〈2-2〉
場面は移り、どこか路地裏めいた場所。そこにコルトの姿があった。
彼は今、困惑していた。いきなりどこかも解らぬ場所に跳ばされたと思った矢先、魔界にいるはずの無い天使と遭遇。おまけに個我をもった元素霊なんてブッ飛んだ相手に殺されかける羽目になるとは、思いも寄らなかったからだ。
しかし、彼が戸惑っている一番の理由は他にあった。
「何故、魔族と天使で会話が出来る?」
天使と魔族は戦争をしている。もう何百年もずっとだ。昔は二つの世界は繋がっていたそうなのだが、今では遠く離れた別の世界となっている。今では天使とは物語に出てくる化物たちの事で、自分たち魔族の敵として語り継がれてきた。言うなれば伝承の存在だ。
それなのに、である。勿論当時から文化の違いはあっただろうし、時と共に文明もそれぞれ発達していく。全く別世界で生まれた二つの言語が、こうも完璧に重なりあうのだろうか。
絶対に無いとは言い切れないが、殆どゼロに近い確率だろう。
しかし、現実としてあった事実でもある。
全く持って謎は深まるばかりであった。
「男は違うから女の方が天使か……。主の敵と言っていたから、多分間違いないな」
色々と思考を巡らせながら先程の建物から遠ざかるように歩いていると、何やら人通りの多い場所に出た。
その景色を見たコルトは驚愕する。
煌びやかな衣服に身を纏った女性。謎の長方形を指でなぞる男性。空を覆うような建物は一面のガラス張りで、綺麗な夕空を映している。その横の建物には大きな看板が掲げられ、街のネオンに照らされたそこでは厚い化粧をした黒髪の女性が真っ赤な唇をコチラに向けていた。
どれ一つをとっても、彼が今まで一度も目にしたことの無いものばかりであった。
「なっ……、なんだここは!? これが世界の果て……なのか?」
呆然と立ち尽くす彼の目の前を、淡いネオンカラーに身を包んだ女性が通る。ウェーブのかかった長く美しい髪が、仄かに甘い香りを残して去っていく。コルトは思わずゴクリと喉を鳴らした。
「す、凄い……! 世界の果てとは、こんな素晴らしい場所なのか。見たことも無い種族の街だ!? しかしこんな場所が世界の果てだとするならば、確かにこれは帰りたくなくなる。こういう所でも、既に戦いは始まっていると言えるな」
そうしていると、今度は三人の少女たちがコルトの前を通った。その少女たちは皆が同じ服装に身を包み、同じ鞄を背負っていた。三人ともスカートの丈が異様に短く、ついでに言うなら顔もまた化粧のせいで見分けがつかなかった。
「お兄さん。なんで上、裸なの?」「そっち系の人?」「外人さん?」
少女たちはコルトの姿を見て立ち止まると、何やら含んだ笑みで話し掛けてきた。
「? 裸だと何かまずいのか?」
コルトには彼女たちが何を疑問に思っているのか理解できなかった。魔界では別段、裸で歩き回る事など珍しく無かったし、そもそも衣服を着ない種族だっている。
それを聞いた少女たちは、後ろを向いて何やら小さな声で相談を始めた。
「ちょっとマジもんじゃん。どうする、どうする?」
「でも外人とはヤったこと無いし、興味はあるよね」
「だね。じゃあそういう事で」
少女たちはコルトの方を向きなおすと、じゃれるように手を組んできた。
「ねぇお兄さん。私たちが服買ってあげるからさ」「その代わり、私たちとちょっと遊んで行こうよ」「格好いいヤツ選んであげるからさ」
「いや、俺は……」
と言いつつも、彼女らの柔らかな身体や甘い匂いに、すっかりコルトは毒されていた。
「いいから、いいから」「ほら、行くよ」「取り敢えず、私のジャージでも着ときなよ」
そういう彼女らの勢いに気圧され、コルトはなされるがまま、街の中を歩いて行った。
「おぉ、さすが外人」「超似合ってんじゃん」
「そ、そうか?」
コルトは今、ブティックに来ていた。なるべく近場で探そうという事になり彼女らに連れてこられたその店は、商品もそうだが客の格好も全体的に黒かった。店内を見回すコルトに、彼女らは手から溢れる程の服をそれぞれ持ち寄ると、狭い箱の中にコルトを押し込め、片っ端から試着させた。
「お兄さんってモデルか何か?」
「『もでる』? いや、違うが?」
彼女らの持ち寄った服もまた全体的に黒く、チェーンやらドクロやらが付いていた。言われるがままに色々と来て周り、最終的に気に入った物をそのまま来て出る事にした。
中は赤地のシャツ。上着はなるべく黒地に近いジャケット。その姿はかなりのレベルでホストのそれであった。コルト的にチェーンなどはチャラチャラと五月蝿くイライラしたので、なるべく何も付いていない物を選んだ。
その中でもこの二つはそこそこ気に入れたし、何より少女たちが喜んでいたのでこれにした。
外で待たされ、暫くすると店から彼女たちが出てきた。「今月これでピンチかも」と呟く少女の顔がなにやら辛そうだったので、コルトは少し心配になってきた。
「どうした? 大丈夫か?」
その言葉に、少女らは幾ばか明るさを取り戻したようで、先程と同じようにじゃれて来た。
「大丈夫、大丈夫! 大体アサギってば、男に貢ぎすぎなんだよね~!」
「うるさいなぁ、いいじゃん別に! それより、これからどうする?」
「取り敢えず、プリ撮ってからでいいんじゃない? ゲーセン近いしさ」
次に彼女らに連れられやってきたのは、様々な機械が立ち並ぶ暗い店だった。そこかしこから聞こえる耳を刺すような騒音に、コルトは少し目眩がした。その中の一つ。何やらとても目が大きな女性たちがうつった幕に遮られた、小さな箱。その中で少女らと一緒にポーズをとらされる。皆が同じように指を顔の前に出すその仕草を、コルトは何か儀式のようなものかと考えた。そうしている内に目の前がパッと光り、少女たちは満足そうに箱を出て行った。
「疲れた……。一体、これは何なのだ?」
コルトも幕を潜って外に出る。すると少女たちは箱の横にある幕の掛かった小さな区間にわざわざ三人で詰めて入ると、手馴れた手つきで何かを操作し始めた。顔を見るだにそれはとても楽しい事のようだったが、コルトにはイマイチ理解ができなかった。
「お兄さん、名前は何ていうの?」
少女らの内、『ミサキ』と呼ばれていた少女がこちら側に顔を向け、訪ねてきた。
「名前? コルト。コルト・アートラインだ」
「『こると』ね! オッケー。綴りは……って、コルトさん日本語超上手いし、平仮名くらい読めるよね?」
「(ニホンゴ? ヒラガナ?) あぁ、読めるんじゃないか?」
ミサキは「何それ」と少し笑うと、また顔を戻し操作を続けた。
それから少しして、少女たちは幕を潜ると箱の別の側面に移動した。そこには透明の板が貼ってあり、小さな奥域があった。するとそこに何やら色鮮やかな紙が落ちてくる。少女たちは板を持ち上げそれを取ると、嬉しそうにはしゃぎながら近づいてきた。
「はい、これ」
そう言って手渡されたものは、先程箱の中にいた自分たちの姿が映った紙だった。色鮮やかな装飾がなされ、顔や空中に様々な文様や記号が落書きされていた。
「これは……?」
「コルトさんプリクラ知らないの? 携帯があるならデータ送れるけど、どうする?」
「『ケイタイ』? すまない、それも何か分からないな。多分持っていないと思う」
「携帯も持ってないの!?」「コルトさん、どうやって今まで生きてきたの!?」
彼女らの反応は驚いているというより、信じられないといった感じだった。そうして鞄からゴテゴテとした長方形の長板を取り出すと、これがその『ケイタイ』だと言って見せてきた。それぞれ形は似通っており、彼女らの説明ではこれで遠距離でも連絡が取り合えるという。その仕組みはコルトには説明できなかったが、恐らく魔法式を手頃な大きさの物体内に直接書き込んだものだろうと考えた。自身の魔力で即座に使用できるし、そう考えれば持ち運びにも非常に適した形、大きさのようにも思われた。世界の果てには今まで見たこともない技術や発想が満ち溢れていると、コルトは唸るように感心した。
それから少しの間、街を散策することになった。
彼女らが見せてくれる全てのものが新鮮で、コルトの心は好奇心に満ちていった。
そんな時である。
「お嬢ちゃんたち、今暇?」
気付けばコルトたちは五、六人の集団に囲まれていた。若い男の集団で、派手な服装とピアスの数が目に付いた。
「俺たちこれからクラブに行くんだけど一緒に来ない?」「へぇ~、結構カワイイじゃん」
「はぁ? 誰よあんたら!?」「私たち、別に暇じゃないんだけど」
「まぁそう言わずにさ、ほら!」
そう言って男たちは彼女らを中心に囲むと、その内の一人が手を掴んだ。
「ちょっと!」「離せよ!」
彼女らは声を出して暴れるが、周り男たちはヘラヘラ笑いながらそれを見ている。通行人の誰も彼もがそれを見ているのにも関わらず、誰一人として近づこうとするものはいなかった。
「おい」
「あぁ~っと、お兄さんは動かないでね~」
コルトは男たちに向かって歩み寄るが、その内の一人が立ちはだかった。
「お兄さんもさぁ、三人も独り占めにしなくていいんじゃない? ていうか、あの子らこれから俺らと遊ぶからさ~――――」
コルトは腹部に違和感を覚える。
見れば、男が懐から取り出した刃物をあてがっていた。
「――――もう帰れよ。な?」