すなわち僕のことなんかを非常に毛嫌いしているようだった。


「大丈夫かね。こんなんで」


 前途多難である気がしてならない。無事に今日という日を乗り切れると良いのだけど。


「は? 何?」

「いえ、何でも」


 惜し気もなく棘のついた雪菜の言葉に怯えながら返答する。


「最初に言っとくけど、あたしの邪魔したら、殺すから」


 黒光りする眼光に睨まれて背筋がゾワッとなった。これはチームプレイなどという言葉は存在しなさそうだ。


「ところでアイラ、僕達はどこに向かえば良いんだ?」


 エントランスホール内の雑踏に呑まれながら問いかける。


「憶えていないのですか? 相変わらずシユルは脳の使い方が下手くそですね。惟良が地下に向かうように言っていたでしょう?」

「そうだっけ?」


 う~ん。全然憶えてないや。


「おい、しっかりしろよ。わたしはあいつから何も聞いてないんだからな」


 雪菜にキツイ口調で責められて心がしゅんとなりそう。

 と、そこでふとした違和感に気付く。


「あれ? そういえば、アリアはどこ行ったんだ?」


 雪菜の連れている人工知能が見えない事に今更ながら気付く。


「………お前には、関係ないだろ」

「まぁ、その通りだね」


 雪菜の返答には些かの間があった。気になったが、掘り下げるとまた罵倒されそうなのでスルーしておいた。

 そうこうする内に、アイラのナビのもと僕達は目的地に到着した、のだが。


「え? なにこれ? エレベーターじゃないの?」

「さぁ。しかし、惟良の示した座標はここになっています。ここから地下に降りろと、そう聞いていますが」

「? どういうことだ?」


 目の前にあったのはただの穴だった。直径二メートルほど。周囲には他に何も無い。関係者以外立ち入り禁止の扉を、面倒な手順を踏んでパスしたのに(やったのは全部アイラだけど)、期待はずれも良いところだ。


「水………いや、これは………」


 アイラが穴を覗きこんで思案顔をする。不思議に思い、同様に穴内を見ると、そこは何らかの液体で満たされていた。おそらく液体自体は透明なのだろうが、底の方から差し込む光で淡いブルーに輝いて見える。というか要するに水に見える。


「ただの水じゃないの?」


 素直に口にしてみるが、それでもアイラは眉間に皺を寄せる。彼女はフワフワと飛び、おもむろにその液体に手を突っ込んだ。


「いえ、これは………やっぱり。これは『濡れない水』と呼ばれるものです。なので正式には水ではありません」

「濡れない水?」


 なんだそれ。すごいな。


「はい。化学式的には水と全く異なる構造をしているのですが、性質的には、濡れないという点を除いて酷似しています。ちなみに十分な空気を溶かせば、液体内で呼吸も可能です」

「え!? うそ!?」

「何故こんな嘘を言う必要があるのです。というか授業でも習ったはずですよ?」

「いや、それは嘘だろ」

「習ったよ」


 雪菜が鼻で笑いやがった。ムカつく。


「要はこの水だか何だか知らない液体がエレベーター替わりなんだろ? ついでに下で行われる戦闘形式の実験に対する衝撃吸収も兼ね備えてる。良く出来てるじゃないか」

「その通りです」


 心なしかアイラが嬉しそうだ。理解力のある人間がいたからだろうか。悪かったな、俺が相棒で。雪菜、ムカつく。


「お~! う~う!」

 と、興奮した声が響いて後ろを振り返る。そこにはユズリが目を輝かせて立っていた。


「ユズリ。起きたのか――――――って、おい!」


 全体的に幼さを残す少女は何の迷いも無く、濡れない水の中に飛び込んだ。もう完全に水遊び感覚だ。それに続いて、無言で雪菜も飛び込んだ。


「マジかよ。剛胆だな」

「シユル。私達も行きましょう」

「行かなきゃ、だめ?」

「もちろん」


 はぁ。と本日幾度目かの溜息を吐き、アイラの眼光に責め立てられながら、怪しげな液体の中に飛び込んだ。存外、液体は冷たかった。プールに飛び込んだ時の感覚とは少し違う。身体が簡単に沈んで行くのだ。液体自体の質量が水よりも軽いのだろう。ものの数分で底まで辿り着く事が出来た。水中での呼吸に慣れるのは無理だったが。

 床に矢印型の発光体が幾つも設えてあり、その先に進むと小さな部屋があった。そこに入ると、扉が閉まり、自動的に脱水が始まる。


「うえ~。ゴホッゴホッ!」


 体内に取り込まれた液体を吐きだそうと躍起になるが、結果は芳しくなかった。


「情けないですね。心配せずとも、そのうち揮発して体内から出ていきますよ」

「何だか、もうすでに実験が始まってるみたいだな」


 さすが実験都市と呼ばれるだけある。小部屋を抜けると、ユズリと雪菜が待っていた。彼女達の目線が頭上を泳いでいる。釣られて顔を上げると、そこには歪な光景が広がっていた。


「うわ。シニカルだなぁ」


 まるで白いモップだった。白く塗りたくられた巨大な部屋。そこから小さな白い突起が幾つも飛び出している。

 僕の目がおかしくなければあれは、人間だ。

 野球スタジオのような大きさのドーム、強化ガラス越しの観客席に人間達がひしめき合っている。そしてそれらは一様に、白い防護服を着ていた。


「ちっ、ムカつくやつらだ」


 雪菜が不満を漏らす。まぁ、彼女の気持ちもわからなくはない。僕らは自分達の事を時々、実験体と揶揄するが、それは実際のところ、僕達だけに留まらないのだ。

 なぜなら、この街には、この街にのみ、エイクズが永続的に散布されているからだ。微小機械とも呼ばれるそれは、理論的には人体に影響を及ぼす事が無いと証明されている。しかし、今までの実例が無い以上、完璧な証明では無い。そこで近未来を想定した実験都市、岩重市が造られた。

 聞こえは良いが、要は大規模な人体実験場だ。現に、外の都市からゲストが現れる時は、目に見えない微小機械を体内に吸い込まないよう、このように全身防護服に包んでやってくる。

 いっちゃんなんかは研究費が無尽蔵だと、喜び勇んでこの街に住んでいるらしいが、彼女にとってもこの光景は嫌だろう。まるで檻の中のマウスになった気分だ。


「まぁ、仕方ないと言えばそうなんだけど、さすがにここまで露骨だと嫌気がさしてくるね」


 時々、街中で防護服を着た数人のゲストに出会うことはあるが、これほど大人数に囲まれた事は無かった。しかも、心なしか集団の大半が僕達三人の方に目を向けているような気がする。


「う~?」


 ユズリが怯えたように僕の袖を掴んだ。彼女をそうさせるだけの威圧感がこの場にはあった。


「シユルの言った通りなのかもしれません。実験はすでに始まっていたのです。有機体が濡れない水を問題なく通過できるかどうか、彼らの興味はそこにあったようです」

「ふむ。つまり、僕達があの水を普通に通過できる確証は、彼らには無かったという訳だ」


 これがあっちゃんの言う、企業の広告としての役割、というやつだろうか。やはり俳優気分ではやれそうにない。


「ふんっ。こんなとこ、いつか………」


 雪菜の言葉に少し驚く。いつか……、その先は何なのだろうか。もし、想像通りなら、彼女はまだその先を諦めていないということだ。研究所内の大半が頭の中にすら思い描くことの無い光景を、雪菜はまだ追い求めているのだろうか。

 横目で見た彼女の瞳には、強い意志が感じ取れた。

 雪菜が周囲の人間を蔑んでいる理由が、少しわかったような気がした。

 と、不意に小さな影が傍を横切った。


「あっ、アリアだ」


 それは小さな黒猫だった。闇を塗り固めたかのように漆黒の体毛に包まれた、雪菜の人工知能。黒猫は主の元まで優雅に歩くと、足にその身をすり寄せた。


「ご苦労様。どうだった?」


 僕に対してよりも、二倍ほど柔らかな口調で雪菜はアリアを抱き上げる。それに応えるように黒猫がアゴを上げる。その口には何か小さな物が含まれているようだった。


「わぁ! かわい~! ありがと、アリア!」


 ん? かわいい? 雪菜の口から出た言葉としては、俄かに信じがたい。


「なんなの、それ?」


 単純な好奇心で訊いてみるが、どうやら彼女の耳には届いていないようだった。


「雪菜? お~い!」


 声の比重を上げて近づくと、黄金色の眼光をこちらに向けた黒猫が、


「フーッ!!!」


 すごい威嚇してきた。


「な、なんだよ……」

「シユル。不用意に乙女の傍に近づくのは、いかがなものかと」

「え? 乙女? 誰が?」


 アリアの鋼鉄の爪が僕の顔を引き裂いたのと同時、


『エイクズ作動実験兼総合学会の開催まで残り五分です。参加者は戦闘準備を整えて下さい。勝利条件は相手チームの破壊、もしくは戦闘不能に追い込む事です』


 人工的な音声が会場内に鳴り響いた。


「いってぇ!」


 顔面を押さえて床に伏せる僕。


「何やってんだ? お前?」


 それを雪菜が訝しげに覗きこんだ。


「い、いや、何でも。それより、そろそろ準備しないといけないみたいだね」


 後ずさりして、アリアから距離を取りながら話を逸らす。


「雪菜は? アリアを武器化出来るようにしてきたの?」

「あ? 当たり前だろ。ほら……」


 雪菜が両手でアリアを頭上に翳す。すると、黒猫の輪郭が徐々に歪み始める。数秒後、彼女の手に乗っていたのは柔らかな黒猫では無く、一メートル程もある無骨な黒い棒だった。


「じ、銃?」


 凶悪なその造形に一歩、身を引く。


「正確には狙撃銃、ですか? 形は陸軍で使用されているソコムM13に酷似しているようですが」


 アイラの捕捉に雪菜は目を輝かせる。


「おっ、わかる? そうなんだよ。この形にするのがまた一苦労でさ。中身は電気を利用したレールガン仕様なんだけど、やっぱこういった武器には外見の『重み』がないとさ。軽々しく扱えるもんじゃないだろ?」

「なるほど。その姿勢、悪くないと思います」

「そりゃどうも」


 なんか、雪菜とアイラが僕を放ってどんどん仲良くなってるような気がする。すごい疎外感。


「そういうお前等は? ちゃんとやってきたのかよ?」


 雪菜の見下した目に対して「もちろん!」と答えたいのは山々だったが、


「いやぁ、まぁ、一応ね」


 言葉を濁してアイラを見る。彼女は小さく首を横に振るだけだった。


 エイクズは空気中を漂う微小機械だ。この街の大半はこの微小機械を利用した造りになっている。妖精を象ったアイラの姿も、エイクズの集合体だ。しかし、好きな時に何でも作り出せる、という訳ではない。エイクズの操作は外部の物理的な影響を考えて構築しなくてはならないため、一朝一夕で出来るようなものではないのだ。

 例えば、妖精の形を構成する際、まず初めに外形を象る材料を集めなくてはならない。エイクズは人体への影響を考慮し、そのほとんどが有機体の構成原子のみで構築されている。すなわち、無から有を創るには限りがあるのだ。雪菜の狙撃銃にしても、その材料の大半はアリアから流用しているはずだ。エイクズは構築のサポート、足りない部分の補助に使っているのだろう。彼女の言葉を聞くに、内部がレールガン仕様になっているということは、エイクズを電力の供給に使用しているのかもしれない。

 対照的に、ユズリは至ってシンプルだ。エムスの頑丈な身体をハンマーに変換するだけで良い。エイクズは分解、再構築の手助けをしているに過ぎない。

 そして、僕はというと………。妖精の形が歪み、月光のように煌めく銀が現れる。


「針?」


 雪菜の言葉に控えめに頷いて見せる。僕の手の平に乗っていたのは鉄製の取っ手が付いた、六十センチ程の針だった。やや大きめの(きり)と言えばわかりやすいだろうか。


「……うん。まぁ、僕にはこれが限界だった、かな」


 アイラを別の形に再構築するプログラムを組むだけでも、僕の手には余る作業なのだ。


「機械相手にそれ……刺さるのか?」

「ど、どうだろ。たぶん、大丈夫だよ。予備効果もあるし」

「ふぅん。いいや、どっちにしろ、あたしの邪魔はするなよ」

「……了解」


 ぐぅの音も出ないとは当にこのことだ。自分なりにこの一週間、工夫はしてみたのだが、努力は才能に追いつけず、正確に言うならば努力の才能が見当たらず、このようなチープな形に落ち着いてしまった。


『シユル。私はあなたのことをこれ程情けなく思ったことはありません』


 挙句の果てには音声の発せなくなったアイラに、脳内で苦言を呈される始末だ。


『何言ってんだ。何事もやってみないとわからないじゃないか』


 僕の強がりに対して、アイラが溜息を一つ吐いた事だけは伝わった。

 と、袖を引っ張られる感触がして、右下を見る。


「あい~?」


 疑問符を浮かべてこちらを見上げたユズリが、前方を指差していた。何気なくそちらに目を向けると、


「………嘘だろ」


 目を疑った。そこには、どうやら今日の対戦相手と思しき機械(マシン)がその身体をもたげていた。

 赤黒い瞳。ナイフのように鋭く研がれた体毛。そして、人の体など豆腐のようにグチャグチャにしてしまいそうな、牙。

 体長は目算三メートル。全身を白色にコーティングされた、狼だった。

 いやいや。いやいやいや。それにしても、あれはデカ過ぎではないだろうか。狼なんて絵と映像でしか見たことないけど、間違いなくあそこまで大きくはないはずだ。だって、エムスより巨漢だもの。そんな哺乳類が群れで狩りをしていたらそりゃもう大変なことになるんじゃないでしょうか?

 え? 哺乳類じゃ無くて機械だろって? んなこたぁ、知ってるよ。


『……一人で何をブツブツ考えているのですか?』

『うるさいな。混乱してるんだよ』


 右手に収まった金属の重みが、木屑のように軽くなった気がした。


「デカイな。やりがいがありそうだ」


 口元を歪める雪菜の言葉に対して、僕は何を思ったか、自分の下腹部をチラ見してしまった。いやいや、そんな立派なものじゃ………ってアホか!? いや僕アホか!? 現実から目を背ける事だけはホントに得意です。

 僕が地球上で最もくだらない事を考えている内に、相手のマシンは完成を迎えたようだった。

 巨大な狼が二体。え? 二体も居んのかい。そして、その狼の背に乗っかった小さな、―――あれは、コウモリだろうか? 羽を生やした濃紫色の物体がいた。


『エイクズ作動実験兼総合学会開始まであと十、九、八………』


 カウントが進むにつれ、おもむろに視界が歪み始める。これはエイクズで何かを造り出す時

特有の光景だ。その歪む景色の様子から陽炎現象とも呼ばれる。

 ほんの数秒。それだけの時間で周囲の景色が一変した。

 茶色と緑に覆われた世界。森の中だった。種々雑多な植物に、幾多もの木。それは、あれほど巨大な狼の姿をも覆い隠していた。


『……これほどのモノをこんな短時間に? まるで先端技術のテーマパークですね』

『いや、そんな上手い事言ってやったぜ、みたいに言われても……』


 思考のみで通常よりも高速の会話を交わす。それにしてもアイラは呑気なものだ。僕達の状況、結構やばいと思うんだけど?


『―――ニ、一、開始してください』


 アナウンスと同時に雪菜が動いた、さらに、それと共に何かを粉砕するような爆音が鳴り響く。


「やばっ!」


 咄嗟にユズリを抱えて、脚をもつれさせながら雪菜を追う。

 すぐ後ろを莫大な質量が通過していく感覚があった。


『この木、脆いな! というかあの狼、あれだけの距離をこんな一瞬で!?』

『落ち着いて下さい、シユル。私達も初期位置から数メートルは移動しています。にもかかわらず、あの巨大マシンが直近を通過したという事は、相手は視界を遮る森の中で迷うことなく私達を追いかけて来たということです。特殊な空間認識能力を有しているのかもしれません』

『なんだよ。狼だから鼻が利くって?』

『わかりません。しかし――――――』

「おい! お前、着いて来るなよ!」


 数歩先を走っていた雪菜がこちらを振り返って怒鳴る。


「いや、ここは協力して――――――」

「バカか! こっちは狙撃がメインなんだ! 一緒に行動してたら利点が無くなるだろ!」


 言って、唐突に立ち止まった彼女に腹部を蹴られる。


「グフッ!」


 予想外の衝撃でユズリ共々地面を転がる羽目に。


「おまっ――――――!!!」


 文句の一つも言わせぬ間に、猫の如く俊敏に彼女は森の中へと消えて行った。

 そして、後ろからは木々を薙ぎ倒す音が。


『ちくしょう! この木、全然使えないじゃないか!』

『おそらく人工樹ですね。根もそれほど深くは這っていないようです』


 アイラ。頼むから冷静に解説する暇があるなら解決策を見出してくれよ。

 って、そんなことより、


「ユズリ! 何してんだ!」

「あい~?」


 うつ伏せに倒れたまま、呆けた声を上げる少女の頭には、名前もわからない植物が。

 そして視線の延長線上から迫りくる影。

 おいおい、冗談じゃないぞ。あんなのが突進してきたら、ただでさえ小柄なユズリはどうなるんだ? 勘弁してくれよ、ちくしょう!

 いまいち状況が呑み込めていない少女に向けて駆けだす。恐怖に足を掬われないように、巨獣の姿は視界から追いやる。だが、彼女の手を掴もうとした時にはすでに、頭上を巨大な影が覆っていた。

 ユズリの人工知能、エムスが僕らと狼の間に立ちふさがった。

 そして、少女は差し出された僕の手では無く、ゴーレムの太い足を両腕で抱え込んだ。


「な~! いあ!」


 まるで飛んでくる虫を払い退けるかの如く、ユズリはエムスを振った。

 ゴーレムの真っ赤な瞳と、狼の鋭い眼光が交錯する。

 ゴガンッ!

 鼓膜を押し潰すかのような重い金属音。と、同時に巨大な二つの塊が宙を舞った。

そして落ちた。周囲の木々を倒しに倒してゴーレムと狼が転がる。


『……これは、すごいですね』

『いや、感心してる場合じゃないだろ』


 ユズリのフラフラと揺れる身体を支えながら言う。

 と、狼よりも先に立ちあがったエムスが、


「こ、この俺がこんな鉄屑と相討ちになるとは………不覚」


 意外とユズリの便利な武器として、プライドを持っていたらしい。それもどうかと思うが。


「主よ。今度は大鎚の姿で俺を振ってくれ。それならば負けはしない」

 ……エムスは何か、生き甲斐を感じる所を少し間違えているような気がするな。うん。


「あ~、あい!」


 エムスの言葉を理解しているのか、それとも脳で感覚を共有したのか、ユズリは綺麗な敬礼を彼に向けて返した。


「おい、お前ら、そんな悠長にしてる場合じゃないだろ。早いとこ逃げないと」


 言って、ユズリの手を取って駆けだそうとしたが、根っこでも生えたかのように少女は動かなかった。


「? ユズリ?」


 少女の顔を何気なく覗き込んだそのとき、シャツの中に氷水を突っ込まれたかのような寒気を背筋に感じた。

 ユズリの目はすでに僕を捉えていなかった。

 ジャックナイフのように鋭く研がれた眼光。少女でなく、乙女でなく、幼さなど何の緩衝材にもならない。純氷のように透き通っていて、滑らかで、不純物の介在を許さない。ただ、美しく、それ故に全てを拒絶する、凍てついた瞳。

 ただ、目前の獲物を、踏み躙るだけの、存在。


「エムス、お前、『シグナルロック』したな?」


 横に無言で佇んだゴーレムを睨みつける。

 巨大な人形は身動きせず、こちらを見つめ返した。

 白々しいその態度に胸の奥がざわつく。


「シユルよ。怒らないでくれ。ユズリの意思だ。それに、すぐ終わる」

「だからって、そんな簡単にやって良いもんじゃないだろ!」


 『シグナルロック』とは、脳の機能を一部、休眠させる事を表す。宿主の身体と融合している人工知能は、その脳に干渉する事が可能なのだ。

 ユズリのこの目、態度からして、エムスは彼女の人間たる証、理性を取り払ったのだろう。

 他人よりも優れた肉体を持つ少女は、さらにその五感までも研ぎ澄ます。今のユズリは思考というフィルターを完全に捨て去り、本能のままに行動する獣と同じだった。


「お前だって、脳に干渉する副作用を知らない訳じゃ――――――」


 狼が起き上がる気配がして、僕の言葉は中断される。


「離れてくれ、シユル。主の邪魔になる」


 顔面ほどもある手が僕の胸を押しのける。


「何を――――――」

「シユルよ。お前に何が出来る?」

「何?」


 ゴーレムの輪郭が歪み、その身体が徐々に変形していく。


「右手に持った棒切れごときで、あの巨獣相手に何が出来ると言うのだ?」

「っ―――!」

「わからないか? シグナルロックをしてまで、主が守ろうとしているものが」


 エムスに覆いかぶさるほどの巨獣が牙を剥く。


「お前が羨ましい。所詮、(しもべ)に過ぎない俺では、友人の荷は重すぎるのだ」


 少女の身長を遥かに超えるハンマーが現れた瞬間、黒く穿たれた穴が少女を包んだ。

 ほんの、まばたきの合間だった。

 ――――――顔面が破裂した。

 音すら遅れて聞こえたような気がした。

 ただ、気付けば巨獣の牙は愚か、それを支える物すら消え失せた。

 ユズリが狼の背後に回り込む。火花を散らすマシンは頭を失っても動き続けている。しかし、そいつが振り向き、前足で獲物を切り刻もうとした時には、後ろ足が二本とも無くなっていた。

 そして、最後の望みも断たれた獣は鉄屑と化した。

 僕の足元にその破片が転がる。唖然とする僕を尻目に、歪な笑みがそれを見下ろした。


「ユズリ………」


 そう呟いた瞬間、彼女の瞳に光が灯った。


「し~う~! し~う~!」


 一転して無邪気な笑顔に変わった少女が胸に飛び込んでくる。


「ユズリ。良く頑張ったな。すごかったぞ」


 そう言って、頭を撫でると、子犬のようにユズリは甘えた声を上げた。

 僕はこの年下で、小さく、甘えん坊の少女に守られたのだ。


『……あなたの今の思考が無価値なモノになりませんように』

『うるさいな。わかってるよ』

 ホント、人工知能ってのはお節介なやつばっかりだ。


実際には濡れない水のことを『サファイア』と名付けたそうです。一応、作中の濡れない水は違う物質(都合のいい物質?)ということで、アミューズメントドームの方を『サファイア』にしました。

 ・・・・・・いやぁ、もう、すごくどうでもいい情報でしたね。

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